第7話 お城はお花畑
「んー、どうするかなー」
ベッドに寝転んで、おばさんが独り言を言ってる。姫さまのところから戻ってから、ずーっとこんな調子だ。
「悩んでないで、早く何か考えてくださいよ」
瞬間、おばさんが微笑んだ。
「そこのボク、自分じゃ何も考えつかないクセに、なに偉そうに言ってるのかなぁ?」
「ごめんなさいすみません、僕が悪かったです」
反射的に謝る。そして謝ってから気づいた。僕、なんで謝ってるんだろう?
そうは言っても、おばさんの迫力にはかなわない。この人が何歳だか知らないけど――怖くて訊けるわけがない――子供がいるのは確実で、父さんみたいな大人でさえ逆らえないおばさんって種族に、僕が逆らえるわけもなかった。
「でも、本当にどうするんですか?」
それでも心配で訊く。姫さまに約束したのに、何もできなかったら大変だ。僕の印象まで下がる。
おばさんがちょっと肩をすくめた。
「領主に会ってから考えるつもり。いま分かってるのは状況だけで、領主自身がなに考えてるんだかわかんないもの」
「そりゃそうですけど。でも、会えるんですか?」
「だから姫さまに頼んだの。そしたら、今日の午前は空いてるらしいのよね。寝坊しなきゃ、みたいだけど」
「寝坊……」
まぁ気持ちは分かる。あの寝坊の心地よさは、まるで天国にいるみたいだ。
――たいていは目が覚めてから、青ざめるんだけど。
けど最初から空いてる日なら、そりゃ寝坊するのも仕方ないと思う。何の心配もなくただ寝てられる日なんて、本当に幸せとしか言いようがない。
と、ドアがノックされて、例の案内人が顔を見せた。
「領主様がお会いになるそうです。こちらへ」
「はいはーい」
ホントにこのおばさん、神経があるんだろうか? 姫さまのときもそうだったけど、今度もぜんぜん緊張した様子がない。というか、その辺の酒場のおじさんと会うくらいにしか、きっと思ってない。
もうだいぶ探検して覚えてきた城内を、案内人に付いて歩く。回廊を抜けて、螺旋階段を上がって、また廊下を抜けて……。
そこまで来てはっとした。僕、今日はついてこなくてよかったんだ。
姫さまならともかく、領主様に会ったって、別に楽しくない。というか、気が疲れるばっかりだ。しかも呼ばれたのはおばさんだけなんだから、僕は来る必要なんてない。
でもここまで来て、「部屋に帰ります」なんて言えないわけで。だから仕方なく、僕は二人の後をついて行った。
姫さまのときよりなぜか下の階に案内されて、でも姫さまのときより豪華な扉の前で移動が終わる。
「お連れしました」
「ここへ通せ」
仰々しくドアが開けられて、部屋の中が露わになる。奥にはこの間の姫さまと同じように、長椅子に掛けた中年男性がいた。
けど「おじさん」とはなんだか言い難い。中肉中背に茶色の瞳。姫さまによく似た栗色の髪は目立つほどの白髪もなくて、貴族のぼっちゃん、という感じだ。街中でばったり会って、この人がここの領主だって言われても、信じる人のほうが少ないだろう。そのくらい威厳がない。
――たしかに人はよさそうなんだけど。
見るからに騙すよりは騙されるほうで、世の中に自分からむしり取ろうって人なんかいるわけない、そう思ってる感じだった。姫さまが心配になるのも分かる。
というか、娘に心配される領主って、ホントに大丈夫なんだろか? まぁダメだから、心配されてるんだろうけど……。
「そなたがイサか?」
「はい。異国の出身なので、しきたりを知らないのはご容赦くださいね」
またさらっとおばさんが、嘘じゃないけどホントでもないことを言う。
「異国か。遠いのか? そなたが作った保冷箱を見たぞ。面白い造りだった。あれがそなたの国では当たり前にあるのか?」
「冷やすための動力が魔法陣じゃないですけど、似たようなものがありますよ」
なんで案外簡単に会えることになったのか、僕はやっと理解した。この人、子供みたいな見かけどおり、好奇心旺盛で新しい物好きみたいだ。だからおばさんの破天荒さを聞いて、惹かれたんだろう。
ぜったいやめといたほうがいいと、僕は思うけど、とてもここで口には出せない。出したら僕の命が危ない。
「他にはどんなものがあるのだ?」
「そうですねぇ……燃える油で走る、馬のない馬車とか。似たような油で飛ぶ、人が乗れる鉄の鳥とか。船はこちらにもあるでしょうけど、あっちじゃやっぱりだいたい鋼鉄で、小さくても家くらいはありますね」
「すごい! そんな国があるのか! それはどこだ?」
「遠いです。人の行ける場所じゃありません」
「だが、そなたは来てるだろう」
「偶然、世界の挟間を通って、ここに来てしまったんです。しばらくしたら帰りますよ。――あ、領主様、このことは御内密に」
詐欺師だ。やっぱりおばさんって生き物は詐欺師だ。どうしてこう次から次へと、口から嘘スレスレのことが出てくるんだろう?
