龍宮寺 姫の見た世界

 ……な、何が何だかわかりませーんっ!

 本当に、何が何だかわからない。今年自分が『魔王』になるかもしれない。先生たちからはそう言われていた。でも、かもしれないという事は、ならないかもしれないという事だ。まだ確定ではない。

 そもそも、引っ込み思案であがり症、終始おどおどしている自分自身に、そんな大役が務まるとは到底思えない。ただの首席という意味合いだけではなく、摩天楼中学校の王としての権限を自分が有していいだなんて、とてもではないが思えなかった。

 そして、そのまま中学二年生が終わり、三年生になった。

 第五十二代目の『魔王』に任命されるなら、流石に事前に言われるはずだ。しかし、何も言われなかった。だから、大丈夫だと思っていた。なのに、今朝登校したら同級生たちから、急に『魔王』と呼ばれた。

 ……な、仲はそんなに悪くないと思ってたんですけどね。

 ショックだった。今まで普通に学校に通って、特別親しいというわけではなかったが、顔を合わせたら挨拶ぐらいはして、学校行事は一緒に参加をしたりなんかして。

 でも、それも一瞬で変わった。

 入学式では、自分に関係ないと思っていた『魔王』として任命され、同級生たちの自分を見る目が変わった。そして――

 ……あ、あたし、どこに連れて行かれてるんですかーっ!

 入学式が終わった後、第五十代目の『魔王』、つまり自分の先輩が誰よりも早く自分の元に乗り込んできた。そして有無を言わせず、手を引いて自分が一度も足を踏み入れたこともない高校生の校舎へと連れ込まれている。

 本当に、自分はどこに連れて行かれるのだろう?

 はっきり言って、この先輩、めちゃくちゃ怖い。

 自分は正直、人付き合いが苦手だ。それは自分自身に対する自信のなさもあるし、誰かと話そうとすると言葉が咄嗟に出ずどもってしまう。すらすらと喋れない事が恥ずかしくって、それでまた言葉が出ないという悪循環。なるべくなら、誰かとあまり話したくはない。

 しかし、この黒髪黒瞳の先輩はそんな事お構いなしにこちらに踏み込んでくる。踏み込み過ぎて、頭まで撫でてくる。でも、それはなんだか自分がどれだけ言葉に詰まっても、吃音的な会話になっても自分を受け入れてくれるような気がして――

 ……わ、悪い人じゃ、ないのかな?

「おい! いるな! 不知火先輩っ!」

「ひっ!」

 気づけば自分たちはある部屋の前までやってきており、先輩が蹴破るようにしてその部屋の中に入る所だった。

 ……あ、あたし、ややややっぱり苦手です! この先輩っ!

「聞こえてるんだろ? おい!」

「うるさいなぁ。そんなに騒がなくても、聞こえているよ、私のこーはい」

 部屋にいたのは、美しい女性だった。しかし、ただ美しいのではない。迫力があるのだ。

 濡れ羽色の長髪は、確かに美しい。着ているセーラー服をこれでもかと押し上げる双丘は、見るものを魅了してやまないだろう。

 しかし、ふとした瞬間、その長髪は悪魔が翼を広げた様にも、二つの果実はアダムとイブが決して口にしてはいけないと言われていた禁断のそれの様にも見える。それからこの学園で連想される単語は、一つだけだ。

「ま、『魔王』……」

「そうとも。第四十九代目『魔王』にして、現摩天楼高等学校の生徒会長。それが私、不知火 扇(しらぬい おうぎ)だ」

 そう言って、不知火先輩は気だるげに、大きく眠そうに欠伸をした。

「私の生徒会室へようこそ。敬愛と親愛と友愛を込めて、扇先輩と呼ぶと言い、龍宮寺クン」

「あ、あたしの名前を、ししし知っているんですか?」

「もちろんだとも。第五十二代目『魔王』、龍宮寺 姫(りゅうぐうじ ひめ)。今年の『勇者』どもをを討伐する『魔王』よ」

「そうだよ、それだよ! 入学式前にこの龍宮寺の事でメールしただろ? どうなってんだよ? 不知火先輩」

「もう、扇ちゃんと呼べと言っただろう? 後輩」

「……そんな事一言も言ってねーだろ!」

 子供っぽく口をすぼめる不知火先輩に、先輩は苛立たしげに舌打ちをした。

「それで? 今年の『ご隠居』は? 何で龍宮寺は『魔王』の説明を受けてねぇんだよ」

「まぁ待ちたまえよ、こーはい。時に龍宮寺クン。キミは『魔王』の事を、特に特権についてはどれぐらい知っている?」

「あ、あたしですかっ!」

 突然話を振られて、初対面の先輩を前にしたせいもあり、いつも以上に狼狽する。ここで下手な事を言ったらどうなるだろうか? 怒られるだろうか?

