第2話 逃避行


  次の日の朝早く、二人はひっそりと街へ出た。

  ソモルはキョロキョロと、民家の隙間から周囲の様子をうかがった。まだ陽が昇って間もない朝の繁華街は人もまばらだ。

  商人の朝は早い。市場の卸しから帰ってきた店主たちが、すでに開店準備を始めている。

 ラオン姫捜索隊の姿は、どうやら見当たらない。

  ソモルは安全を確かめると、背後のラオンに頷いた。頭からマントを被ったラオンが、静かに頷き返す。

  顔を見られないように被ったマントだが、かえって怪しい。端から見ると、まるで赤ずきんちゃんのような出で立ちだ。完璧なカモフラージュだと、少なくとも本人たちは思っていた。

 それでもかなり警戒しながら、目立たないように道の端を行く。


  けど、なんだかおかしい。

  ソモルはちらりと、店先に商品を並べる反物屋の親父の方へ視線をやった。

  眼が合った。

  親父が慌てて眼を逸らす。ソモルはその向かいの肉屋の方へ視線を移した。

  眼が合った。

 やはり焦って見ていなかったふりをする肉屋の夫婦。


  変だ。どう考えても不自然だ。

  それに、やたら通りすがる者たちからの視線を感じる。そんなに目立つわけでもないのに。まあ、目立たないわけでもなかったが。


「……ソモル、おかしいよ。さっきの人、僕らの事振り返ってまで見てたよ」


  さすがに異変を感じて、ラオンが耳打ちした。


「平気だよ、きっとラオンの事見てたんだぜ。この辺じゃ、見かけねえから」


  けれど、その憶測はどうも違うようだ。どうやらソモルの方が、圧倒的に視線を浴びている。


「……ソモル、君、僕が来る前に何か悪い事でもしたの?」


  ソモルに集中する視線に気づき、ラオンがぼそっと尋ねる。


「……バカ! この街じゃ何もしてねえよ!」


  他の街では何かしていたのだろうか。

  その時だった。



「居たぞ! あいつだ!」


  背後から聞こえた大声に、二人はびくりとして振り向いた。声の主は、体格の良い大の男三人だった。

 ソモルの背中を、一筋の汗が滑り落ちる。


「あいつか! ジュピターの姫様をさらった奴はっ!」


  えっ、なんだって。誰の事だ。


「という事は、あの隣の方が姫君か!?」

 

  ラオンが、くっとマントを深く被り直す。

  男たちの会話に、二人はヤバい空気を感じ取った。


「……ラオン、こういう時は……」

「うん、ソモル、僕もそう思う」


  二人は眼で合図を交わし合うと、一目散にその場を駆け出した。


「あっこら、待て!!」

「この人さらいが!!」

 

  太い怒声が追いかけてくる。

 人さらい? 姫君をさらった? どうも、おかしな事になっているらしい。

  ソモルは鈍足のラオンの手を引き、奥まった路地から路地へ駆け抜けていく。その間ソモルは、必死に自分の置かれた状況を考えあぐねた。

 

  逃げ続けるにつれ人が人を呼び、追っ手の数もいつの間にか増えていく。


「姫と、その誘拐犯はっ!」

「あっちだ! あっちに逃げたぞっ!」


  なんなんだ、これは。

  昨夜のうちに、事態は思わぬ方向へ向かってしまったらしい。二人は路地裏のゴミ置き場の陰にうずくまって身を潜めた。


  ドタバタドタバタ


  足音はゴミ置き場のすぐ横を過ぎると、散り散りになって離れ、そして消えていった。

  どうやら、追っ手をまけたようだ。

 一難去り、二人はぐったりとしながら息を吐いた。昨夜から走ってばかりのラオンは、もうぼろぼろだ。

 ソモルは額の汗を手の甲で拭いながら、周囲に視線を彷徨わせた。狭い路地、家々の屋根の間から、すっかり明るくなった空が覗いている。レンガの壁をなぞり、視線を下に降ろしていたソモルは、まだ新しい二枚の張り紙に気づいた。隙間から射し込む朝日に照らされた、鮮やかな色彩。


  誰かの、似顔絵?


