第五章:Year-end Party -1
―第五章・Year-end Party―
*15*
大晦日――古くは、おおつごもりとも言った。
毎月末日を『みそか』と言うのに対しての『大晦日』…ぜんぶアキヒロの受け売りである。
今年の大晦日は、八年振りにみんなで集まって年越しパーティをすることになっていた。
恵梨はいち早く仕事を終えて、三年振りに積もった雪がまだ解けていないアキヒロの自宅に居る。
日没はとっくに過ぎているが、まだ、他には誰も来ていなかった。
――This Moment;15th flet
「おっそーーい!」
恵梨はウエッジウッドの紅茶を飲み干しながら、思わず言ってしまった。
窓の外では、凶暴化した風に揺られた木々が傾いて悲鳴を上げている。その音と恵梨の叫びが、控えめに流れる昔の歌をかき消している。
こんな寒い日に、暖房の効いたリビングの中で飲む高級紅茶の味は格別だった。だから、言う程には苛立っていない。
「まあまあ、大晦日だぜ?現代人は仕事納めの真っ最中だよ。」
出されたロールケーキ――あれ、これ恵梨が仕事でもらったやつ――を頬張りながら、アキヒロの表情を伺った。
困惑とも、期待ともとれない顔をしていた。表情豊かなはずのいつもの彼からすれば、異常だ。――緊張、かなぁ。
スウェットを着て紅茶を振舞うその姿は滑稽そのものだけれど。とはいえ、恵梨も随分とリラックスした格好でいた。
「それに、午後六時半からこんな所でゆっくり出来るのは、俺たちぐらいなんじゃねーの?」
彼もまた、自分専用のミルクティー(異常な量のミルクが入っている)に口をつけながら、不平等にカットされたケーキの、一番大きい欠片を口に運んだ。
年越しで仕事の無い芸能人たちは、今日だけはそそくさと自宅に戻ってゆっくりしているのだ。
「しっかし、局の前で会うなんて珍しいな。」
「そうだねー。仕事の話すらあんまりしないもんね、恵梨たちは。」
来年から始まるドラマの撮影を終え、帰ろうと思った矢先にアキヒロに出会った。深夜の歌番組のリハだったみたい。
恵梨も彼も芸能界に属する職業だけども、業種が違うからか、滅多に向こうで会うことはない。
アキヒロはアイドルじゃないし(そもそもそれ程売れてないし)、恵梨は歌のお仕事は全くしない。理由は敢えて言わない。
そもそも、グラビアアイドルから"女優"という肩書きにされつつあるが、恵梨は役者の仕事はほんとうに向かないと思う。
演技とは、『他の誰かの思考』になりきることだってヒロキやアキヒロがしょっちゅう言う。それが全くピンと来ないのだ。
第一に、二人みたいなのにそばにいられたら、恵梨には狙って涙を流せることぐらいしか出来ないと思わされる。
「まあ、そんなに卑下することないんじゃね?この前の役は、けっこうよかった。広樹も絶賛だった。」
「ええっ?」
フォークでこっちを指しながら、アキヒロが素知らぬ振りで続けた。
「今、自分の演技力のこと悩んでたんだろ?」
ほら見たことか。恵梨には演技なんて、どだい向いてないのだ。
「まあそれはそれとして、最近ずっと疑問に思っていたんだけどさ。」
そう言いながら、アキヒロは空になった(全部食べられた)皿を取り上げて席を立つ。
その続きが聞けないと答えようもないのに、ほんとうに彼はマイペースで、自分勝手な人間である。
「ああ、ごめんごめん。あのさ、もうすぐ交際十年にもなろうって付き合いなのに、マサヤと結婚はしないわけ?」
恵梨の心を察したのか、彼が慌ててテーブルへ戻ってきた。同時に、外でも音が聞こえた――ような気がした。
「うーん、」
悩んでいた。結婚かー、そういえば、考えたことなかったな。
「そうだね。なんか、結婚してどうなるのって感じ。恵梨はれっきとした『鈴村 恵梨』なわけだし。」
「なるほどねー。付き合ってて、まぁ一緒に暮らせることも考えれて、これから先もずっと一緒だとは思うけどー…」
恵梨はその先をひったくった。
「そうそう!『結婚』っていう形式を考えはしないっていうかさ、そういう願望はないんだよ!ずっと一緒なのが大前提になってるとしても。」
はぁーっと、アキヒロが顔を組んだ手の甲に乗せて感心していた。へへん、どーだい!
