星月夜に沈む記憶。

 

 それから何日かは、寝たり起きたりを繰り返しながら部屋から出ずに過ごしていた。

 とにかく広いこの部屋には、普通の家に備わっている設備がほとんど備わっていたし、食事も部屋に運んでもらえていたから、不自由はなかった。


 リーバ君はほとんど出掛けっぱなしで部屋にいないことが多く、あたしはすることがないから、部屋にあった本棚から面白そうな本を探して読んでみたり、部屋の中を探索してみたり、じっと座ってこれからのことを考えてみたりする。

 そんな風に穏やかに流れる時間の中で、初めに会った時よりあたしはずいぶん気持ちも落ち着いて、ちゃんと話せるようになってきていた。


 変化が訪れたのはあたしがリーバ君に拾われて、たぶん四日目の朝だった。




+++




 

 話し声と足音に、ベッドの上で丸くなったままぼーっとしていたあたしは、思わず飛び起きる。

 いつもと違って二人分聞こえてきたそれに、慌てて上掛けを引っ張り寄せ頭から被って構えていたら、部屋の扉が開いてリーバ君が顔を出した。


「リリ、……何やってるの?」


 よっぽど変に見えたんだろう、リーバ君が一瞬目を丸くして、それからきょとんと聞いてきたから、あたしの顔に熱が上る。


「だって、パジャマ、だしっ」

「あ、そっか」


 彼は、絶対あたしが女の子だって意識してくれてない。絶対子供扱い、されてる気がする。

 あたしはそれが悔しいような、安心なような、すごいビミョーな心境。


「安心してください、女性のプライベートルームに入ったりしませんよ。これだけ届けに来たんです」


 リーバ君の後ろから、リーバ君ではない人の声が聞こえた。

 響きの綺麗な、透きとおったカンジの声。言ってもいない不安を言い当てられて、顔がますます熱くなる。


「なぁに?」


 緊張で声が震えてしまうから、ごまかすように声が小さくなった。

 誰だろう、どんな人だろう。……リーバ君とどんな知り合いなんだろう。


「外出用も含め、貴方の衣服を適当に見繕ってもらったんです。ひとまずの間に合わせのつもりですから、好みに合わなければ遠慮なく言ってくださいね」


 丁寧で歯切れのいい口調、幾分硬めの言葉遣い。

 リーバ君がその人から大きな包みを受け取って、部屋に入ってくる。そして、ベッドの上で警戒中のあたしの隣にそれを置いて、言った。


「彼は怖くないから心配ないよ。紹介したいから、着替えてリビングルームにおいで」

「う、ん」


 ぎくしゃくと頷いたら、リーバ君はにこりと笑って頷いてくれた。そして部屋を出ると、外で待ってたその人と一緒に話しながら行ってしまった。

 緊張で手が震えているけど、二人を待たせたくなくて、あたしはわたわたと包みを開く。


 中に入っていたのは、シンプルなワンピースから着方の解らない民族衣装みたいな服までいろいろで、どれも手触りが柔らかくすべすべしていた。

 相当な高級品だというのは解るけど、値段も生地の種類も全然想像つかない。

 ……汚したり、破いちゃったら、どうやって弁償したらいいんだろう。


 悩んでいても仕方ないのは解っていたから、あたしはその中でも一番シンプルそうなリボン付きのワンピースを選んで着替えると、抜き足差し足でリビングに向かった。

 こっそり覗き見れば、リビングの大きなソファに座ってリーバ君と話してる人の姿が目に入る。


 セイエスの、お兄さんだった。髪の色は濃紺で、ストレートのショートヘア。前髪は長めで、切れ長の目も紺っぽい。

 襟付きの白いシャツに黒いベストと、糊の効いてそうな黒っぽいスラックス、ピカピカしてる革靴が上品そうな雰囲気だ。

 リーバ君も綺麗だけど、そのお兄さんも美人さんだった。きっとセイエスという種族には、綺麗な人が多いんだろう。


 なんだかすごく場違いな気がして、声を掛けずこそこそ部屋へ戻ろうとしたら、あっさりリーバ君に気づかれてしまった。その様子に隣の彼も気がついて、あたしの方を見る。

 あたしはそれだけで緊張して身体が熱くなるのに、リーバ君はお構いなしだ。


「リリ、こっち来なよ」


 満面の笑顔で呼ばれれば部屋に戻るわけにもいかず、あたしはびくびくとリーバ君の傍に行く。促されるまま彼の隣に座り、縮こまった。

