解答解説編
「皆さんわざわざどうもありがとう」
呼び出しておきながら最後にやって来るという暴挙に出た橋姫紫音は、まず、聴衆へ向けてわざとらしく礼を述べた。
「我々を呼んでおいて最後に悠々と登場とは随分なご身分だね、探偵さん」
例によって一時の席に座っている、炎使いの桐壺英一が嫌味を言ったが、紫音は全く気にも留めずに受け流した。
「別に貴方達が何と思おうが、私には関係ないもの。ま、
真顔でこう返すくらいである。その物言いにこそ腹が立つのだろうが、紫音は全く気にしない。
紫音はそのまま席に座ることなく、円形の座席の周りをゆっくりと廻るように歩き始めた。
「貴方達を呼び出した理由なんて一つしかなくて、勿論謎解きのために呼んだに決まってるんだけど……」
「それくらいここにいる誰もが分かっている。前置きはいい。さっさと進めてくれ」
二時の席、激痩せの帚木敏彦が吐き捨てるように文句を言った。だが、やはり紫音は動じず、あくまでも己のペースで話し続ける。
「そう? お隣の方は初めて知ったって顔し――」
「そうですよ!ただ『帰る支度をしてから食堂に来い』なんて言われても、そんな事分かりませんって!ちゃんと分かるように言ってくれなくちゃ!!」
紫音が話し終わるよりも早く割り込んで来たのは、当然三時の席の紅葉賀晶美である。
「貴女はちょっとうるさ過ぎるわ。ちょっと黙っててくれるかしら?」
流石の紫音も、これには耐えられなかった。そもそも紫音は自分が話している最中に誰かが割り込むのは好きではない。自然刺々しい口調になる。
「さて、まずは時系列順に追っていきましょうか。私達はここに被害者である先生に呼ばれてやって来た。その晩、この部屋での会食中、中座した先生が部屋まで戻ると同時に爆発発生。全員で現場を見に行った」
「正確には、君達三人が先行し、我々はその後を追った」
「訂正どうも、牧師さん。一目で事件と判断した私は、貴方達を一度食堂へ帰らせた。そして、部屋の中を調べた」
「あの、途中で花散里さんが行ったはずですけど……」
五時の席の蛍麗美がおずおずと手を挙げ発言した。紫音はちょっと意外そうに、
「えぇ、確かに来たわ。すぐ帰って貰ったけど。それが何か?」
と答えた。この人喋れたのか、と顔に書いてある。
「いえ、その、戻って来ても何も仰らなかったので」
「ま、私にやり込められたからね。牧師さんの名誉の為に詳しいことは言わないでおくけど、私が天井に書かれた文字を見付けたところに来たわね」
「天井に文字? 何だそりゃあ」
その更に隣、六時の席の常夏祐吾が、理解出来ないとばかりに声を上げた。
「『ISAIH,22,22』。そう書いてあったわ。ただ、私は聖書になんか興味無いから、内容をきちんと覚えているか不安だった。そこに丁度上手くやって来た牧師さんに訊いたってわけ。ま、あってたんだけどね」
「悪いが私は聖書は分からない。それはどういう内容なんだ?」
常夏の隣、柏木英孝が質問した。紫音もこの質問は予想していたので、流れるように答えた。
「『わたしは彼の肩に、ダビデの家の鍵を置く。彼が開けば、閉じる者はなく、彼が閉じれば、開く者はないであろう。』」
「意味は?」
「それは後で話すわ。当たり前だけど、全く意味が無い訳じゃないもの」
紫音は一つ咳払いした。
「さて、部屋を調べた結果として、私は三つの物を見付けた。一つ目は、天井の文字。二つ目は、黒く短い髪の毛。三つ目は、先生が乗っていたのとは別の車椅子の座面の裏側に、不自然に偏って書かれた魔術陣」
「そんな物から、何が分かるんですか?」
童顔の二十四歳、夕顔浩輔が怪訝そうに訊いたが、樹里からしてみれば、それはあまりにも愚かな質問だった。
「犯人が黒くて短い髪の持ち主で、左利きだということが分かるわね。もっとも、それが本物ならば、だけどね」
「本物ならばって、どういう事ですか?」
これには樹里も驚きを隠せなかった。昨晩聞いた時には、それが本物でない可能性など言及していなかったからだ。
だが、もしその手掛かりのようなものが全て偽物だとしたら、手掛かりはなくなったに等しい。
「偽物の可能性があるって事よ。いいえ、これは正しくないわね。あれは偽装された偽物だと断言出来るわ」
「でも昨日は……」
「昨日のアレは、虫の居所が悪かった事もあって、ちゃんと説明してなかったのよ。ごめんね」
