追跡者。

 

 どれだけの時間、そうして泣いていたんだろう。


 たぶんそんなにではなかっただろうけど、感覚がすっかり麻痺してるあたしには、とてつもなく長い時間が過ぎた気がしていた。

 さんざ泣いて、いい加減に涙も涸れて、それでも逆に気持ちの方はずいぶん落ち着いていた。座り込んだ地面に爪を立て、あたしは気力を振り絞って心を決める。


 謝らなきゃいけない。


 自分勝手な非難を押しつけて、あたしは、リーバ君の気持ちも身体も傷つけてしまった。

 彼はちゃんとした理由があって、ウソを話したかもしれないのに。


 もう関係ないって言われる可能性を考えたら、気力がしぼんでしまう気がしたけど、例えそうだとしても……ありがとうとごめんなさいは、ちゃんと言わなきゃいけないもの。

 どこをどう来たか、もう覚えてないけど、戻らなきゃ。


 戻って、ちゃんと言わないと――。


 ふっと顔に影が掛かる。かなり近くなのに気配にも足音にも気づいてなかったあたしは、思わず顔を上げ、そして怖気にシッポの毛が逆立つのを感じた。


「なんだ、一人なのか」


 すらりと背が高い、フェルバの男のひと。

 結構若くて、銀青色の髪で、結構綺麗な顔立ちの。縁飾りのついた長い上着に、スラックスと革の紐靴を履いている。


 蛇に睨まれたネズミになった気がした。切れ長な目は鮮やかな青だけど、……怖い。口元に浮かべた薄い笑み。

 気配を感じて思わず振り向けば、あたしの後ろにいつの間にかもう二人、人が立っていた。


「まあいいさ、同じ事だ。シード、アディル、連れて来い」

「黙らせるか? ザイツ」


 二人のうちの片方、短い金髪で体格のいい方がそう言った。

 先の尖った耳は闇の民ジェマの証だ。彼が翡翠色の目であたしを睨むように見たから、あたしは怖くなって首を振る。


 ザイツっていうのが銀青色のフェルバの人らしく、そんなあたしの様子に嫌な感じに笑って答えた。


「黙って一緒に来るそうだ。騒げば痛い目に遭うと理解してるようだな」

「了解。……さ、立て」


 ぐ、と腕を掴んで立たされる。膝ががくがくしたけど、それでも痛いのは嫌だったから、あたしは必死で言われるままに、ザイツって人の後について行った。


 あたしを見張るように隣を歩くのは、ナウエアの男の人。藍色の目で、蒼い髪を後ろで一つに束ねてる。

 小柄で痩せ気味の若いひとだった。するりと長い青紫のシッポや、小さめで丸っこい耳には見覚えがなくて、何の部族かまでは解らない。


 この三人組は、あたしをどこに連れて行く気なんだろう。……何をするつもりなんだろう。

 不安と恐怖で身体中がいっぱいだけど、考えるのが怖い。


 目的地はそれほど遠くなかったけど、つく頃にはもうあたしは足も心も疲れ果てて、何も考えられなくなっていた。

 アディルというらしいナウエアが、ついた場所にあった廃屋みたいな仮小屋の戸を開け、あたしを中に促す。

 足が動かずまごついてたら背中を強く突き飛ばされ、勢いで膝から転んでしまった。


「……っ」


 痛さを堪えてなんとか身体を起こし、床に座り込んだまま後ろから入ってきたザイツを見上げる。

 板張りの床にかかとの音が響き、彼があたしの前まで来て片膝立ちでしゃがみ込んだ。


「俺は、あんたと一緒にいる妖精族セイエスに用があるんだ。……確か、リーバ、だったか」


 リーバ君に、用が?