 ネガティブな思考が、自分の中で渦を巻く。何か喋ろうとしても、言葉がまとまらない。まとまらないから、息を吸うのも上手くいかなくなる。

 まるで陸地に打ち付けられた魚の様に、口を開いて閉じてを繰り返すことしか出来なくなっていると、右手が急に暖かくなった気がした。

 ……な、何?

 見ると、先輩が自分の手を握っていた。いや、それは入学式を連れ出された時からそのままだ。ただ、先輩が手に力を込めただけ。一体何のために? という疑問は、愚問だ。

 そう思うと、何かが解けて、口から言葉が零れだした。

「ま、『魔王』はその名の通り、摩天楼中学校の王となります。そそそそして、摩天楼高等学校への推薦権限を有します」

「そうとも。本当は学校の運営権なんかも持つが、基本は生徒会や委員会に丸投げだ。丸投げする権利も持っているしね。そんな事よりも、『魔王』にはやるべきことがある」

 不知火先輩は満足そうに頷くと、机の上から一枚の冊子を取り出した。摩天楼中学校の学校紹介用のパンフレットだ。

「摩天楼中学校は私たちが通う高等学校とは違い、生徒の可能性を広げるため、横の教育に注力している。入学するには全国に派遣されているスカウトからの推薦、もしくは一般公募によるあらゆる分野の試験を通過する必要がある。そしてその後、更に一年生から二年生にかけて、それはもうみっちりと、各分野を徹底的に磨きこまれ、一定水準まで引き上げられるわけだ」

「その一定水準ってやつも、ハイレベルなまでのオーバースキルで、摩天楼中学校に通っている学生は全員どの分野でも全国クラスの実力者ばかりという、驚異的な集団が出来上がるわけだ。そんな異常な集団の中で主席を取る異常者中の異常者。それが俺たち『魔王』だ」

 不知火先輩の言葉を引き継いで、先輩はそう言った後、鼻で笑った。

「それが中三で学生たちの立場が一転する。摩天楼中学校から摩天楼高等学校へ推薦で進学した者は、自分の進みたい進路へ確実に進むことが出来る。アイドルだろうが宇宙飛行士だろうが、政治家だろうが、摩天楼学園が今まで輩出したOB・OGが全力で叶える。そして、その夢へのファストパスを持っているのは、『魔王』だけだ」

「摩天楼高校を卒業した学生は引く手あまただからね。時には海外の大学、企業から推薦状が届くぐらいだ。高三の私にも既に山の様に招待状だか脅迫状だかが届いている。一般公募で進学した私ですらこうなのだから、推薦枠を手に入れるのがどれほどの物か、理解するのは容易いだろう? 龍宮寺クン」

 そう言って、不知火先輩は悪魔的な表情を浮かべた。

「そして、その夢への切符を手に入れる方法は、『魔王』に勝つ以外方法はない。『魔王』に勝てば高等学校への推薦枠が、自分の夢が叶えられる。いつしか私たち『魔王』に挑む挑戦者たちの事を『勇者』と呼ぶようになり、『勇者』は『魔王』との『決戦』で、夢への切符を手に入れると、そういう立て付けなのさ」

「で、でも、あ、あたしたち『魔王』には、高校への推薦枠は貰えないんですよね」

 自分の疑問に、手をつないだままの先輩が、横行に頷いた。

「その分、『勇者』を『決戦』で倒した、つまり討伐した時に受け取れるボーナスは、地位であれ名誉であれ金であれ、規格外だからな。摩天楼中学を卒業して摩天楼高等学校へ進学すれば当然の様に学費も免除だし、特典も付いてくる」

「『魔王』に任命されるぐらいだから、摩天楼高等学校の進学試験なんて、朝飯前だからねぇ。今では私もこーはいも、プライベートジェット機はばんばん飛ばしたい放題だし、海外へ何を持ち込んだって文句は言われない。それこそ、重火器もね? 殺しのライセンスだって与えられるのさ」