少し申し訳なさそうにして紫音が謝ったが、樹里は別に怒ってもないので、「別にいいんですけど……」と答えた。答えた後で、あまり良い答え方ではなかったと反省はした。
「あたかもそこに誰かが侵入して魔術陣を書いたかのように見せかける、かなり姑息な手段ね。でもよく考えて。人が一人、そして乗っていた車椅子までもが跡形もなく消える程の爆発があって、髪の毛なんかがその場にあると思う? あの部屋の調度品の類は魔術で護られていたけど、落ちた髪の毛がそんな風に護られていることなんてある?」
誰も何も答えない。紫音は構わず続けた。
「実際、何の防御もかけられてなかった。じゃあなんでそんな物が落ちているのか」
誰も何も答えない。
「そこを疑い出せば、車椅子の方も疑わしくなる。何故犯人は左利きである事を露呈するような書き方をしたのか。確かに車輪は邪魔だけど、それでもその気になれば真ん中にだって書けるはずよね」
誰も何も答えない。紫音は聴衆を見渡した。
「その答えを私は知っている。髪の毛をあの場に落としたのは、爆発があった後。左利きに偽装したのは右利きだから。さて、それが出来る人は一人しかいないわ」
誰も何も答えない。紫音は立ち止まった。最寄りの席に座っている者の両肩に手を置き、
「ここまで最低一人一回時計回りに発言してたようだけど、あなたは何か言うことがあるかしら?」
と言った。そして少し屈み、耳元に口を寄せて囁いた。
「貴女が賢木先生殺し、いいえ、今回の件の犯人よ、総角明菜」
それは、両隣が空けられた、十一時の席だった。
「うふふふふ」
暫しの沈黙の後、総角明菜の口から漏れたのは、笑い声だった。
「あっはははははは!流石だ!流石紫音だ!それでこそだ!あははははは!!」
樹里は普段とのギャップに戸惑っていた。少なくとも普段は性格は悪いにせよ、このような笑い方をする人物ではなかったからだ。狂ってしまったのかと半ば本気で思ったくらいである。
「相変わらず、大した趣味してるわね」
紫音が呆れたように呟いた。しかし総角は笑って、
「
と返した。紫音は顔を顰めて頷いた。綾女さんというのは誰だか分からないが余程趣味の悪い人らしい。人殺しより悪い趣味って何だろう、と樹里は考えかけたが、どうせろくでもないと思い直してやめた。
「おい、どういう事だ!? 彼女には出来ないのではなかったのか!?」
桐壺が再び口を開いた。当然の事である。昨日の時点では「絶対に出来ない」と言っていたのだから。
「だから、言った通りよ。彼女に先生は殺せないわ」
「しかし現に――」
「殺してないのよ」
紫音は強く断言した。桐壺にも、樹里にも、無論ほかの客にも、全く理解出来なかった。
「先生が亡くなったのは……今から三日前と見たけど、どう?」
「ビンゴだよ。素晴らしいね」
紫音の問いに、いつも通りの笑みを浮かべて明菜が答えた。
「では、説明してあげるとしましょうか」
「ええ、それがいいわね。誰も気が付いてないみたいだから」
「じゃ、紫音とは逆に結論からいこうか。私が殺したアレ、先生自身じゃないよ。本物の先生は三日前に亡くなっている」
「死因はこの館を維持する為に魔力を使い過ぎた事による魔力切れ。二日間何もしなくても魔術が発動し続ける位の魔力を持ってたのに、馬鹿な事をしたものね」
「アレは私が作った人形だよ。先生の形をして、先生の声で喋って、先生と同じような思考回路を持った、人形」
「気が付かなかったかしら? あの先生が、私達に敬語を使わなかったことに。先生はいつでも、私達に対して敬語だったでしょう?」
「昔、やめさせようとしたこともあったけどね。あの失敗は紫音のせいだね」
「それはもういいでしょ。それにもう一つ、先生が他人、ましてや信用していない人間に仕事をやらせるか? 答えは否。何でも自分でやる人だった」
「つまるところ」
「「気が付かなかった貴方達はお馬鹿さんってこと」」
声を揃えて、満面の笑みで聴衆を愚弄した。その後で思い出したように、
「樹里ちゃんは仕方ないわね。先生のことを知らないんだもの」
と弁解がましいことを言った。何の為の弁解かは大いに疑問だが。弁解するのは普通逆じゃないのか。
「さて、一応聞いておこうかしら。ねえ、動機は?」
「うーん、強いて言うなら皆の為、敢えてちょっと違う感じに仕上げたり、事件らしいものを起こしたのは紫音の為。でも、やっぱり全体としてはボク自身の為かな」
