第16話 神のみぞ知る

「ですから神は――」

 半月ほど過ぎたある日、僕はまたお茶会の席にいた。ただし今日は、ちょっとだけメンバーが違う。

「では神は、私たちの過ちをお許しくださいませんの?」

「いえ、そんなことはありません。聖典には、次のように書かれています」

 説法してるのは、例の寄進を募ってる神殿から来た、助祭長だ。

 ――来ないほうがいいのに。

 ミセス・メルバリとミセス・ペーデルは、おばさんの中でもいちばん怖い部類だった。なんと寄進のことを聞きたいと、こともあろうに神殿に遣いをやったのだ。しかも寄進の案を出したのが助祭長だってことを、あの手この手であっと言う間に調べあげてしまった。

 それにしてもこの助祭長、本当に神職の風上にも置けない。聖典をちゃんと覚えられないなんて、アカデミーに入りなおして、一からやり直すべきだ。

 憤慨する僕に、「お茶会に招いて話を聞こう」と提案したのは、イサさんだった。

「その人、例の夜会にいた? なら、思い当たるんだけど」

 そう前置いて言うには、夜会の席で自分たちを睨みつけてる、おかしな中年オヤジがいたんだって言う。そしてイサさんが言う特徴というか服装――おばさんって種族なのにちゃんと覚えてた――をみんなで聞いたら、神職のものだった。イサさんはこっちの世界の神職を見たことないから、わからなかったらしい。

 さらにこれを聞いた姫さまが、「そういえばお父様が意見を変える前に、神殿へ行ってきた」と言いだし、他のご婦人がたまで「うちの主人も」と言いだして、大騒ぎになった。

 そんなわけでその助祭長をお茶会に招く話にみんなが賛成して、今に至ってる。

「そういえば助祭長様、お教え願いたいことがあるのですけれど」

 姫さまが思い出したふうに言った。

「何なりと。神の名においてお答えします」

 聖典を片手にそう答える助祭長は、歳は四十そこそこ。髪は金茶で目はダークグリーン。神職特有の帽子をかぶってるから、頭のてっぺんが薄いかどうかはよくわからない。

 姫さまが尋ねる。

「父が、麦の刈り入れ時なのに、畑の中の橋より神殿近くの橋の修繕を優先すると。助祭長様はどうお考えになりますか?」

「聖典の中には、『神との対話、神への仕事を常に優先せよ』とあります。ですから、理に叶っているかと」

 聞いてて、やっぱり腹が立ってきた。僕も聖典は知ってるけど、そんなこと書いてない。だから言う。

「助祭長、それ、聖典は聖典でも神官用の『神と、神に仕えるものとの契約』の、第一章第二項第五節ですよね? 一般信徒用の『神と、神に従うものの契約』には、第一章第四項第三節に『神と常に対話せよ』とはありますが、神への仕事については第一章第五項第九節に、『日々の仕事が神への仕事であることを、日々忘れぬようにせよ』とだけあったはずです」

 なぜか部屋が静まり返った。

 僕は構わず続ける。

「それからいま言った『神と、神に仕えるものとの契約』には、第五章第一項第三節に、『神に仕えるものが、従うものたちの仕事に細かく口を出してはならない。出してよいのは、そのものが道を踏み外すときだけである』と規定されていたはずですけど。そして道を踏み外すというのは、その選んだ選択肢によって損害を蒙る者のほうが多いとき、とも定義されていたはずです。この解釈について聖戦はときに意見が分かれますが、今回の橋については利を得るもののほうが多いと思われますので、定義から外れるはずです」

