第3話 それは増殖する

 翌日僕が起きたときには、おばさんはもう目を覚ましてた。というか、居なかった。

「イサさん?!」

 慌てて家の中を探し回ったけど、姿がない。どこにもない。

 だとするともしかして、昨日の騒ぎはぜんぶ夢で幻で、ホントは何もなかったのかもしれない――そう思ったけど、僕の寝床は誰かが寝た形跡がちゃんとあった。

 どうやら夢でも幻でもなかったらしい。だとするとおばさんは消えたか、どこかへ出かけたかだ。

 もしやと思って台所へ行ってみる。けど、おばさんの姿はなかった。そして、隣のズデンカさんから借りたお皿がない。

 僕は隣家へ急いだ。

「ズデンカさん、見知らぬおば……じゃない、イサさん居ませんか?」

 そう言ってドアを叩くと、すぐに扉が開いた。うちに住み着いたおばさんを三人束ねたみたいな、押し出し感満載の、ここのヌシが出てくる。

「イサかい? 彼女なら中でお茶飲んでるよ」

「良かった……」

 ほっと胸をなでおろした。

 って僕、なんでイサさんのこと、こんなに心配してるんだろう? とは言え、突然迷い込んできたお客が行方不明ってだけならともかく、死体で見つかったりしたら寝ざめが悪すぎる。

「入っていいですか?」

「もちろん。あんたもお茶でも飲んでいき」

 そういえばいつも食事を取りに来てるのに、あがったことなんてほとんどなかったな、そんなことを思いながらドアをくぐった。

 入ってすぐ、食堂と台所も兼ねた部屋に、イサさんの姿はあった。真ん中の大きなテーブルのところで、のんびりお茶をすすってる。

「おば……じゃない、イサさん! 勝手にどっか行っちゃダメじゃないですか!」

「お皿返しに来ただけよ。何が悪いのよ。だいいちあなた、寝こけてたし」

 答えに詰まる。たしかにおばさんが出てっても気付かないほど、僕はよく寝てた。けどだからって、黙って出てったら驚くわけで。

「ともかくやめてください。師匠に僕、なに言われるか分かんないじゃないですか」

「じゃぁ、次から夜中でも起こそうか?」

「そ、それは……」

 また言葉に詰まる。毎日ただでさえ師匠に振り回されて、唯一安らげる睡眠時間まで妨げられるのは、さすがにゴメンだ。

 ズデンカさんが口を挟んだ。

「まぁまぁスタニフ、いいじゃない。別にヘンなところへ行ったわけじゃなし。それにイサだってこの通り、子供までいる人なんだ。ヒョロヒョロしてるあんたより、よっぽどしっかりしてるよ」

 今度こそ僕は何も返せなくなった。というか父さんの言うとおり、おばさんを納得させようってほうが無茶だった。

 それにしてもイサさん、これで子供って……そういやたしかに魔法陣通り抜けて来たときに、子供たちのご飯がどうとかは言ってたけど、ほっそりしてる身体はとても子持ちに見えない。

 おばさんたち二人は、黙ってしまった僕なんておかまいなしに、話を続けてる。

「さてっと、イサ、もう少しでスープができるからね。持ってお行きよ」

「ありがとう、ズデンカ。あたし立ちっぱなしだと時々倒れちゃうから、作ってもらえるとホントに助かるわー」

「気にしなくていいさ、いつも作ってるし、お皿のいい洗い方聞かせてくれたし。それより今度、さっき言ってた料理の作り方、教えとくれ」

「もちろん」

 なぜか二人、既に意気投合してる。父さんは「おばさんは国を越える」とか言ってたけど、世界まで越えてる。何かが起こりそうですごく怖い。

 それにしてもこのおばさん、立ちっぱなしだと倒れるって、かなり身体が弱くないだろか? たしかにたまに、いいとこのお嬢さんで、線が細くてそういう人はいるけど……。

 もしかするとイサさん、案外育ちがいいのかもしれないと思った。知識も語彙も豊富だし、太ってない――上流階級の女性はスタイルにすごく気を遣うから、中年になっても大抵痩せてる――し、何より手がまったく荒れてない。