「じ、ジェームズ・ボンド?」

「それはさておき、俺たち『魔王』は選ばれなかった『勇者』からすれば嫉妬の対象だろうよ」

 忌々し気に、先輩はそう言った。

「し、嫉妬、ですか?」

「そうとも、龍宮寺クン。考えても見たまえ。小学校から中学校に進学し、今までオールラウンダーを目指して教育されてきた生徒たちが、突如学校が自分の上位互換として別の誰かを『魔王』として任命するんだよ? そして、その『魔王』は自分の夢を叶えるための手段を持っているんだ。そんな相手に立ち向かい、勝利を収めるには、何が必要だと思う?」

 不知火先輩はパンフレットを丸め、自分の方に突き出してくる。

 この問いはきっと、この学校、摩天楼中学校は、ゲームのRPCと同じなのだ。

 体力、知力、筋力、素早さ、防御力等、全てのパラメーターを全てハイレベルで、自分というキャラクターを育ててきた。

 しかし、それら全てを上回る相手が、自分の夢を叶える手段を握っている。自分の夢の前に、立ちふさがっている。

 絶望的な存在。すなわち、『魔王』。

 そんな『魔王』に勝つために、『勇者』たちはどうすればいい? 今まで積み重ねてきた、オールラウンダーとして勝てないなら、どうすれば『勇者』は『魔王』に勝つことが出来る?

「い、今までのやり方を、否定する? じじじ自分に足りないものを見つけて、強みを伸ばす?」

「そう。つまり、全知全能(オールラウンダー)から一点集中型(オンリーワン)へのモデルチェンジ。この、摩天楼高等学校の、縦の教育方針そっくりだとは思わないかい? 龍宮寺クン」

「じ、じゃあ、あ、あたしたちは、他の生徒が高校の教育方針に慣れるために礎って事ですか?」

「どう考えるかは人それぞれだけど、『勇者』討伐のボーナスは、正直無視できないからねぇ。それは龍宮寺クンも、『ご隠居』からではなく、教員から事前に聞いているんだろ?」

「そ、それは……」

 確かに、それはその通りだった。自分が『魔王』としての役割を全うすれば、お父さんお母さんはかなりいい暮らしが出来る。

 ……で、でも、そのために『勇者』の、同級生の夢を奪ってもいいの?

 怖い。

 喋るだけでも一苦労なのに、自分の、『魔王』としての立ち振る舞いが誰かの一生に大きな影響を与える可能性がある事に、呼吸困難で死にそうになる。

 が――

「ははははうわぅ!」

「おい、先輩。結局何で『ご隠居』が龍宮寺についてないのか、説明してもらってないぜ。事前説明もなしに重責だけ背負わせようとするのは、良くないと思うぞ」

 握った手を引っ張られ、先輩にされるがままに頭を撫でられる。頭を回されれば回されるほど、自分の頭から今まで感じていた重たい想いが、掻き消えていくようだった。

「大体、何で『魔王』に任命されたからって俺たちだけが変に尻込みしなきゃなんねぇんだよ。他人に影響を与えるのは、『勇者』の進路に影響を与えるのは、俺たち『魔王』だけじゃねぇぞ。『勇者』にだって『魔王』と戦わない権利だってあるし、俺たちに負けたからって、何も自分の進路が閉ざされるわけざねぇ。ただ、近道がなくなっただけだろ? 本当に叶えたい夢なら、『勇者』なら『魔王』に一度負けたぐらいでへこたれねぇよ。何度でも、何度でも自分の夢のために立ち上がる。それが『勇者』だし、俺が、不知火先輩が、他の『魔王』が倒してきた『勇者』は、皆そんな奴らばっかりだったじゃねぇか。こっちが応援したくなるような奴らばっかりだったじゃねぇか。そうだろ?」

 先輩の言葉に、不知火先輩は不敵に笑って頷いた。

「だから、不知火先輩ではなく、扇たんと呼べと言っているだろう後輩」

「……だからも何も、そんな事一言も言ってねーだろ!」

 なんだろう、この人たちは。何なんだろう、この人たちは。人の人生を賭けた重い話をしていたと思ったのに、今ではそんな重さを欠片も感じない。その重責を臭わせた不知火先輩にも、嫌な感じを自分はもう感じていない。

 ……こ、これが、『魔王』なの?