  恐る恐る張り紙に近づいたソモルは、仰天して立ち尽くした。

  そこには、ソモルの似顔絵がでかでかと描かれていたのだ。隣のもう一枚は、もちろんラオンの写真である。

  それだけではない。ソモルを仰天させたのは、そこに書かれた文字だった。

 ラオンの方には、ジュピターの姫君と書かれている。これは判る。

  問題は、ソモルの方だ。


『指名手配中』

『凶悪! 極悪非道』

『姫君さらい』


  などという文字がおどっていたのだ。つまりこれは、まぎれもない手配書。


「なっ……なんなんだぁ、これは!」


  ソモルは半ば混乱しながら叫んだ。追われる身なのに、声を出していいのだろうか。

  まあ、無理もない。たった一夜にして、極悪非道の犯罪者に仕立てあげられてしまったのだから。

 とんでもない濡れ衣である。


「ソモル……」


  ラオンが申し訳なさそうに、上目遣いでソモルを見た。謝って済む問題ではない。前科がまた増えてしまったのだ。しかも、今度は凶悪犯だ。


  ソモルはうつ向いたまま、体を震わせていた。相当、怒っているのだろうか。

  ラオンは、罪悪感を覚えた。


「……やってやろうじゃねえか」


  けれど、ソモルの口元から洩れたのは、怒りの抗議ではなく不敵な台詞だった。

  ソモルの鋭い両眼が、覗き込んでいたラオンを捉えた。ラオンが、茫然と見詰める。


「こうなったら、もう自棄だっ! とことんお前の旅に付き合ってやるぜ、ラオン! 宇宙の果てまでだろうが、お供してやろうじゃねえかっ!」


  突然ソモルが、高々と宣言するように叫んだ。だから、大声を出していいのか。


  それは、自分を犯罪者に仕立てあげた、ジイやたちへの宣戦布告でもあった。

  なにがなんでも、ラオンは渡さない。ラオンの希望を、絶対に叶えてやるんだ。

  ラオンはただただ、眼を丸くしている。


「居たぞ! こっちだ!」


  ほら、云わぬ事ではない。ソモルの大声に駆けつけた街の人々が、二人を指差している。


「ほ~ら来た! 逃げるぞぉ!」


  ソモルはもうどうにでもなれという調子で云い放つと、ラオンの腕を掴んで勢い良く走り出した。気合いの入ったソモルのスピードに圧倒されながらも、懸命に後に続くラオン。

 このぶんだと、ソモルの仕事場にもジイやたちの手配が伸びている事だろう。親方に声をかけてから旅立つのは、どうやら無理のようだ。

 ソモルは走りながら、様々に思考を巡らせた。


  くねり折れ曲がった路地を、滑るように抜けていく。

  しかし、追っ手もしつこかった。

  数はどんどん増える一方で、諦める気配を見せない。じわじわと、二人を追い詰めていく。

  いくらすばしっこいといっても、ソモルの体力はそろそろ限界に達していた。しかも非力のラオンを連れているのだ。倍の体力を消耗する。


「……チキショー」


  あちらこちらから、二人を探す追っ手の声がする。ソモルは、神経を張り詰め気配をうかがう。

 近い。

  疲れ果ててぐったりしたラオンの汗ばんだ腕を掴んだまま、ソモルは奥歯を噛み締めた。その時だった。


「ソモル兄ちゃん」


  民家の角から声がした。

  はっとして眼を向けると、そこにはソモルのよく見慣れた顔の少年が居た。

 

「ターサ」


  それは、ソモルの弟分の少年だった。ターサは辺りを窺いながら、手招きをしている。

 救いの神だった。二人は体を屈めながら壁伝いに路地を進むと、ささっとターサが指差す扉の中へと身をひるがえした。


 そこは、ターサが世話になっている老夫婦の家だった。ターサはソモルと生まれた星こそ違うが、同じ親のない身だった。ソモルと共にこの街に辿り着き、今は子ない老夫婦に本当の孫のように可愛いがられている。

  二人が家の中へ身を隠した直後、ターサはもう一度外の様子を確認して、音を立てないように扉を閉めた。そして、鍵をかける。

 ゆっくりと二人の方へ振り向くと、もう大丈夫というように指で丸を描いた。


「助かったぜ、ターサ!」


  安心した途端、額から汗がどっと吹き出す。


「へっへっへーん!」


  ターサは得意気に胸を張ってみせた。そしてその視線は、壁に凭れてへたり込んでいるラオンの方へ向けられた。被っていたマントを脱いだその素顔が、ターサの両眼に映り込む。


「ところでさ、ソモル兄ちゃん」

 

