第5話 魔人のお菓子
「イサさん、起きてます?」
「ふぁい」
寝ぼけ感満載の声だ。というかきっと寝ぼけてる。でもそろそろ起きてもらわないと、たぶんまずい。
「入りますよ」
念のために声をかけてから部屋に入ると、ベッドの上に布地の塊があった。
「イサさん、ホントに起きてます? というか、具合だいじょぶです?」
「だいじょぶー、たぶん」
なんだか頼りない答えが返ってくる。
お城の話が出てから十五日ほど経ったある日、僕たちはそのお城にいた。
ただお城って言っても、そんなに大きくはない。ハッキリ言って、僕が育った村近くにあった首都の宮殿なんかとは、比べ物にならないくらい小さい。まぁ領主様のお城で、国を統べる王様のお城じゃないから仕方ない。でもちゃんとしたお城だ。
目的はもちろん、お城の料理人にお菓子を教えること。僕が付き添うっていう話も、首尾よく許可が出た。
けど今は本気で、ついてきてよかったと思う。
イサさんが乗り物が苦手らしいのは聞いてたけど、予想以上だった。僕たちがいたユラの村は、お城から歩いてせいぜい二日、馬車なら半日で着く。なのにそれだけでぐったりで、着いたときにはふらふらしてた。こんなに弱い人、見たことない。
どうしても余裕が欲しい、教えるのは一泊して着いた翌日にしたいとおばさんが言い張ったときは、なんでそんなこと言うのかわからなかったけど、これじゃたしかに一泊必要だろう。
「イサさん、材料見るんじゃなかったんですか?」
「あーうー」
口ではそんなことを言いながら、イサさんはベッドから這い出した。
「粉と油と砂糖か蜂蜜くらい、あると思うんだけどなぁ」
「そりゃ、あるとは思いますけど」
なんたってここはお城だ。材料だって何でも高級品のはずだ。
――僕らのご飯はそうでもなかったけど。
僕らが案内されたのは、城に招かれた人が使う一室だ。いちばん端っこのほうだけど、でもちゃんとお客が使う部屋だ。
城内の人間の紹介があったと、僕が魔導師ザヴィーレイの弟子だったのとで、城に招いていいってことになったらしい。昨日だってここの偉い人に、僕は名代として挨拶もした。
そう、僕は首都でも知られた――ここは首都じゃないけど――魔導師、ザヴィーレイの一番弟子なんだ。そう思うと、なんだか背が高くなった気分になる。
「なにニヤけてるの?」
「ニヤけてませんよ。感慨にふけってるだけです」
「傍から見たら、ニヤけてるだけの怪しいヤツだけど?」
おばさんって生き物は容赦ない。でも僕はメゲなかった。おばさんに理解を求めろというほうが、きっとムリなんだ。そういうことにすれば、僕は悲しくなんてない。
「で、どうすればいいわけ? 起こしたってことは、誰かからそういう連絡あったんでしょ?」
「え? いや、それは……」
「なんだ。役に立たないわねー」
言い放つとおばさんは、よいしょ、と言って立ち上がって、ドアを開けた。
「どこ行くんです?」
「厨房。待ってたってしょーがないでしょ」
言ってさっさと出て行こうとするおばさんを、僕は慌てて止めた。
「ダメですよ、勝手に歩いたら。不審者と間違われたらどうするんですか」
「うー」
よく分からない声を出しながら口を尖らせるさまは、まるで子供みたいだ。
――これだけ見てたら可愛いのに。
なのになんで、あんな破壊力のある行動ばっかりするんだろう?