領主様のほうはなぜかここへきて、ぽかんと口を開けた。
「なぜ内密にするのだ? そんなに素晴らしいもの、皆に教えたほうがいいではないか」
うわぁ、と思う。
本当にこの領主様、信じられないほど人がいいんだ。というかなんで、こんな人が領主やってて大丈夫なんだろう?
おばさんの表情がちょっと変わった。にっこり笑って、まるで聖母のようになる。いま初めてこの人を見たら、みんな本性に気付かないに違いない。やっぱりおばさんって生き物は魔物だ。
「領主様」
おばさんが笑顔のまま問いかける。
「この世界には、泥棒を生業とする輩がいるのは、ご存知ですよね?」
「うむ、おるな。許せんやつらだ。人の物を取っていくなど、やっていいことではない」
「ええ、その通りです。でも、おりますよね。何度言っても止めないバカが」
「うむ」
「では領主様、誰がそういう曲がった心根の持ち主か、ひと目みただけでそうかそうでないか、全員区別をつけられますか?」
「それは……」
はたと領主様が考え込んだ。そりゃそうだ。中には顔からして性悪っていう人もいるけど、にこにこしてて分からない人だって多いんだから。
「で、その見た目ではわからない輩が、いい人を装って技術を盗み出したらどうします?」
「――!」
領主様、やっと気づいたらしい。というか、いい歳なんだし、何しろ領主なんだから、言われなくても気付いてほしい。
でもまぁ、気付いたんならいいか。そう思ったのもつかの間。
「なら、私はどうしたらいいのだ? 善きものは広めるのが神の教えなのに、神に背くことになってしまうではないか」
前言撤回。ダメだこれ。お人好しの善人なのはたしかだけど、領主に向かなすぎる。これにはさすがのおばさんさえ、一瞬唖然としたみたいだった。
「神の教えに背いたら、天国へ還れないだろう?」
「大丈夫ですよ」
僕が止める間もなく、おばさんが安請け合いする。さっきまでの意表を突かれた感じは、もう微塵も感じさせない。
なんでこの人、こうやってすぐ切り替えられるんだろう? というか、こんな安請け合いしちゃっていいんだろうか?
「大丈夫なのか? それともそれは、異国の教えなのか? 異国では、もっと簡単に天国へ行けるのか?」
「そういうわけじゃないですけど。でも領主様、民を守るのは、領主様の大事な仕事ですよね?」
「もちろんだ。それは私の、いちばん大切な仕事のひとつだ」
胸を張って領主様が答える。どこまで分かってるかは疑問だけど。
おばさんが頷いた。
「なら領主様、大丈夫ですよ。領主が民を放り出して逃げたら、そりゃダメですけど。でも民を守るために為したことなら、神様は認めてくださいますよ」
やっぱり完全無欠の詐欺師だ。おばさんっていうのはこうやって人を騙して、食って生きてるに違いない。だからあんなふうに、人食い鬼婆の伝説が残ってるんだ。
領主様は見事に丸めこまれて、納得してしまったみたいだった。
「ならばこれは、我が民のために、内密にしたほうがいいのだな?」
「ええ。うっかり広まって、他国が盗みに来たら、この国の者に被害が出ますから」
「そうだな」
一件落着……とは言わないだろうけど、まずは話がまとまったらしい。
でもこの領主様、たぶん一事が万事、こんな調子のはずだ。だとすれば前途多難、次々こういうことが起こってるに違いない。
姫さまの心配が、分かる気がした。これじゃとても、ゆっくり眠るなんてできないだろう。これは何とかしなくちゃだ。
「ところでイサとやら」
領主様が口を開いた。
「そなたが先ほど言っていた不思議な乗り物、作ってみてはくれないか?」
「ごめんなさい、それは難しすぎて無理です」
あっさりおばさんが謝る。
「あれを作るとなると、こっちで言う熟練の鍛冶屋以上の者が、何人も必要なんです。でもあたし、そういう技術屋じゃないから、保冷箱がせいぜいで」
「そうか、それは残念だ」
さすがの領主様にも、おばさんがそういう技術屋じゃないのは分かるんだろう。暴れだしたりしないで、無理って話を受け入れてくれた。
「だったら……いや、今日はもうダメだな、時間だ」
領主様が残念そうに、水時計に目をやりながら言う。
「また話を聞かせてほしいものだ。この城には当分おるのか?」
「いつまで、とは決めてません」
「ならば好きなだけいるといい。そう城の者にも言いつけておこう」
「ありがとうございます」
その日はそこまでで、僕らは領主様の部屋を後にした。
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