第17話 行方を探しに
助祭長が捕まって半月、僕はまだお城にいた。
あの助祭長、経歴がほぼ予想通りだった。地方の貧しい農村のに生まれて、初等学校へ行ったときに魔力があるのが分かったんだとか。それで近くの魔導師養成学院へ送られ、ずっと勉強してたっていう。
ただ僕が指摘した通り、魔導師として独立するほどの力はなかった。なので転進して神学校へ行き、そこからアカデミーに進んだんだそうだ。
――何が不満だったんだろう?
彼が言うには、僕みたいなのが魔導師をやってることそのものが、憎らしかったんだとか。でも僕に言わせれば、学院にさえ「もう教えることがない」と追い出されてあんな師匠のところで見習い生活をするより、ずっとマシじゃないかと思う。というか、僕の代わりにあの生活をやらせてあげたい。
ともかくそんなふうに考えてた助祭長は、ある日「救いを求めて」神殿に来たという、他国の人に会った。そして話を聞いているうち、この国を変えたほうがいい、と思ったんだとか。それからは神の教えを自己流に解釈しては、領主様なんかに吹き込んで、国が自分の思い通りになるようにしてたらしい。
ホントに神職の風上にも置けない。まぁもう、失職したからいいけど。
ついでに言うとあの助祭長、かなりの小心者だった。自分の悪事がバレたと知るや、洗いざらい何もかも喋って、画策してた連中は一網打尽。もちろん会計役もその中にいた。
あと例の噂は、流したのは会計役だったらしい。僕が自分たちの仲間になろうとしないから、城から追い出すために言ったんだとか。
――馬鹿め。
僕みたいに清廉潔白な人間が、そんな悪事に引っ掛かるわけがないのに。
ともあれ悪事を企んでたヤツらは成敗された。いい気味だ。
ただ同時に、問題も出た。文官がごっそりいなくなったので、その辺の仕事が回らなくなってしまったのだ。
「特に困っているのが、お金の管理でして」
そう言ってたのは渋騎士だ。
今頃知ったけど、あの人、領主からいちばん信頼されてる人だったらしい。むしろあの会計係のほうが、外様だったんだとか。
でもまぁ、そうだろうとも思った。
ああいう混み入った帳簿の計算を教えてくれるのは、実はアカデミーだ。信者からの寄付金をちゃんと計算して、それぞれの教区に分配――と言いつつ取ってく方が多い――したり神殿の運営をするのに、必要だからだ。
だからどこでも会計係が必要になると、神殿の誰かを派遣してもらうか、アカデミーを出た人を雇ってる。
それが居なくなったってことは、複雑な計算のできる人がお城にいなくなったってことだ。ついでに神殿も今回あの有様だから、誰か寄越してもらうこともできない。
で、白羽の矢が立ったのが僕だった。
なにしろ自慢じゃないけど、僕はアカデミーを出てる。だからこういう複雑な計算も、もちろん教わってる。
日頃の行いの良さが、こういうところで出るんだ。この辺が分かってないあの助祭は、ホントに何を学んだんだろう?
そんなわけで領主立ち会いのもとで、僕は帳簿を付けてた。
いいことだ。師匠のところに帰るのは、一日でも遅い方がいい。魔法の技術は盗みたいけど、コキ使われるのはゴメンだ。だから少しでも長くお城にいて、師匠が困ったくらいに帰って恩を売るくらいが絶対いい。
その意味じゃ、騒ぎを起こしてくれた助祭長に感謝だ。
「なるほど、帳簿というのはそう付けてゆくのか」
領主さまが感心したように、僕の手元を覗いてる。
「面白いもんだ」
「面白いですか?」
意外だ。こういうのは圧倒的に嫌いな人が多いのに。実際アカデミーでも、この授業は嫌う人が多かった。
でもここの領主様、そうじゃないみたいだ。
「子供のころは、よく会計係の部屋へ入れてもらって、見ておったよ」
「そうなんですか……」
ますます意外だ。こういう数字の羅列、嫌いな人だと思ってたのに。
「数字が次々変わるのが面白くて、簡単なところはやらせてもらったからの。ただそれ以上は習わなかったゆえ、難しいことは分からんのよ」
「確かに正式なものは、アカデミーでしか教えませんからね」
簡単な足したり引いたり掛けたりは、けっこう教えるところはある。ましてや領主様だったら、子供のころに家庭教師から、そのくらいは習ってるだろう。
ただ、そこまでだ。それ以上の学問は、どれもアカデミーの専売特許だった。
――習わせてあげればいいのに。
学問の道は万人に開かれている、聖典にはそう書かれてるくらいだ。だから貧乏でも領主でも本来は関係ない。
でもこの人は、ちょっと事情が違ったらしい。
「アカデミーは行きたかったんだが……ちょうど父が亡くなって、後を継いでしまってのぉ」
「なるほど……」
確かにそれじゃ、行きたくても行けないだろう。少しだけ気の毒だ。
「ここは、どうなる?」
「あ、これですか? こちらの品目を買ったことになるので、ここに金額を書いて……」