 いや、正確には『魔王』だった人たち。『ご隠居』という、ある意味引き継ぎ期間すら完了した、正真正銘、隠居生活に入った『魔王』たち。

 自分も、なれるのだろうか? 『魔王』を経験すれば、『勇者』を倒せば、倒した『勇者』に対してすら応援できるようになれるのだろうか?

「第一、『勇者』は、徹底的に自分の強みを強化するか、『魔王』が苦手にしている分野を『決戦』で突いてくるんだ。RPGの戦略と同じさ。『勇者』は得意分野(オンリーワン)を伸ばせる(目指せる)が、『魔王』はその役に選ばれた瞬間に、全知全能(オールラウンダー)を求められる(強要される)。こっちは全分野でどんな『勇者』相手でも勝たねぇといけねぇ役割負わされてるのに、重箱の隅を楊枝でほじくるような真似をしてくる『勇者』どもに、俺たちが何で負い目を感じないといけねぇんだよ」

「や、やっぱり、『魔王』やるの怖いですぅ……」

「おやおや、後輩。あまり龍宮寺クンを怖がらせてはいけないよ?」

「……あんたなぁ!」

「それで、龍宮寺クンに『ご隠居』が付いていない理由だが」

「……ちっ! 続けろ」

 かなり不機嫌になりながら、先輩は不知火先輩の言葉を待つ。

「実は、いなくなってしまったのだよ、こーはい」

「は? 誰が?」

「だから、第五十一代目『魔王』が。つまり、龍宮寺クンの『ご隠居』役が、だ」

「え、えーっと?」

 不知火先輩の言葉の意味が分からず首を捻っていると――

「そ、そうか! あいつ、突然アメリカに行くって渡米してたなっ!」

「そうだ。しかも、事後連絡ときたもんだ。おかげで学園側は龍宮寺クンへ『魔王』についての説明が完了したと思って話を進めていたが、蓋を開けてみると、こうなっていたというわけだ。というか、私も後輩から連絡を受けて学園側に状況を確認し、学園側も状況を今の今認識したというわけだが」

「つーことは、龍宮寺は全く悪くなくて、完全に摩天楼学園側の不手際じゃねぇか!」

「まぁ学園側だけの問題ではない気もするが、龍宮寺クンに責がないのだけは確かだろう。申し訳なかった、龍宮寺クン。学園を代表し、ひとまずここは私の顔に免じて許して欲しい。この通りだ」

「え、え? いや、あの、あ、あたしは大丈夫、です?」

 頭を下げる不知火先輩に、自分は激しく狼狽する。別に、自分は誰かを責めたかったわけではないのだ。

 しかし、先輩は引き下がらなかった。

「ごめんで済むかよ! こいつ、今朝同級生に囲まれてなじられてたんだぞ!」

「ちょ! せせせ、先輩っ!」

「そうだな。私もこーはいからの報告を受けて、この事態を非常に重く受け止めている」

「そうだろう? だったら早くこいつに別の『ご隠居』役を――」

「うむ。その役に、狼谷龍という生徒を割り当てようと思う」

「ああ、そうだな。狼谷なら『魔王』経験もあって、『ご隠居』としての経験もあり、ってちょっと待て!」

 流れるようなノリツッコミが、先輩から放たれた。

「いやいや、おかしいだろ? 先代『魔王』が摩天楼高等学校に進学しなかった場合、『ご隠居』の役には先代の、つまり第五十一代目の摩天楼中学校の生徒会長と風紀委員長がサポートになるのが決まりなはずだ!」

「まぁ、我が校は中卒で海外に飛び出す事例も少なくないからな。そうなった場合のフローも考えてある」

「だろう? だったら――」

「だから、言っただろう? 後輩。事態は非常に深刻なのだよ。そのサポートに回るはずだった生徒たちも……」

 その言葉に、先輩が露骨に狼狽した。

「ま、まさか……」

「うむ。二人とも、摩天楼高等学校へ進学していない。というか、第五十一代目の『魔王』が連れて渡米した」

「ふざけんな、あの野郎っ!」

「ひっ!」

 ……や、やっぱり、この先輩あ、あたし苦手ですぅ!

 やることなす事予想が付かないし、不知火先輩との会話に夢中で忘れているのか、手は放してくれない、いや、無理に放さなくていいのだが、ちょいちょい引っ張る力が強くなるので、そこは留意して欲しい。

 ……こ、こういう時、なんて言えば伝わるのかな?