  ターサは、ソモルの横にぴたりとくっついた。


「なんだよ」


 いぶかしそうに尋ねたソモルの眼に、ターサのにやりとした横顔が見えた。そこにあるのは、明らかな好奇心。

 ターサはもう一度ラオンの方へちらりと眼をやると、耳打ちするようにソモルに囁いた。


「愛の逃避行って、本当?」

「はあーっ?」


  あまりにすっとんきょうな質問に、ソモルは呆れて大口を開けた。

  一体、どうしてそういう事になるのだ。


「無理矢理引き離されそうになって、駆け落ちしたんでしょ?」


  今この街に溢れているのは、デマと噂と誤解だらけだ。こうやってゴシップは作られていくのか。ソモルは身をもってその事を知った。

  頭を抱えるソモルの横で、ターサがわくわくとソモルの返答を待っている。

 悪戯な仲間たちの事だ。根拠のない面白おかしな噂を立てて楽しんでいたのだろう。


「なーに根も葉もない噂立ててんだよっ! んなわけねえだろ」

「なーんだあ、違うのぉ」


  あからさまにがっかりした声で、ターサがぼやく。


「俺だってなあ、いきなり姫君さらいにされて、一番びっくりしてんだよ!」

「とかなんとか云ってないでさあ、今からでも狙っちゃえば? 結構可愛い姫様だしさあ」


  ソモルの腕を引っ張り、再びターサが耳打ちする。


「ばーか!」


  ソモルはターサの額を、軽くゲンコツで小突いた。


「それよりよ、俺たちこれから宇宙ステーションに行かなきゃなんねえんだ」

「ステーションに? なんで? やっぱ、愛の……」


  再びソモルのゲンコツが飛ぶ。


「いってーっ! 今度は本気でやりやんの」

 

  ターサは眉毛をへの字にして頭を押さえた。



「僕たちは、幻の遊星ミシャを探しに行くんだ」


  凛と響いた声に、ターサは反射的に振り向いた。声の先には、真っ直ぐにターサを見据えたラオンの姿。


「へ?  遊星、ミシャ……ですか?」


  堂々と、そして気高さすら感じるラオンのオーラに、ターサが気後れ気味に尋ねる。

 ラオンが頷く。ターサは、少し考えるように黙り込んだ。


「知ってんのか?」


 ソモルが詰め寄る。


「うん……。確か、じいちゃんにそんな名前の星の話を聞いた事があるような……」

「本当!?」

 

  脈を感じたラオンも、ずいっと詰め寄った。

 至近距離で真っ直ぐに見詰めるラオンの顔に、ターサの頬がぼんやり赤くなっている。


「あ……はい、なんでも、星が星を遮る時に現れるとか……」


  視線をあさっての方向へ彷徨わせながら、ターサが答えた。


「星が星を遮る?」


  ラオンとソモルは、顔を見合せた。なんの事か、さっぱり判らない。


「他に、なにか知らない?」

「うーん、それしか聞いてません」


  赤い顔を指で掻きながら、ターサが云う。


「そうか……」


  ラオンが腕を組んで考える。意味は判らなくとも、とりあえずひとつ手がかりが掴めた。思わぬところに収穫である。


「ありがとう。それと、何処かに抜け道はないかな?」

「抜け道なら……」


 ターサはとっとっと壁際の戸棚の前まで行くと、両手でそれを横に押した。重そうな戸棚は、意外と簡単に動いた。ローラーがついているようだ。


「ここです」


  ターサはたった今まで戸棚があった所の床を指差した。床の上には、扉のようなものがある。ターサは少し重そうに、ゆっくり扉を押し上げた。


  ギイイイ


  ラオンとソモルは、中を覗き込んだ。そこは、真っ暗な空洞だった。なにも見えないが、何処かへ続いているのだろうか。


「すげえな、お前のじいちゃん家」


  ソモルが、はあーっと感心した。


「じいちゃんの死んだ父さんの云いつけで、隠し通路を作ったんだって。昔火事にあって逃げ遅れて、髪の毛全部焦がしちゃったらしいんだ」


  きっとその後、生えてこなかったのだろう。そうでなければ、こんな手の込んだ事……。


「何処まで続いてるんだ?」

「橋の下さ。うまくすれば、そこから見つからずに行ける」


  街と街の境に、小さな河がある。きっとそこに通じているのだろう。そこからステーションまでなら、それ程離れていない。

  ソモルは、だいたいの見当をつけた。

  その時だった。


  コンコン

 扉をノックする音がした。きっと誰かが、二人の行方を嗅ぎつけたのだろう。



「さっ、早く」


  ターサが二人を地下道へ誘導した。明かりを灯したランプをソモルに手渡す。


「ありがとう。元気でね、ターサ」


  地下道を降りながら、ラオンがにこりと微笑む。


「姫様もお気をつけて。後は、うまくやっておきます」


  ターサが頬を染めたままウインクした。


「じゃあな。帰ったら、この借りは返すぜ」

「だったら、姫様に俺の事、よーく紹介しといてよ」


  ターサの冗談とも本気ともつかない言葉に、ソモルは笑いながら手を振った。


  パタン

  入り口が閉まると、薄暗かった地下道はいよいよ真っ暗闇に染まる。先を進むには、ターサから渡されたランプの灯だけが頼りだ。マーズは、古からの文化を尊重する。だからこんなアンティークなものが、人々の生活の中に受け継がれているのだ。