きちんと説明する。昔やってみたかったっていう領主様に気に入ってもらえれば、僕はきっとお城に簡単に出入りできるようになる。そう思えばお安い御用だ。
「ほうほう……」
そうやっていたら、勢いよく扉が開いた。
「ソロバン手に入ったわよー、ってあら、領主さま」
イサさん、そんなに大きい声で言わなくても聞こえてます。っていうかいきなり開けるのマナー違反です。
でもイサさんはおばさんだから、そんなの当然お構いなしだ。
「領主さま、こんなとこでどうなさったんです? そこのボウヤが何か不正でもしました?」
「してませんってば!」
ホントに油断も隙もない。おばさんたちの言いなりになってたら、僕が極悪犯になってしまう。冗談じゃない。そんなことになったらお城に居られなくなって、姫さまからも嫌われちゃうじゃないか。
けど僕のそんな苦悩を、イサさんは気にも留めなかった。
「なんだ、してないの。つまんない」
「つまんないって言われても。それより、何が手に入ったんですか?」
僕が凶悪犯にされないうちに、急いで話題を逸らす。
案の定、イサさんが引っ掛かった。
「あぁこれ? ソロバン」
そう言って僕に、木枠の中に動く珠が嵌ったものを振ってみせる。シャカシャカと小気味いい音がした。
「これ、どうするんです?」
「計算するの」
「計算って……イサさん、これの計算できるんですか? 難しいですよ?」
言ってから、しまったと思った。イサさんが一番高い山の上の雪みたいに冷たい目で、僕を見てる。
「失礼ね、出来るわよ。っていうか、こないだ手伝ったでしょ」
そういえばそうだった。最初は数字が読めなくて書いてあげたけど、そのあとなにやら自分で対応表作って、ごちゃごちゃやってたっけ。
――めちゃめちゃ遅かったけど。
なんだかシンホーが違うとか言って、イサさんやたら手こずってた。だから出来ないんだと思ってたのに。
「まったく、ここったらダース計算なんだもの、面倒でしょうがないったら。だから、これ作ってもらったの」
そう言ってイサさんはまた、シャカシャカと手にした物を振った。
「どうやって使うんです?」
「こうするの」
イサさんが木枠を傾けて全部の玉を片方に寄せ、そのまま机の上に置いた。そして数字を見ながら、玉を動かし始める。
「あー、なるほど」
要は計算板だ。僕らが使ってるのは板に線を引いて、その上に平たくて丸い石を置いていくやつだけど、それに近い。
「こうしてこうして、ここでジュウイチだから、次は繰り上がって……」
イサさんがそう言いながら最初の軸の玉を全部下げて、隣の軸の玉をひとつ上げる。
――すごい。
計算板と違って玉がどこかへ行ったりしないし、隣の線の上へ石を動かす手間もない。これならかなりの速度で、計算できるはずだ。
「便利ですね」
「便利よー。あたしの国だともうちょっと改良されたのがあるけど、ここシンホー違うから、このほうが楽」
相変わらずこの辺は、何を言ってるか分からない。分からないけど、これを使えば計算が楽なのは確かだ。
本当におばさんというのは侮れない。人を振り回すことしかしないのに、妙な物をたまに作り出す。これで黙っててくれるなら、最高なのに。
けど絶対そんなことは言わない。言ったら僕のヘンな噂を、姫様に吹き込むかもしれない。そんなのはゴメンだ。
イサさんに気付かれないように笑顔を作って、言葉を出す。
「それ、使わせてもらえますか? すごく便利そうなので」
女の人は褒めるに限る。父さんの教えだ。そしてだいたいの場面で、これは成功してる。父さんの教えはいつでも役に立つ。
イサさんの返事も、今回はだいたい父さんの教え通りだった。
「いいけど、あたしのなくなっちゃう。困るんだけど」
「また作ってもらえますよ。僕が頼んでおきます」
女の人は怖いから、必ず代わりの物を差し出せ。父さんはそう言ってた。だから代わりの物をちゃんと出す。
ただ今度は上手くいかなかった。
「また何日も待たされたら、困るんだけど。だいいち頼むのあなたじゃなくて、私でしょ」
どうやらイサさんは、僕に貸す気がないらしい。
困った。僕がこれを使った方がずっと早いのに、そういう合理性が分からないんだろう。
どうしたものかと僕が思案してると、領主が後ろから覗き込んだ。
「面白いな。私も使ってみたいのだが」
「どうぞ」
あっさりとイサさんが、ソロバンなるものを差し出した。ひどい。扱いが僕と違いすぎる。
領主さまが嬉しそうに受け取って、はじき始めた。
「ほうほう、これは楽だの」
「でしょー」
イサさん、友達に話しかけるみたいだ。仮にも相手は領主様なのに。
と、イサさんが僕の手元を覗き込んだ。
「ねぇこれ、麦のことよね?」
イサさん、この頃ここの文字を少し覚えたらしい。だから読んでは子供みたいに訊いてくる。
「そうですね」
麦はしょっちゅう使うせいか、いちばん早く覚えた。
「でさ、こっちは金額の印よね?