樹里はもう訳が分からなかった。他の客らも頭の悪い人達ではないだろうが、それでも理解出来ない様だった。
「あれ? まだ分からないかしら。仕方ないわね……。何が分からない?」
「その、どうやって総角さんが賢木さん……の人形……を壊したのか、という所が分かりません」
意識的に、殺したではなく壊したと言った。それに気が付いたかどうか、紫音は単純に答えた。
「だって、アレも総角明菜だもの」
その一言で理解した。紫音はその顔を見て片頬を釣り上げた。場合によっては邪悪さすらある笑い方だが、目は優しかった。
「分かったみたいね。じゃ、助手として最初の仕事よ。まだ分からない人達に説明してあげなさい」
何と紫音は説明役を放棄し、本来の自らの席、十字の位置に座った。
代わりに樹里は立ち上がった。
「まず、前提として、総角さんは現場となった部屋に入ることは出来ません。入ると、体が爆発します。総角さんの魔力に反応して発動する魔術だそうです。入れるようになったのは紫音さんが部屋を調べている間、花散里さんが戻って行かれた五分程後です」
樹里は一口水を飲んだ。緊張で喉がカラカラだった。
「その時まで、亡くなられた本物の賢木さんの残した魔術は効果があったのです。廊下の迷路が無くなった事で魔術の効果が無くなったと判断した総角さんは、まず紫音さんのそばへ行きました。さっきまで私は紫音さんの邪魔をしに行ったのだと思っていましたが、それは違いました。総角さんは、偽物の遺留品である髪の毛を置きに行ったのです」
樹里はまた水を飲んだ。その間に帚木が質問した。
「では、車椅子の方はどうやって? 部屋に入れなければ書けないだろう? まさか探偵さんの目を盗んで書けたという訳でもあるまい」
「簡単なことです。誰が元々部屋にあったと言いましたか?」
「え? どういうこと? ちょっと分からないんですけど」
紅葉賀が口を出してきた。樹里はちょっと呆れた。この人はちょっと馬鹿なのかと思ったのである。この場で意味が通じてないのは彼女だけなのだ。
勿論樹里はそれを面に出さずに話を続ける。
「つまり、部屋の外にあったものに魔術陣を記入した上で、部屋の奥に放り込んだんです。きちんと置く必要はないんです。だって後で部屋中吹き飛ばしますから」
紅葉賀はようやく分かったという表情で何度も頷いた。
「そして皆さんが気になる爆破の方法ですが、これはもっと簡単です。総角さんの体は総角さんが作った人形です。その総角さんが入ったら爆発するんですから、総角さんの魔力、即ち生命力で動いている他の人形が入っても、同じように爆発するのは、当然ですよね?」
そこまで言って、樹里は再び席に着いた。
「では、天井の文字は?」
花散里が質問した。これには紫音が答えた。
「あれはちょっとした暗号よ。あまりにも簡単で、別に解くための鍵なんか必要ない。『わたし』は先生、『彼』は総角、『ダビデの家』はこの邸。それだけ言えば後は分かるわね? 総角が部屋に入れなかったせいで消すことも、見ることすらも出来なかった先生の遺言よ。難しく考えちゃった人は、まあ、残念としか言いようがないわね。他に何かある?」
誰も何も言わず、気まずい沈黙が部屋を漂った。
「じゃあ、これで私の話はおしまいよ。貴方達には悪いけど、コイツが人騒がせだった、というのが真相ね」
「じゃあ、出来る限り早く帰った方がいいと思うよ。入り口のドアを開けられるのは私だけだしね。開いてるうちに帰りなよ」
紫音が身も蓋もないことを言い、明菜は聴衆に帰宅を促す。樹里は忘れ物がないか確認した。
「それで、明菜。貴女はこれからどうするつもり?」
他の全員がそそくさと帰った後で、紫音は尋ねた。
「さぁ、どうしようかな……何も考えてないや」
「そう。じゃあ、私達も帰るわ」
「うん、元気でね」
明菜は玄関まで見送りに来た。彼女はここに留まるらしい。
「ありがとうございました」
「ふふ、ここでお礼を言うとは、変わってるね」
何だか前にも紫音に言われた事があった気がする。少し懐かしい気がした。
紫音の車は静かに元来た道を辿って行く。
少しだけ名残惜しさを感じて振り返ると、そこにはもう、何も見えなかった。
紫色の研究 竜山藍音 @Aoto_dazai036
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