 うーうー言いながら自分が悩んでいる間に、話は徐々にまとまりつつあった。

「だけど、『魔王』の説明とかどうするんだよ!」

「どうするも何も、今しただろう? 私と、こーはいで」

「……先輩。まさか、そのために今まで話を引っ張ったんじゃないだろうな?」

「さぁ? 既に説明をし終えていた、という結果をどう思うかは後輩に任せるよ。しかし、実際問題、先代の『魔王』だけでなく生徒会長や風紀委員長が不在のケースは、摩天楼学園始まって以来初めての事なのだ。まずは暫定対処で当面の危機を乗り越え、その間に恒久対応を取るのが得策だと、私は思うが? 後輩の意見を聞きたい」

「……悔しいが、それは賛成だ。だが、何で俺なんだ? 『魔王』と『ご隠居』を歴任した事があるなら、あんただっていいはずだろう? おまけに先輩は、摩天楼高等学校の生徒会長でもある。色々と融通が利くはずだ」

「それも一理ある。しかし、私は逆に生徒会長としての責務も発生する。龍宮寺クンのサポートを全力では行う事は出来ないのだよ」

「さっきと言っている事が矛盾しているぞ、先輩。あくまで暫定対処なんだろ? 全力で取り組まなければいけない事態なら、それはもう恒久対応と同じだ。面倒ごとを俺に押し付けようとしているのが、ひしひしと伝わって来るぜ!」

「何を言っているんだ? この猛勉な私に向かって何を言う」

「おいおい、自分が『魔王』時代に付けられた別名を忘れたわけじゃないだろう? 先輩」

「ふむ。私は確か、『怠惰な魔王(ベルフェゴール)』だったかな? ふふふっ。私の事を良く表している、いい二つ名だと思うよ?」

「怠惰じゃねぇか! やっぱり俺に押し付けようとしてるんだろ?」

「そんなわけないじゃないか、『魔王中の魔王(サタン・オブ・サタン)』」

「……その名で俺を呼ぶなっ!」

「ふふふっ。名付けたのは、当時現役のリアル中学生である『勇者』たちだからねぇ。私は好きだよ。『魔王中の魔王』」

「もうやめてっ!」

「何を恥ずかしがることがある? 歴代魔王の中で、唯一討伐率百パーセントを記録した、『勇者』を殲滅し切った『魔王』には相応しい名じゃないか。そして、新たな『魔王』の導き手としてはこれ以上ない実績だろう?」

「不知火先輩だって、討伐に失敗したのは起きるのが面倒だった時だけだったって噂じゃねぇか!」

「それが事実だったとしても、やはり龍宮寺クンのサポートは、キミが適任なのだよ、こーはい」

「だから、何で俺なんだよ!」

「信頼関係さ」

「信頼関係?」

「私の部屋どころか、部下からはキミが入学式から連れ出した時以来、ずっと握っていると報告を受けているよ? 龍宮寺クンの手を」

 不知火先輩の指摘に、自分は口から心臓が飛び出しそうになった。

「……指摘するのも面倒だったが、私の前で他の女とイチャイチャするのはやめてくれよ、私の後輩」

「何でいつの間に俺が先輩のものになってるんだよ……」

 そう言いながらも、どことなくそう言われる事が悪い気はしないな、というような表情を、先輩は浮かべた。

 それを見て、自分は思った。

 ……じ、自分の上位互換を見た『勇者』は、『魔王』に対してどう思うんだっけ?

『勇者』にとっての上位互換が『魔王』なら、『魔王』にとっての上位互換は、先代の『魔王』だ。

 つまり、自分に取っての上位互換は不知火先輩にあたるので――

「……あ、あたし、嫉妬しますっ!」

「ん? 何か言ったから、龍宮寺」

「な、ななななんでもありません!」

 思わず零した言葉を掬い上げられ、テンパりながらも何とか言い訳をした。

「それで、今月だけ、新学期が始まった四月の間だけでも龍宮寺クンのサポートをお願いできないだろうか? 後輩」

 不知火先輩は、ここぞとばかりに畳みかけてきた。

「そもそも、キミが『ご隠居』として支援した『魔王』が起こした不祥事だろう? キミの指導不足が今回の問題を引き起こしたと言っても過言ではないのではないかな?」

「それは――」

「それに、後輩は高校二年生の実績は何で飾るつもりだったんだい? 我々元『魔王』は、全知全能(オールラウンダー)であるが故になんでも出来るが、求められる成果はその分高くなる。去年は『ご隠居』としての成果があったが、今年はどうするのかね?」