「そうですね」
こういう記号も単純だから、イサさんすぐ覚えたらしい。最近はけっこう、区別がついてる。
ただ、次に言われたことは予想外だった。
「ねぇここ、確か麦がどのくらいあるかでしょ? なんで金額なの? この国、重さで書かないの?」
「えっ……!」
言われて驚いて、手元の書類を見る。確かに重量じゃなく、金額になってた。というか今、そう訊かれて教えた。
イサさんが不思議そうに言う。
「麦って値段が上がり下がりするんじゃなかったの? だったら金額、決まらないと思うんだけど」
「ええ、だからふつうは重量で書くんですが……」
どう考えてもおかしい。
「麦がどうかしたのか?」
不穏なものを察したんだろう、話に首を突っ込んできた領主さまに、僕は説明した。
「なんと……それは大変なことだ。おかしすぎる」
それですぐ城の倉庫が検められて――大変なことが発覚した。
麦が足らなかったのだ。
その年にどのくらい麦が取れて納められたかは、あたりまえだけど記録されてる。そしてどのくらい持ち出したかも記録されてる。
けどその記録が途中から、金額になってた。
「金額はあってるわけ?」
「麦が上がりましたからね。でも本当だったら、もっと量があるはずです」
つまり誰かが、差額の分をちょろまかしてる。
もっともこんなことが出来る人間は、ものすごく限られてる。というか、会計係くらいだ。
――幸い捕まってるけど。
そういう意味じゃこれ以上、ちょろまかされることはないだろう。神学を学んでるくせに、悪事なんか考えるからだ。僕みたいに神の教えに従って清廉潔白に生きてれば、何の問題もないのに。
あとの問題は、その麦かお金が、どこへ行ったかだった。
「着服かなぁ?」
「それがいちばんありそうだの。信頼しておったのに」
そう言ったのは領主だ。
領主、この間の騒ぎで、すっかり神殿というか神職を信じなくなったらしい。
「どこへ持ち出したか、調べれば分かるんですか?」
「ふだんと違う者が出入りしてれば分かるが……。ただそういう者がいれば分かるゆえ、正規の業者に売ったとしか思えん」
こうなるとお手上げだ。あとは会計係の財産を差し押さえるくらいしかない。
すぐに騎士団が会計係の館へ向かった。
でも夜になって戻ってきた騎士団長は、ため息をつきながら言った。
「館はほぼ空っぽでした」
言うにはふだんからある家具や日用品だけで、それこそ石畳まで剥がして調べたけど、何も出てこなかったそうだ。
「とっくにどこかへ隠したとか?」
僕が言うと、イサさんも頷いて続けた。
「神殿とかに、持ってっちゃったとかないの? ほら、助祭長の件もあったし」
「ありえますけど……神殿はさすがに、立ち入って調べられないですから」
神殿は昔から、王や領主からは独立だ。「神が人に指図されることは、あってはならない」、そう聖典に書いてある。実際こうじゃないと、王や領主が暴走するのを止められない。
まぁ各地の魔法学院じゃ、その神殿が暴走したときに止めるところがないのは問題なんじゃないかって、言われてたりもするけど……。
ともかく何かがすごくキナ臭いのに、何も手がかりがない。
その状況を打破したのは意外にも、姫様が持ってきた話だった。
「イサさん、いらっしゃいますか?」
そう言って僕らのところへ来た姫様――なんでイサさんなのかはすごく解せない――は、気になったと言って話し出した。
「厨房の、ミセス・ペーデルからなのですけど……」
姫さまが言うには厨房おばさん、早々に例の「麦で払う」件で、出身の村に手紙を出したらしい。
「ところが返ってきたのは、『今年は十分あるから大丈夫』との話だったそうで……」
