第六章:Winter Fireworks -3



*20*


 俺は一段飛ばしで階段を駆け上がり、勢いよく第二事務室のドアを開けた。中にいるメガネをかけた恰幅のいい室長が、俺の姿を見たと同時に飛び上がった。

「や、山本さんっ!お疲れ様です!」

社長の片腕とはいえ若干二十三歳の若造にいい歳のおっさんがどんだけ頭下げんだと思ったが、急いでいるのですべて無視した。

「おっさん、ごめん!発注書の出し方教えて、下と代わってくれないか!?」

「お手間をかけまして、申し訳ございません。」

なるほど、あの姿勢はミスへの自戒か。わかっている。この人のせいではない。

「室長が悪いワケじゃないでしょ。こんなガキに頭下げないでくださいー。」

なんだか少し照れくさそうに、彼は丁寧に操作の手順を教えてくれた。最後にいつもよりやや深めにおじぎをして、出て行った。それを見ながら俺は、遊撃できそうなエリか松中さんを狙って、受話器を取った。


――This Moment;20th flet



「いい加減に…してよね…ぇっ!」

流石に膝に手を置かざるを得なかった。山本くんはまさに鬼畜だ。

なんとも恨めしいことに悠々とデスクに座って、まるで箸を使うかのようにキーボードを叩いている。その横ではプリンターが忙しそうにゴウンゴウン動いていた。

「ごめん、ごめん。次から届けにいくから…。」

彼は文字通り吹雪のように発注書を印刷していた。オート&スピーディーがウリのはずの機械を人間が煽りに煽っている。百枚ごとにわたしが呼ばれて、もうヘトヘトだ。

「はあっ、はあっ、恵梨ちゃんとか、柴田くんとか、呼んで、よー…。」

階段を鬼ごっこのように何往復もさせられた。声がわけのわからない出かたをしている。山本くんはそれを聞くと冷酷な視線を向けてきた。アレ、苦手なんだけど。

「バカだなぁ。エリは運動神経どうしようもないし、ヒロキはあの場に置いておきたいテトラミノだ。つまる所、松中さんにしか出来ないのさ。」

前半の言葉を差っぴいても、うまく納得のいくものではなかった。それでも、わたしは持っていくしかないのだ。憎まれ口を少しだけ叩いたら、彼は首を横に振った。

「冗談だよ。松中さんには、もう一つくらい大事なことが出来ると思うんだ。俺は間もなくそっちに復帰する。PCを働かせるからさ。」

そして彼はわたしに、それを頼んだ。それはとても重要で、たとえプリンターがグィィィンと大きく唸ろうと、わたしは気を抜かずすべてを聞いた。――これが、話術か。



「たっだいまー。」

手をプラプラと振りながら、印刷担当に回ったはずの光浩が帰ってきた。ちょうどそこを通りがかった山口が、リーチを止めた。

「おま――」

「発注書は大丈夫だ。印刷ルーチンを組んだから、自動でやってくれるよ。ついでに一階のとリンクして、一階のプリンターから出るようにした。」

「なんという…」

PCと恋人関係にあるだけあって、彼のやることはえげつない。

すぐそばにある適当なダンボールのフタを締めながら、松中を使いに出した事を告げられた。

「こんな時に人を抜き去るなんて…」

思わず漏らす。正直、光浩一人抜けた時間でさえ相当忙しかった。おかげでリーチの全てのボタンとレバーをマスターした。

「まあ、奈穂ちゃんの分まで働いてくれれば問題ナシだ。」

「給料も出してねーくせに。」彼は山口の言葉に、ニヤリと笑いながら答えた。この不敵さはどこから来るのか。

「そういえば、」と彼は周りを見渡した。「エリどこいったの。」と、手元のダンボールをパレットに投げ込んで言う。

「ああ、エリは助けを呼びに行ったよ。」

俺はリーチを託すべく、刺しっぱなしだったパレットをトラックに降ろしながら、言った。

彼女は先ほど、限界にきた疲労を押し出すかのように携帯を取り出した。そのまま、「事務所に人が余ってないかな」とかけに行ったのだ。

もう十五分か、二十分ぐらいになるだろうか。どれぐらい人が取れるか、がそのままエリ自身の人気を表すことになる。

