第12話 厨房の魔神たち
「へぇ、こっちは生地に砂糖も入れないのかい」
「うん。でも丸く膨らんでおいしいのよー」
僕らはまた厨房にいた。振るった粉が、水と一緒に鍋の中に入れられる。何やら新作のお菓子らしいけど、僕も食べたことがないから、何ができるのか全く見当がつかなかった。
「で、火にかけて、っと」
鍋が火の上に置かれ、イサさんがかき回す。
「こうしてると、だんだんまとまってくるわけ。で、こんなふうに鍋底に少し張り付くようになったら、火から下ろす」
あの怖いお茶会は、まだちゃんと続いてた。しかも始めたときは「月に一回くらい」って言ってたのに、お茶会が終わるころには「もっと頻繁に」って話になって、けっきょく週に一回ペースだ。そして今日の新作お菓子も、そのお茶会用だ。
「それで冷めたら、卵を少しずつ混ぜるの」
「じゃぁ、待たないとだね」
「うん、じゃないと卵に火が通っちゃう」
鍋がふきんの上に置かれる。
「そういやね」
待つ間、厨房おばさんが思い出したふうに言った。
「このあいだ姫さまが、どういうお菓子に何をどのくらい使うのか、って訊いてきてさ。びっくりしたよ」
「麦が豊作だからじゃない?」
事情を知ってるイサさんが答える。
「あれ、麦が豊作なのかい?」
厨房おばさんが考え込んだ。
「じゃぁ、それの使い道かねぇ」
内心舌を巻く。おばさんといえども厨房を預かってるだけあって、食べ物に関しては頭が回るみたいだ。
「けど、お菓子ねぇ。あれは卵をたくさん使うのが多いから、そんだけの卵が手に入るかどうか。麦だけなら、パンを工夫したほうがいいんじゃないか」
「ウッラ、さすがねー。それ、姫さまに進言しなさいよ」
――ここはどこですか?
僕は厨房にいるはずだ。そしてここの厨房おばさんは、あのお茶会の怖い内容なんて知らないはずだ。なのにどうして、あのお茶会がこんなところまで這い出してるんだろう?
今のうちに阻止しないと、きっととんでもないことになる。けど、どうやって阻止したらいいのか分からない。
「もう冷めたかな?」
イサさんが鍋を覗き込んで、ひとりでうなずいた。
「おっけーおっけー、卵たまご」
言いながら、割ってほぐした卵を、少しずつ鍋に入れていく。
「どのくらい卵を混ぜるかが、けっこう重要でねー。あ、もう少しかな」
少しずつ卵が足されて、生地の色が卵色になっていった。
「こうやってヘラですくって落としたとき、こういうふうに三角に残る硬さがいいの。これ以上柔らかいと膨らまないし、硬すぎてもダメ」
「なるほど、ここがコツだね」
よくわからないけど、生地の硬さがキモみたいだ。ただイサさんや厨房おばさんの作るお菓子は、おばさんなだけあってどれもおいしいから、心配はしてなかった。
「で、これを絞り出し袋……はさすがに無いか。じゃぁスプーンですくって、っと。霧吹きはないから、まぁいっか」
バターを塗った鉄の板の上に、生地が落とされてく。
「あとは二十分くらい焼くだけ。ただ、しっかり膨らんで、割れ目の間にも焼き色がついて、全体が乾いた状態まで行かないと、出した瞬間しぼんじゃう」
「なるほどね。ちょっと気をつけて焼くよ」
「じゃぁあたし、今のうちに中に詰める、クリーム作っちゃうわね」
今度は砂糖と粉が用意されて、振るったあと、ミルクと一緒に鍋に入れられた。
「こっちもこうやって、あとは火加減見ながらかき回すだけ」
厨房おばさんが釜から離れて、イサさんの手元を見に行く。
「へぇ、簡単だね」
「でしょ」
これで釜は釜でちゃんと気にしてるんだから、おばさんって生き物は奇妙だ。どうやったら背中のほうにあるものを、把握できるんだろう?
