第四章:Ticket to ride -2
*12*
「『石川県金沢市二宮町二二五の六○三』ねぇ…。」
スタジオに戻った俺は、ソファーに寝転がりながらその切符を眺めていた。
果たしてこの住所が実在するかもわからない。実は、この切符を捨てるか否か迷っていた。
誰かのイタズラかもしれないし、長い乗車時間に退屈して適当な落書きをしたケースだってあるのだ。
ひょっとしたら、裏面を使って、『金沢市二宮町』という漢字を子供に教えただけかもしれない。
一緒にこの切符を眺めた松中さんは、『おじいさんの字みたいだ』と言っていたし。
俺は字から年齢なんて推測できないが、確かにその切符には、独特の力強いハネやハライがあった。
――そういえば、九十を過ぎてまだピンピンしている俺の祖父が書く字もこんな感じだったな。
後ろにのけぞりながら、時計を逆さに見る。二時ちょうどくらいを差しているから、十九時半か二十時半ってところか。
ということは、かれこれ一・二時間半ほどこの切符と格闘しているということだ。その間、曲作りは全く進んでいない。
――This Moment;12th flet
平日で十三時が近いというのに、金沢周辺の乗客は多い。
滞在先の七尾付近がジョークかと思えるほど、JR七尾線の車内は人でにぎわっている。
午前中から降っている柔らかい雨のせいもあるだろう。高齢者や赤ん坊連れに混じって、スーツ姿もよく見かける。
ふう、と外の景色を見ながらため息をついた。俺は雨が大嫌いだが、このため息は雨のせい、ではない。
「で…なんで、ついてきたのかな?」
「えっ?」
俺は右に――右下に座る小さな松中さんに問いかけた。
きょとんとした顔でこっちを見上げる。いや、きょとんとしてるのはこっちなんだが。
彼女は一時間前に電話をかけてきた。昨日アドレスを交換したばかりで登録しそびれていて、最初はどこぞのプロダクションの人間かと思った。
『ねえ、あの切符まだ持ってる?わたしもう七尾駅に着くんだけど、確かめに行こう。』
ホームで噴き出しそうになった。ちょうど、金沢行きの電車を待っていたところだった。
丁重にお断りしようと思ったが、東京に帰ってからが少し怖いので、"是非"ご一緒させて頂くことにした。
ほんとうに、友達の彼女という存在はずるいと思う。
『では、三両目に乗っておりますので~。』
彼女ははつらつとした声でそう言い、一方的に電話を切った。――おまえ、俺のこと嫌いって散々触れ回ってなかったか!?
「こんな面白そうなことに、またわたしを置いていく気だっただろー?」
松中さんがニヤニヤしながら聞いてくる。
「"また"って…前回は下手したら死んでたわけだが。」
バットに打たれて血まみれの広樹を思い出した。俺だったら鈍いから、死んでたような気がする。
彼女の身長を考えると、一番力が入る瞬間にぶつかるのではなかろうか。
「ごめん、下手こかなくても確実に死ぬわ。松中さん、小さいから。」
後半はものすごくヴォリュームを抑えた。途中で言ってはいけないと気付いたからだ。
「最後の方、なんて?」
ニッコリと彼女は笑った。頬が、痙攣している。
『毎度ご乗車、ありがとうございます――次は終点・金沢でございます。』
腕をグーで叩いてくる松中さんをなだめながら、俺は出口へと歩いていった。
駅構内はガラス張りのドームのようになっていて、建物のデザインなら東京の主要駅にも劣らないだろう。
東京のデザインは、むしろ駅を出てからが特徴的なんだけど。
やはり、ここは石川だった。
駅前が"上下に広い"東京と違って、ちゃんと"左右に広がっている"ので、涙を流すくもり空がはっきりと見える。
二十分程歩いて(タクシーを使えばよかったかもしれない)、俺たちは二宮町の入り口にあたる中学校に辿り着いた。
ここからは詳細地図頼みの散歩になる。傘はとうに、松中さんに贈呈している。(彼女は傘を持っていない)
どっちみちサラサラっとした細かい雨になってきたので、雨嫌いの俺にも必要がなかった。
