第5話 ハーフサイズの生存率

「おおおーっ! ラオン! お前は今、一体何処に居るのだあああ!」


 広いジュピターの城に、王アルスオンの大絶叫がこだました。

  すぐ近くを娘が宇宙飛行している事も知らず、王妃ミアムは今にも気を失いそうな顔色でソファーに凭れかかっている。


「……もう三日になりますわ。こんなに長い時間ラオンの顔を見なかった事なんて、一度もなかったのに……」


  最早もはや、夫婦ゲンカどころではない。王妃ミアムは、すでにそんな気力すら残っていない。


「ミアム様、アルスオン様、捜索の者から連絡が入りました。どうやら姫様は、すでにマーズにはいらっしゃらず、別の星へ移動されてしまった模様です」


 使者が、冷静に状況を告げた。

 ここジュピターでは、王位継承権は純粋な血筋を引く者にある。なので、前王の血を引く王妃ミアムこそが正統な後継者なのだ。だから使者は、王妃ミアムの名を最初に呼ぶ。当の本人たちは、そんな些細な事など全く気にしていないのだが。

 ちなみに王と王妃には、ラオンが極悪な誘拐犯と居る事は伝えられていない。もちろん、二人の心労を気づかっての事である。


「おおおお!」


  アルスオンが悲痛な声を洩らす。

  これ程の大捜索にもかかわらず、いまだ最愛の娘が何処に居るのか、その手がかりすらつかめずにいる。


「ラオンが出ていってしまった原因は、やっぱり私たちのケンカよね……」


 まぶたを半分落として、ミアムが呟く。


「ああ、そうだ! 君が私の書いた詩をけなしたりしなければ、こんな事にはならなかった!」


  肩を震わせ、アルスオンが大袈裟に嘆く。


「そんなっ! 私はただ、文章が臭すぎるって云っただけでしょう!」

「それがけなしているというのだ! 私の、私の精魂込めて君に書いた詩をっ!」

「正直に云ってくれって云ったのは、アルスオンの方でしょっ!」


  お互い八つ当たり同然で、再びケンカが始まってしまった。その時。


「大変です! ミアム様、アルスオン様!」


  使者が扉を開け、飛び込んできた。


「何事?」


  その剣幕に、二人のケンカが中断される。


「突然、失礼いたしました。あ、それより大変です! ラオン姫様の行方が判りました!」

「本当!」「本当かっ!」


  夫婦二人が声を揃える。


「はい、ただいま連絡が入りまして、姫様は土星付近にいらっしゃると……」

「探せ! ただちに探すのだ!」


  使者の言葉が終わらぬうちに、アルスオンが指令を下した。




          ☆



「わあ、あれが天王星だね! 本当に縦に輪っかがある!」


  カジノ店の通報により、カメラの映像から素性がばれてしまい大捜査網にかけられている事などつゆ知らず、ラオンは初めて直に眼にする天王星にはしゃいでいた。


「ところでラオン、この後どうするんだ」


  外を通り過ぎていく天王星の輪を見送りながら、ソモルが尋ねた。


「うん、まず、ホワイティアが云っていた条件に合う星の並びと磁場が絡み合う空間を探し出そうと思う」

「どうやって」

「恒星と衛星の位置を計算して、その周囲に発生する重力と磁力から、ブラックホールとホワイトホールの有無も調べて……」

「はあ……」


  ソモルが、難しい天文学に頭をねじらせる。


「その前に、この宇宙船の機能を少し知っておかないとね」


  ラオンが手近なボタンをひとつずつ押していく。宇宙船の速度が落ちる。


「これが、減速か……」


  みっつ目のボタンを押した時、前方のガラス窓と操縦桿の間に、機体を表した図面の映像が現れた。


「当たり! ナビガイドだ」


  ラオンが指を鳴らす。


「へえー、凄いや! ワープ機能まで搭載されてるんだ」


  ラオンが感心する。さすが最先端の小型宇宙船は素晴らしく多才だ。

  なおもガイド画面を見ながらあれこれ試しているラオンを尻目に、ソモルは窓の外の眩い銀河を眺めていた。

  こうして星の海を眼にしていると、ようやく自分が宇宙に居る実感が沸いてきた。

 ソモルは、宇宙空間に出るのは初めてだった。密航の貨物船では窓がなかったので宇宙に出たという感覚に乏しかったし、故郷のルニア星からマーズへ逃がされたのは物心もつかないうちだったので全く記憶にない。