「で、こんな感じになったら、冷ましてでき上がり。後はこれを、中に詰めるだけ」
「こりゃおいしそうだねぇ」
厨房おばさんの言うとおり甘い匂いがして、たしかにおいしそうだ。
すごくすごくつまみ食いしたい。でもその衝動を、がんばって抑え込む。
食い物の恨みは怖い、父さんはよくそう言ってた。うっかり一口食べたせいで、一生酷い目に遭う話もいっぱい聞いた。そういう目に遭うって分かってるものを、「おばさん」なんて恐ろしい種族からかすめ取ったら、命がいくつあったって足りはしない。
おばさんたちは僕の心の叫びなんてお構いなしに、井戸端会議に花を咲かせてた。
「あぁそうだ、イサ、思い出したんだがね」
厨房おばさんが言う。
「橋の工事の人足に麦を払うって話、ホントかい?」
「本決まりじゃないけど、そういう話は出てると思う」
「なら、相談があるんだよ」
珍しく真剣な顔で、厨房おばさんがイサさんに訊いた。
「実はあたしの出は、山の上のほうでね。寒くてあまり麦が取れないんだ。一年中雪があるくらいだから」
「あー、寒すぎるのね」
僕もそういう話は聞いたことがある。植物はどれも適した場所があって、そこを外れたら上手く育たない。
「寒いだけじゃなく、何せ山の北側だからね。日がそんなに当たらないんだよ」
だとすると厨房おばさんの出身は、領地の南東、マヌグス領との境の山の上だ。たしかにあそこは貧しくて、ちょっと不作だと飢え死にが出る場所だった。
「だからさ、もし給金が麦で出るなら……村の者に知らせようかと思ってねぇ。正直、金をもらう以上にありがたいんだよ」
「なるほど……」
イサさんが考え込む。
少し下を向いて口のあたりに手をつけて考え込んでる様子は、それだけ見たらちょっと可愛い。でも腹の中で何を考えてるのか想像すると、背筋がなんだか寒くなる。
「とりあえずそれ、姫さまに言ってみる。黙ってるよりは、言ったほうがいいだろうから」
「恩に着るよ。っと、どうやら焼けたみたいだ。出すよ」
厨房おばさんが釜を開けると、ころころしたきつね色のものが、たくさん出てきた。
「よかった、しっかり焼けてる。これならしぼまないわ」
「その辺は任しとくれ。ダテに三十年近く、釜の番をしちゃいないよ」
三十年って、僕が生まれる前からじゃないか。だとするとこの厨房おばさん、いったい何歳なんだろう? 恐ろしくて訊けないけど。
「で、この中に、このクリームを詰めてでき上がり」
「詰める? どうやるんだい?」
「ナイフ貸して」
イサさんが小さいナイフを受け取って、上のほうをすぱっと切った。
「焼けたこの皮ね、こういうふうに中が空洞なのよ。ここへ詰めるの」
「分かった、ならあたしもやるよ」
おばさん二人がナイフを手に、すぱすぱ皮を切っていく。ただ何しろ数が多いから、すぐには終わらなかった。
「間に合うかな?」
「いざとなったらイサ、あんたは先にお茶会にお行きよ」
「ありがと、そのときはそうさせてもらうわ」
それを見ながら、僕はただ座るだけだ。つまみ食いはぜったいできないし、かといってここを出るわけにもいかない。レシピをいつイサさんが、書くって言いだすか分からない。そのとき居なかったら、あとで何を言いふらされるか。
それにもし僕がレシピを書きとめれば、そのことが姫さまの耳に入るかもしれない。そうなればもっと、お近づきになれるかもだ。
そんなことをいろいろ考えてる僕の横を、子供が駆け抜けた。
「ミセス・ペーデル、ミセス・メルバリがお越しだぁよ」
くるくると巻いた黒い髪に、茶色の瞳。服装から見て、ここの下働きだろう。
何が起こったのかと、不思議そうにしているイサさんに、僕は説明した。
「たぶん、ここの女中頭が来たんです」
ミセス・ペーデルっていうのは、この厨房おばさんだ。イサさんは礼儀知らずだから平然と「ウッラ」って名前を呼び捨てにしてるけど、ふつうは女性の料理長をそんなふうに呼ばない。「ミセス○○」が一般的だ。
だとするともう一人名前が出たミセス・メルバリが、ここの女中頭だろう。だいたいこの二つが、「ミセス」をつけて呼ぶ役職だ。
けど、そんな人がなんで厨房に来たかは謎だった。なにしろ厨房は料理人の管轄で、身の回りの世話や屋敷のことを預かる使用人が、立ち入る場所じゃない。
怪訝そうな顔で、厨房おばさんが入り口に向かう。
「ミセス・メルバリ、どうなさったんです?」
「姫さまから、頼みごとをされましてね」
「姫さまから? まぁそういうことでしたら、お入りくださいな。仕事中で散らかってますけど」