「突っ立ってても仕方ない。あいつ戻ってくるまでにも、作業は進めておいたほうがいい。」

「そうだな…って、あれ?」

パレットの上にしゃがんだ光浩が、違和感ありげに散らばったダンボール達を覗き込んだ。

「ピッキング終わってるの?」

ピッキングとは、まとまった商品を配送先別に小分けしていく作業のことだ。当然そんなもの、俺が最短距離で終わらせた。

「全部やった。あれから二時間も経ったんだぜ?終わったに決まってる。」

「決まってねーよ。」

さもお前がおかしいというように、山口が俺の横にリーチを止めた。ちょくちょく突っ込みに来る。

「最後の方なんか、これから来るはずのトラックの分以外詰め終わってたじゃねーか。」

柴田のせいで四十分ぐらい作業員が余ってた。とまで言われた。四千トンの荷物相手に手加減しろとでも言うのか。

もう陽は落ちかけている。豪快なエンジン音とともに、一番ド真ん中のハッチへとトラックがバックを始めたのが見えた。光浩が、したり顔で軍手をはめる。

それと同時に、後ろでピピ、ヴィーーっと自動ドアが開く音と、「おまたせ~!」という声も聞こえた。声がする前からわかっていた、エリだ。

「明日から来てくれるって!事務所の後輩とスタッフさん、それから雑誌の編集部のコ達三十人!バイト代、出してやるんだよ!」

山口がため息をついて、頭を抱えた。お前は経理担当ではないだろう。



 五日目、正直、すでに両腕の感覚がない。

車のアクセルも異常に重く感じて、気を抜いたらヒザが泣きそうになっている。

明らかに疲れが出ていた。信号に捕まり、ブレーキを踏むのが少し遅れた。横断歩道に人がいなかったことに、ホッとする。

エリの呼んだ助っ人どもは四日目までに全員が急病にかかり、中には不幸が起きるものもいた。

五感は愚か第六感までも武器にする柴田が言うには、残りは六百トンにまで減ったそうだ。

平均よりは速いペース。そんなこと考えたくもない。今日は明らかに効率が落ちるだろうから、終わるかが不明なのだ。

終わらないということは、例えイタリア人でも許してくれないだろう。ましてや、うちは一度失敗しているからだ。

歌川物流区で一番大きな交差点を、乗らない気分のままもっさりと左折した。気分が乗らない理由は、後部座席にもある。

「…んー…。」

ンーじゃねえよ、俺は後ろで朝弱を理由に爆睡するアキヒロを恨んだ。


 俺は驚愕した。

まず、冷蔵ルームへと続く第二事務室に入った時点で違和感があった。

「うおぉ、キレーだな。」

アキヒロの言ったとおりだった。寝ぼけ眼でも、多少マトモな思考のようだ。

部屋はきれいに片付いていた。書類はきっちりデスクの端に寄せられていたし、無造作にボードに貼り付けた書類もすべて整頓されていた。

エリは豊田さんが送って行ったし、柴田とアキヒロは部屋から考えて論外だ。その正体は、消毒をすることで自動で開く冷蔵ルームの入り口をくぐった瞬間、わかった。



「――社長。」

朝礼を行う前から、"元"パートのおばさん達がせっせと動き回っていた。

ちょうど入り口で軍手を直していたおばさんは、一番新入りだった大島さんだ。長い髪を今はスッキリと縛っていた。

その声で、周りにいたおばさん達も次々と集まってきた。まだ朝礼の時間でもないのに。

「――社長。」

最初のおばさんが、もう一度俺を呼んだ。やるべきことは一つだろう。本意ではないが、誰よりも早く頭を下げた。これが最も良い選択肢だと思ったからだ。

「悪かった、みんな。」

いいえ、そんな、と次々に声が上がった。体格の一番大きなおばさんは、手を差し伸べてきたぐらいだ。

「悪かったのは私――私たちです。もしよろしければ、現場に復帰させていただきたいのですが。」

「あんなに熱心に頼まれたら、いくら頭でっかちでも間違いに気付くわ。負けたよ…。」

おばさんの一人が、ちょうど冷蔵ルームに入ってきた奈穂ちゃんと、はじめのミスを誘った事務員のコを指差しながら言った。俺はアキヒロを見る。