  だからこうして自分の眼でそれを確かめた今の旅立ちが、初めての宇宙なのだと思う。


  何故だか、妙にセンチメンタルな気分だった。この続く宇宙の先に、ソモルの生まれた星がある。

 不用意にこのままそんな事を考え続けたら、泣いてしまうかもしれない。それは、絶対に駄目だ。

 宇宙船のガラス窓に映ったソモルの顔は、酷いしかめっ面をしていた。ソモルは涙を堪えている時、つい怖い顔になってしまう。

  強がりなソモルは、気持ちを切り替える事にした。


「しっかしやっぱ、星の数ハンパねえよな」

 

  どうでも良い事をわざわざ言葉にしてみる。ラオンは聞いていない。

  いいんだ……、どうせ独り言だから……。


  窓の外に顔を向けていたソモルは、何か不審な光が後方に浮かんでいるのに気づいた。


「なんだ」


  更に窓に顔を近づけ、眼を凝らす。それは、凄いスピードでこちらに向かってくる。


「おいラオン、何かこっちにくるぜ」


  ラオンはガイド画面に夢中で、それどころではない。ラオンは熱中すると、何も耳に入らないようだ。仕方なくソモルはラオンの代わりに不審な物体の様子をうかがう事にした。じわじわと、物体は距離を詰めてくる。

  はっきりと姿が確認できる距離まで近づいてきたそれは、宇宙船のようだった。


「おい、あれ宇宙船だぜ」


  しかも、かなり巨大な。


「えー」


  ソモルの呼び掛けにようやく気づいたラオンが、窓の外に眼をやる。


「げっ! あれは!」


  ソモルより倍も視力の良いラオンには、はっきりと見えた。船体に全宇宙共通文字で書かれた、ジュピターという文字。


「大変だっ! ジイやたちだっ!」


  ラオンは慌てふためいて、まだ覚えきっていない機体のボタンをでたらめに押した。


  ゴゴゴゴゴ


  宇宙船がくるりと旋回し、元来た方角へ突進していく。


「うあー! そうじゃないよぉー!」


  こんな事なら宇宙船の機能一覧よりも先に、操縦方法をちゃんと覚えておけばよかった。ラオンは後悔しながらも、手元のレバーを倒す。


  グググン


  宇宙船が再び向きを変え、横に逸れて急降下した。


「どわあああっ!」


  変な方へ倒れた拍子に、ソモルの肘が操縦桿のボタンに触れた。途端(とたん)に、二人の体に過剰な重力がのしかかる。


「体が……重い……!」


  身動きすらとれない。ラオンのほんの小さな体が、鉛でできてるかのように重く感じられる。ラオンはくっと力を込めて、操縦桿に手を伸ばした。

  宇宙船の動きを止めなければ。

  その時、小型宇宙船が前方に障害物の存在を告げた。警告と共に画面が現れ、点滅する赤い丸がその位置を示している。


  ラオンとソモルは見た。確かに向かうその先に、黒い物体がある。

 飛行船のように翼を広げた黒い宇宙船だった。このままいけば、間違いなくぶつかる。衝突すれば、こんな小さな宇宙船は確実に木っ端微塵だ。

  ラオンは重たい指先を必死に伸ばした。確かあれが停止ボタンだった。さっき僅かだけ眼を通した解説画面のおぼろげな記憶を辿り、ラオンの指がゆっくり近づく。


  もう、少し……。

 黒い翼が迫ってくる。ギリギリで、ラオンの指先がボタンに触れた。


  ジュオオーン


  深いため息のような音を上げ、小型宇宙船は停止した。


「助かったあ!」


  鉛のような重力の重みからも解放され、ソモルが安堵の声を洩らす。

  ラオンは咄嗟に上体を起こし、ジュピター船の所在を確認しようとした。


  グオオオオオン


  突然、前方外に奇怪な物体が現れた。


「なんだっ!」


  まるで巨大な手のひらのようなものが、小型宇宙船に迫ってくる。それは、すんでのところで衝突を逃れた黒い宇宙船の左の翼部分から生えていた。二人の乗る丸い小さな宇宙船を鷲掴みにしようと指のような形をした機械が伸びる。