厨房おばさんがしかたなくって感じで、女中頭を案内した。
入ってきたのは、背が高くて髪も高く結い上げてて、「縦長」って感じの女性だ。ついでに目つきが鋭くて、いっぱいいるおばさんの中でも特に怖いおばさん、って感じだった。
その人が、テーブルの上を一瞥する。
「何ですか、これは」
「新しいお菓子ですよ。そこのイサに教わりましてね」
「おや、では貴女が噂のイサどの?」
縦長おばさんが、イサさんに目を向けた。
怖い。こんな人に睨まれたら、僕はぜったい動けない。なのにイサさん、にっこり笑って挨拶する。
「初めまして。しばらく前からこのお城にやっかいになってる、イサです。姫さまには親しくしていただいて、ありがたい限りです」
ここで一息置いて、イサさんが極上――僕が見た中でもとびっきり――の笑顔を見せた。
「手入れの行きとどいた、いいお城ですね」
この一言で、縦長おばさんの表情が緩む。こんな怖いおばさんを丸めこむなんて、イサさん、おばさんの中の魔神クラスに間違いない。クイーン・オブ・おばさんだ。
「手伝いましょうか」
縦長おばさんがそう言いだして、厨房おばさんが目を丸くする。
「そりゃ、手が欲しいとこですけど、いいんですか?」
「お客様が手伝ってらっしゃるのに、私が座っているわけにもいきませんよ。……これをここに詰めると見ましたが」
ぱちぱちぱち、と手を叩く音がした。見ればイサさんが、心底感心した顔をしてる。
「さすが女中頭さんだわぁ。頭いいのね」
「褒めても何も出ませんよ」
口ではそう言いながらも、縦長おばさん、まんざらでもなさそうだ。そしてスプーンをひとつ受け取って、手際良くクリームを詰め始める。
「ところでミセス・メルバリ、姫さまから頼みごとって、何ですかね?」
緊張が解けた厨房おばさんが、いつもの口調に戻って訊いた。
縦長おばさんが、目はお菓子に向けたまま答える。
「姫さまに、砂糖の価格を訊かれましてね。さすがに正確な価格は分からないと答えたら、出向いて調べてくれないかと」
「それ、みんなが知ってるわけじゃないの?」
不思議そうなイサさんに、おばさん二人が説明した。
「砂糖ってのはね、保管はミセス・メルバリの仕事なんだよ。だから姫さまは、まずミセス・メルバリに訊いたんだろうね」
「昔ほどではないとはいえ、貴重品ですからね。ただ私は購入はしませんから、正確な価格は知りません」
「注文出すのは、あたしの仕事だからねぇ」
仕事の分担は、けっこう複雑みたいだ。
「それにしても姫さまは、なぜこんなことを知ろうと思われたやら」
「あ、ゴメン、それたぶんあたしのせい」
てへ、って感じでイサさんが、悪びれもせずに言う。縦長おばさんが、じろりとイサさんを睨んだ。
「姫さまに何を吹き込んだのです」
「大したこと言ってないんだけど……」
イサさんが説明を始めた。
領主のことで姫さまが心を痛めてたこと。それなら領主の相談に乗ったらどうかと提案したこと。相談に乗っても物を知らないから答えられないという姫さまに、勉強するなり人に訊けばいいと教えたこと。そしてその話が、先日の夜会で広まったこと。そうして今は定期的に集まって、みんなでお茶会をしながら、勉強や互いの相談をしていること……。
「たしかに領主様に関して皆が、特に姫さまが心を痛めているのは、事実ですね」
そう言う縦長おばさんの小さなため息を、僕は見逃さなかった。こういう些細な兆候を見逃すな、でないと立ち回りを誤って、自分の身に降りかかる。それが父さんの教えだ。
「それにしても、姫さまが珍しく最近は勉強なさると思ったら、そういういきさつですか」
「あの姫さま、勉強はお嫌いだったからねぇ」
「あまりにも物を知らなくて、将来が心配でしたよ」
姫さまの小さいころを知ってるおばさん二人が、口々に言う。
「まぁいいんじゃない? 今は姫さま、ずいぶん勉強してるみたいだし」
「そうそう。なにしろね、ミセス・メルバリ。あの姫さまがこの間、お菓子に使う麦の量を訊きにきたんだよ」
「量を?」
縦長おばさんが驚いた顔をする。
「価格でなく、使う量ですか? また姫さまも面白いことを……」
「たぶんね、麦が豊作だって話がお茶会で出たから、何でどのくらい使うか知りたくなったんじゃないかしら」
イサさんの言葉に、縦長おばさんが納得した。
「麦の使い道があれば、余っても何とかなりますからね」
「そういえばその余り麦、お茶会で面白い話が出たわよ」
言ってイサさんが、例の「麦で払う」って話をする。