でもともかくこのおばさんをなだめないと、僕まで城から追い出されかねない。
「きっとそのうち、誰かが呼びに来ますから。それまで待ちましょうよ」
「だって喉渇いたし」
「僕もお腹は空いてますってば……」
思い出して悲しくなった。せっかく忘れようとしてたのに。そして同時に、切ない音でお腹が鳴る。
「キミもお腹空いてるんじゃない。厨房行こうよ」
「ダメですってば……」
止めてる自分が、さらに悲しさを誘った。けど、やたらと動くわけに行かない。お城って言うのはそういところだ。
ただ幸い、そんな押し問答をしてる間に、部屋のドアがノックされた。
「ザヴィーレイ様のところの料理人の、イサ様はおいでですか?」
「あたし料理人じゃないのにー」
ふくれっ面になったおばさんを、再度なだめる。
「そう言わないと、許可が下りなかったんですよ。しょうがないじゃないですか」
「でも腹立つ」
背筋を冷たいものが伝った。こういうふうに言う女の人には気をつけろって、父さんが言ってたからだ。
父さんが言うには、女の人って言うのは腹が立ったこととかを、ずーっといつまでも覚えてるらしい。そして何か事あるごとにそれを持ち出して、こっちを不利に追い込むんだとか。「女の人は絶対怒らせるんじゃない」それが父さんの口癖だった。
なのに僕はいま、女の人を怒らせてしまったわけで……。
でも自分に言い聞かせる。おばさんを怒らせたのは僕じゃなくて、このお城の人たちだ。僕は関係ない。ぜったいに関係ない。うん、それなら大丈夫なはずだ。
ともかくこれ以上イサさんを刺激しちゃいけない。そう思った僕はドアを開けた。
「あの、何でしょうか?」
ドアの向こうにいたのは、僕より十くらい年上に見える、きちんとした男性だ。きっとここのお客を案内する係なんだろう。
本当なら僕たちなんて、ここの皿洗いと同じ扱いされても文句が言えない。なのにこんなちゃんとした人が案内に来るなんて、やっぱり持つべきものは偉大な師だ。
その案内人が言う。
「料理長が、手が空いたので会いたいと。来られますか?」
「はいはーい」
僕が何か言うより早く、おばさんが答えた。礼儀も何もあったもんじゃない。相手の人だって面食らってる。
こんな無礼働いて追い出されたらどうするんだ、僕がそう思って謝ろうとしたとき。
「案内してくださるかしら?」
僕の脇を悠然と歩いて前へでたおばさんが、総毛立つような声で言った。
けっして脅すような声じゃない。むしろ柔らかくて、心地いい部類の声だ。なのに怖い。鳥肌が立つほど怖い。僕に背を向けてるから分からないけど、きっとにっこり微笑んでて、でもそれがとっても恐ろしい笑顔になってると思う。
案内の人もよほど怖かったのか、そのまま動けなくなってる。そこへさらにおばさんが一言。
「あら、こんな年寄りのおばさん相手じゃ、お嫌だった? ごめんなさいね」
「い、いえ、こちらでございます!」
怖い。怖すぎる。僕が案内人の立場なら、きっと逃げ出してる。案内人の人も度肝を抜かれたみたいで、まるで従者みたいにおばさんの案内してる。
そして当のおばさんは、平然とした感じだ。まるでどっかの貴族みたいに、お城の中を堂々と歩いてる。もしかしたらこの人、向こうの世界じゃホントに貴族かもしれない。
――あ、でも、最初に来たとき、食材抱えてたっけ。
食材抱えて走り回る貴族なんていないだろうから、そうすると違うんだろか? それとも、料理が趣味の貴族の奥様なんだろか?
ともかく僕が案内するんじゃなくて良かった。そう思いながら、あとを付いていく。
長い廊下を歩いて、くぐり戸をくぐって階段を降りて。大きな屋敷やお城はたいていそうだけど、ここの厨房も火事予防で、離れにあるみたいだ。
そうやってたどり着いた先は、大きなかまどが四つもある、立派な厨房だった。
「お連れしましたから、あとはお願いします」
案内人の声に、白いエプロンをした恰幅のいい人が振り返る。
「あんたかい、ジモンの言ってた、ふわふわのパンの焼き方知ってる人って言うのは。あたしゃウッラ・ペーデル、ここを預かってる者さ」
「初めまして、イサよ」
イサさんはにこやかに手を差し出したけど、僕は声が出なかった。
おばさんだ。ここにもまたおばさんだ。
たしかに厨房は、女の人が働いてることはある。あるけど、お城でチーフの座まで行くのは珍しい。というか、僕は初めて聞いた。
何より、なんでこんなに「おばさん」づいてるんだろう。ただでさえここに厄介なおばさんがいるのに、さらに追加しなくたっていいと思う。本当に神様はヒドい。