「うわあああ!」


  逃げる間もなく、二人の宇宙船はその手に捕まえられた。それはまさに、クレーンゲームのような有り様。

 獲物を捕らえた機械の手のひらは、折り畳まれるように黒い翼の中へ収まっていく。

 ラオンとソモルは、すっかり混乱していた。


「どうなるんだよ、俺たち」

「判んないよ」


  事態がうまく呑み込めない。

  ジイやたちの仕掛けた罠にはまってしまったのだろうか。ここまできて、まさかのゲームオーバー。最悪だ。ラオンは、唇を噛み締める。

 ソモルは、捕まった時の弁解を懸命に考えた。

 

 下降した機械の手が、小型宇宙船をゆっくりと下ろした。覆っていた物体から解放され、窓の外の視界が開ける。薄暗くて、外の様子は判らない。

 ジイやと捜索隊が居るのか、居ないのか、囲まれているのだろうか。それとも……。


「……ソモル」


  諦めたくない。ラオンの眼は、そう訴えていた。


「……降りてみようぜ」


  まだ、終わりだと決まったわけじゃない。ソモルは、ラオンをうながした。

  機体の白い扉を開き、二人は外へと降り立った。

  冷たい鉄の床。殺風景な基地のような場所。人影はない。


「なんだ、ここは」


  ソモルが前へ足を踏み出そうとした。

  不意に首筋に、ひやっと冷たく硬い感触を覚えた。直感が、同時に危険を知らせる。

 反射的に、ソモルは身を硬直させた。


「勝手なマネはするな、坊主」


  頭の上から、男の声がした。不快な気配。多分、複数人。

  さっと鳥肌が立ち、次の瞬間脇や手のひらから汗が溢れた。

  ラオンとソモルは、人相の悪い男たちに囲まれていた。ジュピターの追っ手ではないのは間違いない。どうやら事態は、もっと深刻のようだ。

 宇宙は広過ぎる。その全てを警備隊が取り締まれるわけではない。その網の目をかいくぐった無法の領域には、多数のマフィアも存在する。そのマフィア一味に、ラオンとソモルは捕まってしまったようだ。

 酒場の流れ者から聞いた宇宙マフィアの非道話の数々が、ソモルの頭の中を巡っていく。生きた心地がしなかった。


「ははーん、まだガキじゃねえか」


  顔半分に傷のある男が、ラオンの顎を指で持ち上げる。ラオンは動じず、真っ直ぐに男を見据えた。その眼差しを、ニヤニヤとした男の目がねめつける。


「いいねえ、極上の玉じゃねえか。売れば高く値がつくぜ」


  品定めをしてラオンの白い顎から指を離す。やんごとなき姫君に捧げる言葉ではない。


「それならこっちの坊主だって、仕事させるにはもってこいだ」


  マフィアの下っぱたちが、下卑た笑いを見せる。


「いずれにせよ、お前らの運命はボスが決めてくれるぜ。楽しみにして待つんだな」


  ラオンとソモルは後ろ手に掴まれると、されるがままにザコマフィアに連れられ通路を進んだ。マフィアたちは二人を牢獄のような狭い小部屋に押し込むと、鍵をじゃらつかせながら去っていった。


