第一章 隠居魔王の眠りは浅い

狼谷 龍の見た景色

「……ん」

 鼻に違和感を感じて、俺は目を覚ました。軽く頭を振ると、桜の花びらが二枚程、学ランの袖に落ちる。眠気眼の視線の先には、開け放たれた窓と、桜の樹が見えた。

 ……随分、懐かしい夢を見たな。

 両腕を伸ばし、軽く呻き声を漏らす。桜は出会いと別れのシーズンに咲き、今は出会いの時期のど真ん中。つまり、今日は入学式が予定されている。入学式は、ある任命式があるため、基本学園に在籍する全校生徒の参加が必須である、というのがこの学校の習わしだ。

 俺は二年前に卒業した中学ではなく、高校の方の入学式に参加する予定だが、早めに学校に来たので図書館を開けてもらい、時間が来るまで一眠りしていた、というわけだ。

 腕を下ろして、俺は再度桜の樹へ目をやった。この樹は、俺の通っている摩天楼高等学校に植えられている物だ。

 摩天楼高等学校は、生徒の強みを伸ばす、縦の教育に注力する教育方針を取っている学校で、成果至上主義を掲げている。俺は摩天楼中学校からエスカレーター式で進学したわけではなく、正規の方法で一般受験により進学した。

 ……もっとも、『魔王』だった俺には高校の推薦枠は与えられないから、一般受験でしか入学出来なかったんだけどな。

 それでも摩天楼高等学校に俺が進学したのは、成果を出せば学費を免除されるためだ。学生の教育には湯水の様に資金を投資し、その投資結果が出ない学生は退学させるというかなり割り切った社風も、あの中学生活を潜り抜けてきた俺には割かしあっているように思える。

 ……それに、高校に進学すると『魔王』だった時の特典もあるからな。

「なんや、起きたん? なら、はよ出て行ってくれへん?」

 刺々しい言葉に視線を送ると、そこには不機嫌面をした少女の姿があった。

 彼女は、セーラー服の袖で眼鏡を押し上げる。少女の眉の皺が、更に深くなったように思えた。

「何だよ、図書委員。そんなに急かす事ないだろう?」

「アホ抜かせ。ほんで、ウチには赤川 矢須子(あかがわ やすこ)っちゅう名前があるんやから、ほんで呼び」

「つれないな。二年前は、『決戦』に向けて切磋琢磨した仲じゃないか」

「……昔の話やろが。特別に図書館の鍵を開けとるだけでも感謝せぇ」

 取り付く島もないとは、こういう事を言うのだろう。俺は開けられていた窓を閉じると、赤川に礼を言って、図書館を後にした。

 廊下を歩きながら外に視線を送ると、摩天楼学園の広大な敷地が見えてくる。

 学校法人摩天楼学園。

 摩天楼の名の通り、その名が天に届く程の人材を史上目的とし、生徒たちへ教育を行っている学校法人だ。学園は摩天楼中学校と摩天楼高等学校の二つで成り立っており、卒業生は各分野各国の至る所で活躍している。

 中学校と高等学校は隣の敷地に作られており、部活動などで使うグラウンドやプールも併設している。余りにも施設が巨大すぎるため、無料で自転車の貸し出しをしているだけでなく、時間割に合わせた無料バスまで走っているという、金のかけ方もまさに摩天楼な学園だ。

 図書館で見た夢のせいだろう。視線がなんともなしに、高校と隣接している摩天楼中学校の文化棟へと引き寄せられていく。最近書籍類は電子化の流れが進んでいるが、貴重書等は電子化する過程で紙が崩れる可能性があり、実物を扱うしかない。かといって、中学、高校用に分散して配置するメリットもない。必然的に、そういったものは一つにまとめられていた。

