第六章:Winter Fireworks -1


―第六章・Winter Fireworks―


*18*


 一月は三日。まがりなりにも社長である俺の仕事始めは早い。

パートの従業員や経理の女社員すら出勤しない日でも、交渉や視察のために会社に行くことがある。

会社を継いでもうすぐ一年が経とうとしている。それまではこんな事をするなんて、考えもしなかったもんだ。ウェディングプランナーや旅行会社の内定を蹴って(というか強制的に蹴らされて)始めたが、今となってはこれはこれで心地の良い人生だ。

わからないことには友人がいるし、少なくとも俺がいなくても業務に支障はない。俺は俺の持つ『カリスマ性』でこの会社を守っていこうと決めたのだ。


――This Moment;18th flet


「うっわーマジか…。」

「大変、申し訳ありません!」

四日。我が社の新春は、イタリアとの連絡ミスによる大規模な発注ミスから始まった。

発端は俺に向かって懸命に頭を下げるこのパートの女性事務員だった。まだ二十三と若い(とは言っても、一つ年上だ)彼女は不運だった。

会社員生活は少し昔であれば四十年モノだ。失敗の数など星と一緒でわからないだろう。特に若い間はだ。だが、その間のほぼ第一弾である失敗は、我が社の来年度のインベントリーの二パーセントを失うことだった。

「んー…コレはちょっとやっべぇなぁ…うちの人事には処分とか考えないようにクギを刺しておくけど…とはいえ、社会的責任うんたらで軽い罰ゲームがあるかも。」

「はい、以後気をつけます。申し訳ありませんでした。」

彼女は一礼すると、重い足取りで現場への窓口である第二事務室から姿を消した。その場に居合わせた数人の『作業服組』が、肩を落とした。

外国との交渉は異言語だ、無関係の短大卒では厳しいだろう。俺もその難しさがわかるからクビなんて言えないが、社会人として一つ、責任を取ってもらう必要がある。社長のお面をかぶらなければならない、苦渋の決断だ。

「クソー、こっちは真面目に一日一日やってんのによー。」

「来年度の仕事がちょいラクになったと考えりゃ、上々なんじゃねえか?」

皮肉とため息が解き放たれた空間を浄化すべく、俺は窓を開けた。思いのほか風が強くて、最も窓に近い事務机から百枚の書類が飛びそうになった。俺は反射的にそれを押さえつけて、それから口を開いた。

「あんま言ってやらんでください。事務も作業員も失敗の数は同じだ。現場のミスまで頭下げてる分、寛大になってあげましょうよ。」

事務と現場の連携の悪さはどこも同じだろう。俺はこの摩擦を埋めるのが、第一業務のようなものだ。

「先方に連絡して謝ってくる。だからみなさん『一日一日』の作業を続けてて。」


 昼になる前に、拙いイタリア語で先方に謝罪を入れた。典型的ミラノ人の≪万事OK(エヴリシニズオーライ)≫の姿勢で快く許してもらう代わりに、仕入れ値を三パーセント釣り上げられた。この程度は想定の範囲内だ。

来年度の予算と支出予測は柴田に何とかしてもらうとして、さて内部の亀裂をどうしようか。俺はひとまず、元凶の事務員に事態を伝えた。

「本当ですか!?この度は大変申し訳ありませんでした、ありがとうございました。」

流石に謝りすぎだ、この分だと向こう四十年、本当に会社に尽くしてくれそうだ。俺は優秀な人材を確かめて、そのまま人事担当の玉田の所に連れて行った。玉田は親父と共に独立した人間のひとりで、この会社が設立された頃から人事を続けている。

「なあ、玉田さん。」

プリプレジデント・オフィスのドアを開けたと同時に視界に入ったので、俺は礼儀も無視して話しかけた。頭の散らかりかけた、くたびれた背広の男が、一番大きなデスクで缶コーヒーを飲んでいた。

昔は大きく見えたのに、俺が二十二にもなるとすっかり肩も小さくなった、冴えないサラリーマンにしか見えなかった。

「おや、将也。どうかした?」

俺を名前で呼ぶ人間はこの会社にそうはいない。それだけでも、この人の権威は失われていないと言うことだ。だがそうでなくてはならない。俺は続けた。

「事務員の――このアマート・ミラノの件でミスった子、放免してやってくれないかな?先方が思いのほか快く許してくれたからさ。」

後ろで玉田よりも肩を小さくした事務員が、深く一礼した。彼女の様子を見て玉田は何やら帳簿を開いてパラパラとめくった後、後ろ頭を叩きながら言った。

「いいんじゃない?良かったね、相手が日本人じゃなくてさ。」

人事担当と社長の合意を受けて、ようやく彼女は明るい顔を取り戻した。

「ありがとうございます!」

「その代わり、五パーセント減給しておくからねー。釣り上げられた原価に充てる。」

破格にライトな罰則だった。もう一度深々とお礼をして、彼女は振り返った。

「そうそう、そんな感じで、午後からまた営業スマイル振りまいてくれよ。よろしくー。」

意気揚々と受付へと戻っていく彼女を見送って、玉田が俺の肩を叩いた。

「将也も救われたな。日本人が相手なら、出向いて頭下げるハメになってた。」

「確かに。いやそもそも、この問題が起こらなかったんじゃないか?」

玉田がハハッと空笑いを浮かべたのと同時にオフィスの電話が鳴ったので、俺は一礼して部屋を後にした。それぞれの役職に、それぞれの持ち場がある。邪魔をしてはならないのは社長とて同じだ。