「……僕たち、どんなるんだろう」


  マフィアたちの気配が完全に消えた後、ラオンが独り言のように洩らした。


「……さあな」


  そんな事、ソモルが訊きたい。ジュピターの追っ手の方が、まだ話が通じる相手だった。

 しかしこの小部屋、陰気でじめっとして嫌な場所だ。長く居れば、こっちまで湿っぽくなりそうだ。ポタポタと水の滴る音がする。配管にでも亀裂が入っているのだろうか。


「ソモル……、何か聞こえる」

「え」


  水音に交じり、かすかに人の声がする。壁の向こう側からのようだ。見ると壁と天井の間に、手のひら程の隙間が空いている。

 ソモルはよじ登ろうとしたが、壁はツルツルとしているうえ、足をかけるでっぱりもない。仕方なくソモルは、ラオンの正面で背中を向けて屈み込んだ。


「ラオンお前、俺の肩に乗れば届くだろ」

「……多分」


  ラオンがゆっくり、ソモルの肩に両足を乗せる。壁に手を当てバランスを取りながら、恐る恐る直立する。ラオンがしっかり体勢を保っている事を確認すると、ソモルはそうっと立ち上がった。両肩に、ずっしりと重みがかかる。いつも仕事で荷物を運んでいるソモルにとっては、ラオン一人くらいならたいした負担ではない。

  ラオンは壁の隙間に手をかけ、隣の部屋を覗き見た。やはり薄暗くて陰気な部屋。狭いその場所には、四人の若い女が居た。


「ソモル、女の人が居る」


  ラオンの声に驚き、女たちは一斉に顔を上げた。皆、美しい女たちだった。泣き腫らしたのだろうか。四人共、目元が赤く膨らんでいる。

  穢れない純粋なラオンの眼差しを、女たちは憐れむように見上げていた。


「……あなたも、マフィアに捕まって連れてこられたのね」


  掠れたか声で、女がラオンに語りかけた。女たちが憐れんでいるのは、まだ幼いラオンの行く末か。それとも、自分たちを待ち受ける運命だろうか。


「あなたたちは、あいつらに連れてこられたの?」


  そう尋ねたラオンの言葉に答えるでもなく、女たちはすすり泣いていた。


「……私たちは、じきに売られるの。そうなったらもう、人として扱われる事もない……」


  苦しそうに吐き出された言葉は、ラオンの心をざくりと突き刺した。

  そんな事は、あってはいけないと思った。

  人が人を売り買いする。そんな酷い事がこの宇宙で行われている事を、初めて知った。


「おいラオン、どうした」


  黙り込んでしまったラオンに、ソモルが声をかける。ソモルはそーっと体を低くすると、ゆっくりラオンを降ろした。


「あいつらにさらわれてきた人たちか?」

 

  ソモルに問われ、ラオンがうなずいた。


「僕たちと一緒に、あの人たちも逃げられる方法を考えないと……」


  僅かに眼を落とし、ラオンが云った。

  通路の奥から人の近づいてくる気配がした。マフィアたちだ。

  ラオンとソモルが身構える。

  マフィアたちは鍵を外すと、ラオンとソモルの腕を掴み外へ引っ張り出した。

  マフィアは、たったの二人。うまくすれば、逃げられるだろうか。

  ソモルは隙を窺ってみたが、やっぱり無理だろうと諦めた。一人ならばなんとかなったかもしれないが、ラオンを連れてではかなりリスクが高い。

  万が一失敗すれば、まず命はないだろう。ここは、確実なチャンスを待つ方が良い。


  通路を何度か曲がり、二人が連れて来られたのは真っ白な壁の広い部屋だった。何もない部屋の中央に、テーブルと二脚の椅子がポツンと置かれている。

 不気味なのは、そこで待っていたマフィアたちだった。二人に視線を向けたまま、面白い見世物でも見物するようにニヤニヤと笑っている。

 何かをする気なのだ。


  ソモルは眩暈を覚えた。これから行われようとしている事が、良い事である筈がない。

  なんで、こんな事になってるんだ。

  心で問い質してみた質問に、答えが返ってくるわけもない。

  ソモルは、真横のラオンを見た。ラオンは表情すら変えていない。


  マフィアに指示され、ラオンとソモルはそれぞれ椅子に座らされた。

  ラオンは眼を動かし、部屋の造りを確かめた。四方のうちの一枚の壁がガラス張りになっている。その内側にも、三人マフィアが居た。

  三人の真ん中のオールバックでスーツ姿の男が、多分奴らのボスだろう。眼の表情が、他のマフィアとは明らかに違う。きっと躊躇ためらいもなく、人を殺すのだろう。そういう眼だ。


「あんな上玉にゲームさせるのか、ボスもずいぶん贅沢な事しやがる」


  ソモルの耳に、マフィアの会話が聞こえた。

  ゲーム? …………なんの?