「なるほど、給金をですか」
「その話がホントになったら、あたしゃ出身の村に手紙書こうと思ってるよ。なんせ山の上の土地でね、麦が取れやしない。お金よりありがたいんだ」
「でしたら、北の荒れ地の村にも知らせたほうがいいでしょうね。私の下にそちら出身の者がいて、やはり麦が取れないと言っていましたから」
イサさんが、二人のおばさんを交互に見つめた。
「なんだい?」「なんです?」
怪訝そうなおばさん二人と、やけに嬉しそうなイサさん。
ぜったい何か企んでる。何かもらったわけでもないのに女の人が嬉しそうな顔をするときは、特に気をつけろって、父さんが言ってた。そういうときはまず間違いなく、腹の中に悪だくみがあるんだって言う。
そのイサさんが口を開く。
「ねぇ、二人ともそんなに有能なのに、どうしてふだんは会わないの?」
「そりゃイサ、仕事場が違うからだよ」
間髪いれず答えた厨房おばさんに、イサさんは首を振った。
「そういう意味じゃないの。両方ともそれだけ仕事してて、部下もいっぱいいて、情報たくさん持ってるでしょ? なら、しょっちゅう話してれば、いろんなことがお互い分かるじゃない。もったいない」
おばさん二人が顔を見合わせた。
「そんなの、考えたこともなかったね」
「立場が違うものと親しく話すなど、私も考えたことがありませんでしたね」
この縦長おばさん、おばさんなだけあって言うことがキツい。
でも負けず劣らずおばさんのイサさんは、ちっとも気にしなかった。まぁ元々おばさんって生き物には繊細さが欠けてるから、そうなるのもしかたない。
「今まではそうでも、これからは変えたら? 姫さまだってあれだけ変わって勉強してるんだから、あなたたちも変えなきゃダメよ」
次から次へと、よくもまぁこれだけ言葉が出るなと思う。この人たち相手に姫さま持ち出したら、逆らいようがないの分かってるだろうに。
でも、止める気はない。これで姫さまが楽になるなら、僕のいまの仕事は止めることじゃなくて、むしろ煽ることだろう。
なので職務を遂行すべく、三人のおばさんという不利の中、勇気を振り絞って口を開く。
「あの……ぼ」
「そうですね、たしかに姫さまが変わられたのですから、私たちが古きやり方に囚われる必要はありませんね」
「あたしゃ賛成だよ。もうね、下働き通してやりとりとか、まどろっこしくてさ」
――えっと、僕の勇気と立場は。
おばさんなんか嫌いだ。大嫌いだ。でももう誰も、僕の存在さえ気にかけてない。気にしてるのはお互いと、手元のお菓子だけだ。
イサさんが満足げにうなずいた。
「二人とも、そうこなくっちゃ」
いたくご機嫌だ。そんなイサさんを縦長おばさんが、またじろりと見てから言う。
「で、イサどの、何を企んでいるのです? 私の目はごまかせませんよ」
「大したことじゃないわよー」
大したことじゃなくてもなんでも、やっぱりイサさん企んでた。父さんの言うとおりだ。
「で、何なのです? 早くおっしゃいなさい」
「うん、だから大したことない。二人に、お茶会に来てほしいだけ」
おばさん二人が固まった。
しばらくしてやっと、縦長おばさんのほうが口を開く。
「私たちは、そのような身分ではありませんよ」
「分かってる。でも来てほしいの。というか身分って言うなら、あたしなんてもっと胡散臭いんだし」
無茶苦茶な理屈だ。
だいいちイサさん、たぶん「魔導師ザヴィーレイの客人」ってことで、ここに紹介されてるはずだ。そうだとすれば、身分なんて関係ないのに。でもこの人が、そういうことを気にかけるわけがない。
「姫さまがたには、あたしからちゃんと話すから。だから今回だけでも、来てくれない?」
「――分かりました。今回だけですよ」
縦長おばさんが折れる。
「あたしもお菓子持ってくから、今回は行くけどさ」
厨房おばさんも折れる。けどこっちは苦情がついた。当たり前だ。
「ただ、話に加わるのはね。そんな姫さま方がするような高尚な話、分かるわけもないし」
「大丈夫、大丈夫。その辺はぜったいヘーキ」
何が大丈夫なんだか。ホントにおばさんっていうのは、根拠のない自信でなんでも押し通すから困る。
縦長おばさんが立ちあがった。
「これからの指示をしてきます。では後ほど」
音も立てずに部屋を出てく。
「あたしたちも、これ持って行きましょ」
「そうだね。姫さま方が、きっとお待ちだろうから」
残る二人も立ちあがった。
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