 なぜかみんなが、唖然として僕を見てた。

 ただ、イサさんだけは妙に楽しそうだ。まぁあの人はクイーン・オブ・おばさんなうえに異世界の人だから、こういう聖典が物珍しくてもしかたない。

 さらに続ける。

「以上より助祭長のお考えは、助祭長こそが『道を踏み外した』として報告されるべきたぐいのものです。すぐご訂正を」

「わ、若造が偉そうに何を言う!」

 どういうわけか、助祭長が怒りだした。僕はただ、聖典にあるとおりを言ってるだけなのに。そもそも聖典の内容に対して助祭長が怒ったら、神職失格だ。

「まだアカデミーにも行けないような子供が、私に説教をするのか!」

「アカデミーなら行きましたよ」

 ガチャン、と音がした。誰かがカップを取り落としたらしい。お茶のシミは、落とすのが大変なのに。

 ご婦人の一人が訊いてきた。

「アカデミーは、あなたくらいの年から入るのではなくて?」

「ふつうはそうですね。でも僕は飛び級が多かったんで、十一で入りました」

 アカデミーっていうのは、いちおう最高学府だ。一般の学校の過程を終わった後、神学校も終えて、それから行くことになってる。

「アカデミーって何年行くの?」

 好奇心満々って顔でイサさんが訊いてくる。おばさんって種族はたいていそうだけど、ホントになんでも知りたがる人だ。

 でもそういう好奇心が命取りになるって、父さんは言ってた。だから僕はいつだって、堅実な道を歩んでる。歩んでるはずなのに不幸が向かってくるのが、ちょっと謎だけど。

「アカデミーは通常五年ですよ。あとその上にハイクラスがあって、こっちは二年です。僕は両方終わってますけど」

 バタン、って音がした。今度は助祭長が聖典を取り落としたらしい。大事な聖典を落とすなんて、ホントに神職に向いてない人だ。すぐに辞めればいいのに。

 姫さまが不思議そうに言う。

「でもあなたは、神職ではなくて魔導師でしょう? でしたらなぜアカデミーに?」

 姫さまにしては珍しく、文法が微妙におかしい。でも姫さまにだってそういうことはあるはずだし、疑問自体は持って当然なものだ。だから僕はちゃんと答えた。

「神との契約は魔法の基礎なんです。その辺から始めて世界がきちんと理解できてないと、本当の意味で魔法は使えません。幸い僕は早いうちにそのことに気付けましたから、アカデミーで神学を全部学んで、そのあと魔導師養成専門のセルベル魔法学院に入ったんです」

 正直あのときは失敗したと思った。というのも学院じゃ、同級生が小さい子供ばっかりだったからだ。こんなに小さいころから魔法を学ぶんじゃ、追いつけないんじゃないかと思った。

 でも神学校やアカデミーでも魔法の基礎はやるし、人を癒す魔法なら、魔法の素質がある場合は実践もする。あと、魔法理論の元になる世界の構造をアカデミーできちんと学んでたのが、最終的に大きかった。何とか三年で卒業できたのは、ぜったいにそのおかげだ。

 魔法学校でも聖典は学ぶけど、アカデミーほどにはきちんとやらない。あれが大事なのに。こういう基礎的なことをおろそかにするから、魔法学校に十年以上いるのにロクな魔法が使えない人が多いんだと思う。

 目の前の助祭長みたいに。

「き、きさまみたいな苦労知らずのガキが、なにを偉そうに! 私は苦労してアカデミーに入って――」

「分かりますよ?」

 面倒だから助祭長の言葉をさえぎって、僕は言うべきこと、ただの事実を言った。

「僕も見習いとは言え魔導師ですから、あなたに魔力があること自体は分かります。そのくらいの魔力だと、どこかの学院には行ってますよね? けど、魔導師として独立する程度ではないし、仕官するにも不足でしょうから、アカデミーに入り直して神学の道を選んだ。違いますか?」

 よくあるコースだ。でもいいと思う。素質に左右される魔導師と違って、神職は万人の道だ。地道に学んでそういう堅実な道を選ぶことこそが成功のコツ、って、父さんはいつも言ってた。その意味じゃ魔導師なんていう堅実とは言い難い職を選んでしまった僕は、あんまりいい息子じゃない。どうにも運が向かないのは、そのせいかもしれない。