  陽の射し込まぬ地下道はじめじめとしていて、カビ臭さが立ち込めていた。鼻の良い種族の者だったら、耐えきれず吐き気をもよおしていただろう。幸い、ラオンもソモルも地球人並みの嗅覚だった。


  足元を僅かな明かりで照らしながら、慎重に進んでいく。ただ地下に通路を掘っただけで舗装のされていない道は、歩きにくい事この上ない。たまに、地下水の水溜まりに出くわしたりする。

 足がぬかるみに嵌まり泥だらけになりながらも、ゆっくり着々と出口に向かう。


「うわっ!」


  突然前を歩いていたソモルが、なにかに足を取られてバランスを崩した。


  すってーん、ビチャ!

  豪快な音を立てて、転んだ。


「大丈夫、ソモル」


  ソモルが泥まみれの体を起こす。


「ああ、平気だけど……」


  泥が受け止めてくれた為、打ち身も軽くすんだ。しかし、ソモルは転んだ拍子に持っていたランプをぬかるみの中に投げ出してしまった。

  ソモルは無事でも、ランプは無事ではない。

 炎は少しの間くすぶっていたが、次第にそれも弱くなり、最後は見守る二人をほくそ笑むように消えていった。


「あーあ、しまったぁ!」


  自分の仕出かした失態に、ソモルが情けない声を上げる。一瞬で、そこは闇の支配下になった。

  どうしたものか。明かりがなければ、今までのペースでは進めない。確実に出口へ向かうには、壁伝いに足元を確かめながら、そろりそろりと行くしかない。大幅な時間のロスだ。


「……悪りぃ、ラオン」


  ソモルが本当にすまなそうに、後ろのラオンを振り返った、瞬間。


「うぎゃあああっー!」


  悲鳴を上げ、ソモルが飛び退いた。危うく、尻もちをつくところだった。

  飛んだ拍子に泥が跳ねて、ソモルの背に張りつく。ソモル、本日泥日和。


「どうしたの、ソモル」


  ソモルの驚きっぷりに、ラオンがきょとんと尋ねた。


「……め……ラオンお前っ、眼がぁーっ!」


  ソモルがラオンを指差し、裏返った声を上げる。ラオンの真ん丸の大きな眼が、闇の中でギラギラと光を放っていたのだ。

 なんでそんなに驚くのか、全く判らないという様子のラオン。闇の中でその表情は、ソモルには見えない。見えるのは、ラオンのふたつの眼の輝きだけ。


「眼?  あれ、ソモルは光らないの?」


  反対に訊き返され、ソモルはすっかり拍子抜けした。ジュピターの人間は夜行性の名残があるらしく、闇の中でも視界が利くのが当たり前なのだ。


  もしかして、昨夜も光っていたのだろうか。

  星に夢中で、全く気がつかなかった。そういえば、確かに瞳がキラキラしていたような。

  ソモルがぼんやりと、昨夜の記憶を手繰ってみる。いや、今は悠長にそんな事をしている場合ではない。


「……そ、そうか。ならラオン、お前眼が利くんなら、俺を引っ張ってってくれよ」

「うん、判った」


  ラオンが先頭を交代する。これで、なんとか危機を乗り越える事ができる。

  足元の見えないソモルは更に泥だらけになりながらも、ラオンに手を引かれて前へ進んだ。視界を奪われた空間で、やたらと時間が長く感じる。


  やがて一面の闇の中に、小さな一筋の光が見えた。


「ソモル、あれ、出口だよ」


  嬉しそうなラオンの声が、湿った地下道に反響する。近づくにつれ、光の色合いが濃くなっていく。

 外界の風を肌に受け止める。ずいぶん久しぶりの感覚のように思えた。

  清々しい風と空気が、二人を待ちわびる。


  二人は、出口からそっと顔を覗かせた。水面に眩しい陽射しを乗せて流れる河。そしてその真上には黒い橋が見えた。

  どうやら、ターサが教えてくれた出口に到着したようだ。


  恐らく太めの大人は通り抜ける事は不可能であろう小さな出口を抜けると、二人は河原の丸石の上に降り立った。目立たないように、河沿いを辿る。

 ステーションへは、ここから河下へ向かって進む。河が途切れたら、裏の緑道の小路に出れば、人目につかずに行ける。

 すっかり朝も中盤にさしかかり、人々も賑やかに活動を始めていた。二人は街の人々の視界に触れないように、死角を選んで進んでいった。


  誰にも出会う事なく河下を抜け緑道までやってきた二人は、細い道の前方からゆっくりと向かってくる人の姿に歩みを止めた。

  滅多に人が通らないと踏んでいただけに、ソモルは焦った。ここで引き返すのも、かえって怪しい。二人は、なるべく堂々と前へ進む事にした。

 やって来くるのは老婆のようだ。買い物の帰路に、緑豊かな細道を選んだのだろう。老婆は二人を気に留めるでもなく、みずみずしく繁った樹々の葉を眺めながらゆっくり歩いている。