 どっちにしても、イサさんがズデンカさんと仲良くなったのは、すごくありがたかった。ケンカでもされたら、僕のご飯がなくなる。

「さてっと、これでできた。スタニフ、ほらこの鍋持ってお行き」

「あ、はい、ありがとうございます」

 なぜか僕のほうが鍋を持たされる。けどさすがに、女の人に重い物を持たせることはできなかった。

「おば……じゃない、イサさん、戻りますよ」

「はーい。じゃね、ズデンカ」

 子供みたいな返事をして、おばさんが僕の後ろをトコトコついてくる。ちらっと見たら手を後ろに組んで辺りを見回してて、妙に可愛い。

 情が移りそうになるのをこらえながら、僕は言った。ここで言わないと、後々トラブルになる。

「ダメですよ、勝手に出たら」

「だからさっきも言ったでしょ、あなた寝てたって」

 一理ある。一理あるけど、でもやっぱりダメだ。だっておばさん、ここのこと何も知らない。しかも実験で間違ってここへ来て長逗留だから、迂闊に知られたら困る。隣のズデンカさんに知られた以上、もう手遅れかもしれないけど、それでも被害は減らすに限る。

 そのことを言うとおばさんはちょっとふくれっ面して、口を尖らせた。

「つまんない」

「つまんなくても、やめて下さい。何かあったら困ります」

 なんだかぶぅぶぅ言いながら、それでもおばさんは僕と一緒に屋敷に戻る。とりあえず良かった。

 ぽふ、と音を立てて、おばさんが僕が寝ていたソファに座る。

「で、今日はどうするの?」

「どうするのって言われても……」

 考え込む。

 僕の一日は、師匠に始まり師匠に終わる。師匠が散らかしたものを片付けて、師匠が汚した部屋を掃除して、師匠に言われた通りに手伝いをして、あとは合間に自分で魔法の勉強をするくらいだ。

 だから、予定なんてない。すべて師匠次第だ。

 それをおばさんに言ったら、あからさまに呆れた顔をされた。

「計画性無いわねー」

「そんなこと言ったって、僕は見習いです。見習いってこういうもんです。てか魔導師ザヴィーレイって言ったら、都でも有名なんですよ。そんな人の弟子になれるだけでも、すごく運がいいんですから」

「へぇ、あのじーちゃん偉かったんだ」

「そうですよ」

 言って僕は説明した。さすがこのままだと、弟子の僕の立場まで危うい。師匠はどうでもいいけど。

 ただそれでも、おばさんはさして感心したふうも無かった。

「でも、礼儀知らずの迷惑じーさんよね」

「それはそうですけど……」

 こう言われてしまうと、僕も言い返しようがない。何しろ事実だし。なによりこのおばさん、そういう「偉い」は理解しなそうだ。上流階級の人にたまにそう言う人は居るけど、そのたぐいなんだろう。

 ため息をついて僕は話題を変えた。

「スープ、食べますか?」

「食べる食べる」

 師匠は午前中はだいたい寝てる。だから待っても仕方ない。

「どうぞ」

 温めたスープと切ったパンを出すと、おばさんから抗議が来た。

「多い」

「残りは僕が食べますから」

「ならいいけど」

 どうやらおばさん、僕の遠大な計画には気付かなかったらしい。

 夕べ見たとおり、おばさんはすごく少食だ。僕の半分どころか四分の一食べるかどうかだ。だからおばさんに一人前の食事を出せば、当然残って、それが僕のところに来る寸法だ。