 混乱してる頭ではイマイチ理解しきれず、あたしはぼうっとザイツを見返す。

 アディルがどこかからペンと紙を持ってきて、彼に手渡した。彼はその紙にサラサラと文字を書き、あたしに見せる。


「リーバ=シルヴェスレイ。フルネームはこの綴りで合ってるか?」


 流麗で書き慣れた文字だった。あたしは字は読めるけど、リーバ君のセカンドネームも解るけど、綴りが合ってるかまでは知らない。

 そう言わなきゃと思うのに、恐怖感が喉を掴んでいるのか一言も話すことができなくて。


 腰が抜けたみたいに立てないし、身体もガタガタ震えて竦んだまま動けない。


「何か言えよ」


 ぐ、と眉間にペン先を近づけられ、あたしの喉から悲鳴にもならない息が漏れた。夢中で頷くことで意思表示をする。

 ザイツは満足そうに笑って、やっとペンを離してくれた。


「女は預かった。返して欲しければ、正午までにこの場所へ来い。通報したり時間に遅れたりすれば、女の無事は保証しない。……さて、来てくれるかな?」


 カリカリとペンを滑らせ、彼が書いているのは手紙だった。

 なに、その、お芝居の悪党が言いそうなセリフ。


「あと一時間もないが、テレポートが使えるなら問題ないだろ。……さて、待つ間あんたで暇つぶしでもするか」


 魔法の言葉を唱えてザイツが手紙を鳥に変えた。

 それが窓から飛び去るのを見送ってから、彼があたしに向けた青い目に、あたしの背中をひどい悪寒が這い上る。


「や、だ、……こないでっ」


 ふるふると頭を振って後退るも、腰が抜けててうまく動けない。その間にザイツは平然と近づいて来て、ぐいとあたしの胸ぐらを掴み寄せた。


「ひっ」

「顔はイイのに頭弱そうだな、あんた。少しは抗えよ」

「う、……あ、やっ」


 今にも噛みつかれそうな距離に、頭が真っ白になる。

 抵抗すれば殴られそうで怖くて、でも抵抗しなかったら……どうなっちゃうんだろう。


「泣くのは勝手だけどさ、あんたの彼氏これからどうなると思う? あんたのせいで、今からここに出向かざるを得なくなった、優しい魔法使いの運命は」


 なに、それって、なに?


「あ、あたしの、せいで……?」

「知ってるか? 無属の者の身体はソレ自体が稀有なる魔術材料だ。髪を綯えば万能結界に、血を飲めば永久の時間を、そして命と引き換えて星の奇跡を叶えてくれる」


 目の前で笑う、ザイツという名前の魔術師。

 彼の言葉が引きずり出したリーバ君とあたしの約束が、頭の中でがんがんと響いた。


 ――願いを叶えてあげるよ。


 ねえ、それって、リーバ君の命と引き換えにってことだったの?


「う、やだ」


 ぶわりと溢れ出した涙が、視界を塞ぐ。同時に彼が腕に力を込めて、あたしをイキナリ押し倒した。

 床にぶつけた頭の後ろがじわんと痺れるように痛くって、だけど腕を押さえられているからどうにもできない。


「死んじゃやだ……っ」


 それでもあたしは、リーバ君の約束のことしか考えられなくって。


「抵抗しないって事は好きにしていいって事だな? シード、アディル。脱がせてしまえ」


 意地悪い声が尋ねてくるから慌てて首を振ったけど、彼は聞く耳持たずにそう指示を出す。

 見えないけど、彼の仲間があたしの靴を脱がせてるのが解った。


「じっとしてろ。暴れたら酷い目に遭うと思えよ」


 涙が眦からこめかみを滑って、髪に染みこんでくのを感じる。それでも脅しが怖くて動けない。

 靴の次は、上着のボタンが外されてく。ざくざく、と聞こえるのは、ナイフが衣服を切り裂く音かもしれない。

 瞳だけ動かして彼を見上げたら、青い目が笑うように細められた。意地悪そうな口元が、開かれる。


「〝使従〟の魔法式を完成したばかりなんだ。犬や馬には効果を確認したんだが、獣人族ナーウェアにはどうかと思ってな。なに、死にはしないから心配するな」


 襟周りのリボンが解かれたけど、着ていたワンピースまでは脱がされなかった。


 あたしの腕をザイツに代わってナウエアのアディルが押さえつけ、別の誰か、たぶんシードってジェマが足首を掴み、引っ張ってあたしの手足を伸ばさせる。

 にい、といやなカンジの笑みを浮かべたザイツが、細いアイスピックみたいなモノを取り出した。その尖端を胸元、鎖骨の下あたりに当てられる。

 痛い、より、……怖くて心臓が止まりそう。


「あと五分で来なければ、ここに文字を彫る。ここと、両足首と、額に。どうだ、怖いだろう」


 見透かすように言って、楽しげに笑う声が不気味で、息が止まりそうで涙が気持ち悪い。


 お願い、リーバ君……来ないで。

 こんなカッコ見られるのも、リーバ君に危険が及ぶのも、どっちもいや。


 あたしのせいでリーバ君が酷い目に遭わされるなんて、絶対に絶対にいやなのに。


「30、29、28、27」


 低い声でカウントを始めたザイツが、数字を読むたび尖った先を肌に押し当てる。痛いほどには強くなく、そこだけにじんわり熱が溜まってく。


「……15、っと。来たか」


 麻痺しかけた意識を連れ戻されるに十分な、セリフだった。


 動けないあたしの耳に届く、聞き慣れた足音。

 かつんと、杖で床を叩いて。


「言われた通りに来てやった。……彼女を、解放しろ」


 彼の声に怒気が込められるのを、出会ってからあたしは初めて、耳にしていた。






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