 そんな事を思っていると、何人かの女子生徒が集まっているのが見えた。構図としては、三人の女子生徒に一人の女子生徒が囲まれているようだ。

 ……新学期早々、嫌なものを見ちまったな。

 自分の事を棚に上げるが、思春期の学生が一つの場所に詰め込まれれば、諍いの一つや二つ普通に起こるものだ。

 ……『ご隠居』もようやく終わったのに、面倒事はごめんだ。

 ようやく、何の気兼ねもせずに悠々自適な隠居生活を楽しめるようになったのだ。それを自分から手放す気は、俺にはない。

 そう思い、立ち去ろうと思ったが、囲まれている女子生徒の姿があまりに異色だったため、一瞬目をそらすのが遅れた。

 

 少女は、ピカチュウだった。

 

 いや、意味が分からないのはよくわかるのだが、俺も意味が全くわからない。

 彼女はどう見ても、来ているブレザーから更にポケモンのピカチュウを模したフードを被っている。ちなみに、摩天楼学園では中学、高校共に制服はブレザー、学ラン、セーラー服、ジャージ、果てはブルマと、学校が許可した物であれば校内で何を着ていてもいい事になっており、そしてそれはあまりにも公序良俗に反していないのであれば許される傾向にある。

 ……とはいえ、あの奇怪な姿が揉め事の原因なんじゃないだろうか?

 そう思った俺の心の声が、まさか届いたわけではないだろう。しかし、そうとしか思えないタイミングで、ピカチュウ少女は、俺の方に目を向けた。

 

 その目は、涙ぐんでいた。

 

 どうしてこうなったのかわからず、どうしたらいいのかわからず、けれども誰とも争いたいとは思っていなくて、でも向けられる敵意にどうする事も出来なくて。

 それはきっと、かつて自分が義父を見上げた時の様な目で。

 ……くそっ!

 心の中で悪態を付いた時には、既に俺は走り出していた。

 自分自身の事を好きな人と、嫌いな人がいる。俺はどちらかと言えば、後者の方だ。特に、過去の俺は大っ嫌いだ。助けを求める事も出来ず、言われるがまま、求められるがまま従っていたあの頃の自分を、俺は強烈に恥じているし、それを想起させるものが、何よりも嫌いだ。

 ……だから、今日はたまたまだ。たまたま、成り行きでこうしているだけだ!

 誰が見ているわけでも、聞いているわけでもないのに、俺は心の中でそう言い訳をしていた。


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「観念しなさい! あなたが今年の『魔王』なんでしょ?」

 その場にたどり着いたとき、セーラー服を着込んだ少女がピカチュウに向かってそういった。興奮が収まらないのか、頭のお団子ヘアーがひょこひょこと揺れている。

 問われた言葉に、ピカチュウ少女は狼狽しながら答えた。

「そ、それはそうかもしれないと言いますか、で、でもあ、あたしなんかにそんな大役勤まらないと言いますか――」

「……結局、どっち?」

 あわあわしているピカチュウに痺れを切らしたように、金髪ショートカットの少女は自分の髪を揺らす。少女は袖の長いブレザーでキャンパスノートを抱えていた。デッサンでもするのだろうか? しかし、その眼帯で片目を覆っていては、デッサン対象との距離感もつかめまい。

「あ、あのあの、せせせ、先生方には、それとなーく、あ、あたしがそうなんじゃないかなー、というお話はあったりなかったりしてたんですけれども、ででででもですね――」

「うるさい! 先生が言ってたって事は、もう姫ちゃんが『魔王』って事でしょ?」

 挙動不審のポケモンが、セーラー服の少女が打ち付けた竹刀の音に小さく悲鳴を上げる。サイドテールの少女はそれに満足気に頷くと、ピカチュウに向かって竹刀の切っ先を向けた。

「だったら四の五の言わず、私たちと『決戦』しなさいっ!」

「『決戦』のエントリーは、まだ出来ないはずだぞ」

 聞き捨てならない台詞が聞こえて来たので、俺は思わず彼女たちの後ろから声をかけてしまう。

「ひゃっ!」

 思った以上に驚かれ、おどおどピカチュウを追い詰めていた少女の手から竹刀が零れ落ち、それを避けようとして、眼帯を付けた少女のバランスが崩れた。

「おっと」

「……! っ! っぅ!」

 転びかけた少女を抱きかかえると、稲穂の様な髪が揺れ、甘い匂いが俺の鼻腔に香る。しかし、少女の手にしたキャンパスノートは救い切れなかった。地面に落ちた拍子にページがめくれ、中からは絵画の模写が覗く。

