第3話 遮る星
街に着いたラオンとソモルがまず最初にした事は、とりあえずの腹ごしらえだった。
ここまでどうにかこうにかやってきた二人は、すっかり体力も使い果たして、くたくた腹ペコの極限状態。辿り着いたばかりの星で知らない店に入るのはなんとなく落ち着かず、適当な食べ物を買って何処か人目につかない場所でありつく事にした。追っ手が来たら、すぐさま逃げられるようにとの警戒心もあっての事。
豊かに生い茂った枝と葉の隙間から、光が射し込む。空はその光の加減か、白い。
こうして見知らぬ星に居るという現状を噛み締める度に、ソモルはどうにも変な気分になった。妙に神経が張り詰め、頭の芯がぴりぴりしてくる。
夜までは、多分まだ長い。眠っておいた方が良いのだろうが、上手く眠りに落ちる自信がない。
「ラオン、お前少し寝とけよ。俺、見張っててやるから」
肝の座ったラオンなら、こんな状況でもしっかり熟睡できるだろう。せめてラオンだけでも、しっかり休ませてやりたい。
「この星はまだ追っ手も居ないみたいだし、ソモルも眠ればいい」
意外と繊細なんだよ、俺は。ソモルが口にはせず、心の中で呟く。
「ねえ、ソモルの生まれたルニアってどんな星?」
不意に思いついたように、前触れなくラオンが尋ねた。
ルニア。
その響きが鈍くソモルの胸を刺す。別に傷に触れたわけでもないのに、ズキンと。
「……覚えてねえんだ」
返された答えに、ラオンが不思議そうな眼でソモルを見た。
「覚えてねえんだよ、ガキ過ぎて。お袋や親父の事も、……悔しいくらい、覚えてねえ」
言葉を紡ぎながら、ソモルの眼が空を仰ぐ。
物心つくかつかないかのうちにマーズへ避難させられたソモルには、両親の記憶がない。
顔や声どころか、おぼろげな影すら思い出せない。その温もりも感触も覚えていない。抱き締められた記憶も、頭を撫でてもらった記憶も、何も。
叱る声も、笑う声も、手のひらの暖かさも。
何も、何も残っていない。
確かに愛されていた、その筈なのに。
何度も何度も、思い出そうと試みた。必死に記憶を辿り、追いかけてみても無駄だった。
「悔しいよな、情けねえ……」
だからいつか、絶対に取り戻しに行くんだ。生まれ落ちた、その場所へ。
そう決めた。
ソモルは少ない言葉に感情を乗せたまま、黙り込んだ。深い夜の色をした瞳の中に、光が射し込む。その様はまるで、ジュピターからマーズへ向かう貨物船の窓から覗いた銀河のようだとラオンは思った。
ラオンも黙ったまま、しばらくソモルの瞳を覗き込んでいた。その瞳の中にはラオンの知らないたくさんの感情が映り込んでいるようで、ラオンはその感情を探るように見詰めた。そうしているうちに、意識がその内側にさらわれ、吸い込まれていきそうな心地になる。
何処まで行っても、終わりに辿り着けない。
苦しい事からも悲しい事からも逸らさずに、堪えてきた眼。ラオンの知らない事を、きっと幾つも知っている眼。
きっと僕は、ソモルにかなう事なんてひとつもない。
ラオンそう思った。
「僕は、小さい頃から本ばかり読んでた。今知ってる事は、全部本で覚えたんだ」
ぽつりと洩らしたラオンの方へ、ソモルの眼が向く。
「城の外での人たちの生活とか、他の星の事とか、行った事もない場所の気候とか。僕が知ってる事は、全部本で覚えた」
広い広いジュピターの城の中、ラオンにあてがわれた広い広い部屋。小さなラオンには大き過ぎる部屋の片隅で。
紙の上に紡がれた文章から、疑似体験する。物語の主人公が見たり感じたりしたものを、自分のものに置き換える。
一番お気に入りの冒険活劇の主人公の真似をして、いつしか少年のような言葉で話すようになった。
けれど、ラオンは文字の中の世界しか知らない。どんなに文字を追おうと、どんなに想像してみても、それは物語の中の事。造り事。現実にラオンが見たものなど、ひとつもない。
ラオンが見ているのは、一文字一文字紡がれた紙の上の文章。