「そうだな。」
という声とともにガラッとドアが開いたので、恵梨もアキヒロも驚いて背筋を伸ばした。
この家に人が無断で入るのは珍しくない、話の途中で気付かなかったから、ビックリしただけだ。
「まあ、お互いに結婚願望ってモンがないから、こんだけ長く、上手くいってるのかもしんねぇな。」
見慣れない作業着姿も素敵な、恵梨のダーリンだった。
*
仕事納めのミーティングが長引いて、遅くなっちまった。手に持った買い物袋を、テーブルの足元に置く。
このメンバーで年を越すのはえらく久し振りになる。俺にとっても、なかなか大切な日だというのに…と思って周りを見渡してみたが、どうやら三番目の人間だったようだ。
「柴田と奈穂ちゃんは?」
俺は勝手知ったる家の定位置――窓際奥の席へ向かいながら言った。オレンジ色のライトが、一瞬チカッとフラッシュする。そろそろ切れるな。
作業着の上に着込んだコートをかけ、席につくとほぼ同時に、フォションのダージリンティーが出てくる。
「さあ、仕事なんじゃねー?まだ連絡も来ないし…いや、連絡なしに来るか、あいつらなら。」
ロールケーキの皿を丁寧に置くアキヒロをふと見た。こいつは本当に、カフェの店員とかの方が向いているのではないか。――スウェットでそれをするのは置いておくとして。
「…いただきます。」
「どうぞ?」
顔にハテナマークを浮かべたアキヒロから、窓の外へと視線を移した。
猫っ毛が逆立ったほど、ものすごく風が強くて、寒い。
適度に暖められたカップと部屋、そして紅茶とロールケーキ…まさに至福の時だった。
生活感いっぱいの彼の実家もよかったが、ここまで人の手が加えられた家も、最高の居心地だ。
「ああ、そういえば。」
紅茶を一口すすってから、俺は話を切り出した。
「外に記者がいたで。なんか色々聞かれた。適当に答えたけど。」
「またぁー!?しっつこいなぁ、あいつら。」
エリが答えるが、ストーカー騒動以降、そんなに珍しいことではなかった。
恋愛疑惑みたいなのまで出てきて、相当アキヒロは頭を悩ませたらしいが(主に俺のことで)、そんなに短気ではない。
双方が完全否定した後も、どうやらその取材は絶えないようだった。芸能人ってやつは、大変だな。
「と、いうことは広樹たちも、また迷惑をこうむるわけか…申し訳ねえな。」
アキヒロがカップを両手で持ったまま、ため息をつく。
「いちばん申し訳ないのは、恵梨だけどね…。」
「まあ、しょうがない事態と言えば、そうだったけどな。」
三人でまとめて、もう一度ため息をついた。風が窓を叩く音だけが、しばらく響いた。
「ああ、エリ。」
フォションのお代わりを持ってきたアキヒロが、うつむき加減のエリに問いかけた。
「エリナ元気だった?広樹いると、話しにくいし。今のうちに聞いておく。」
エリナは今月の頭に、結婚パーティーを開いていた。俺もアキヒロも仕事で出席できなかったが、エリはきちんと行ったようだ。
「うんー、なんか作り笑顔振りまいてたけど、どっちかと言うと野心に燃えてた感じ…に見えたかなぁ。」
酷いことに、彼女との別れは、柴田に予想外の傷を負わせたようだ。
あいつが奈穂ちゃんになかなか踏み出せずにいるのも、性分のような気もすれば、そのせいのような気もする。
「結婚というか、何か自分のために一つステップアップを踏んだというか…なんかとにかく、裏がありそうな感じではあったね、うん。」
「へぇー。テレビじゃのりで固定したように笑顔作りっぱなしだったから、わかんなかったけどな。」
アキヒロがそう言って、キッチンで腕を捲くった。水が流れる音と、食器が立てる音がアンサンブルのように、一定のリズムで流れ始めた。
何故、素直に祝福することが出来なかったのだろう。中高と付き合ってきて、『女の勘』で何かを悟れるぐらいにはお互いを知っているのかもしれない。俺にはわからない。
風の暴れる外を見た。不意に、窓一面が黄色く照らされた。週刊誌の写真かと思ったが、俺が一番レンズから近いとなると、違うだろう。
この明るさは車のライトのようにも見えるから、柴田が来たのかもしれない。
向こうへ目を凝らしてみた。柴田愛用(休日しかほとんど乗らないが)のシルバーのプリウスが、こっちを不服そうに睨んでいた。どうやら後者で正解のようだ。
心無しか、身震いして見える。まるで自分もこの家で駆動部を暖めたいかのようだ。俺はアキヒロに声をかけた。
「柴田来たぞ。もしかしたら、奈穂ちゃんも乗ってんじゃね?」
洗った皿を乾拭きしていたアキヒロが、そそくさと茶葉の缶を引っ張り出し始めた。俺はテレビを見たままリモコンを手探りで探し、スイッチを入れた。
*
連れてきた松中を先に上がらせた。それから、リビングに入ると同時に声をかけた。
穏やかに流れてくるイーグルスが、急いでいた俺の鼓動を操作してくる。
「わり、遅くなったわ。」
「はいどーも。」
まだコートをかけてもいないのに、カモミールが出てきた。香りでわかる。ちなみに、あまり得意ではない。
俺はそこまで拘りが無いから、適当な物を出すように言ってある。…が、嫌いな物ぐらいは察してるはずだけど…?
「ooops、なんてこった。すまん、これカモミールじゃねーか。」
キッチンから苦笑いを浮かべながら、光浩がやってくる。勝手に俺のカップを取り上げ、隣に座る松中の前へ置いた。
「女の子の方が飲めるっしょ。さすがに捨てたくはないしね。」
それでも喜んで口を付ける松中を見れば、まぁ良かっただろうと思える。
「貧乏症かよ。」
テレビにガンを付けながらツッコミを入れたのは山口だった。――作業着だって?