イサさんのほうは、相手がおばさんなことをちっとも気にしてなかった。きっと、自分もおばさんだからだろう。
「材料は何がいるんだい? 粉がいるのは分かるけどさ」
「あとは卵と油と、砂糖は……あるかな? なければ蜜ね」
「それなら山ほどあるよ。あと、粉は菓子用のでいいのかい?」
「んと……ともかくふんわり焼けるもの。ある?」
「ああ、あるよ。あと道具は何を用意すればいいかね」
二人が相談を始めて、僕はただ立ってるしかなくなる。
なんで僕、こんな場所でこんなことしてるんだろう? まだ朝ごはんも食べてないのに。しかもここは厨房なのに。お預けを食らった犬の気分だ。というか、イサさんおかしい。夕べだって大して食べてないのに、あの人なんでお腹空かないんだろうか。
そんなこと考えてたら、お腹が盛大に鳴った。
「あら」「おや」
おばさん二人が声を上げる。
「そういえばキミ、ご飯食べてなかったっけ?」
「あれま、じゃぁその辺のものでも食べるかい?」
厨房おばさんがそう言うと、あっという間に食べ物が並んだ。
「残り物だけどね」
厨房おばさんはそう言うけど、パンにチーズにスープまであって、しかもお城のなだけあって、師匠の家のよりずっと質がいい。おばさんはみんな魔人だけど、飢えから解放してくれることだけは確かみたいだ。
必死にお腹を満たす僕を尻目に、おばさんたちはまだ相談を続けてた。でもそれも、やっと終わったらしい。
「だいたい分かったよ。ちょっと待ってな」
厨房おばさんが手を叩いて、下働きの少年――だいたい台所の働き手は男だ――を呼ぶ。
「いいかい、いま言った物を持っておいで。割るんじゃないよ」
怯えた顔でこくこくうなずいて、少年が走り去った。きっと彼も、「おばさん」って種族の怖さを、日々思い知ってるんだろう。きっと僕と気が合うに違いない。
しばらくすると、少年が大急ぎで戻ってきた。
僕が食べてる皿に、視線が突き刺さる。もう朝ごはんは終わってるはずなのに、僕のまで食べようって言うんだろうか?
隣じゃおばさんが、びっくりした声を出してた。
「ここ、こんなに砂糖あるの?」
「そりゃあるさ」
そんな話を聞きながら、なるほどと思った。僕らにとってお城に砂糖があるのは不思議じゃないけど、ふつうのユラの村から来た異世界のおばさんには、びっくりすることだったんだろう。
で、当のおばさんは上機嫌だ。
「これなら楽だわー。密で作ったときは苦労したのよね」
言いながら、手際よく粉だのなんだのを計ってる。
「砂糖と粉が同量なのかい」
「うん。あとだいたいこの半分の、水と油と……」
「油がバターじゃないってのがね。ふつうはそっちなんだけどねぇ」
「これがキモなのよー」
とりあえず、二人とも楽しそうだ。これなら僕のほうには、当分矛先は向かないだろう。
ひたすら様子を黙って見つめる。父さんもいつも、機嫌がいい女の人にはぜったい水を注すな、一生恨まれかねない、って言ってた。
「驚いた、卵を分けちまうのかい」
「分けて泡立てないとダメなの」
教えながらだけど、それでもけっこうな速さでケーキができてく。前にうちの屋敷で試行錯誤してたのとは、エライ違いだ。
「なるほどね、こうなった泡を使う、と」
「そそ。で、混ぜるときにつぶしちゃダメよ。何回かに分けて少しずつ混ぜるの」
眺めてるうちに陶器のカップが用意されて、そこに生地が流し込まれた。
「あとは任せるわ。あたしこのテの釜、使ったことないから苦手なの」
「任しとき。こいつの扱いならお手の物さ」
「よーく膨らんで、串刺したときに何もついてこなきゃ、でき上がりだから」
「ほいきた」
型が板の上に並べられて、釜の中に入れられる。
「あとは様子見ながら待つだけ」
「じゃぁお茶にでもするかね」
厨房おばさんが手際よくお茶を淹れて、薄く切ったパンを出してくれた。
そのまま雑談になる。
「姫さまもね、いい方なんだがね。新しいお菓子を次々ご所望なさるのがねぇ。そんなにほいほい、考え付くもんじゃないだろ?」
「そうよねぇ。毎日新しいものって言われたら、あたしもお手上げだわー」
どうしてこうおばさんっていうのは、すぐこういう話を始めるんだろう? 何より姫さまの悪口っていうところが許せない。姫さまが新しいお菓子をご所望になるくらい、当たり前のことじゃないか。
おばさんたちの、井戸端会議っていう名の悪口は、まだ止まらなかった。
「領主様も、困ったもんでねぇ。みんな仲良く平和に、っていうのはいいんだけど、隣の国の使者の言うこと、ほいほい聞こうとしたりしてねぇ……」
「ちょっと、何よそれ。隣の国なんて、こっちの都合は考えないでしょ?」
