幕間:At the end of our year
―幕間・At the end of our year―
*14*
小田急が多摩線に入ると、乗客は本線の半分くらいになった。
これはわたしが小さな頃から変わらないし、朝なら朝で、学生やら会社員やらでものすごく混んでくる。
しかしそれでも、新宿とか、あの辺の混雑っぷりに比べればマシな方だ。
十二月の半ばの土曜日で、電車から見える景色(ほとんど住宅だ)はクリスマス・ムードに染まっていた。夜になり雪でも降れば、それに拍車がかかるだろう。
五月台の駅から見えた一軒家のツリーの電飾が、午後十二時だと言うのにチカチカと光っていた。
『間もなく、栗平――栗平――』
わたしは電車を降りるため、席を立つ。そういえば最近、電車の中で考え事をすることが多いな、と思った。口元が緩む。
ホームに一歩降り立つ。目の前の景色は隣接するマンションに阻害されている。川崎市麻生区栗平――ここは、わたしの生まれ育った土地だ。
――This Moment;14th flet
「あれ、奈穂じゃない。帰るなら一本連絡でもよこしなさいな。」
母は快く、わたしを迎え入れてくれた。遠慮をすることもなく、ブーツを足だけで脱ぐ。
約一年ぶりの再会だ。少し、シワが増えた気がしなくもない。もう母は五十になるのだ。非情にも、これから老いは進んでいくのだろう。
駅から徒歩五分――というか、駅前のスーパーの裏側が既に住宅地だ。わたしの家はそのスーパーから道路を三つほど挟んだ所、いわゆる『高級住宅街』である。大人になってからわかったことだけど、わたしの育ちはものすごくよかったみたいだ。
「おとーさーん!」
ペタペタとスリッパのまま母は父を呼びに行った。それに苦笑しながら、玄関に置かれた姿見を覗く。――うーん、ちょっと、太ももに『きた』かなぁ。
何とか元に戻そうと固く誓う。恋する乙女はダイエットに前向きだからね。
リビングは相変わらず、一体化したダイニングテーブルの上に、乱暴に書類や冊子が積んであった。
それでも大体はわたしが犯人だったから、それが"居なくなった"ことで、少しは片付いたようにも見える。
大学時代はしょっちゅう帰っていたから気付かなかった。"わたし"の形跡が少なくなりつつある。まるで自分が余所者のようだ。ここは実家なのだけれど、少し寂しい。
「ちゃんとご飯食べてるの?」
――まただ、きっとどこの家もそうだろうけど、久し振りに会った母親は必ずこう言う。
「当たり前でしょ。わたしの料理ったら友達はみんな絶賛してくれる程の腕前なんだよー。」
事実だった。大学時代親に負担をかけまいとひたすら自炊していたし、料理のレシピもたくさん覚えた。
山本くんの家に溜まる時だってご飯はわたしが作っている。五月くらいから(柴田くんと)通い始めているが、今ではすっかり食事当番だ。
そうは言っても、大学時代を除けば料理の腕を披露するのは、ほとんど彼らの前なんだけど。
あーほんとにかっこいいわ柴田くん。来年はもうちょっと積極的にイってみようかなぁ。こんだけ山本くんや山口くんと遊んでるんだから、彼女は居そうにないし。
視線を前に戻した。そう、と母は言って、わたしに湯飲みを差し出した。この世で一番落ち着く玄米茶が出てきた。
「でも、急に帰ってくるなんて珍しいね。就職してからずっと会社漬けだったんでしょ?」
「うーん、まぁ、ね。色々あって、ちょっと久し振りに顔を出そうかなと。」
わたしは少し恥ずかしくなって、ぼそぼそと答えた。
実を言うと先月、社員旅行のついでに起きたちょっとした事件を受けてのことだった。
しばらく親に会っていなかった――というかほぼ完全に放置してしまっていたから、たまには親孝行しに来ただけだ。どこかの息子のようには、なりたくないなと思って。
「そうだそうだ、これ、能登のおみやげなんだけどさー。」
その恥ずかしさを吹き飛ばすようにわたしはカバンを漁り、袋を差し出した。
「一夜干しにわらび粕漬け――これあんたが食べたかったんじゃないの?」
母の言葉をわたしは手で否定する。和食が好きなうちの家庭には、きっと合うだろうと思っただけだ。――半分くらいは。
わたしが出て行ってからも、両親は部屋をそのままにしておいてくれた。