ただ、スニーカーに染み込む水だけは鬱陶しい、彼女のビリジアンのブーツと交換して欲しいと、切に願う。
「とりあえず、電柱だよな――ってここじゃん、二二五番地。」
俺は一番近くの電柱を指差して、右下の松中さんを見やった。――うーん。
六十五センチのビニール傘に隠れたまま、彼女はおぉぉと目をキラキラさせていた。
「すげぇぇぇぇ、探偵気分だ!」
「ばかやろ、遊び半分で浮き足立つな!」
傘の骨を小突く。とはいえ、俺自身も探す手間が省けたと、胸を撫で下ろしていた。
そもそも、あの切符が住所だとして、それが実在していたことが驚きだ。まだ、住所と確定したわけではないから、油断はできないが。
「でもさ――」
松中さんが思いっきり上体を反らす。俺もその視線の先を追った。
金沢市二宮町に聳え立つ、高層ビルのようなマンションが、そこにはあった。
「いち…に…さん……全部で十一階建てかな。」
「一階を数え忘れてるから、十二階建てだろうね。」
彼女が細長い指を曲げて数える。少しその迫力に気圧されてるようだ。
歩いてきた道を少し戻った所に、恐らく入り口があったはずだ。
「六○三に人がいるかだけでも、見てくるか。」
俺はゆっくりと六階部分を目で追いながら歩き出した。
*
「うわ…汚っ。」
わたしは思わず腕で鼻を押さえてしまった。幸いオートロックのマンションではなかったので、中に入るまでは容易だった。
ただ、エレベーターを使って辿り着いた六○三号室の前は、まるで廃墟のようになっていた。
鉄の部分が真っ赤に錆びた子供用の自転車、格子のかかった窓の下には、ダンボールや電化製品のスクラップが突っ込まれていた。
「ひどいな…。」
一歩進むと、部屋の前に開けたスペースが見えた。そこのイスをどかしながら、もやしが呟く。
「もう何年も帰ってない、みたいな感じだね…。」
腕で押さえてるので、声がモゴモゴとこもっていた(彼が怪訝な顔をした。腹立つ)。
さっきから三度呼び鈴を鳴らし、ノックもしたが、返事は返ってこない。
冷静に考えれば、返事をされたところで何を言おうか困っていたけれど。彼は何か考えてたのかな。
「松中さん…ここで待っててもいいぞ?俺が様子を見てこよう。」
もやしは肩をすくめて、一歩下がる。
大賛成だ。本気でこの場所はひどい。キレイな場所で育ってきたわたしには刺激の強すぎる場所だった。
とはいえ、平日昼間で何の声も、何の音もしないマンションの廊下も――怖いといえば怖かった。わたしは首を横に振る。
「行く。」
涙目になりながら前に出て、ドアを開けようとしたら――止められた。
びっくりして振り向く、思いっきりため息をつかれた。
「管理人に言おう。話を合わせてくれると嬉しいんですが。」
見ず知らずの人間に、そう簡単に部屋を開けてくれるものなんだろうか?
「おーいおい遅かったがいや!連絡もよこさんと何やっとったね!」
階段を上りながら、管理人のおじさんは容赦なく彼を怒鳴りつけた。さすがに理由もなく怒鳴られてると、かわいそうになってくる。
それにしても、六○三号室の人はどこへ、そしてもやしは一体何を言ったんだろう。また、何かの嘘をついたんだと思うけど。
当の彼は、後ろ頭を抱えながらただ平謝りするだけだった。――ぜんぜん、らしくない。
「はぁ…すみません…、仕事が詰まってまして。なかなか親父の世話まで来れなくて…。」
なるほど、子供のフリをしたのか。でも自転車だけでなりきるなんて、男かも女かもわからないのに、ちょっと浅はか。
そう思って自転車を見たら、パイプの所にご丁寧に名前が書いてあった。マジックが消えかかってたから、最初は見えなかったのだ。
「親父も言ってませんでしたかね?よしひろが来るのはだいぶ先になりそうだ、とか。」
どうやら、完全に息子になりきったらしい。遠まわしに相手を責めている。ここは彼に任せることにしよう。
「久下さんもなぁ…三年分の家賃を置いて死ぬちゃあ…。そんなんけ、ずっと連絡しとんよ。それをおんだらは――」
わたしの息が詰まった。――亡くなっ…た…?