 乾いた気候のマーズでは、豊かな樹々は珍しい。この辺りではソモルの暮らす小屋のある丘か、水が豊富に流れる河の周辺くらいなのだ。

 二人は老婆が葉っぱに眼を奪われている間に、そそくさとその脇をすり抜け、先を急いだ。


 ようやく、前方にステーションが見えてきた。

 たった今発射したばかりの貨物シャトルが、轟音を響かせ二人の頭上彼方へ飛び立っていく。朝の宇宙ステーションは、非常に人の行き交いが激しい。

 発射台にセットされた貨物宇宙船が何台も並ぶ中で、運び屋たちがせかせかと慌ただしく荷物を積んだり降ろしたりしている。

 二人は太い柱の陰に身を潜め、広いステーションの様子をうかがった。運び屋たちに交じって、惑星警備隊の姿がちらほらと見える。

  やはり、ここは一段と警戒が厳しいようだ。なんせ、巨大惑星の姫が凶悪犯と共にこの星に居るのだ。それも無理はない。


「どうすんだよ、ラオン」


  参ったなあという顔で、ソモルが尋ねる。この様子では、お手上げだ。


「貨物船に乗り込むんだ」


 この状況を把握している筈なのに、あっさりラオンは答えた。


「どうやって」


  ソモルが呆れた声で云う。

 二人の似顔絵は、もうこの星中に知れ渡っているだろう。ましてや警備隊が、その顔を見逃すわけがない。


「なんとかなるさ」


  そう云うとラオンは、身を低くくして進み出した。


「おいっ」


  本気なのか。あまりに無謀すぎる。

 ソモルも地べたすれすれに屈み込むと、仕方なく後を追った。もう、どうにでもなれ。


  荷物の陰から陰、まるで綱渡りのように慎重に貨物船に近づいていく。わずかな距離なのに、背中に冷たく汗がにじんでいく。

  ネズミのような気分だった。


  近づいた人影に、二人はびくりと止まる。どうやら運び屋同士のようだった。なにやら仕事についての不満をぼやき合っている。

 グチるなら、何処か他でやってくれ。

  二人は小さくなったまま、息を殺した。大きな体を荷物に寄りかけているらしく、木箱が動きに合わせてギチギチと音を立てる。

  その度に、二人の心臓は跳ね上がった。

 ひとしきりグチをこぼし終えると、運び屋たちは笑いながら持ち場へと去っていった。


  気配が完全に消えた事を確信すると、二人は再び動き出した。


  もう少し。後もう少しで、一番近い貨物船に辿り着ける。

後に残された距離は、約三メートル程。しかしこの先に、二人が隠れられるような物がない。

 二人は、恐る恐る周囲の様子をうかがった。


  やはり、居る。


  作業する貨物の乗員に交じり、警備隊が三名程、見張っている。

  ラオンとソモルは、顔を見合せた。

 姿を見られずに近づくのは、不可能に等しかった。まさに、断崖絶壁状態。


「おいおい、こりゃまた、なんの騒ぎだ」

  

  先程ジュノーから到着したばかりの運び屋が、物々しい警備態勢に驚いて顔見知りの同業者に尋ねている。


「なんでもジュピターの姫さんが、凶悪犯にさらわれてこの星に居るらしいぜ」


  タバコを吹かしながら、尋ねられた親父が答えている。


「へえー、そりゃあそりゃあ」


  関心しながらも、完全に人事の様子だ。


「けど案外さあ、あの箱の陰とかに隠れてたりしてなあ」


  運び屋たちの会話を耳にしながら、ラオンとソモルは冷や汗びっしょりだった。

 たのむからおじさん、余計な詮索はするな。

 

  ははは、まさかと笑い声がする。ずいぶんと質が悪い。

  この危機を、どうにか切り抜けなければ。二人が考えあぐねていた、その時だった。


「おーい、警備さぁーん!」


  ステーションの大きな門の向こうから、やってくる声があった。

  少年の声だ、それも数人。

  しきりに、警備さん警備さん、大変だ、と声を張り上げ走ってくる。

 ソモルは聞き覚えのあるこの少年たちの声に、耳をそばだてながら覗き見た。

 