 この件はそんな程度では終わらなかった。週があけてイチバンの仕分けを手伝おうかと第二事務室のドアを開けた瞬間、気まずそうに室長が俺から目を逸らした。

「どうかしました?」

柴田かアキヒロが伝染った。そういうものを無視できなくなってしまったらしい。俺はそそくさと、室長の向かうPCの画面を覗き込んだ。それは、二月のシフト表だった。パートのおばさん全員の予定が、すべて×になっている。つまり、出られないということだ。

「わー…こんなことってあんのかな?」

「社長のせいですよ、多分。」

「何だって?」

たかが室長の社長に対する言葉が問題なのではない、うちの会社では――俺が社長である限りそんな事気にしない。俺は荒っぽく冷蔵倉庫へと続く引き戸を開けた。


「はいはい、集合集合~。」

俺はまず事務の人間に現場の作業を手伝わせるよう作業員に伝えて、それからパート全員を呼び出した。最長勤続五年、最短一年。すべて背格好が違うだけの、似たようなおばさんだ。

「シフト希望見ましたよ。どうやら、俺に不満があるみたいで?」

(今日勤務にあたっているだけでも)総勢十七人のパートの面々は、顔を見合わせて黙り込んだ。さすがに歳の分だけずる賢い。俺はもう一歩追い討ちをかけてみることにした。

「いや、いいんだ。そりゃこんな若造で社長だし不満の一つや二つは出るもんだと覚悟してるんだけど、日々の作業に支障が出るようだと流石に理由を聞かないとマズイでしょ?」

「みんな、ウンザリしてるんですよ。」

下を向いていた長身長髪の、一番勤続の短い人が口を開いた。賭けに勝ったみたいだ。さあ、本戦だ。

「社長は若い女には甘くて、私達にばかりこんな仕事を押し付けるって。」

思いがけない言葉に、俺は耳を疑った。ババァってのは、そんなくだらない事を考えながら仕事してんのか?

「いや――」

「何であの人が消費税程度の賃金カットで済んでるんですか、あたしらには商品を壊すたんびに弁償、弁償ってうるさいのにさ!」

左から順番に爆発していってるようだ、それにしても、情報網の広さにびっくりした。どこから仕入れてくるのだろうか?

「そりゃあ、契約をミスるのと現品をぶっ壊すのとじゃ違いすぎるでしょ。」

「こっちの安い時給と、正社員の待遇つきの月給じゃワケが違うでしょ!何のために働いてると思ってんの!」

「あの子みたいに楽してるわけじゃないのよ!」

流石に腹を立てざるを得なくなった、俺は飛び交う罵声を手で抑えながら、ゆっくりと言った。

「確かに今回、彼女は誰よりも大きなミスをしたと思う。だがそれはあんた達には出来ないミスだ。同じように彼女もあんた達のように現品を壊して弁償する事は出来ない。要は持ち場の違いで、罰則も違うってことだよ。わかってはもらえないかな?」

「ほら見なさいよ、ただ若い子をかばってるだけじゃないの。」

若手はかばわなくてどうすんだ、やり直せなければ成長できないだろ、という言葉は飲み込んだ。この場をややこしくするだけだ。

「そんな社長の下では働けないってことですよ、良かったですね、オバサンが居なくなってさ。あんた私達の名前すら知らないでしょう?」

先陣を切って、一番背も体格も大きなおばさんが軍手を投げ捨て、出口へと歩いていった。その背中に、呆れた俺は投げかけた。

「……大島さん。」

視線を感じた。信じられないことを聞いたかのように、それまで噛み付いていた面々が俺の方を向いたのだ。――そもそも、そんな事では社長たる人間にはなれないだろうに。

「佐武さん、柏木さん、宮川さん、高橋さん…。」

名前を呼ばれた者から、まるで説教中のクラスのように黙り込んでいく。最初の大島さんは一歩踏み出したまま、動けないみたいだ。

全員の名前を呼んだ後、俺は静かにこう言った。

「"辞める"って言った人を、俺は止めたことは一度も無い。お疲れ様でした。今までこの会社のために日々奮闘してくれてどうもありがとう。」

「…。」

名前を呼ばれた十七人全員が、ぞろぞろと出口に向かって歩いていった。大島さんは投げ捨てた軍手を拾っていた。



「あ゛~~~どうしよ、マジやっべー…。」

「で、泣きついてきたわけっすね?」

ホントに、アホやな。俺は思った。悪い意味じゃない、半分くらいは。

スーツの良く似合う黒髪の美女から戴いた紅茶に手を付けて(確実に味は勝ったと思った)俺は手帳を取り出した。今日が十一日、次の仕事は新曲を売るTV番組の収録が十六日。五日間ならば空いている。

「…俺が人気ミュージシャンじゃなくて、良かったなぁ。」

プレジデント・オフィスの心地よいソファーをどかっと横に使いながら、俺は機種変更したばかりの携帯を取り出した。おぼつかない手つきで電話帳を開く。

「早くエリを呼べよ、あいつが正月休み取ったの知ってるぞ。」

「いや…あいつグァム行くとかなんとか――」

「しらねーよバカ!そんなん芸能人なんだからいつでもいけんだろ。」

お前だって芸能人のはしくれだろ、というツッコミを期待しかけてやめた。そんな意識は、マサヤには絶対ないだろう。

広樹は確実に呼ぶとして、松中さんを付けられるかどうか。俺は五日間のプランを練りながら考えた。彼女にしか出来ないことが、どうやら、ありそうだから。







――We shouldn't lose 『This moment』. Get back something lost!

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