「僕は、本当は何も知らない。何ひとつ……。だからいつかね、宇宙の果てが見てみたいんだ」
「宇宙の、果て……?」
ソモルが訊き返した時には、ラオンは樹の幹に凭れたまま、すでに心地好い寝息を立てていた。
ラオンが零した言葉の答えを得られぬまま、ソモルは小さく息を吐いた。
眠りに着いたラオンにならって、とりあえず眼を閉じてみる。
僅かにうとうとしつつも、やはり落ち着かないせいかなかなか眠りは訪れてくれそうもない。
隣でぐっすりと眠るラオンの寝息を聞きながら、ソモルは幾つもの浅い夢を辿っていた。
☆
タイタンの街に、犬のような獣の遠吠えが夜の訪れを告げた。
陽が沈むと共に、ラオンとソモルは運び屋のおじさんに教えられた酒場『セイレーン』へと向かった。店の造りは、ソモルの入り浸っているマーズの酒場『ファザリオン』に似ていたが、客層はずっと危なっかしい感じだった。
荒くれ者だらけの酒場は、いつヤクザ同士のケンカが起きてもおかしくない雰囲気だ。
ラオンとソモルはなるべく目立たないカウンターの隅の席で、ホワイティアが現れるのを待った。その間ラオンは、極上辛口ワインを何杯も飲み干していた。
「お前、ガキのくせにそんなに飲んでよく酔わねえな」
ソモルが半ば呆れた様子で呟く。
ジュピターの子供が酒を
酒の飲めないソモルは、隣でちびちびミルクを飲んでいる。酒場で食後のミルクというのは、ソモルの習慣らしい。
パリンッ
後ろでグラスの割れる音と、男たちの云い争う声が聞こえる。
ソモルは巻きぞえに遇うのを避けるように、カウンターに頭を突っ伏して縮こまった。それでもラオンは、全く気にせずに舌先にワインを転がしている。この状況で堂々てしていられる、ラオンの神経がソモルには判らない。
もうすぐ時刻は、タイタン時間で午前を回ろうとしていた。
さすがに酔いが回ってきたのか、ラオンの頬がほんのりと桃色に染まっている。ソモルがこの先の展開にほんの少し不安を覚え始めた、そんな時だった。
ギイイイ
扉が開く音がした。
ラオンとソモルは、ぼんやりとその音を聞いた。
確かにその瞬間、酒場に流れる空気が変わった。血気盛んな荒くれ者たちの体温に熱を帯びていた店の空気を、まるで一陣の鋭い風が吹いたように。
いつの間にか、店の中は静まり返っていた。
突然訪れた静寂の中心を、ジャズピアノの音色だけが踊るように流れていた。
少し眠気にうとうととしていたソモルは、その異様な雰囲気に気づき、振り向いた。
コツコツコツ
荒くれ者たちの座るテーブル席の間を、靴音を響かせ歩いてくる女の姿。
ソモルは、すぐに判った。
女盗賊ホワイティア。
噂に名高いその人が、今、すぐ目の前に居た。
長い黒髪をひとつに束ね、身体に吸いつくようなダークグレーのスーツをまとった、すらりと背の高い女だった。歳は、まだ若い。二十代の半ば程くらいだろうか。
顔立ちは美しいが涼しげで、その双眸はまるで捕食動物のように鋭かった。
女は照明の薄暗い店の奥まで行くと、ひとつだけ用意されたように空いていたテーブル席に着いた。
ソモルは息を呑んで、その女の姿を見詰めた。間違いなかった。
「……おい、ラオン」
ソモルは、隣でつまみに手をつけているラオンの肩を揺すった。
「あーん?」
ほんのり気分の良くなっていたラオンは、とろりとした眼でソモルを見た。
「あれ、あれ見ろよ」
ソモルが小声で云い、奥の方へ視線をうながす。
ラオンは、虚ろに眼差しを向けた。
暗闇でも眼の利くラオンは、ソモルよりもはっきりとその人の姿を捉えていた。
「……あれは」
「ホワイティア……」
特徴さえはっきり聞いてこなかった二人にすら、そう確信できた。
ホワイティアは、席に座るとほぼ同時にマスターが運んできたウイスキーを、静かに口にしている。
その姿を確かめたラオンは、すっと席を立ち上がった。
「おっおい、ラオン」