 ……「羊飼いパリス」に、「メルクリウス」と「イバラの冠を戴いたキリスト」? 妙な組み合わせだな。

 そう思いながらも少女を立たせ、俺はノートと、零れ落ちた使用済みの美術館のチケットを拾い上げる。恐らく、キャンパスノートに挟んでいたものが落ちたのだろう。一緒に落ちたと思われる鉛筆を添えて、眼帯でも見えやすい位置に拾ったものを差し出した。

「はい。悪いね、驚かせて」

 言い終える前に、キャンパスノートが少女にひったくられる。真っ赤にした顔を隠す様にノートを抱え、彼女はどことなく陰を思わせるように、笑みを作った。

「……いえ、あの、ありがとう、ございます」

「突然何なんですか? その、先輩は」

 眼帯の少女を守るように、お団子頭が前に出る。一応、俺の制服を見て摩天楼高等学校の生徒だと気付いてくれたようだ。しかし、その目には確かに、俺に対する警戒心がありありと浮かんでいた。

 落ちた竹刀も拾い上げながら、なんと自己紹介した方が彼女たちの注目をピカチュウ少女から自分に移せるのか考える。

 ……『魔王』がらみなら、こう言った方が一番引きが強いだろうな。

「通りすがりの、『魔王』だよ」

 ここにいる全員が、息を飲む。その様子に、俺は思わず苦笑いを浮かべた。

「元、だけどな」

 続けた言葉に、彼女たちの顔に理解の表情が広がっていく。そして、その中の一人が進み出て、俺の手から竹刀を奪い去った。

「あああ、あなたは、あの、その、あの狼谷、先輩ですね」

「そうだが、どうした? 顔が赤いぞ」

「な、なんだっていいじゃないですか! いいじゃないですか! そんな事っ!」

 初対面の少女から、何故だか潤んだ瞳で睨まれる。そんな顔をされる云われはいのだが、俺が忘れているだけで、ひょっとしたらどこかで会った事があるのかもしれない。思い出そうとして思わず見つめると、少女は益々顔を赤くした。

「お前、ひょっとして岩崎の妹――」

「そ、そんな事はどうだっていいんです! いいんですよ! 元『魔王』の狼谷龍先輩が、一体何の用なんですか? まさか、今の『魔王』の助太刀?」

「そんなわけないだろう」

 知り合いの面影を持つ少女から竹刀を向けられ、俺は思わず両手を上げる。

「じゃあじゃあ、一体なんでこんなところに狼谷先輩がいるんですかっ!」

「何、お前らが勘違いをしているみたいだったから、先輩としてアドバイスをしてやろうと思ってな」

 本当はこちらを遠巻きにして震えているポケモンが見えたからなのだが、そこまで説明してやる義理はない。

「……アドバイスって、一体何のですか?」

 キャンパスノートを握りしめた少女が、もじもじしながら俺に問いかける。それに頷きで応えると、顔を赤くして彼女はノートで自分の顔を隠した。何故だ。

 気を取り直す様に咳払いをして、俺はかつて自分が関係していた摩天楼中学校独特の文化の一端を説明する。

「今日、入学式があるだろう? あの場で『魔王』の着任式、というか、任命式が同時に行われる。逆に言うと、入学式が終わらないと、『魔王』は生まれないんだ。『魔王』がどういう存在なのかは、知っているな?」

「摩天楼中学校の首席、の事ですよね?」

 セーラー服姿の少女が手を上げる。頭のお団子が、喋る度にひょこひょこ揺れて面白い。

「中学校での学生生活を通したあらゆる意味での総合的な判断がなされ、中学三年生の中から首席が選ばれます。そしてその首席は、その名の通り摩天楼中学校の王、通称『魔王』と呼ばれるようになります」