「うん、そうだよ。この四日間、パートの方々の家を回ってもらって、説得してもらった。マサヤを理解してもらうには、松中さんが一番向いてる。」

そうか、俺も納得した。アキヒロや柴田じゃ近すぎるし、会社の人間よりは外部の人間に言われるほうが良い。なるほどベストな人選だ。

「きっと、後悔してるかなって。お互いにね。職場環境は整ってるんだからさ。わたしで出来るなら、説得でも頭下げるでも何でもするよ。OLぱぅあでね!」

「家庭もあるしね。」とアキヒロがボソッと言ったのは、蹴りで黙らせた。

俺は五日前のことを思い出しながら、口を開いた。みんな、俺の言葉を待っていた。

「…"辞める"って言った人を、俺は止めない。でもみんなは"辞める"なんて言ってない。名前はまだあるから、さあ、今日もがんばろう!」

歓声と拍手が上がる。事務員のコなんか泣きそうだった。一番大きなおばさんと固く握手を交わしていたら、後ろからアキヒロに割り込まれた。

「とりあえず今日の業務と、六百トンを片付けたら、パァーーっと"花火"をあげよう!…真冬だけどね、色々記念にさ!」

一瞬、場が白けた。それでも異論はないみたいだ。



「Cheeeeeeeers!!」

真冬の花火――ウィンター・ファイアワークスはほとんどその名を冠した飲み会だった。

六百トンの荷物は、戻ってきたパートさんの助力を持ってしてちょうど一日で片付いた。

わたしが山本くんから作戦を聞いたとき。何となく、これは自分の仕事だと思った。

元凶の女の子の車で、パートの人たちを一つ一つ訪問する。

難色を示す彼女たちの説得は大変だったが、普段巨大なストレスを相手に仕事をするOL二人の敵ではない。

一人捕まえてしまえば、あとは集団心理でわらわらと集まってくれるものだ。彼の言葉そっくりそのままに、全てのパートが復帰した。

ネイビーの空を持ち前の明るさと色で染めていく花火が、とてもきれいだった。冬は空気が冷たくて空がクリアだからね、山口くんが言っていた。納得。

何となく、一番高いところから見たくなって、わたしは一人、缶ビールを手に屋上にいた。

手すりに捕まって、だだっ広い駐車場で騒ぎ立てる社員のみなさんを眺めていたら、後ろから大好きな声をかけられた。

「やるなあ。」

どうして見つかったのかあれこれ想像を膨らませて、わたしを探しにきてくれたという過程でまず嬉しくなった。わたしはわざと振り向かないように、うなずいた。

「うん、みんなが素直で、よかったと思うなー。」

「それは違うんじゃねえかな?」柴田くんはそう言いながら、いたく嬉しそうな顔をしていた。よくわからない。

「正真正銘に松中のおかげだと思うわ。偉そうな肩書きもない、山口の配下でもない、"ふつうのひと"のお前だから出来たんでしょ。」

褒め言葉過ぎる褒め言葉に、涙が出そうになった。ちょっと気にしている所だったから、或いは傷ついているのか。よくわからなかった。

「そういうのが、俺たちには必要なんだよ。"ふつうのひと"の松中の居場所が、ここにはある。」

まるで告白でもされた気分だった。飲んでいるとはいえ、ここまで人をとろけさせる言葉が吐けることに、ただただびっくりした。

涙が出るかと思ったが最後、わたしの視界がぼやけてきて、慌てて空を見上げた。クリアすぎる空が、ちょうど黄緑色に染まったところだった。

「特製花火…でけえな、しかし。」

「うん…うん…。」

なんとなく自然に、いいや、ただどうしようもなくそれがしたくて、わたしは柴田くんの手を握った。反射的に逃げられるかと思ったけど、彼は黙ってその手を握り返してくれた。

恥ずかしすぎて顔も見れない。涙が出そうで下の様子も見れない。またこれもどうしようもなく、わたしはずっと、空がネイビーに戻るまで見上げ続けていた。






――They have a stage each can do only. well, hold my hand.


-Winter Fireworks-

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