 斜め向こうにお兄さんがいるけど、なんだか恥ずかしくて顔が上げられない。


「アイリーン、彼はシャーリーアといって、私の友人なんだ」


 リーバ君に言われて恐る恐る顔を上げれば、紹介されたお兄さんが綺麗な笑顔であたしを見てた。

 あたしはどきまぎしながら答える。


「しゃーりいあ、さん?」

「ううん、シャーリーア。……言い難かったら、シャーリィでいいと思うよ」

「しゃありーさん」


 いきなり発音で間違えるあたしに、リーバ君が教え直してくれたけど、やっぱり難しくてちゃんと言えない。

 申し訳なくて俯きながらもごもご練習するあたしを、シャーリーさんは見てたけど、やがて、くす、と小さく笑って口を開いた。


「言い難ければ、シアでいいですよ。アイリーンさん」

「しあ、さん?」


 なんだかずいぶん短くなっちゃったその愛称は呼びやすくって、いいのかな、と思いながらあたしは彼の様子を覗う。

 リーバ君とちょっと違う雰囲気だけど、切れ長の目は思ったより優しそうで。


「さん、も要りませんが……、呼び捨てに抵抗があるのでしたら、リーバと同じように僕の事も『シア君』と呼びませんか?」

「は、はいっ。……し、シア君て」


 耳に優しいテノールにそんな風に囁かれ、あたしは緊張に上ずる声で返事した。

 彼が……シア君が、リーバ君と顔を見合わせにこりと笑う。


「僕は、貴方を何て呼べばいいでしょうね」


 リーバ君の友達なだけあって、優しそうな人で良かった。

 安心で涙腺が緩むのを感じながら、あたしは声が変に聞こえないよう必死で答える。


「あの、あたしは、アイリーンで。……でも、えと、呼びにくかったら、リリでいいです」


 何、中途半端なコト言ってるんだろう、あたし。

 でもシア君は呆れたりせず、一瞬困ったように首を傾げて、それから聞き返してくれた。


「呼んで欲しいのは、どっちですか?」


 リリ、と。

 しわがれた優しい声が、記憶の底であたしを呼ぶ。


 あのあったかさを期待することを、あたしはまだ許されてるんだろうか。


「リリって、呼んで欲しいです」


 視界がぼうっと滲んだけど、あたしは懸命に堪えて答えた。

 今が泣く時じゃないってことくらい、解ってる。そしてシア君もリーバ君と同じく、そこを問い詰めたりせずに、優しい笑顔のまま話を前に進めてくれるのが、すごくありがたかった。


「はい、では僕もそう呼びますね。……リリ、何か不自由している事や、欲しい物はありますか?」

「大丈夫、です。なんか、その……あたしなんかのために、ゴメンナサイ」


 いたたまれずに小声で言ったら、シア君は柔らかな笑顔で首を振る。


「そういう心配なら、今は保留にしておきましょう。それより、……リーバ」

「うん?」


 話しながらあたしの顔を見てたシア君の表情が、ふと、怪訝そうになってリーバ君を見た。

 首を傾げるリーバ君に、彼はなんだかひどく言い難そうに尋ねる。


「もしかして、リリの髪を切ってあげました?」

「……あは。やっぱりシャーリィには解っちゃうんだね」

「僕でなくても解りますって。……まぁ、リーバにしては上手い方ですが」

「それなりに、練習はしたからね。でも、癖毛は難しいよ」


 シア君はどうやら、あたしの髪が気になったらしい。

 よく解らないけど、やっぱりリーバ君はあまり上手くないってことなんだろうか。


 つられてなんとなく髪先を摘んで眺めるあたしの横で、二人の話は続いている。


「別階にビューティーサロンもあるし、美容師を部屋に呼んでも良かったんですよ」

「うん。でも彼女、極度の内気だからさ」

「あぁ成る程。それなら、僕が切ってあげましょうか?」


 ……え?


「それはいいね。でも、忙しくないのかい?」

「今なら、大丈夫ですよ。……リリさえ、嫌でなければ」


 二人が同時にあたしを見、あたしは顔が赤くなるのを自覚しながら、こくこく、と慌てて頷いた。


「では、決まりですね。すぐに準備しますので、待っててください」


 シア君がそう言って立ち上がる。あたしは緊張に頭がくらくらするのを感じながら、どうしていいか解らずに茫然としてしまってた。

 一生分の運をこの数日間で使い尽くしちゃったら、どうしよう……なんて、ぼんやりと考えながら。




+++



 

