第三章:Don't ignore any crimes -1
―第三章・Don't ignore any crimes―
*8*
今年の『恒例イベント』が終わり、恵梨たちはまた『いつもの日常』を買い戻そうとしてた。
一つの事件とセットでね。あぁ、怖い。
――This Moment;8th flet
コツ、コツ、とハイヒールが叫んでる。
肩掛けのカバンを押さえながら、八王子駅からの帰り道を歩いてた。
真夜中が近く、市外から逸れると辺りはもう閑散としてた。
路地を風が通り抜けて、思わず身震いする。
九月がもう始まってるので、薄着だと夜は少し肌寒かった。
昼間は残暑厳しくーとか言うクセに、この気温の差はやめてほしい。
何の気なしに携帯を開いた。この前のロングビーチで撮った写真が待ち受けになってる。
――あれから、もう二週間かぁ…。
視認出来る星を数えながら、恵梨はふと、立ち止まった。
――後ろから、誰かついてきてる!?
最初は、自分のハイヒールの音が響いてるんだと思った。
でも、今いる場所は広いし、周りに民家やビルは少ない。
恵梨はソックスを上げるフリをしながら、目だけで後ろを見やった。
暗くてよくは見えないけど、確かに小柄な――男性っぽい――人物が立ち止まってる。
すっと全身の血が抜けたような気がした。
念のため、もう一度歩き出してみた。
確かに、同じ速度で後ろの足音が近づいてきてる。
少し速足にしてみた。後ろの足音も、速くなる。
恵梨は全速力で走り出した。
*
中央線の最終電車で、俺たち―俺と光浩はエリを迎えに行った。
肉親でもないのに迎えに行く事が意味不明だが、身の安全を考えると仕方が無い。
何より、肉親以外では保護者に最も近い山口が、最も遠くに住んでいるのだから、俺たちが行く他ないのだ。
つまり、山口代理、ということ。今頃、車をかっ飛ばしてこっちに向かっているだろう。
「見つけたらぶち殺せ。俺が隠す。」
とまで言っていた。『ぶち殺していいぜ』と言わずに命令形だったから、本気だ。
ごった返す車内の中で、俺と光浩の会話は無かった。
いや、それぞれ、一時間後のための«Considering(長考)»を始めていたのだ。
――まもなく、八王子、八王子――
「ストーカー…ね。」
そう呟いて、光浩が立ち上がった。その手にノートパソコンを抱えている。
そういえば彼は、力を振り翳して他人に迷惑をかけるようなタイプが一番嫌いだった。
交番の奥の部屋で、エリは小さくなっていた。
俺たちが顔を見せると同時に、ふっと全身の力が抜けていく。
「気を確かに。」
俺はそう言ってエリの荷物を担いだ。俺と光浩では、俺の役目だろう。
「マサヤもちゃんと来るよ。とりあえず家に帰ろか。」
光浩がミルクティーを差し出した。
おまわりに礼を言って、エリの部屋に戻った。
帰路の間、エリは全く口を開かなかった。ショックなのだろう。
無理もない。ほぼ都市伝説と同じ認識のストーカーが、いきなり目の前に現れたのだ。
初めて口を開いたのは、チャイムが鳴った時。
光浩が「覗き穴を――」と言い終わらないうちに、「マサヤだ。」とぼそっと言った。
どうやら特殊な鳴らし方らしい。俺にはわからなかった。
のそっと部屋に入ってきた山口の目は真剣だ。
「で、何かわかったか?」
「何も聞いてねーのにわかるわけねーだろ。」
光浩がシュラッグを入れる。
さて、保護者も来た事だし――
「俺たちは、外そうか。」
光浩のパーカーのフードを引っ張る。それを、山口が止めた。
「何のために«Considerists(熟考者達)»を呼んでんだよ。」
鋭い目で見てくる。が、俺はそれをかわした。
「あいつが、望んでるんだよ。」
光浩が横で、掛け布団に包まるエリを指差していた。
「一人作戦会議、無駄になったなあ。」
エリのマンションを出た俺達は、同時に気づいた。
――通りの向こうで、誰かがこっちを見ている。
光浩が先に駆け出した。相手が踵を反して走り出す。
「待ちやがれ!」
勢いよくスタートを切った光浩に、俺はゆっくりと追いついた。
「相変わらず速えな…。」
「おまえもな。」
それだけ言って、俺は彼に追いつくべく、スピードを上げた。
*
「お前も、人並みに速くなったな。」そう言いたかったのだろう。広樹はもう遠い背中だ。
彼は昔から足が速かった。
小学生の頃はクラスで一二を争うほど。対して俺はものすごく足が遅かった。
とは言っても、逃げた相手――小柄だが恐らく大人だろう――に負けるほどの足を持っているつもりも、もうない。
相手は頻繁に通りを曲がり、俺達を巻こうとしていた。
通った道をきちんと頭で整理しながら、俺は広樹の背中を追った。
――ああ、それなのに。
二十数度目の角を曲がったところで、俺は思わず顔を背けてしまった。
血だまりを作って、広樹が倒れている。
血だまりの位置から、恐らく出血部位は頭。
この通りに小柄な男の姿はなかった。きっとどこかで監視しているんだろう。やられた。
携帯電話を取り出し、先に救急車を呼ぶ。半コールで繋がった。
ハッキリと電柱に書いてある住所を告げ、次は警察に同じ電話を、広樹の様子を見ながらかける。
最後に、マサヤに電話をかけた。
『どうした?』
「悪いな、多分すっげーお邪魔だったと思うんだが。」
『大丈夫。大体こんな時にセックスとか無理だろ。』
「そうか。」それもそうだ。俺は納得して、続けた。
「恐らくストーカーは小柄な男、広樹がやられた。エリのためにもお前はそこを動くなよ。」
『なっ――』
「心配いらない、応急手当はしてる。」
広樹の出血がまた始まったので、一言断って俺は電話を切った。
頭の下にカバンを置いて、服で止血帯を作る。
側頭部を強く打っているから、強く圧迫するのは危険と思われた。
俺は医師ではないし、免許も持っていないから、出来ることは限られる。
救急車が到着するまでの六分が、一時間に感じられた。
俺も同乗したかったが、警察を呼んでいる手前、それは出来ない。
ただ俺に出来たことは、警察が来るまでの間、小柄な男が様子を伺っていたであろう、真っ暗闇の先を見つめる事だけだった。
――I cannot excuse any crimers, I swore 『This Moment』
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