ソモルが止める間もなく、ラオンは店の奥へと向かっていた。その先にあるのは、紛れもない女盗賊ホワイティアの姿。
追いかけようとしたソモルだったが、思わず足がすくんでいた。
ラオンは
「あなたが、ホワイティアさんですね」
ホワイティアは、ゆっくりとラオンに視線を向けた。獲物を捉えた猛禽類のようなホワイティアの双眸と、ラオンの翡翠の瞳が宙でぶつかる。
ラオンはただ凛と
ホワイティアも、無言のままラオンと視線を交わしていた。
「僕の名はラオン。あなたに、訊きたい事があるんです」
ラオンが言葉を発するまでの間が、ソモルにはずいぶん長い時間のように感じられた。
「私に、何が訊きたいの?」
背筋が、ぞっとするようだった。ホワイティアがたった一言言葉を発しただけで、気温が下がったように感じた。ラオンとホワイティアのやりとりを見守っているだけで、ソモルは寿命が縮んでいく気分だった。
ホワイティアを見詰めたまま、ラオンは動じる事なく言葉を紡いだ。
「遊星ミシャの現れる場所を、教えて下さい」
酒場で聞き耳を立てていた者全てが、固まり凍りついた。
ホワイティアの眼は鋭い光を帯びたまま、寸分も動く事なくラオンを捉えて放さなかった。
気がつくと、ラオンの目の前には銀の切っ先が向けられていた。ホワイティアの双眸と同じように、標的を得た細い短剣が真っ直ぐにかまえていた。
その動きは、全く見えなかった。
細い剣の先はラオンの喉元数センチというところで、微動だにせず止まっている。ほんの僅かばかり動かせば、この瞬間にもラオンの命などいともたやすく奪える位置。
「まっ……待ってくれっ!」
堪えきれずソモルは、ホワイティアの元へ駆け寄っていた。だが思わず出てきたものの、ソモルには何をするすべもない。
「……ソモル」
そんなソモルを、ラオンは静かに片手で制した。
「大丈夫だよ」
そう云ってソモルを見たラオンの眼は、驚く程穏やかに澄んでいた。今この時、皮膚の先に剣が待ちかまえている事など、気にも留めていないかのように。
ソモルは何かを伝えようとしたが、うまく言葉にならなかった。
ソモルは何もできない自分のふがいなさに、せめて眼を逸らさずにこの行く末を見守ろうと決めた。
そしてラオンは、再びホワイティアを見据えた。
その気迫に、ホワイティアの瞳がかすかに動いた。ラオンの
命が放つ、恒星のような火。
この宇宙に許された、強き者の眼。
「何をされようと、僕は怯まない。お願いです。ミシャへ行き、宝石クピトを手に入れたいのです」
ホワイティアの目の前に居るのは、まだほんの小さな子供。だが、この宇宙で出会ってきた誰よりも澄んだ、強い意志。
決して、揺るがない者。
「クピトを手に入れて、どうするの」
短剣を向けたまま、ホワイティアが問う。
「父上と母上に差し上げる為です」
ホワイティアはすっと剣を降ろすと、腰の鞘に収めた。
「……いいでしょう。ついてきなさい」
ホワイティアは小さくそう云うと、席を立った。この店は、話しをするには不向きだ。皆怯えて見ないようにしてはいるが、突き刺さる程の関心がこちらへ向いていたからだ。
ラオンは、へなへなとへたり込んでしまったソモルを立たせると、ホワイティアの後に続いて店を出た。
深夜の街を行き、ホワイティアが入ったその酒場は、客の姿のない陰気で小さな店だった。ゆっくりと話をするには都合が良い。
マスターは、ホワイティアが現れたのにも眼もくれず、黙々とグラスを拭いている。
ホワイティアは、真ん中のテーブル席に座った。ラオンとソモルも、それに続いて腰を降ろす。
「何から話したらいいのかしら」
マスターにウイスキーを頼んだ後、ホワイティアが問いかけた。
「遊星ミシャは、星が星を遮る時に現れると聞きました。どういう意味なのですか」
何も注文しなかったラオンとソモルの前には、水の入ったグラスが置かれた。
「星が星を遮る……」
ホワイティアは、ロックのウイスキーを一口、口に含んだ。グラスに氷の触れる音が鳴る。