 ふいの覚醒は真夜中に突然やってきて、まだ起きるにほど遠い時間なのに、あたしは目が覚めてしまった。


 外界から切り離されたみたいに、静かな夜。

 耳に障る獣の鳴き声も、風に乗って届く夜の街の喧噪も、ざわざわと梢を軋ませる風の音も、ここには全然聞こえてこない。

 耳に拾えるのは、あたしが身じろぎするたび微かに鳴る衣擦れの音と、隣の部屋で規則正しい寝息をたてているリーバ君の気配だけ。


 一度深く眠ったあとに覚めてしまった意識では、なかなか寝付けなくて、あたしはベッドから起き出すと、きちんと閉められてる長い大きなカーテンを少しだけ開けてみた。


「……うわぁ」


 途端、目に飛び込んで来た光景に、あたしは思わず声を上げる。


 カーテンの後ろにあったのは普通のはめ込み式窓じゃなく、綺麗に磨かれたガラスの壁だった。そこから透けて見えるのは、見渡す限りの光の海。

 赤や青や緑や黄色……言葉じゃ表しきれないほどたくさんの明かりが、遙か下の街を彩ってキラキラと輝いてた。


 たぶんここは、すごくすごく高い場所。

 地上より遠いはずの夜空の方が、よほど近いような錯覚さえ覚える。


 あたしは今まで、この街の片隅にひっそり隠れて生きてきた。眩しいくらい綺麗に光るこの景色は、きっとお金持ちの人にとって大金を出すだけの価値があるんだろう。

 でも、世界は綺麗なだけじゃないって、あたしは知ってる。


 苦しくて辛くて、寂しくてひもじくて……、それでも生きなきゃならなくて。

 そうやって必死に暮らしている人たちが、あの綺麗な光の海に沈んでることをちゃんと知ってる。


 鮮やかで綺麗で、寂しくて悲しい光の街。

 こんな風にこの街を見下ろすことがあるなんて、考えたこともなかった。


 あたしは、ここにいていいんだろうか。


 何も頑張ってない、泣いてばかりの、役立たずなあたしが、お金持ちのステータスシンボルみたいなここに立つなんて、ひどく身の程知らずなことだと、解っているのに。


 視界一杯に広がる夜景があまりに幻想的すぎて、頭がくらくらする。今のあたしに、この光景を楽しむことはできそうになかった。

 カーテンを閉め直し、ベッドに潜って布団を被って、あたしはいもしない何かから逃げるみたいに丸くうずくまったまま、朝が来るのをひたすらに待った。





 夢を、みた気がする。もう逢えない、大好きなひとの夢。


 同じスラムに住み着いていた沢山の子供たちと同じく、あたしも自分の親を憶えていない。

 死んでしまったのか、あたしが捨てられたのか、……どっちだって同じこと。



 寒い寒い冬の夜、スラムの端で凍えかけてたあたしを拾ったのは、そこに住んでた宿無しのお爺ちゃんだった。

 右足の膝から下がなく、松葉杖をついていた。


 ボロボロの街の片隅で、自分が食べる物を探すのさえ大変な中で、じいちゃはあたしを育ててくれた。

 名前をつけてくれたのも、弓の使い方を教えてくれたのも、文字を教えてくれたのも、全部じいちゃだった。



 突然のサヨナラは、やっぱり寒い冬の日で。


 その頃にはすっかり身体が利かなくなってたじいちゃの代わりに、食べ物を探していたあたしが帰って来た時、もうじいちゃは冷たくなっていた。

 どうしていいか解らず雪に埋もれて泣き喚くあたしを、通りすがりの葬儀屋さんが見掛けてくれなかったら、あたしはきっと凍えて死んでただろう。


 その人が、じいちゃを送ってくれた。

 火の粉に包まれた大きな炎の鳥と一緒に、綺麗な歌声で。


 サヨナラではなく、行ってらっしゃいなのだと。


 炎の鳥に抱かれて旅立った魂は消えてしまうのではなく、新たな生を受けやがて世界に帰りくるのだと、その人は教えてくれた。


 じいちゃは、あたしと一緒に最期の年月を過ごせて幸せだったろう、って。

 だからキミも、大事な人に感謝して自分を信じる道を生きるんだよって。


 それはその時のあたしにとって、どれだけ慰めになったか解らない。



 ねぇじいちゃ。

 自分を信じるって、どうすればいいんだろう。


 何も心配しなくていい、リーバ君やシア君はそう言ってあたしにたくさんの親切をくれたけど、あたしはそれに何も返せそうにないの。

 ただ偶然の幸運にすがりついて、甘えてるだけのあたしに、ここでこんな恩恵を受ける資格なんてない。

 世界にはもっともっと頑張ってる人たちがたくさんいて、そういう人たちのためにこの場所はあるべきはずだから。


「……帰らなきゃ」


 枕に顔を埋めたまま呟いたら、すぅっと胸が軽くなった気がした。でも同時にひどい寂しさが襲ってきて、あたしは枕にぎゅっと爪を立てる。


 ここにあたしがいるのは、たぶん間違い。

 だけどあたしは、リーバ君と一緒にいたい。だって彼は、あたしに約束をくれたもの。その約束を叶えるまでは、一緒にいてもいいよってことだと思うから。



 じいちゃ、あたしでも頑張ればいつかは、リーバ君の役に立てるかな。

 彼と同じセイエスの女の子になれれば、彼の隣にいても大丈夫って、自分を信じられるようになるのかな。


 夢と現実の境目で、そんなことをぐるぐる考えながらうとうとしているうちに、気づけばいつの間にか……朝になっていた。









 



 

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