「……どこかのグループに混ぜてもらうさ」

「確かに、個人だけでなくグループ単位で成果を出すことを、高等学校では認めている。成果さえ、出せばいいのだからね。しかし、そうすると元『魔王』であるキミを高校一年生の時から結束を深めていたグループが、途中加入をする事を認める必要がある。そこに、何かしらの手土産があった方がいいと、私は愚考するのだがねぇ」

「……俺が龍宮寺をサポートした成果を、俺が将来所属するかもしれないグループの加点とする、って事か?」

「そういう取引も含めて、成果を上げる事を、学園は求めているのだよ、こーはい」

 まさに、『魔王』らしい笑みを浮かべる不知火先輩に向かって、先輩は舌打ちをした。

「……今月だけ。『決戦』のサポートだけだ。後、俺は『決戦』に直接かかわりのある部分には手を出さない。それでいいな?」

「もちろん。では、契約成立だ。ちなみに今、『決戦』には三件エントリーが入っているよ」

 三件。その数字を聞いて、先輩の目が鈍く輝いた。今朝自分が置かれていた状況を知っている先輩なら、あの三人の姿を瞬時に脳裏に描いたに違いない。

「わかった。今月、つまり俺が龍宮寺のサポートをする必要があるのは、三件だけだな」

「おや? 今月はまだ始まったばかりだよ? 後輩。何故三件だけと言い切れるんだい?」

「決まってるだろ? 俺が来させないからだよ」

 そう言って先輩も、先ほどの不知火先輩に負けず劣らない悪い笑みを浮かべた。

「先輩。エントリーのあった三人の情報を俺に送ってくれ」

「もちろん」

 不知火先輩が頷いた瞬間に、先輩はバイブレーションで揺れるスマホを取り出した。

 ……だ、誰が送ったの?

 不知火先輩は、ピクリとも動いていない。そう言えば、入学式から自分が先輩と手を繋いでいたと報告を受けている、と言っていた。どこかしらに、不知火先輩の部下でもいるのだろうか? それとも、ドローンのようなものから、機械的に報告を受け取っているのだろうか?

「助かったよ、先輩。それじゃあ、俺はこれからやる事があるから、この辺で失礼するよ」

 そう言って先輩は、あっさりと自分の手を放して、生徒会室から出て行ってしまった。


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 ……え、え、え? 嘘? えっ!

 最初、何が起きたのか全く分からなかった。ここに来るまでの間、片時も手を放さなかったのに、こんなあっさりと、しかも自分を生徒会室へ置いて出ていくだなんて、全く想像もできなかった。

 ……どどどどうしよう!

 別に、不知火先輩は自分の敵ではない。しかし、引っ込み思案であがり症な自分が、ほぼ初対面の先輩と同室で二人っきりになるなんて、想像しただけでも卒倒ものだ。

 暫く沈黙が続いていた部屋で第一声を放ったのは、気だるげな不知火先輩だった。

「後輩とは、何処で出会ったんだい? 龍宮寺クン」

「……え、え? あ、あたしに聞いてるんですか?」

「そうとも。キミ以外、ここには誰もいないだろう?」

 そう言われて、言われてみれば当たり前だなと思い、赤面する。

「え、ええっと、せせせ先輩とは――」

 聞かれた質問に答えようとして、でも、言っている途中にある可能性に気が付いて、話すのを止めた。当然、不知火先輩は訝しむ。

「ん? どうしたんだい? 後輩とは、何処で出会ったんだい?」

「ご、ご存じ、なんじゃないんでしょーか?」

 おずおずとそう言うと、一瞬不知火先輩の目の奥が光る。

「へぇ。それは一体、何でそう思ったんだい?」

「だ、だって、不知火先輩、部下の人から報告を受けてたって」

「それは、私がキミを監視していたからだとは思わないのかね? 摩天楼高等学校の生徒会長として、今年度の『魔王』の動向を探るという、立派な動機が私にはあると思うよ?」

「しゅ、主語が、先輩だったから」

「主語?」

「ぶ、『部下からはキミが入学式から連れ出した時以来』って、し、不知火先輩、そうおっしゃってましたよね? だだだだから、不知火先輩、あ、あたしじゃなくて、本当は、先輩の方にだ、誰か監視を付けてたんじゃないかって、そう思って……」

 ……ま、間違ってた、かな?

