第ニ章:on the Royal Garden -4


*7*


――山口は目の前にもう居ない。

それでも、言葉だけはずっと、俺の頭に響いていた。

そしてその言葉を受け、俺も今――跳ぶ。


――This Moment;7th flet



「勝手に死んだみたいにしてんじゃねーよ。」

柴田くんが山口くんに頭をばしっと叩かれていた。

はずみで飲んでいたジンジャーエールをこぼしてしまう。――それ、わたしのだよ。

『うえ』で何があったのかはわからないけど、わたしが何かやらかしたのは確かだった。

嫌われてる感じはないけど、少し恨めしそうな目で見てくる。かわいい。

柴田くんに«Considerist»の認定をもらったはず、なんだけどなあ。

流石に好きだああとか叫びはしなかったけど、恵梨ちゃんは見ていたのだろうか。

この後もう一回休憩があるって言ったから、その時に砂浜まで出る話になってる。楽しみ。

――にしても、このグループ色々とぶっ飛んでるね。

先生とか社長とか芸能人とか、おまけにミュージシャンまでいるし。

この人たちはもう慣れっこなのだろうか。いい加減に気づいてほしい。

「松中何してんの?今度はお前がおせーよ。」

数メートル先で声をかけてくれる柴田くんは、少し遠くに見えた。


 準備作業が滞り、午後四時を回っても恵梨ちゃんの休憩は来なかった。

何でも憧れの女優・真更貴子さんとの対談があるそうなのだ。

恵梨ちゃんが真更さんを尊敬する、という構図はあんまり想像つかないのだけれど。

仕方がないので、波のプールの際でゆらゆらと揺られながら、わたし達三人は午後を過ごしていた。

もちろんブーツサンダルは今でも履きっぱなし。柴田くんは変な目で見るけど、盗られたら大変なんだし。

なんてったってわたしの«基本(スタンダード)»なんだしね。

「せっかくだから波の出るとこ行こうぜ。」

山口くんが送水口を指差して言った。

「わたしは…。」

確かに、あそこの方がこんなヌルい所よりも、格段に面白そうに見える。

だけどわたしの身長はわずか一四九センチしかない。ミニミニなのだ。

だが、そんなことは山口くんも、柴田くんにも見ればわかる。

「二人で行ってきたらいいよ。ここから見てても楽しいし。」

ちょっと気を使ってみるのだが、二人は顔を見合わせるばかりだった。

「何言っちゃってんの?」

ふいに、柴田くんに腕を掴まれた。

「わわわっ!ちょっと!」

思わず慌てた声が出てしまう。足がつかないところでは、泳ぎたくないんだけど…。

そのまま深いところまで引きずられている。もう既に足はつかなかった。

それでも、わたしは沈まない。だって、柴田くんがいるから。



 昼過ぎから、見せ付けてくれるよな。

コレで自覚がないとか本当に笑わせてくれる。

柴田と奈穂ちゃんは、どこからどう見ても恋人たりえるだろうに。

俺は奈穂ちゃんの手を引いて行く柴田の後を追って、波のプールの送水口へ向かった。


「柴田が掴んでれば、溺れることはないだろ。」

奈穂ちゃんは泳げないらしい、が、流石に腕を引かれてれば溺れはしまい。

送水口の手前を仕切るようにブイがあるから、そこを掴んでいれば大丈夫だ。

それにしても、あそこまで距離が近いと、こっちがムカついてくるぐらいだ。

何度も何度も、目の前のじれったい光景が俺をイラつかせる。

そこにちょうど、手を引く柴田のケツが向いたもんだから――

ドカッ、と一発蹴ってしまった。

「おわっ――」

と、柴田がとっさに奈穂ちゃんを抱えたまま水中で半回りする。

伊達に運動神経が良いわけじゃないみたいだ、自分のこと以外にも気が回っている。

それを無視して俺は、一人先にブイに辿り着いた。

後はもう、柴田次第なのだから。



 松中を取り逃がさないようにしながら、俺は一回りした。――山口、蹴ったのね。