  やっぱり。

 叫びながら走ってくるのは、ソモルの弟分の少年たち、キジム、ゴロー、ユンカス、そしてターサだった。


  あいつら。ソモルの顔が、思わずほころんだ。

  恐らく、ターサの策略だ。ステーションでの警備の厳しさを予想して、仲間たちを巻き込みラオンとソモルの助け船に出たのだ。

 今警備隊を含め、人々の注意は現れた少年たちへと向いていた。


「見たんだよ、俺たち!」


  息せき切るように、ターサと三人が話し出す。


「そうそう、俺たち見たんだよっ! あの凶悪な指名手配犯に脅されて歩いてる、ラオン姫をっ!」


  ゴローがわざと大袈裟に話す。

 おいっ!  凶悪は余計だろっ! それに、誰が脅した!

  ソモルが、心の中で舌打ちした。


  四人は次々にあらぬ事をまくし立てた。だいぶ面白がっている。散っていた惑星警備隊が、わらわらと少年たちの元へ集まってくる。


「ナイフをこう、カッと姫に突きつけてさあ」

「違うぜ、あれは間違いなくライフルだった!」

「なんだって! 犯人はライフルを所持しているのかっ!」


  やめてくれ。もうそれ以上、話を広げるな。万が一捕まって誤解を解く事ができなければ、確実に牢獄行きだ。


「街の方だよ。繁華街で見たんだ!」

「ほらっ、早く行かないと、逃げちゃうよっ!」


  善良なる少年たちの目撃情報に、警備隊がにわかに動き出す。完全に、ラオンとソモルの居る場所からは注意が逸れていた。

 誰も、こちらを見ていない。

 今しかなかった。


「走れ、ラオン」


 ラオンは身を屈めたまま、貨物船までの三メートルを一気に駆け抜けた。

 誰も、見ていない。

 ラオンが無事船体の下に隠れたのを確かめると、ソモルも一気に後に続いた。滑り込むように、ラオンの隠れる船体の下に潜る。


  うまくいった。

 地べたを伝って、大人数の走る振動が動く。

  少年たちの証言を元に、警備隊の数人が街へ向かう様子だった。

 二人は船体の下から這い出ると、貨物船の様子を確かめた。周囲に乗員は居ない。幸い、まだ荷物の積み込み口は開いている。


  しめた!


  二人は踏み台に飛び乗ると、そのまま積み込み口の中へ身を躍らせた。行く先は判らないが、とにかく今はこの星から脱出できればいい。

 二人は積み込まれた荷物の隙間に身を潜めると、息を殺して発射の時を待った。


  乗員の声がする。荷物の積み込みが全て終了した事を確認しているようだ。

 やがて、荷物口の戸が閉められた。

  どうやら、無事この星から離れる事ができそうだ。二人は安堵と疲労に、すっかり脱力していた。

 ぺったりと座り込んだ体の下から、ゆっくりと振動が伝わってくる。いよいよ、発射の時だ。


  ゴゴゴゴゴゴ


  二人の侵入者を乗せてしまった事も知らず、貨物宇宙船が地表を離れていく。どんどん加速を繰り返しながら上昇を続け、あっという間にマーズの大気圏の中だった。

  もちろん外の様子を見る事のできない二人は、それを知るよしもない。


  ラオンはふと、違和感を覚えた。なんだか、この貨物船は臭う。

  怪しいと意味ではない。本当に臭うのだ。

 その時、背後に気配を感じて固まった。


  何か、居る。


  ソモルの首元に、生暖かい息がかかった。

  心臓が跳ね上がった。そして。

 

  ブヒッ


  二人は、恐る恐る振り向いた。

 丸々と肥えた、白い塊が幾つもうごめいているのが見えた。

  豚の群れだった。

  必死だった二人は、隠れた荷物の奥の方に居た豚の大群に全く気づかなかった。


「……ラオン、俺たちどうやら、豚の家畜船に乗っちまったみたいだぜ」

「……だね」


  一面、白い豚だらけ。

 豚たちは侵入者にも動じず、もぞもぞと用意された餌を食んでいる。

  物音が目立たない分、普通の貨物船より見つかる可能性が低そうなので、案外幸運なのかもしれない。


  ラオンとソモルは、宇宙軌道を渡る数時間の道程を豚たちと過ごした。

  この豚たちがおとなしくしていてくれれば良いのだが、やたらと威勢が良くあちこち動き回る。その度に、二人はもみくちゃにされた。

  おかげで二人共、貨物船が行き先の星に到着する頃には更にくたくたになっていた。

 