「宇宙には、たくさんの恒星がある。その周りには、無数の惑星、衛星が公転を繰り返している。そして度々、恒星と惑星の間に衛星がはさまれ直線に並ぶという現象が起こる……」
「日蝕……ですか」
ラオンの問いに、ホワイティアが頷く。
この宇宙全体の規模で考えれば、日蝕という現象は常に多発していると云って等しい。であるなら、遊星ミシャはあっちこっちに現れては消えてという現象を日常的に繰り返している事になる。そんな話は聞いた事もないし、もはやそれでは伝説でも幻でもない。何か他にも、ミシャが現れる条件がある筈だった。
「けれどただの日蝕だけでは、ミシャが姿を現す事はない。そこには、ある一定の磁場が関わってくる」
「磁場……」
口元へグラスを近づけようとしていた手を止め、ラオンが呟く。
「宇宙の黒い悪魔ブラックホールと、白い天使はホワイトホール。それを繋ぐといわれるワームホール。そこから溢れ放たれる磁気と、それを取り巻く物質。その作用により、空間が歪む。その周辺で重力を持つ星が並ぶ事で、本来そこにある筈のない星が現れる。その瞬間だけは、宇宙の秩序が破られる」
ラオンとソモルは、ただ黙ったままホワイティアが語るのを聞いていた。
「それが、遊星ミシャが現れる条件」
ウイスキーの氷が溶ける音がした。
「……あなたは、そのミシャに辿り着いたのですね」
沈黙を破り、ラオンが問いかけた。
ホワイティアは答えずに、静かな眼差しでラオンを見ている。
「僕と同じようにクピトを求めて、あなたはそこに辿り着いた。けれどあなたは、クピトを手にする事はなかった。その理由を教えて下さい」
獲物と定めた物は、必ず手に入れる。それが、ホワイティアが宇宙一の盗賊と呼ばれる所以。そのホワイティアですら、手にする事のできなかった宝石、クピト。
ホワイティアは、初めて眼を深く閉じた。そして、長く言葉を発しなかった。
今ホワイティアは、まぶたの奥に何を見ているのだろう。
ラオンとソモルは、ただじっとホワイティアが語り出すのを待っていた。
ホワイティアは、ウイスキーのグラスを口元に近づけた。ゆっくりと、氷で薄まった琥珀色のウイスキーを飲み干していく。
空になったグラスを音を立てずにテーブルに置くと、ホワイティアは語った。
「あの星には、宝石の番人が居た」
「宝石の、番人……」
「そう、確かにあれは、獣魔と云っていい不気味な生き物だった。獣魔は人の言葉を使い、直に魂に語りかけてきた。そして、私に問いかけてきた。その問いに、私は答える事ができなかった」
ホワイティアは、もう一度深くまぶたを閉じた。
それが、ラオンへの答えだった。
獣魔の問いに答える事ができなければ、クピトを得る事はできない。それが、ホワイティアが宝石を手にする事ができなかった理由。
ラオンとソモルは、黙り込んだ。
ホワイティアが答える事のできなかった問いかけ。それが一体どのようなものだったのか、ラオンは何故か訊いてはならない気がした、
「それでも、あなたは行くの?」
ホワイティアは鷹のような眼を真っ直ぐに向け、ラオンに問いかけた。
ラオンはその眼を見詰め返し、黙したまま頷いた。
それを確かめると、ホワイティアはすっと立ち上がった。
「私に教えられる事は、これだけ。後は、あなたたち次第ね」
ホワイティアの口元が、微笑んだように見えた。ラオンたちに背を向け、ホワイティアは酒場の扉に向かって歩いていく。
二人も立ち上がり、後に続いた。
ホワイティアは振り向かずに扉を出ると、そのまま星々に照らされた夜の街を歩いていった。ホワイティアの背中が、揺れながら遠ざかっていく。
ラオンは、ホワイティアに礼を云うのを忘れていた事に気づいた。
「ありがとう、ホワイティア……」
囁いた声は、女盗賊の耳に届く事なく、夜の
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