  ソモルは、全身汗でびっちょりだった。頭がガンガンする。

  正面に座ったラオンは、堂々としたままマフィアの様子を窺っている。


「お前ら二人のうち、ボスはどちらかを助けて下さるそうだ」


  テーブルの上に、無造作に拳銃が置かれた。

 ソモルは一瞬、それがなんであるか理解できなかった。脳みそが、考える事を拒否している。


「どちらを生かすかは、これからゲームで決めてもらう」


  そういう、事か……。


  ロシアンルーレット。そのセリフと銃が、この状況を残酷な程知らしめている。

 確率二分の一のゲーム。その終わりに待ち受けているものは、生か死、そのどちらかしかない。

 天国へ一番近いゲーム。


  ラオンはマフィアの眼を盗んで、青くなっているソモルにそっと囁いた。


「……どちらか勝った方が、後から負けた方を助けるって、どう?」


  ソモルは、返答する言葉すらなかった。

 ラオンは本物の銃を知らない。引き金を引くと花が飛び出てくるような、おもちゃの銃しか見た事がない。したがって、ラオンがこのゲームの結末を知る筈もなかった。


「……ラオン、お前……ルール判ってないだろ……」


  かろうじて残された気力でソモルが呟く。ソモルは生まれて初めて、本気で死というものに怯えている自分に気づいた。


「順番はカードで決める。数字の大きい方から引き金を引くんだ」


  テーブルにシャッフルしたトランプがばらまかれた。

 ラオンはなんの躊躇ちゅうちょもなくカードを一枚拾い上げる。ソモルも、云われるがままにカードを選んだ。指先の汗がカードに張りつく。


  ラオンがハートの2、ソモルがスペードの4だった。


  やっぱり。

  ソモルの脳裏に、絶望的な予感がよぎった。ラオンはルーレットやカードゲームには恐ろしい程の強運を見せるのだ。

  自分が負けるに決まっている。


  マフィアが、一発だけ実弾の込められた銃をソモルに渡す。

  手が震えていた。指が、うまく動かせない。

  この引き金を引く事以外、今のソモルに許された選択肢はない。それを拒んだとしても、結局はこの場でマフィアに撃たれる。


  ソモルは自らの手で、こめかみに銃口を当てた。全身に、どくどくと波打つ心臓の音が響いた。


  カチッ


  弾は出なかった。

 全身の筋肉から、一気に力が抜けていく。酷く、口の中が渇いていた。

  ラオンは、だらりと落ちたソモルの手から銃を取り上げた。日常の動作のようにさりげなくこめかみに銃を当てがうと、そのまま引き金を引いた。 


  カチッ


  やはり、弾は出なかった。


「ブラボー! 二回戦突入だ」


  マフィアたちが、渦中の二人に皮肉な拍手を送った。


  また、カードを引くのか。

  緊張に、ソモルの視界がぼんやり揺らいだ。


  カードを引き、そして引き金を引く。その動作が延々と繰り返されるのだろう。

  ラオンとソモルの、どちらかが実弾に当たるまで。


  ラオンがクラブの3、ソモルがスペードの5だった。また、ソモルが先。

  やっぱりそうなんだ。自分に勝ち目はない!

  実弾が二発込められた。一度目よりも弾の出る確率の高くなった銃口を、汗に濡れたこめかみに押し当てる。

 全てが、悪い夢ならいいのに。ソモルはそう願いながら、重い引き金を引いた。


  カチッ


  二度目も、弾は出なかった。

  続くラオンも、難なく二回戦をクリアした。マフィアたちが、冷やかすように口笛を吹く。


「お前ら、最高だぜ! さあ、三回戦だ」


  実弾は三発。だが二人は難なくそれもクリアした。

 そしてとうとう、実弾は六弾中四発になった。

 だがラオンの強運もさる事ながら、ソモルの悪運もなかなかのもので、二人は無事クリアした。


  やっぱり、これは夢なんだ。そうでなければ、こんなにうまくいく筈がない。

 そうだ、夢だ!