  下降にともなう船体の振動も収まり、どうやら何事もなく移動に成功したようだと二人は悟った。ラオンとソモルは、活発に動き回る豚たちの中に紛れ込む体勢で扉が開かれるのを待った。

  ここで見つかっては、今までの全てが水に流れる。豚の背中越しに、今か今かと扉を見詰める。

  豚たちの白い体に、一筋の光が射した。扉が、ゆっくりと開かれていく。

  ラオンとソモルは、視線でこの後の行動を確かめ合う。豚に紛れて、このままここから脱出する手筈だ。


  扉の外に、乗員の姿が見えた。どうやら二人程、豚たちの誘導をしている。豚たちを養豚場へ移す為に、別の乗り物へ移動させているのだろう。

  二人は目配せした。体を小さく丸め、誘導されていく豚の間にうまく納まる。

鼻を鳴らして興奮している豚のよだれが、ソモルの頭にだらりと垂れた。不快感に顔を歪めながらも、じわりじわりと進んでいく。

  ソモル、根っからの汚れ役だ。  


  扉がすぐそこに迫り、乗員の姿が近づいてくる。二人は、更に身を低くした。二人が挟まれた豚の列が外に出ようとした、その時だった。


  ブッキイイー!


  激しく鳴き叫ぶ豚の声がした。トラックに乗せられる直前で、一匹の豚が反抗して暴れていた。その甲高い鳴き声に、他の豚たちもにわかに動揺し始めている。


「こらっ! 暴れるな、おとなしくしろっ!」


  乗員がなだめるも、云う事を聞く気配はない。一匹の豚の反乱に、同調した豚たちも次第に暴れ始めた。もはや、収拾がつかない。


「おい、大丈夫か」


  てこずる仲間の助っ人に、扉の前で誘導していた乗員が持ち場を離れた。


  チャンスだ。今しかない。

  ラオンとソモルは沸き立つ豚の群れを掻き分けると、扉の横のゲートを飛び越え、一気に地表へと駆け出した。豚たちの騒ぎ声を背に、一目散に船体を離れていく。

 警備隊の姿はない。幸いこの星は、マーズのような厳戒態勢ではない様子だ。

  二人はそのまま走り続け、ステーションの門を抜けた。


  門の外は、一面の開けた荒野だった。地表と空以外は、見渡す限り何もない。

  ラオンは空を見上げた。まだ陽の高い空には、淡い輪をたずさえたサターンの形がはっきり見えた。どうやらここは、サターンの衛星らしい。

  人の姿もなく、街からはかなり離れているようだ。


「この星に、ミシャの事を知っている人は居るかなあ」


  ラオンが呟く。情報集めには、まず人の多い場所へ行かなければならない。二人はふらふらと視線を彷徨わせた。

 見果てぬ荒野。どの方向へ歩けば街へ辿り着けるのか、見当もつかない。


  途方に暮れる二人の後ろに、ステーションの門から走り出そうとしているプラズマトラックの影が伸びた。運転しているいかつい顔の男が、左右の安全確認をして、まさに今走り出そうとしているところ。


「あっ! おじさん、待って!」


  ソモルは指名手配中なのも忘れて、思わず声をかけていた。ラオンもならって手を振る。

 男は走ってくる子供たちに気づき、車の窓を開いた。


「なんだ、どうした?」


  強面の顔に似合わず、人の良さそうな声だった。


「おじさん、途中まででいいから、俺たちを乗せてってよ」


  ソモルとラオンは、懇願するように男の顔を見上げた。見慣れぬ子供の突然のヒッチハイクに、男は細い眼をきょとんとさせた。


「なんだ、別に構わねえけど、何処行きてえんだ?」

「一番近い街まで」


  身を乗り出して、ラオンが答える。

 確かに、ここから子供の足で行くには大変だ。ラオンの身長を見てそう思ったのか、男はこころよく了解してくれた。


「おっし、じゃあ乗んな」


  男はにやりと笑うと、二人を助手席へ招いた。


「ありがとう、おじさん」


  二人は喜び勇み、プラズマトラックに飛び乗った。

  たくさんの荷物を積んだトラックは、風を切るスピードで荒野を駆け抜けていく。このスピードで進んでいるのに、何処まで行っても風景は変わらない。この親切な運び屋のおじさんに出会えなかったらと思うと、ぞっとした。

