第6話 悩める姫様

 城への滞在は、意外にも一泊じゃ終わらなかった。パン作りが終わったから、すぐお城を追い出されるんだろうと思ってたのに、厨房おばさんが「一度自分で作るから、立ち会ってくれ」って言い出したのだ。でもその日はもう時間が取れなくて、翌日って話になった。

 ところが明けた翌日は、急なお客が来ることになったとかで、厨房おばさんは晩餐の用意でてんてこ舞い。とてもパン作りなんてやってる暇がなくて、さらに日にちが延びた。

 僕としては万々歳だ。城にいればいるだけ、姫さまに会える確率は上がる。もしかしたら、仲良くなれるかもしれない。

 別にこれは、楽観してるとかじゃない。あの厨房おばさんが言うには、姫さまはふわふわのパンを、とても気に入ったんだそうだ。だから長くいれば、姫さまがイサさんに「会ってみよう」って思うかもしれない。

 そうすれば僕だって、魔導師ザヴィーレイの弟子ってことで……。

「またニヤけてる」

「に、にやけてなんていません!」

 思わず言い返す。僕は真剣に考えてたんだから、にやけてるなんてあり得ない。なのにおばさんは肩をすくめると、ちょっと鼻で笑った。

 ――なんか、悔しい。

 でも言葉を飲み込む。おばさんって種族に、僕の高尚な気持ちが分かるわけがない。

 当のおばさんのほうは、けっこう忙しくしてた。城の中が気に入ったらしくて、あちこち見て回ったり、厨房に出入りしたりしてる。しかも必ず僕を連れて歩くから、休まるヒマが無い。せっかく師匠から離れたっていうのに、休養だなんてとても言えない状態だ。

 ただ幸い、イサさんはそんなに丈夫じゃないから、長時間は出歩かない。ある程度歩き回ると疲れて、部屋に戻って休んでる。その間はとうぜん僕も休めるわけで、それがせめてもの救いだった。

 ちなみにこのおばさん、案外物知りだ。何人増えたら材料がどのくらい増えるかとか、奇妙な文字を使ってたちまち計算する。他にも泥水を綺麗な水にしてしまったり、小さな食料保存庫――ちゃんと中が冷たくなるやつ――まで作ってしまった。そのせいかお城中の人たちが今は僕らを知ってて、たいていの場所はお咎めなしで入れる。

「今日はどっか行くんですか?」

「そうねぇ。貯蔵庫でも見られたらいいんだけど」

「そこはさすがに、ムリだと思いますよ」

 おばさんはこの間から切望してるけど、貯蔵庫って言ったら高価な食材もあるし、備蓄量から篭城できる期間も分かる。だからたいてい、部外者は入れない。

 それを言うと、おばさんがふくれ面――この人ホントに子持ちなんだろか――をした。

「つまんない」

「つまんなくても、そういう決まりです」

 さすがに僕だって命は惜しい。だからこっそりそんな場所へおばさんを連れて入るなんて、ぜったいに願い下げだ。

「だったら、どこ行こうかなぁ……」

 そのとき、ドアがノックされた。珍しい話だ。

「イサさんはいらっしゃいますか?」

「いますけど、何の御用ですか?」

 おばさんには任せたくないから、僕が応対する。ドアの向こうにいたのは、最初に厨房に連れてってくれた、あの案内人だった。

「実は」

 そこでどういうわけかもったいぶって、案内人は小さく咳払いをした。

 そして言う。

「姫が、お会いしたいと申されております」

 やった、と思った。僕の念願がいま叶う。僕は人生の賭けに勝ったんだ!

「来ていただけますか?」

「はーい」

 まるで子供みたいにおばさんが返事して、僕も慌てて立ち上がった。姫さまのところへ、おばさんだけ行かせるなんて、小鳥のカゴに猛獣を入れるようなもんだ。

 僕だけダメって言われたらどうしようと一瞬思ったけど、それは言われずにすんだ。

 ツイてる。僕はすごくツイてる。きっと父さんの言うことを守って地道にやってたから、神様がご褒美をくれたんだ。あとで念入りに、お祈りをしなきゃだ。

 おばさんのほうは、言われたことの重大さがちっとも分かってないみたいだった。

 まぁ、おばさんだから仕方ない。おばさんってのはいつだって傍若無人で、周りの人の立場なんか、一切理解しない生き物なんだから。

「ねぇキミ、いま何考えてたかなー?」

 はっと気付くと、おばさんが僕の前に立って笑顔を見せていた。その笑顔がとっても怖い。

「な、何も考えてません!」

「そぉ? まぁ、そゆことにしとこうか」

 そうとだけ言うとおばさんは、くるりときびすを返して、案内人の後を小走りで追いかけてった。

 怖い。怖すぎる。

 おばさんって種族は、全員読心術を心得てると思う。じゃなきゃこっそり食料を食べたのがバレたり、何か思ったことを見抜かれたりしない。僕の母さんもそういう人で、父さんの思ったことなんてぜんぶ言い当ててたし。

 今度は考えてることがバレたりしないように、覚えた防御魔法――いろんなものの干渉を防ぐヤツ――をこっそり使って、おばさんたちの後ろを歩いてく。

 幸い今度は魔法のおかげか、考えてることを見抜かれずにすんだ。これからはこの方法を使えば、大丈夫そうだ。

 そうやって用心しながら延々と歩いて階段を昇って、おばさんが息が切れてきたころ、やっと大きな扉が見えてきた。

 ただ大きいって言っても、大広間ほどじゃない。僕が手を広げたよりは広いくらいの、両開きの扉だ。花や鳥の装飾が繊細な感じで施されてるから、きっとここが姫さまの部屋なんだろう。

 案の定、案内人が立ち止まって、ノックしながら声をかける。

「姫、お連れしました」

「お通ししなさい」

 澄んだ声が扉の向こうから聞こえる。きっと姫さまだ。

 扉が音を立てないように開けられて、部屋の中が視界に入る。今まで見たこともないような、豪華な、でも繊細さも兼ね合わせたタペストリーや細工物で飾られた、素晴らしい部屋だ。姫さまに似合いすぎてる。

 その奥の長椅子に、姫さまは優雅に座ってた。

 栗色の髪に緑翠の瞳。綺麗な濃緑の、裾がゆったりと膨らんだドレス。耳には耳飾り、胸には胸飾り。手指は白くて細くて、花瓶を持ったくらいでも折れちゃいそうだ。

 ――やっぱりこうじゃなくちゃ。

 おばさんたちと姫さまはぜったいに別種だ。というか、おばさんと姫さまをいっしょに考えること自体が冒涜だ。

「ようこそいらっしゃいました。領主の娘、レツィエと申します」

「僕は――」

「イサよ。異国の出で、こっちのしきたりには疎いから、何かあってもご容赦ね」

 口を開きかけた僕より先に、はっきりした通る声でおばさんが答えた。おかげで、僕の声がかき消される。

 やっぱりおばさんって生き物は人類の敵だ。こうやってさらっと先手を打って、自分にいいポジションを確保して、他人がどうなろうとそれは気にしないんだから。そのせいで、僕は姫さまに話しかける機会を失ってしまった。

 けどおばさんが、そんな僕の気持を思いやってくれるワケもない。

「で、早速だけど、何の御用かしら? あたしみたいのをわざわざ呼ぶんだから、何かワケありだと思うんだけど」

「はい。でもその前にまず、お座りくださいな」

 椅子が勧められて、僕らは腰をかける。ずーっと立ってることになったらどうしようと思ったけど、さすが姫さまだ。おばさんなんかと違って、とっても気が利く。

「何か飲み物は要りまして?」

「お茶があったら嬉しいわ」

 ドキドキしてる僕と違って、おばさんは遠慮なしだ。まぁおばさんって種族には、姫さまの素晴らしさなんて分かるわけもないから、仕方ないんだろう。

 召使いが入ってきて、お菓子とお茶を置いていく。

 匂いからすると、どうやらユラの村近辺で採れるお茶みたいだ。たしかにあの村は高級なお茶が採れることで有名だけど、姫さまのお気に入りだなんて、なんだか誇らしい。

「で、話は何?」

 おばさんがまた無遠慮に訊く。本当にカケラも尊敬してない。不敬罪で捕まってしまえと思う。

 けど寛大な姫さまは怒ったりしないで、おばさんの質問に答えた。

「実は、父のことで……」

 さすが優しい姫さまだ。あのすっごく先行きが不安な領主様のことを、姫さまもとっても心配してたらしい。

「父の噂は、この城に滞在していたなら、もうお聞き及びかと思います」

「聞いてるわ。でもあたし、政治は専門じゃないのよねぇ」

「ですがイサ様は遠い異国の出で、ずいぶん物知りだと侍女たちから聞きました。何かいい知恵はございませんか?」

「……わかった。ともかく聞かせて」

 おばさんの言葉に、姫さまは話し始めた。

「父は、けして悪い人ではないのですが……」

 そういう前置きで始まったエピソードは、でも今まで以上に心配になる話だった。

 命乞いをする敵のスパイを、可哀想だと釈放した。友好の印として貢物を要求してきた国に、言われたとおりに出そうとした。隣国が「ここは古来から自国領だ」と言いだした場所を、あっさり割譲しようとした。他にもいろいろ。

「……こんなとこにも、ルーピーがいるとは思わなかった」

「なんですかそれ」

「あたしの国にいた、似たような王様」

 どうもおばさんのとこにも、同じような話があったらしい。

 姫さまがため息をつく。

「私の耳に事前に入れば、父に直接言って、何とか止められるのですが。けれど私は基本、政治に口出ししてはいけない立場なので……」

「あれ、そうなの? 姫なんだから、堂々と言えるんじゃないの?」

「いいえ」

 なんでも姫さまが言うには、「姫」っていうのは案外、お城の中じゃ立場が弱いんだそうだ。

「いずれは輿入れする身で、出ていく人間。妻でも母でもありませんから、そんなに強くは言えないんです。あまり言えば、父の側近たちの不興を買ってしまいますし」

「あらまー。でもまぁ、たしかにそういう立場かもねぇ」

 お姫さまっていうのも、ずいぶん大変みたいだ。これだったら、ユラの村の若い娘のほうが、ずーっと気楽だろう。

「ともかく、何か異国流の、いい方法はないでしょうか? たしかに私はいつかこの国を出てしまいますが、このままでは心配で」

「んー、確約はできないけど、ともかく考えてみるわ。何も考えないよりは、何十倍もマシだろうし」

 姫さまの顔がぱっと明るくなった。きっと、夜も眠れないほど心配してたんだろう。

「ありがとうございます!」

「お礼言うには早いわよ。まだ何もできてないんだから。それより、そういうことなら国の事情聞かせて。なるべく細かく」

「はい、分かりました」

 姫さまがまた話しだした。

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