  ギリギリの精神状態と極限の緊張の最中で、ソモルは自分を騙すしか逃げ道はなかった。

 これが間違いなく現実であると判っていても、そう思い込まずにいられなかった。それが、これから死ぬかもしれない自分への、せめてもの救いと慰めなのだ。


  最後のゲームが始まった。

  六弾中、実弾五発。

 圧倒的に、頭をぶち抜く可能性が高い。

  これで、ゲームは終わる。イコール、五分後には、どちらかが死んでいる。

  カードの数で、ほぼ勝敗は決まる。この実弾の数で、確実に先行は不利だ。

 ソモルの喉元の筋肉が硬直し、痙攣した。


  最後のカードをめくる。

 ラオンがスペードの7、ソモルがダイヤの3だった。

  ラオンが、先行。


  ソモルは、はっとして顔を上げた。

  そんな……。

 自分が助かるという事は、ラオンが死ぬという事。そんな当たり前な事に、ソモルはたった今気づいた。

  ラオンは表情を動かす事もなく、銃を手に取った。銃口を、白いこめかみへ持っていく。


「ラ……ラオンッ……」


  ソモルは思わず声を洩らした。渇いて張りついていた舌が、異物のように感じられた。

  ラオンは動きを止めてソモルを見た。何も知らない大きな瞳が、動揺しきったソモルを映す。


「……ラオン、やめろ」


  ソモルが、掠れた喉から絞り出す。

 ラオンが負ければ、自分は生き残れる。けれど……。

  止めずにはいられなかった。

  ラオンが、死ぬ。

  しかもこんなふざけた死に方、絶対に許せなかった。

  ラオンは、きょとんとしてソモルを見ていた。やがてその口元は、緩やかな笑みを描いた。


「大丈夫だよ、ソモル」


  心地好いラオンの声が、ソモルの鼓膜にそっと触れた。

  ぽっかりと口を開いたソモルの正面で、ラオンは引き金を引いた。

見ていられなかった。


  カチッ


  硬く眼を伏せたソモルの耳に、気の抜けた音が聞こえた。

  弾は、出なかった。


 瞼を上げたソモルの正面には、五秒前と同じラオンの姿があった。

  ソモルの頬が紅潮し、緩んだ。ラオンが生きていてくれた事に安堵し、すっかり力が抜けていた。



「……良かった、ラオン……」


 にっこり微笑んだラオンは、ソモルにすっと銃を差し出した。



「はい、ソモルの番だよ」


  ラオンの口から発せられた言葉は、血も涙もないものだった。

  ソモルの全身から、一気に血の気が引いていく。

  ようやく迎えたゲームの終幕に、マフィアたちから喝采が飛ぶ。ソモルだけを置き去りに、最高に盛り上がっていく。



「あっ……ああ……」


  目の前には、天使のように純粋で愛らしいラオンの微笑み。何も知らないだけに、惨い。


「素晴らしいぜ! こんな感動的なゲームは初めてだ。さあ坊主、最高のラストシーンを見せてくれ」


  滑るように黒光りする銃。


「うあああああ……!」


  バッドエンド。これで、もうおしまいだ。

  俺の人生は、こんな最低のゲームで幕を降ろすのか。質の悪い冗談だ。

  ソモルの脳裏に、苦労ばかりの十三年の人生がよぎっては消えていく。ああ、人間は死を目前にした時、本当に記憶が走馬灯のようによみがえるんだな。


  涙がにじんできた。

  帰りたかったなあ、生まれ故郷のルニア。

  ああ、こんな事なら、欲を出さずおとなしく働いていれば良かった。

  ソモルは拳をぐっと握り、奥歯を噛み締めた。



  けれど、やっぱり、やっぱり……。

  死にたく、ないっ!!


  ソモルが、強く、強くそう願った、その時だった。



  ウォォォォォォォーン


  警戒態勢を報せる、警告音が響き渡った。







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