おかしな話だ。あの山の奥の方は貧しくて、しょっちゅう餓死者が出るっていうのは僕でも知ってる。なのにそこで、大丈夫だなんて。
「そんなに麦、取れるもんなの? 確かに今年は豊作って聞いたけど」
「私も不思議に思ってミセス・ペーデルに訊いたのですけど、彼女は『あり得ない』と……」
僕らは顔を見合わせた。
出身者が断言するくらい、麦の取れない貧しい村。なのに足りているという謎。
そして。
「お城の消えた麦、まさか……」
「うむ、あり得るな。神殿に他国の者が来ていたとも言うし」
領主もうなずいた。
この領主、そんなに頭が悪いわけじゃなかったらしい。ただ助祭長はじめ神殿側に「この領地は信心が足りない、このままだと災厄が降りかかる」と言われて、恐くなったのだとか。
そんな見え透いた口車に乗るの、やめればいいのに。
神殿の預言は、当たらないので有名だ。その辺は魔法学院での研究テーマにもなるくらいで、あてずっぽうに言ったのと同じくらいしか当たらないと、証明されてる。
ただこの情報を神殿が広めることはないから、一般の人はまったく知らない。しかも世間じゃ神殿の方が信頼されてるから、魔法学院が言っても無駄だったりする。
――どうぞ神様、神殿の連中に天罰をお与えください。
神殿に天罰が下らないなんて、絶対に不公平だ。
「お父様、どなたかに確かめに行って頂いた方がいいのでは?」
「そうだの……おお、そうだ!」
素晴らしいことを思いついた、領主さまのそんな顔。
そして嫌な予感。
「そこな魔導師殿、頼まれてくれぬか? コトは秘密に運ばねばならぬから、騎士団を派遣するわけにも行かんのでな。その点魔導師なら、諸国を旅するのは普通ゆえ、疑われずに済む」
「そりゃそうですけど……」
魔導師はよく、研究のために辺境の方まで行く。魔力の高い地が、秘境に多いからだ。
でも僕は町に住む都会的なタイプで、そういう辺境には……。
「魔導師さん、私からもお願いいたします」
「喜んで!」
姫様に頼まれた瞬間、僕は即答した。姫様の頼みを一瞬でも迷うなんてありえない。即断即決で受けて当たり前だ。
「ゲンキンねー」
「何言ってるんですか、国の一大事なんですよ!」
力説する僕を、イサさんはにやにやしながら見てる。なんでだ。
ただここで、話は思わぬ方向へ転がった。
「魔導師さん、ありがとうございます。――イサさん、あなたも頼まれていただけませんか?」
「へ? あたし?」
さしものイサさんが、キョトンとした顔になる。姫様すごい、姫様偉い! おばさんを打ち負かすなんて、さすが姫様だ!
イサさんが口を開いた。
「買い被ってくれるのありがたいけど、あたし何にもできないわよ? 字も読めないんだから」
「でも、イサさんには知恵がお有りですわ」
「知恵ねぇ……?」
姫様の言い分には、僕も僭越ながら疑いを持つしかない。でも姫様の願いを、断る方がありえない。
「イサさん、姫様の頼みです、行きましょう! 僕が手伝いますから」
「そぉ? 雑用やってくれる?」
「はい!」
勢いよく答えてから、しまったと思った。僕は今、悪魔と契約しなかっただろうか?
イサさんが姫様に向き直る。
「そしたら、私も行きます。ただ誰か、護衛は付けていただけませんか? 私と彼だけじゃ不用心なので」
「もちろんですわ。――ねぇ、父上」
姫様の花のような笑顔に、領主様がにこにこと頷いた。
「騎士団から誰か選んで、護衛に付けさせよう。馬なり馬車なりも用意するぞ。もちろん、報酬も払う」
「ホントですか? 報酬があるならこのスタニフ、命に代えても!」
こうして、僕らの派遣が決まった。
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