 これならおばさんがいる限り、僕は飢えから解放される。素晴らしすぎる。

 いなくなったときが困るけど、それはしばらく先だし、考えると悲しくなるから考えないでおくことにした。

「ごちそうさま、あとはあげる」

 予想どおり、おばさんは半分以上残す。大して減ってないスープと、二切れ渡したパンのほとんどがこっちへ来た。

 ――神様ありがとう! これで僕はしばらくの間、師匠に文句を言われることなく、おなかいっぱい食べられます。

 やっぱり今度ちゃんと神殿へ行ってお祈りしよう、そう心に誓った時だった。

「イサ、いるかーい?」

 ドア越しに、よく響く女性の声。

「手が空いたからさ、来てみたんだ。掃除するんだろ?」

 声の主は、さっきスープを作ってくれた、隣のズデンカさんだ。

 おばさんが立ちあがってドアを開ける。

「ありがと、助かるわぁ」

「なーに、こういう力仕事は、あたしみたいのが向いてるさね。あんたの身体に細腕じゃ、すぐ倒れちまうだろ」

 茫然とする僕なんかお構いなしで、ずかずかズデンカさんが入ってくる。

「どこを掃除するんだい?」

「あ、こっちこっち」

 イサさんがまるで自分の家みたいに、ブラシとモップとバケツを抱えたズデンカさんを案内した。

「ここなのよー。今晩からここで寝なきゃなんだけど、ヒドいでしょ?」

「こりゃヒドいね。人が寝るようなとこじゃないよ」

 僕は慌てて頭を振って、両頬を手ではたいた。茫然として固まってる場合じゃない。

「や、やめてください。勝手に触ったら、師匠になんて言われるか」

「じーさんなんて知らないわよ。ここで寝ろっていうんだもの、こっちには片づける権利があるわ」

「そうそう。それにこんな部屋放っておいたら、そのうち病気になっちまうよ」

「だいいち誰も、捨てるなんて言ってないでしょ。整理して掃除するだけ」

「まーだいぶゴミも混ざってるみたいだがね」

 倍加したおばさんたちから、多重攻撃が繰り出される。もう誰にも止められなさそうだ。

「さー始めましょ」

「さっさとやらないと、日が暮れちまうしね」

 ――神様なんか大嫌いだ。食糧難から解放されたかっただけなのに、僕に代わりにこんな試練を与えるなんて。

 師匠が起きたらなんて言い訳しよう。きっとすごく怒るに違いない。憂鬱すぎる。

 そうやってため息をつく僕に、容赦なく声が飛んだ。

「ほら、これ持って!」

「は、はい……」

 おばさんたちの迫力がすごすぎて、逆らえない。父さんの言うとおりだ。女の人が思い込んだら、自分で止めるまで放っておくしかないんだって言ってた。そしてその間は、なるべく言うことを聞くようにしないと自分に矛先が向いて、もっと大変なことになるとも。

 父さんの言ってたことは、いつだって正しい。間違ってたことがない。けどそのとおりにしてると、なんだか悲しくなってくるのも事実だ。

 情けなさ満載のまま、僕は片づけを手伝い始めた。

 部屋の中、あちらこちらに置いてあったものが食堂に運び出されて、テーブルの上に積まれていく。

「キミ、これとっとと分類して! 魔法なんてあたしわかんないんだから。じゃないと、テキトーに片づけちゃうわよ」

「そ、それはやめてください!」

 そんなことをされたら、大事な資料まで行方不明だ。中には王様だってそう簡単にお目にかかれないような、古い時代の魔導師が書いたものだってある。

 僕は慌てて、分類作業に取り掛かった。たくさんの魔道書、有名な歴史書、兵法書、魔法の道具、触媒、あとは日記にメモにゴミに……なぜか裸の女の人の写し絵まで出てくる。

「やっぱり若いわねー」

「ちちち違います、師匠のです!」

「嘘言わなくていいわよ。男の子はそうじゃなくちゃ」

 抗議したけど取り合ってくれない。おばさんなんてもうイヤだ。

 けど家の中を掌握する魔人が二人もいるというのは、想像以上にものすごいことだった。あの手がつけられなかった部屋が、どんどん片付いてく。

「布団は軽いから、あたし干してくる。あとシーツを洗い場に持ってけばいい?」

「頼むよ。その間にあたしゃ、ここらの床、掃除しちまうから」

 気付けば昼になる前に、客間はあらかた掃除が終わってた。あとは出して分類したものを、棚に戻すだけだ。それを指示されるとおりに――なんで僕、言うこときいてるんだろう――入れていく。

「うん、思ったとおり」

 おばさんがにこにこしながら、ひとりでうなずいた。

 思ったとおりって言うのは、物の収まり方だろう。僕もびっくりだけど、あれほどあふれ出してたはずのものが、ぜんぶ棚に入りきってしまったのだ。

「何の魔法ですか……」

「別に魔法じゃないわよ。分けて、要らないもの捨てて、ちゃんと揃えてしまえばこうなるの。最初に部屋見てわかんなかったの?」

「わかりませんよ……」

 わかってたら、僕だってやってる。というか、見ただけで物の量としまえる量が分かるなんて、このおばさんの頭の中、どうなってるんだろう?

「あーよかった、ズデンカ、ほんとにありがと。これで今晩はゆっくり寝れるわー」

「なーに、あたしも前から、この家は掃除したくてね。すっきりしたよ。さて、お茶にでもするかい?」

 おばさん二人が、今度は我が物顔で台所を占拠して、お茶を淹れ始める。

「ここの台所もヒドいねぇ」

「そのうちやったほうがいいかもね」

 おばさんには絶対逆らっちゃいけない。僕はそう心に深く刻んだ。

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