休憩編

「──樹里ちゃん、ひょっとして……魔術、知らない?」

「いや、小説の中では見たことありますけど」

 当然ながら、現実の問題として魔術なるものに触れた事はなかった。しかし紫音はそれを知っていて当然だと言わんばかりに話題に上げてきた。

「はあ…なるほど、若菜警部あの人らしいなぁ……。仕方ない。本来ならこんな道の真ん中で話すような内容じゃないけど、簡単に説明しよう」

 樹里としては、別に説明してくれなくても良かったのだが、してくれるというのに敢えてそれを断る理由もなかった。

「遥か古代、この世界には神がいた。いやいや、いたんだよ。その頃を神代という。その神代には今では考えられないような神秘や奇跡がありふれていた。魔術もその一つよ。今となっては、人間の身でありながら、神に近付かんとする罪深い学問ね。故に教会勢力とはどうしても仲良くやれないのが欠点だけど、それ以外は素晴らしい学問よ。そしてそれを修めた人達を魔術師と呼ぶ。私も一応その一人でね。地位は低いんだけどさ」

 あまり分かりやすい説明ではなかった。本人に説明する気がないのではないかというレベルで意味が分からない。

「魔術師は世界中にいるけど、この日本には主立った魔術師の家系が五十四家ある。そのうちの四十五番目が私の橋姫家、そして

「────」

 絶句する。そんなこと、考えたことも無かった。自分の家が魔術師の家系だったなど、知る由もない。いや、紫音の口振りからすれば、親は魔術師のはずだ。それを樹里には伝えていなかっただけで。

(そんなこと、始めて聞いた。父さんがよく部屋に篭って何かをしているのは知っていたけど、まさか──)

「そんなに驚く事かしら? やっぱり初耳だったら驚くか。樹里ちゃんのお父様は、階位三十四位の魔術師なのよ。そして私が階位四十五位。とはいえ、階位は生まれで決まっちゃうから、魔術の腕とはあんまり関係ないけどね。来週行くお屋敷の賢木さんは十番目よ。でも、あの人はきっと、樹里ちゃんに伝える気はなかったんでしょうね」

「そんな、そんなこと、いきなり言われても、私、どうしたらいいんですか?」

 昨日や今朝は緊張してテンパっていたようだが、これはそれとは全く別の取り乱しだ。樹里の境遇に紫音は少し同情する。

(警部殿は「神秘は秘匿すべきだ」ってしょっちゅう言ってたけど、その結果がこれじゃあねえ……。もっとも、一生知らない方が幸せだったかも知れないけどさ、こんなこと)

「どうする必要もないわよ。貴女は自分が魔術師家系の一人だと理解していればそれでいいの。別にその家系にいるからといって、魔術師にならなければいけない理由はない。今まで魔術師の家系として幾代も続いていたとしても、そんなことは関係ないもの。ただ、魔術師になるという選択肢も存在する、というだけの話よ」

 魔術師だって、別に悪い人って訳じゃないしね、と紫音はウィンクする。相変わらずウィンクがよく似合う。

「そう……ですか。少しですけど、安心したような気がします」

 何故だか、紫音の話を聞いていると安心出来る気がする。理由は樹里には全く分からないが、取り敢えず魔術というものが何なのかは理解した。

「私はさ、魔術師でありながらも、表向きには探偵だからね。魔術の関わる事件を解決するのが本来の専門なのよ。警察にも若菜警部みたいな魔術師は少しはいるだろうけど、表立って活動は出来ないからね。だから私が手伝うってわけ。まあ、そもそもここの警察って基本的に馬鹿しかいないから、他の事件にもしょっちゅう呼ばれるけどもね」

 苦笑いしながら話す紫音を見つめながら、ふとあることに樹里は気が付いた。魔術師であることを隠す必要があるなら、魔術の話を歩きながらするのはマズいのではなかろうか、と。

「その、魔術についてこんなところで話して大丈夫なんですか……?」

「大丈夫なのよ。私の場合はね。機密情報とかも扱うことがあるから、その辺には気を遣ってるの」

 どのように気を遣っているのかさっぱり分からなかったが、大丈夫と言うなら大丈夫なのだろう、などと益体もないことを考えているうちに、事務所ビルが見えるところまで帰って来ていた。