 失礼な事を言ってしまったかもしれないと、不知火先輩の顔を覗き見れば、彼女は実に嬉しそうに笑っていた。

「そうかいそうかい。やっぱり、キミも『魔王』なんだねぇ」

「な、何のことですか?」

「キミは時に、『高楼事件』は知っているかい?」

「こ、『高楼事件』、ですか?」

 突然会話を切り替えられたことに戸惑いながらも、その事件について自分は思いを巡らせる。知っているか知らないかで言えば、殆どの人が知っていると答えるであろう事件だった。

 史上最高の人間を作り上げるには、至高最上の教育を。

 そう、お題目を掲げて、首謀者の高楼という人物が孤児を集め、英才教育を施し、施しすぎたが故に多数の児童虐待(ネグレクト)とまで至り、しかしその教育の成果はテロリスト的な意味で華々しいものとなったことで世界中の教育界に衝撃を与えた事件の名前だ。行き過ぎた教育が何を招き、それに取りつかれた信仰にも通ずる悪行は、今でも定期的にネットやテレビで議論の対象となる。

「き、教育を受けた子供や、教育を施した教師役も含めて、被害総数が未だ特定出来ていないという、あの事件、ですよね?」

「そうだ。そして、後輩はかつては、高楼 龍(こうろう りゅう)と呼ばれていた過去がある」

「…え、え?」

「かの高楼氏は成績の良かった子供や見込みのあった教師役の生徒には。虎や獅子といった実在上の獣の名前を与えていたそうだ。そして、特に可愛がっていた子供や生徒には、空想上の動物の名前を付けていたそうだよ」

 不知火先輩が言っている事が理解できず、自分の耳から耳へ、言葉がただただ上滑りしていく。

「その中で、後輩はね、運良く助け出されたんだ。特に、義父が警察官で、育ててもらった義父義母に対しては、並々ならぬ恩義を感じているらしい。だが、逆に救出される前の、助け出されるのをただ待っていた過去の弱い自分に、異常なまでのコンプレックスを感じているのだよ、彼は」

「だ、だから、先輩は、あ、あたしを助けてくれたって、そう言うんですか?」

「それだけじゃなくて、失う事を恐れているんだろう」

「お、恐れる?」

「かつて何も持っていなかったが故に、一度手にしたそれをなくすのを恐れている。そして、それと同時に、なくす前なのにも関わらず、なくしてしまう事を恐れて大事なものを増やそうとしないのさ。でも、後輩は一度掴まれたり、掴んだ手は放さない。絶対にね。こーはいは、失わない強さを、誰よりも求めてるんだ」

 ……で、でも、あ、あたしの手は放しましたけど。

 直前まで言いかけて、その言葉は飲み込んだ。代わりに自分は、全く別の言葉を口にする。

「つ、つまり、先輩はどういう人、何でしょうか?」

「一度彼の中で身内扱いされたら、もう一生ダダ甘やかしの対象になる、って事さ。家族思いなんだよ。可愛いだろ? 私の後輩は」

「は、はぁ……」

 不知火先輩の物言いに二の句が継げないでいるが、彼女はお構いなしに話を続けていく。

「そう言えば、くだんの『高楼事件』は、未だにその残党や、模倣犯が多く発生する。業腹だが、この摩天楼学園の教育方針も類似の点があるため、奴らの目にも付きやすい。特に生徒目線では『魔王』が任命される中学三年生からの干渉は増える可能性がある。私たちや教員も含め、目を光らせているが、気を付けてくれたまえよ」

「わ、わかりました」

「後、あんな話をした直後だが、後輩とは仲良くしてやってもらいたい。悪い奴ではないからね」

「わかっています」

 どもらず言い切った自分自身にびっくりしながら、一瞬驚いた表情を浮かべた不知火先輩に向かって、自分は自然と言葉を紡いでいた。

「せ、先輩は、あ、あたしの、先輩、でも、ありますから」

 最後の言葉は、尻すぼみになってしまう。それでも聞き取ったのか、不知火先輩は、本当に愉快そうに笑っていた。

 そんな、余裕とも取れる不知火先輩の態度に、自分は更に言葉を漏らす。

「……あ、あたし、嫉妬しますっ!」

「そうか。では、頑張って『勇者』の討伐に励んでくれたまえ」

 気だるげに、それでも快活に笑う不知火先輩に対し、自分はあうあうと、言葉にならない呻き声しか上げる事が出来なかった。

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