  そのおじさんは、上機嫌で鼻歌を歌っている。二人の事情については、何も詮索してこなかった。


「吸ってもいいかい?」


  おじさんは、胸ポケットからタバコを取り出し、尋ねた。二人が頷く。

  おじさんはタバコに火をつけながら、わずかに窓を開いた。指一本程度の隙間から鋭い風が吹き込んでくる。


「ねえ、おじさん」


  前髪を風に遊ばせながら、ラオンが声をかけた。


「ん?」


  タバコをくわえて前を向いたまま、おじさんが応える。


「おじさんは、遊星ミシャって知ってる?」


  途端、おじさんはくわえていたタバコを腿の上に落とした。


「あちちちちっ!」


  その熱と動揺に、車体が大きく揺らいだ。


「あわわわわっ!」


  大きく弧を描いた運転に、ラオンとソモルはバランスを崩して慌てた。続く急ブレーキに、二人は雪崩れて倒れ込む。

 荒野のど真ん中に、プラズマトラックが停止した。


「……どうしたんだよ、おっさん」


  ラオンの下敷きになったまま、ソモルが尋ねた。おじさんの陽に焼けた額には、びっしょりと冷や汗が浮かんでいた。


「……禁句なんだよ」


  正面を見据えたまま、おじさんが呟く。


「このタイタンで、その星の名は禁句なんだよ」

「……禁句って?」


  ソモルの背中に乗ったまま、ラオンが尋ねる。

  おじさんは震えるように振り向き、二人を見た。恐れおののきを、その瞳に見え隠れさせながら。


「女盗賊……ホワイティアの縄張りだからさ」

「女盗賊、ホワイティア」


  二人が繰り返す。

  ソモルは、その名に聞き覚えがあった。確か、酒場で流れ者たちの会話から耳にしたような。

  盗賊といっても、ホワイティアが盗むのは他人の物ではない。宇宙のあちちこちらに散らばる財宝だ。宇宙の断崖のような処へ行き、誰も手に入れる事のできなかった宝を手にする。


「その人の縄張りだと、どうして口にしちゃいけないんですか?」


  ラオンが尋ねる。

 おじさんは、何も知らない異星人の子供に、ゆっくりと語り出した。


「……数年前ホワイティアは、ミシャにある宝石を手に入れようとして、失敗したんだ」

「ミシャにある宝石……クピトをですか」


  ラオンの眼に、一筋の光が宿る。


「そうだ」


  おじさんは短く答えると、そのまま黙り込んだ。

  狙った物は、必ず手に入れる。それが、ホワイティアという盗賊だった。その誇り高き孤高の女盗賊が、手にする事の叶わなかった宝石。

  伝説のクピト。



「ならば……」


  言葉を発したラオンに、ソモルが視線を向けた。幾度か垣間見た、ラオンの凛とした強い眼差しがそこにあった。


「ならばその人に訊けば、遊星ミシャの場所が判るんですね!」

 

  ラオンの口から弾かれた台詞に、いかつい顔の男は絶句した。


「やった、やったよソモル! これで僕たち、ミシャに辿り着けるっ!」


  ラオンははしゃいで、ソモルの肩を揺さぶった。ソモルは何か中途半端な面持ちのまま、喜び勇むラオンと青くなっているおじさんの顔を交互に見た。


「……バカ野郎っ! そんな事したらお前たち、殺されるぞっ!」


  おじさんの太い怒声が響いた。さっきまでの気の良い表情とは程遠い、恐ろしい剣幕。


「ホワイティアを甘く見るなっ!  たとえ子供だろうが、自分のプライドを傷つける奴ぁ、許さねえ」


  おじさんの額から、汗が零れ落ちた。重たい空気が、車内に充満する。


「けれどその人しか、ミシャの場所を知らない」


  その空気を切り開く、迷いのないラオンの声。

 何処にあるとも知れない、伝説の遊星ミシャ。おとぎ話だと、笑う者も居るような、幻の星。その星を探し出すなら、そこへ辿り着いた者に話を聞くのが一番の近道。


  おじさんは黙り込んだまま、しばらく考えるようにうつ向いていた。そして足元の落としてしまったタバコを拾い上げると、もう一度火をつけた。細い、煙が舞う。


「……覚悟は、あるんだな」


  ラオンはおじさんから視線を逸らさずに、うなずいた。おじさんは、その様子を横目の端で確かめると、ふっと息を吐き、再びトラックを走らせた。


「一番近い街までだったな。夜になったら、その街の『セイレーン』という酒場に行くといい。そうすりゃ、ホワイティアに会える」


  荒野の先に眼を向けたまま、おじさんは云った。不精ヒゲの顎の辺りに白い陽が射して、汗が反射している。プラズマトラックは、もうすぐ荒野を抜けようとしていた。



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