「さて、戻ったらまずは若菜警部に連絡して、今回はおしまい。あ、そう言えば樹里ちゃん、冬休みっていつから?」

 あまりに唐突に話が変わって面食らう。そもそも、そう言えばも何も、そこに繋がるようなことは誰も何も言っていない。

「次の土曜日からですね。それがどうかしましたか?」

 頭の中でツッコミつつ、表面上は何も思っていないかのように答えた。

「昨日言ったじゃない。来週出掛けるのに着いてきて欲しいって。でも学校があったら難しいでしょ?」

「はぁ、なるほど。問題なく行けますよ。一応父に確認をとる必要はあるとは思いますけど」

「あの人に話は付けてあるのよ。昨日の時点でね。問題は、それに際して出された条件でね。それが今日の仕事だったってわけ」

 突然の仕事の意味を始めて理解した。同時に、普段の父の仕事を垣間見たようで、何とも言えない感動が僅かにこみ上がってきた。

「いつもあんな仕事してるんですね……」

「誰が?」

「父です。仕事の話とか、滅多に聞きませんから」

「ふぅん。私は、樹里ちゃんの家のこととか色々知ってるけど」

 これには樹里も驚愕を禁じ得なかった。出会って二日目だというのに色々知ってると言える程調べたのだろうか。

「いやいや、いくら私でも一晩でそこまでは調べられないわよ。昔警部からちょっと聞いたのと、そこから少し調べたくらいよ」

「結局調べたんですね……」

「うん、それが私の本業だからね」

 悪びれもせず頷く紫音に、却って毒気を抜かれた樹里は、それ以降何も言わなかった。


 事務所に戻るなり、紫音は電話をかけ始めた。無論相手は若菜警部である。

「橋姫です。はい。勿論無事に。じゃあ正式にウチで雇って構いませんね? はい、ありがとうございます。それでは、失礼します」

 互いに端的に要件だけを話すのみで通話は終わった。通話中は壁に向かっていたが、終わるなりくるりと音が聞こえそうな勢いで樹里の方に向き直って微笑んだ。

「じゃあ、改めて。橋姫探偵事務所にようこそ。歓迎するよ、若菜樹里ちゃん」

 改まった挨拶に思わず樹里も破顔する。

「はい、よろしくお願いします。ところで、住み込みになると聞きましたけど……どこに住むんですか?」

「上」

 当然の疑問に対し、簡潔な返答。あまりにも呆気なさすぎて、答えの意味が理解出来なかった。

「上?」

 思わずオウム返しになる。

「うん、このビルの三階。そこが私の家よ。そもそもこのビル、土地ごと丸々私のものだからね」

 流石に樹里も驚愕を禁じ得なかった。

「えぇ!? と、土地ごとですか……。てっきり借りてるのだとばかり……」

「借りるの面倒くさいから、全部買ったのよ。お金には困らないし」

「スケールが違い過ぎる……」

「長期的に見ればこっちの方がお得よ。さて、と――」

 樹里の反応に一通り満足したのか、ニコニコと笑ったまま、床を二回、パンパンと踏み鳴らした

 途端、何も無かったはずの壁に、エレベーターが出現した。魔術によって隠していたのだ。既に説明を受けていたので、それには特に驚かなかった。

「早速行こうか。荷物とか、色々用意しなきゃいけないしさ」

「はい。えっと、荷物というか、着替えとか全部持ってきた方がいい……ですよね」

「ん? まあそりゃそうよね。住むわけだからね。なんなら、私が買ってあげてもいいけど」

「い、いえ、持ってきます。大丈夫です」

 そこまで世話になる訳にはいくまいと、慌てて首を振る。

「そ、じゃあ持って来て貰うわ。学校にはここから通えると思うから、大丈夫よね?」

「はい、幸い乗り換えとか、ありませんから」

「うん、私の記憶通り。まあ、高々三年間で忘れてたら話にならないわね」

 樹里からすれば謎の言葉を呟きながら、エレベーターに乗り込む。

「じゃあ、取り敢えず上行こうか」

「はい、どんな部屋か気になりますし」

「あはは、あんまり期待しないでね」

 それは無茶だ、と思いながら樹里もまたエレベーターに乗り込んだ。


 果たして三階はとても綺麗な部屋だった。無論広さは二階の事務所と変わらない。だが、殺風景で硬い空気が漂っていた二階と違い、ここは甘く柔らかい空気に満たされている。おしゃれな小物があちこちに置かれ、簡素ながらも『女の子の部屋』を見事に演出していた。

「わぁ、可愛いお部屋ですね」

「そう? それは嬉しいわ」

 互いに破顔する。

「このフロアには、お風呂とキッチン、そして寝るスペースしかないけど…」

「凄く実用的ですね、それだけ聞くと」

「普段は二階にいるからね。事務所にもキッチンあるし、夜しか使わないのよ。だから好きに使って頂戴」

「はあ、わかりました。洋服とか持ってきたら、どこに仕舞えばいいんですか?」

「その箪笥の下二つは空いてるから、そこを使っていいわ。クローゼットも自由に使ってね」

「はい、ありがとうございます」

「じゃあ、折角だから地下室に行きましょう」

 何がじゃあなのか、何が折角なのかサッパリ樹里には分からなかったが、行こうと言うのを断るようなことはしなかった。何しろ右も左も分からないし、教えて貰えるならそれに越したことはないからだ。