さぁこの、『松中を抱きかかえてしまった』感じ、どうしよう。

冷静になろうと一所懸命な自分がいるが、流石にちょっと不測の事態だ。

とりあえず松中が動転しないよう――もう目がくりくりしてるから無理かな――ブイへと引っ張り続けていくことにした。

地面をだっと蹴って、元の体勢に戻る。出来ればもうちょっと抱えてたかったけど。

松中が戻ってくるのにもう少し時間がかかりそうだ。目がくりくりしている。

「え?え?」

「どこかタチの悪いやつがぶつかってきたみたいだ。」

――足で。

あくまで冷静に俺は言い放った。言い『放って』しまうことが、動揺の証だと気づいたのは後だった。

「タチの悪いやつ、ね。」

松中が苦笑いを浮かべた。怒っている、わけではなさそうだ。


「あーっ。やっぱり波が気持ちぃ!」

そう言って松中がブイに腕を引っ掛けると同時に、俺は山口のわき腹を足で小突いてやった。

この程度の反撃は想定の範囲内なんだろう。俺の方を向くと、ビシッと親指を立てやがった。

「おまっ――」

水鉄砲をぶち当ててやろうと思った矢先に、ピィーーッと長い笛が鳴る。

「んだよ、せっかくここまで来たのに。」

山口が舌打ちをして、プールの外へ振り返った。

調整があるんだろう。ゴボゴボと送水口のかさが減っていく、ように見える。

そして、俺が後ろ手に松中を誘ったところで――彼女が悲鳴をあげた。

山口と一緒に振り返る。見た目には、特に変化は無い。

「ブーツっ!」

それだけ言うと松中は、水中へと潜りこんでしまった。流されたのか!

「おま、そんなに泳げないだろ!」

水中の松中に声が届かないのはわかっていた。俺は山口に一つうなずいてから、水中へと潜り、水を蹴って松中を追った。


あまり慣れないが、そんな場合ではない。水中で目を開けた。

送水口の鉄の仕切りが、一箇所壊れている。松中のブーツサンダルが見える。

――アホなことしてるから、こうなるんだよ。

盗るのは人間とは限らない。そう思った。

仕切りから手を伸ばしている松中の肩を掴んで、俺は一旦上に戻った。



「すみやかに水から上がってくださーい!」

プールの上から、係員が注意に寄ってくる。

「山口。」

松中の背中をトンと押す。山口が手を掴んでくれた。

「え、柴田く――」

「ちょっとだけ待ってください。」

俺は係員を見上げてそう言うと、再び水を蹴った。



 再び仕切りの前にやってきた。俺の腕がやっと入るスペースだ。

思いっきり腕を伸ばす。もう、僅かに足りない。

――息が、苦しくなってくる。

『取り返してくれるの?』と松中は言った。

いいよ、取ってやる!俺は勢いをつけて、肩までスペースに滑り込ませた。

俺の三つの指が、サンダルのつま先を掴む。息が切れた。――ヤバい!

それと同時に、俺の体はものすごい勢いで引っ張られた。

こんな時にこんな馬鹿力を出せるのは、恐らくあいつしかいないだろう。

「げっほ!」

足がついて、水面に上がると同時に、俺は激しく咳き込んだ。

「柴田くん!だいじょうぶ!?」

松中が申し訳なさそうに背中を叩いた。その目には涙が浮かんでいる。

水が入って耳が遠い。目も痛い。

それでも、遠慮を知らない彼女の声は、よく聞こえた。

「ほら、早く上がるぞ。」

サンダルを渡すと同時に、俺は不機嫌な顔で見下ろす係員をチラっと見やった。

それから山口の方を向いて頭を下げる。

「助かったよ。引っ張ってくんなかったら死んでたかも。」

「だろうな。」

山口が苦笑いしながら、肩を貸してくれた。さすがに肝を冷やしたようだ。










――Without them, "We" couldn't have 『This Moment』.


-on the Royal Garden-


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