 そうは言っても、魔法の道を諦めることができないんだから困りものだ。

 姫さまが言った。

「魔導師さんって、天才でしたのね」

 ありがとう姫さま、褒めてくださって! でも残念ながらこの言葉は、すごくよく言われる勘違いだ。だから悲しいけど、本当のことを説明しないといけない。嘘はよくない。

「僕は天才じゃありません。天才っていうのは、学ばなくてもできる人のことですから。僕はこれだけ学んでもまだこの程度、天才というには程遠いです」

 僕も天才だったらいいのに。伝説の魔導師ヴレトブラッドなんか、子供のころから誰にも教わらなくても、大規模な陣を敷いて魔法を使ってたっていう。でもそんなこと、僕にはできそうもない。悔しい。

 ため息をつく僕の前で、助祭長の顔色が青に、そして赤に変わった。

「馬鹿にしおって――!」

 そしていきなり刃物を取り出して、イサさんを人質に取る。

 きゃぁっというご婦人がたの悲鳴に、部屋の扉が勢いよく開けられた。万一に備えて隣室に控えてた騎士たちが、踏み込んでくる。

 でも彼らも、イサさんが捕まったうえ刃物を突き付けられてるのを見て、動きを止めた。

「さぁ、そこを開けろ! でないとこの女を殺すぞ!」

 ――何とかしなきゃ。

 でも魔法はどれも準備がいるし。持ってるのは例の水晶玉だけだし。あとはせいぜい燭台で光ってる蝋燭代わりの魔法の水晶とか……あぁこんなことなら父さんの教え通り、何か準備してくるんだった。でもまさか助祭長がこんな暴力沙汰なんて、想像もしなかったわけで……。

「――あなたってヒマねぇ」

 場違いなくらい冷静な声。見れば人質のはずのイサさんが平然とした顔で、首をめぐらせて助祭長に話しかけてた。

「こんなことしてる間に、魔法の練習でもすればいいじゃない」

 この期に及んで、何言いだすんだこの人は。おばさんの神経がふつうと違うのはよく知られてるけど、この状況で自分に刃物突き付けてる相手に話すなんて、聞いたことがない。

 イサさんの話は続いてた。

「ジョサイだかなんだか知らないけど、ちゃんと役職勤めてればお給料あるんだろうし、そのうえで魔法やるなら、身分安定で万々歳でしょ」

「そ、そういう問題じゃない!」

 助祭長がさらに怒る。まぁ気持ちは分からなくもないけど。

 そのとき視界の隅で、何かが動いた。

「え……」

 助祭長が背にしてるテーブルの上。ひらりと布が舞って、白くて細い足が見えて――細い手が燭台を振り上げた。

「ひ、姫さまっ?!」

 げいん、っていういい音がして、助祭長の頭に燭台がクリーンヒット。さすがに致命傷じゃなかったみたいだけど、ショックで腕の力が緩む。

 瞬間、こんどはイサさんが動いた。

「い、いたたたたたっ!」

 助祭長の悲鳴が上がる。よく見るとイサさんが助祭長の腕に、イサさんが思いっきり噛みついてた。これじゃぁまるで、野生の獣だ。

 とはいえ、あんなに噛まれたら痛いわけで。助祭長が耐えかねて、イサさんを振り払う。

「みなさま、加勢を!」

 透き通った声が響いた瞬間、僕は信じられないものを見た。助祭長に駆け寄ったご婦人がた、お盆やお皿ではたいて殴ってる。

 そしてたまらずしゃがみこんだ助祭長を、今度はドレスの裾をたくし上げて、踏む、蹴る、蹴飛ばす……。挙句の果てにテーブルの上に座ってる姫さまが、そばにあったポットを取って、助祭長にお湯をかけるありさまだ。

「た、たすけてくれぇ……」

 助祭長の哀れな声がしたけど、僕らは誰も動けなかった。目にしたものがあまりにも現実離れしてて、なによりぜったいに信じたくなくて、頭が真っ白になってた。

「そこの男ども、何してんのっ!」

 イサさんの怒声で我に返る。

「荒事は本職でしょっ! 捕まえなさいっ!」

 騎士たちが助祭長に殺到して、彼はめでたくお縄になった。

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