家具付きの部屋に住んでいるから、持っていく必要のないベッドや机が余っている。
何だか自分自身を取り戻したような気持ちになって、すごく懐かしく、嬉しくなった。
思わずベッドに仰向けに飛び込む。暖かい。きっと、干してくれていたんだ。
天井を見つめながら考える。両親はわたしが居なくなっても、ずっとわたしの事を考えている。
今まで知って――理解してきていたつもりだけれど、わたしは、愛されているんだなぁ。
人が、自分の環境と同じような家庭を作ってしまう理由が、わかった気がした。わたしも、こんな家庭を築きたいなと、正直に思える。
今はもっと若者の自分を最大限に謳歌していきたい、最高の仲間と、好きな人とつるんで、遊びまくりたい。
でも、いつかは――このぐらい暖かい家庭を――柴田くんとだったら、いいけど――作ってみたい、なぁ。
気付いたころには、窓の向こうが真っ赤に染まっていた。どうやら、うたた寝してしまったようだ。
外から、子供達のはしゃぐ声が聞こえる。ここは住宅が密集しているから、十字路の片隅に公共スペースがいくつも点在しているのだ。
「晩御飯、食ってくんだろ?」
部屋の外から、頭のすっかり寂しくなっていた父の声がした。ドアは閉まっている。昔、頑なに入室を拒んだ事を思い出した。
ゆっくりと起き上がってから、言う。
「ドア、開ければいいのに。お父さんを拒絶するような歳じゃあ、もうないよ。」
父は既に、ドタドタと廊下を歩いていくところだった。
「まったくもう…。」
わたしは着崩れた服を直して、ベッドから立ち上がった。
たまには、父の隣でご飯を食べてやろう。
テーブルには、わたしが持ってきた一夜干しや漬物が並んでいた。
さすがだ、母は心得ている――やっぱりちょっとだけ、食べたかったんだ。
そうしていの一番に口をつけたわたしは、父の一言でそれを全部ぶちまけそうになった。
「彼氏は出来たか?」
思わず箸を持つ方の腕で口を塞いでしまう。当の本人は、わたしが初任給であげた湯飲みを悠々とすすっている。
「なっ――」
今やこんな状態だが、わたしは高校時代から、彼氏を作ったことは無かった。
合コンや男友達と遊ぶことはあっても、恋愛に発展させられる程の気持ちは持てなかったし。
「うーん、まだかな。」
「昔は二十三には結婚するって言ってたのにねぇ。」
こちらを見ないまま母が意地悪く微笑む。わたしは誕生日を迎えて、もう二十三歳だ。
だが、今だってその希望を捨てたつもりはない。わたしは自分の気持ちを確かめていた。
「――いるよ。」
母も、父も、食べる手を止めた。
もう一度聞こえるように、ハッキリと言ってやった。
「好きな人くらいなら、いるもん。」
父が、カチャッと箸を置いた。――え、さっきの、冗談半分だったの?
「泊まっていってもいいのに。」
母が残念そうに玄関へついてくる。
「んー、明日は同僚と遊びにいくからねー。あっちに居たほうが、思いっきり寝坊できる。」
「うまくいったら、うちに連れてきなさい。」
わたしは背伸びしたまま停止した。やっぱり、言わなくてもよかったと後悔していた。
「もー…。」
「冗談、冗談。」
母は苦笑した。そして、母らしい一言を続けた。
「いつでも、帰ってきなさい。今度は、連絡してね。」
「べつに連絡したところで、変わらないよ。年が明けたら、また帰るから。」
わたしはそう言って、やはり居心地の良かった実家を後にした。
人通りはまったくない。土曜の夜になれば、住宅街は廃村のように静かだった。
ほんとうに、五分で駅に着くとは思えない土地だな。とわたしは苦笑した。
とりあえず次は、再来週の年越しパーティーをみんなでする予定がある。
あの異常な集団の中にわたしが呼ばれることは、とても嬉しくある。
ただ、やっぱりあの中での柴田くんは、なかなか遠い人に見えて仕方がない。
わたしは道中で買った炭酸飲料をつぶしながら、東京へと向かう電車に乗り込んだ。
――It's a break time for us leaving 『This moment』.
-At the end of our year-
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