「そうなんだよ。っと、そろそろかね」
厨房おばさんが立ち上がって、中をのぞいて頷いた。
「よく膨らんで、焼き色もついてる。出してみるよ」
釜が開けられて、大きなピール――釜用の柄が長くてすごく大きなヘラ――で、パンが板ごと取り出される。
「どうだい、こんな感じで」
「串に何もついてこないから大丈夫。あ、急いでひっくり返して。じゃないとしぼんじゃう」
型がぜんぶひっくり返されて、冷めるまでまたお茶の時間になった。
「ここの会計役がさ、ともかくケチでね。やれ塩はもっと減らせとか言うんだよ」
「減らすって、塩じゃ限度あるでしょ……」
「そうさ。だから会計役の食事だけ、塩の入ってないのを出してやったよ」
ここの会計役、ホントにだいじょうぶだろうか? 僕みたいな若造だって、料理に塩がないと大変なことになるのはのは知ってるのに。
「他にもね、ナプキンの数が多すぎるとか言い出すんだ。あとエプロンの支給を減らすとか」
「それ、いっそ汚いナプキン使って、お腹でも壊せばいいのよ」
「ホントそう思うよ」
おばさんたちの悪口は、止まるとこを知らない。けど会計役のことなら、好きなだけ言っていいと思った。というか、このまま大臣させとくほうがマズい気がする。
「領主はそのこと、知ってるの?」
「知ってるけど、『いいことだ』ってるよ。国のことをよく考えてくれるいい会計役だ、ってね」
「うわぁ……」
おばさんが呆れたけど、聞いてた僕も唖然だ。倹約が悪いとは言わないけど、この会計役のやってることは何かヘンだ。
――この国、ホントにだいじょぶなのかな?
的外れな倹約家の会計役と、人がいいだけみたいな領主。なんというか、おとぎ話の騙され役みたいな組み合わせだ。
「キミ、食べないの?」
「はい?」
呼ばれて視線を向けたら、いつの間にかおばさんたちが味見をしてた。
「ほら、食べるの食べないの?」
「食べます食べます」
慌ててそう言うと、食べかけの型がひとつ回ってくる。
――おいしい。
この間のおばさんが作ったのもおいしかったけど、今回のはもっとふわふわだ。砂糖のせいかもしれない。おばさんって生き物はとかく被害ばかり出すけど、この食べ物を生み出す能力だけは、賞賛に値すると思う。
「――してほしいんだけど。ちょっと、聞いてる?」
「え?」
食べるのに夢中で聞いてなかった。なので素直に謝ることにする。女の人が怒り出す前に、まず頭を下げろ。そして褒めろ。それが父さんの教えだ。そうすれば最悪の事態は避けられる、いつも父さんはそう言ってて、実際見ててもトラブルを見事に避けてた。
問題は、やってるとやっぱり何か悲しくなってくること。けど、事態をこじらすよりはマシだ。だから謝る。
「すみません、聞いてませんでした。このケーキおいしくて」
「しょうがないわねぇ」
おばさんが呆れた顔をする。でも怒ってないから大丈夫だ。目的は達成してる。なんだかちょっと、自分が情けない気がするけど。
おばさんが続けた。
「このケーキのレシピ、キミが書いてくれない? 今から言うから」
厨房おばさんがこれを聞いて、意外って顔をする。
「あんた、これだけのもの知ってるのに、読み書きはダメなのかい?」
「あたし、元は遠い異国の出なの。だからどうも読み書きはねー。自分の国の言葉なら、いくらでも書けるし計算もできるんだけど」
さらっとおばさんが、嘘じゃないけど本当でもないことを言う。
詐欺師だ。やっぱりおばさんって種族はみんな詐欺師だ。あること無いこと言って周りを振り回して、しかも自分だけしっかりおいしいところを取ってくんだから、詐欺師って言って差し支えないはずだ。
けど、これを言うとぜったい僕が言い負かされる。女の人に勝負を挑むな、特に口で勝てると思うなって、いつも父さんも言ってたし。だから何もなかったフリをする。
「書くもの、ありますか?」
言うとすぐ厨房おばさんがあの少年を呼んで、書くものを持ってこさせた。
彼の顔にはさっきと同じように、「おばさんが怖い」と描いている。だから目が合った瞬間に頷いたら、笑顔で応えてくれた。きっと心が通じたに違いない。
「材料から言うから」
「はい」
言われるままに書き記す。
厨房おばさんが言った。
「冷めたから、あたしゃこれを姫さまに持ってくことにするよ。書き終わったら、部屋に戻っちまっても構わないから。――フーゴ、そのときはお客様方をご案内おし」
下働きの少年にそう言いつけて、厨房おばさんは出て行った。
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