姉さん、あたしの中のモンスターがこんなに大きくなったよ!

「あの、鬼道縦読陣というのは一体……」


 おずおずと訊くのりピーを前に、三つ編みの少女は不敵な笑みを浮かべる。


「読んで字のごとく、縦読みした瞬間にこの概念空間への転移門を開く呪法ですよ。山本さんはさっき、これはどこを縦読みすればいいのかと思いましたよね?その時点ですでにあたしの術中にはめられているんです」

「そ、それは知りませんでした。ところで、わざわざここに入ってきたからには、なにか相談したいことがあるんですよね?まずお名前をうかがってもいいでしょうか」

「あたしは鬼道院春陽」


 そう名乗り、少女は胸をそびやかした。体つきは痩せているのに、胸だけはその身体に不釣り合いなほどに大きい。なんだかよく実った果実をふたつ、無理やり制服の下に詰め込んでいるようにみえる。


「で、相談事というのはなんだ?わたしに答えられることならなんでも答えるぞ」

「あたしが用があるのは小澤さんじゃありません。そこで澄ました顔をしている姉さん、貴方です」


 春陽は笑みを消すと、秋葉センセを睨みつけた。やはりこの二人、姉妹だったのか。鬼道院なんて珍しい姓、そうそうあるもんじゃないし。


「ねえ姉さん、あたし、最近急に胸が大きくなってきちゃって、なんだか苦しいんだよ。こんなつまんないことで悩んでたら小説どころじゃないし、なんとかしてくれないかな」

「春陽、それはわたしに訊くようなことじゃないと思うよ」


 秋葉センセの言葉はまったくの正論だった。先の二人の質問者といい、この春陽といい、どうしてこの番組の質問者は創作と関係ない相談ばっかりしてくるんだ。


「へえ、姉さん、そんなこと言っていい立場だと思ってるの?」

「貴方の体調の変化に気づいてやれなかったのは悪かったと思ってる。でも、もし具合がわるいところがあるんだったら、まずは病院に行かないと」

「ねえ、あたしはこんなに苦しんでるんだよ。この胸が本当に傷んでるんだ。そのあたしを放置する気なの?」

「落ち着くんだ、春陽。秋葉センセが言うとおり、そんなに具合が悪いんだったら早く病院に行かないとダメだ。なんなら救急車を呼ぼうか」


 わたしがたまりかねて口を挟むと、春陽はふんと鼻を鳴らした。


「ふうん、あんたも姉さんの味方なんだ。結局、誰もあたしの話なんて聞いてくれないんだね。そうだよね、あんたたちは才能に恵まれた作家センセイだもんね」

「春陽、なにを言ってる?」


 そう訊いた途端、春陽の胸がさらに大きく膨らみ、セーラー服を下から押し上げてきた。何かがおかしい。あれはどうみても人間のサイズじゃない。


「しょせん、あんたたち賜物タレント持ちには、この胸の痛みなんてわからないんだ!」


 なにか別の生き物が暴れまわっているかのように、春陽の胸を、背中を、腹を、何者かが内側から突き上げた。そのあと、春陽は激しくえづき、泥土のような大きな塊を地面に吐き出した。


「なんなの、これは……」


 わたしもさすがに呆然としていた。春陽の身体つきは年相応の少女に戻っていたが、彼女の吐き出した黒い塊は不気味にぐねぐねと動きながら、しだいに人の形を取りつつあった。


「ねえ姉さん、どうしてあたしに構ってくれないの?どうして昔みたいに、あたしの小説をほめてくれないの」


 苦しげに肩で息を継いでいる春陽のかわりに、黒い人形が口を開いた。その顔には目と思しきふたつの穴が穿たれ、口は耳まで裂けている。


「春陽、わたしは」

「言いわけなんて聞かないよ。姉さんはあたしには人間が書けてないって言った。あたしの小説に出てくる人物には血が通ってないって。小澤はぐみの書くものとはぜんぜん違うって」

「春陽、それはね」

「貴方には人の心がわかってない、とも言ってたよね」


 秋葉センセは絶句した。


「人間がわからない私には、あんな化け物しか生みだせないんだ」


 春陽が指さした黒い人形はどろどろとしたタールのような液体を概念空間の床に垂らしつつ、秋葉センセのほうにゆっくりと歩み寄っていく。

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