くげさん。それが六○三号室の住人の名前らしい。性別と年齢はわからない。そしてもやしはその人の息子、『くげ よしひろ』となった。
"息子"は表情を変えずに、苦笑いをするばかりだった。部屋の前で、もやしは手を差し出す。
「アーハハ、ほんとに、すいません。じゃ、鍵お借りしますね。」
「おいね、荷物を運び出したら、返してくれよ。」
「まーさか、死んでた、とはねー。」
"息子"はテンポよくもう片方の靴を脱ぎながら、本音を口に出す。
外観に反して、玄関はそこそこ片付いていた。たぶん、一人で住んでいたのだろう。
「おじゃましまーす。」
わたし達は一つ合掌をして、お部屋にお邪魔させていただくことにした。
2LDKのリビングは広めで、大人が一人で住むにはどこか寂しそうな、都会の牢獄みたいだ。
「ここまで来ちゃったけど、これって犯罪なんじゃ…。」今更な事を聞いてみる。いざとなったら、もやしを突き出そう。
「まぁ、最悪松中さんだけ逃げ帰って、俺が怒られればいいよ。」
意外な返答にわたしはちょっとびっくりした。自分のことだけしか考えてないかと思った。
――そもそも怒られる、程度で済むのかな…。――それより、と彼はわたしをテーブルに誘う。
「こいつをどう思うかな?」
その上に、頭を狂わせる物が置いてある――現金だ。
いち、に、さん――やめた。数が多すぎる。キレイに紙で縛ってあったし、それを解く勇気はなかった。
「これ…って…。」
思わず後ずさってしまう。全く見たことのない額なのか、そうでないのかすらわからない。とりあえずわかるのは、束が三つなことだけだ。
「もう一つ、これ。」
もやしが三つ折りにされた紙を差し出す。なんでこの状況でそんな平然としていられるか、ツッコんでやりたかった。
震える手で手紙を引っつかむ。そこには、『さくらに、わたして』とだけ書いてあった。
「さくらに、わたして…。」
わたしは意味もなく、復唱していた。うるさい胸をはやく落ち着かせたい。気持ち悪くなってきた。
「松中さん、落ち着いて。とりあえずこれ見てよ。」
もやしは人の部屋を我が物顔で歩いている。現金には興味もないのだろうか。
指差された通りの物を見た。壁にかけられた日めくりカレンダーだ。日付は六月二日。
「六月――ふつかって!?」
「うん…平成二十二年六月二日。切符の日付の、一日前だね。」
彼の言葉のトーンは、わずかに低く感じた。目線も、少し下を見ているような気がする。
一体くげさんはどうして、わたし達をここに呼んだのか。どうして、切符をレールに挟んだのか。
何もわからないまま、テーブルの上の現金を見ていた。
「とりあえずー…さくらに、渡さなきゃな。」
もやしがいつの間にか隣にいた。忍者みたいだから、やめてほしい。
「渡すって…あんたは見ず知らずのさくらさんにコレを配るってゆーの?」
「三百。」
「え?」
彼は三本指を立てて、わたしを見ていた。冷静に言い放つ。
「これは百枚の萬札の束。同じくらいの高さの束が二つ。全部で三百万。」
いつ数えたか、とかそういうツッコミはとうに忘れていた。三百万ということばが、わたしを押しつぶした。
「持って帰る?」
その中の一つを掴んで、わたしに差し出してくる。気を失いそうになった。
それを必死でこらえ、せいいっぱいの理性で、首を横に振る。
「ですよね。」
札束を引っ込めないままアハハと笑った。――こいつ、からかう気!?
彼はリビングの隅に詰まれた新聞紙を適当に引っ張り出し、一枚をテーブルの上に広げた。何をするんだろう。
「何してんの。松中さんは、さくらを探して。」
「ちょっ――何言ってるの!?」
イライラしてきた。彼が何がしたいのか、わからない。
とは言え、あんなことを言ってしまった手前、今更逃げ出すわけにもいかなかった。
「貸しなよ。」
不器用な手つきで札束を包もうとするもやしを制止して、わたしはテーブルに向かって腕をまくった。
*
正直、助かったと思う。俺は手先が致命的に不器用なシンガーソングライターだ。
広樹の彼女は料理もうまい。あーいう作業を任せても大丈夫だろう。
この家を探索してみて、久下さんという人物の色々なことがわかった。
彼は妻と離婚し男手一つで息子を育て、その息子が成人すると同時に定年を迎えた。
定年を過ぎてからはこのマンションでひっそりと暮らしていたようだ。もう一つの部屋はキレイに片付いていたから、恐らくよしひろさんの部屋だろう。
写真もいくつか寝室に残っていた。俺には似ていないから、恐らくあの管理人さんとの付き合いも薄かったと思われる。バレないわけだ。
そして息子が出て行ってから、彼は「恋」をひとつ見つけたのだろう。
彼女に何があったのかは知らないが、とにかくひとりとなった彼は、三百万ものお金を用意したわけだ。
「ぜったいに、探しましょうか。」
俺は彼の寝室で見つけた住所録と手帳、そして携帯電話を抱えながら、リビングのドアを開けた。
「なにそれ…。」
とっくに現金を包み終えた松中さんはそう言い、ソファーにもたれながら続けた。
「ざっと歩き回ったけど、ほっとんど埃っぽくて大変だね。」
ゆうゆうとそんな事を言ってのける。
「時が止まったみたいだな。…去年の六月二日から。」
六月三日、この日に彼に何が起きたかはわからない。
ただその日から一年半近くが過ぎて、彼は亡くなり、ここに"さくら"さん宛の現金三百万がある。
契約と家賃はもう一年半くらい残っているが、この遺言は動かしてやる必要があるだろう。
俺は心に誓っていた。――さくらさんは、必ず探し出してみせますから。
松中さんの横へ躍り出て、ソファーの前にあるガラステーブルに、住所録と手帳を放り投げる。
「手伝えよ。」
彼女のまっすぐな目が俺を見る。少し雰囲気が引けて見えるが――ああ、俺の目が真剣なのか。
「さくらさんを探す。」
俺はより分厚い住所録の方を掴んで、現金が置いてあるテーブルへと向かった。
やはり、この部屋は広すぎる。一人で住むには、いささか心細かったのではなかろうか。
――Time stopped in here. but maybe she waits his words 『This moment』.
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