「元々摩王と呼ばれていたのが、いつしか字も似ていたこともあって、『魔王』になったんだが、まぁそれは昔の話だし、そこまで重要ではないな」

「でも、『魔王』がまだ生まれていない(任命されていない)なら、『決戦』はどうなるんですか?」

 お団子がはてなマークぐらいに傾いたので、俺は思わず笑ってしまう。

「鋭い。そしてその答えは俺が一番最初に言っている」

「最初?」

「……エントリー、出来ないってこと?」

「そうだ。そして空エントリーは、『決戦』の無駄打ち、つまり『魔王』への挑戦権を失う事を意味する」

「そうなんですかっ!」

 眼帯の少女に答えた内容に、サイドテールの少女が驚愕の表情を浮かべた。しかし、その驚きはいささか度を超えているようにも見える。彼女の顔は真っ青となり、『決戦』が出来ないことに対して、何処か異常に敏感になっているようにも見えた。

 ……なるほど。今年の『勇者』たちも、個性的な奴らが多そうだな。

「まぁ、そういうわけだから、今までの学力テストや体力測定、音楽美術書道その他といった公式、非公式な成績から、『魔王』の目星は付けられるが、今年の『魔王』はまだ存在していないし、『魔王』との『決戦』も出来ない。だからお前らは早く入学式の会場に行った方がいいぞ」

「わかりました」

「……ありがとう」

「次は、次は絶対、邪魔しないで下さいねっ!」

 三者三様の挨拶で、少女たちはその場を去っていった。

 その背中が見えなくなったのを見計らい、俺は隅で縮こまっている黄色い物体に声をかける。

「おい、そこのピカチュウ」

「ひっ!」

「……恩を押し付けるわけではないし、お節介だったら素直に謝るが、一応俺としてはお前を助けたつもりなわけで、悲鳴を上げられるような事をお前にした覚えは、俺にはないんだが」

「そ、そうですね。たたた確かにおっしゃる通りです! た、助けて頂いて、あ、あああありがとう、ございました」

 ヤマアラシが互いを傷つけない様に距離を測るようにして、目の前の少女は俺に向かって頭を下げた。その弱々しさが、また俺の過去を呼び起こそうとしたので、腹いせに無造作に距離を詰めて、ピカチュウの頭をぐりぐり撫でてやる。

「ははははうわぅ! な、ななななんですか? 先輩! あ、あたし、何かお気に障るようなことしましたねすみませんっ!」

「何もしてねぇから、謝るのやめろ! 仮にもお前、同級生から『魔王』だと思われてるんだろうがっ!」

 ぐりぐりと頭を撫でると、はうわうと少女はされるがままに、俺に頭を撫でられ続けている。

 ……こいつ、本当に『魔王』なのか?

 竹刀を持っていた少女ではないが、教員が『魔王』だと伝えているのであれば、告げられた生徒は十中八九、今年の『魔王』であることは間違いない。

「お前、中二最後の登校日に今年の『ご隠居』から何か言われてないのか?」

「ご、『ご隠居』さん、ですか?」

「そうだよ。中三になった新学期初日から、いきなり『魔王』が始められるわけないだろう。だから前回の『魔王』が隠居した後、現役の『魔王』のサポート役、つまり『ご隠居』として『決戦』をどう戦っていくかって言うのをレクチャー、サポートするんだ。お前、もう『ご隠居』とは会ってるんだろ?」

 今年の『ご隠居』は第五十一代目『魔王』、つまり俺の一年後輩だ。第五十代目の『魔王』である俺が『ご隠居』として徹底的に育てたので、その辺りの説明に抜かりはないはずなのだが――

「な、ないです……」

「……何?」

「あ、あたし、せせせ、説明どころか、今年の『ご隠居』さんとも、おおおお会いしてませんっ!」

 涙目で、第五十二代目の『魔王』になるであろう少女が、そう言った。

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