「ちょっと待ってね」

 エレベーターに再び乗り込んだところで、紫音はボタン下の蓋を指でコツンと小突いた。すると、カチャと子気味良い音がして蓋が開く。

「普段は隠してるのよ。私の魔術拠点だからね」

「魔術拠点……ですか」

「そう、探偵としての拠点は二階だけど、魔術師としての私の拠点は地下室なのよ」

「なるほど……一般人の目を避けるには絶好の場所ですね」

「そういうこと。賢いわね。飲み込みが早いというか、順応が早いというか」

「そんなことないですよ。普通です、普通」

「普通に優秀ってことね、ふふ」

 何がおかしいのか一人で笑い出してしまった辺りで、エレベーターが止まった。

 地下室は、事務所よりも殺風景な部屋だった。空の倉庫のようにも見える。

 と、紫音がエレベーターから降り、コツ、と足音を一つ立てた途端、部屋の中身が一変した。

 殺風景さはどこかへ消え、様々なものが出現する。何やら薬品のようなものが乗せられた机。どう見ても普通のグランドピアノにヴァイオリン。樹里が見ても何なのか分からない物が詰まった棚。明らかにさっきより部屋の面積は広くなったにも関わらず、むしろ狭くなった印象を覚えた。

「えっと……これがその魔術拠点ってとこですか?」

「そうよ。ちょっと散らかってるけど、まあそれは勘弁して欲しいわ」

「見るからにただのピアノがあるんですけど……」

 樹里は未だにエレベーターから降りていない。エレベーター内からおずおずと部屋の中を見回している。

「うん? ああ、これね。うん、ただのピアノとヴァイオリンよ。魔術に使わないこともないからね」

「使うんですか……ピアノ」

「うん、そんなことより、奥へおいでなさいな」

「奥、ですか?」

 それ以上奥には何もないと思われたが、どうやらそうでもないらしい。

「ほら早く早く」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」

 慌てて追う。紫音はその間も奥(即ち壁)に向かって歩いていく。

 奥、というのはなんの比喩でもなく、文字通り壁の奥だった。というか、壁があるように見えたところには何も無かった。触れればそのまま突き抜けて向こう側に出る。その最奥の床には、漫画か何かで見る、大きな魔法陣が描かれていた。

「見ての通り私特製の魔法陣があるんだけど、それを使って樹里ちゃんの荷物をここへ召喚びたいと思うの」

「え?って言うか荷物も何も、一切支度されてませんけど……」

「大丈夫よ。きちんと鞄とかに入った状態で出てくると思うから」

 多分ね、とウィンクして魔法陣の前に立つ。

(いくらウィンクが似合うからと言って、このタイミングでそれは駄目でしょ……)

 多分ね、ではない。上手くいく保証がないならやめて欲しいくらいだ。

「心配しないで大丈夫よ」

 そう言って魔法陣に向けて手をかざすと、魔法陣から目が眩む程眩い光が放たれた。思わず目を瞑る。

「……無事に出来たみたいね。うん、良し」

 樹里が再び目を開けた時には、既に魔術は完了していた。結果として、魔法陣の中央には樹里が旅行などの際に使用する大きな鞄と、学校で使う鞄、その他にも教科書類及び趣味の本を仕舞った本棚が佇んでいた。

「すごい……」

 小学生のような感想しか出て来ない。そのくらい目の前で起こったことが信じられなかった。

「ここにあっても仕方ないから、三階に送っちゃおうか」

 そう呟きながら紫音が指を鳴らすと、荷物の類は現れた時と同じように一瞬で消えた。

「と、まあこんな感じ。これが魔術の技よ」

「すごいです!私にも出来ますか!?」

 本来の目的を忘れて目を輝かせる樹里。だが紫音も別に気に留めた様子もなく頷く。

「出来るようにはなるわ。今の時点じゃ難しいでしょうけど、訓練すればそのうちね。それまでなら、私が教えてあげることは出来るわ」

「! 是非、お願いします!」

「いいけど、魔術の弟子であると同時に探偵助手であることも忘れないでね」

「あ、はい。すみません」

「謝ることはないわ。ともかく、明日から色々みっちり教え込むから、覚悟しといてね」

「はい、お願いします!」

 元気よく応える樹里と、それを見て柔らかな笑みを浮かべる紫音。ただそれだけを見ると、普通の女子高生同士の会話の様だった。

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