まぁ、どうやら、俺達が一番遅かったらしい。新しいカップが、俺の前に出された。
「これは?」
俺は思わず聞いた。どうやら光浩は、アトランダムに茶缶を引っ掻き回し、一番手前の茶葉を使っていたらしい。
「んー…リプトンのプレミアムかな。いやあ、手間取ってすまないね。」
構わなかった。どうせこの家の中では、外の三分の一程度のスピードで時間が流れるのだ。
まるで外からは見えない、別次元に出来た喫茶店のようだった。
「うまー!久し振りに来たけど、やっぱりここの紅茶は格別にうまいね!」
はしゃぐのは、大晦日まで仕事に振り回された松中だ。かく言う俺も、午後五時までカウンセリング詰めだったんだけど。
「山口、今日仕事?」
「見りゃわかるだろ。」
山口ついでに、彼が見ていた番組を見てみた。――ニュース?頭に、入っているのか?
「いや、いつも私服で仕事してんじゃん…。」
「ですよねー。」
エリが便乗してきた。気になって、いる?
彼は曲がりなりにも、運送会社を経営する若手社長…だが、社長室でゲームをしたり、忙しくないときでさえ私服で働く、そんな奴だった。
「ああ、今日は、」
『下町うまいもん特集』のテロップを見ながら、山口は言った。
「イタリアからマカロニのメーカーが来てたんだよ。」
光浩と松中が噴き出した。
「大晦日にかよ。」
と、光浩が口を袖で拭いながら言う。
「なるほど、対外交渉だったのね。」
大規模ではないとは言え、会社は会社だ。他の企業との交渉だってあるだろうに。
と思っていたら、真ん中どストライクな疑問を、松中がぶつけた。
「いやいや、言語の壁ってやつがあるでしょ。特に山口くんには…。」
カモミールをこぼしそうになりながらくすくすと笑う松中の顔とは裏腹に、光浩の顔は疑問そのものだった。
「すげえな、どこで覚えたんだよ。」
彼は言語に対して敏感だ。ちょうどテレビのニュースで、まだ中学生ぐらいの女の子が、三ヶ国語を使い分けていた。
「あーいうのは態度なんだよ。言葉は後からどうにでもなる。ボンジョルノ、ピアチェーレ、グラチエー、アリヴェデルチーってな。」
こんちは、はじめまして、ありがとう、それではまた、と俺は適当に訳を振ってみた。綴りは全くわからない。
光浩の顔を見るに、彼には全く理解が追いついて無いのだろう。
「ほえーっ。ああ、そうだ、イタリアもんじゃないけど。」
わたしからの差し入れ、と言って、松中が持ってきた紙袋から、立方体の缶を取り出した。
光浩の表情が緩む。どうやらそれに見覚えがあるらしい。とすると、能登関係の何かか。
何でも偶然能登で会い、一つ面白い事態に遭遇したらしく、彼は俺に電話をかけてきたのだった。
「チェリーブロッサムのママが、送ってくれたんだ。」
松中はそう言って、その缶を開けた。空気の抜ける気持ちいい音がする。
チェリーブロッサム。さくら。なるほど、やはり能登の人からのか。光浩が大きめの皿を持ってきていた。
中身はクッキー…いや、ラングドシャの詰め合わせだった。平面に十六枚見えるから、この厚みだと八十枚は入っているだろう。
「おお、うまそうだな。」
皿にあけられたラングドシャ達を一匹つかんで、山口がいの一番に口へと頬張った。
「さて、紅茶のお代わりが必要なようだね。」
光浩が席に立った途端、いくつかの声が上がった。みんな同じ言葉を発していた。
『同じもので。』
トレーに五つのカップを乗せながら、光浩が豆鉄砲を食らった鳩のような顔をした。
*
お湯が沸くまでに、少しの時間を要した。俺はテーブルを振り返らずに言った。
「しっかし、年越しパーティするって言った割には、めかしっ気の一つもないね。」
自分がスウェット姿だから筆頭になるわけだが、そこからワイシャツ二人に作業着と来て、女性用寝間着みたいなヤツだ。もちろん、この部屋にだって何も装飾を施していない。
「あったほうがいいとでも?」
エリの声がする。マサヤの前では幾分トーンが高くなるのはデフォルトなのだろう。
「いや…確かにそういう期待はしてないわ。」
「こういうのは、気分の問題だからな。」
テレビから大きな音がする。俺も含めて、みんながそっちを見た。紅白歌合戦の大きなテロップが、画面を埋め尽くした。
湯沸かしから別の音が漏れる。オーディオはとっくに、止めていた。
フォションのダージリン、フォンセカモミール、ウエッジウッドブレンド、リプトン、ロイヤルアールグレーの茶葉を確認して、落とした。
「…よし。」
そして、俺達の『めかし気のない』年越しパーティが始まった。
――Let it be, 『This moment』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます