第ニ章:on the Royal Garden -3




*6*


 プールサイドでは、エリの撮影が再び始まっていた。

太陽はもう西へ傾き始めているが、この後もう一度だけ休憩があるはずだ。

そしたら全員で砂浜へ行ってシメるか。そう思いながら、撮影現場を見て――見下ろして、いた。

裸眼ではエリを視認できないくらいの高さから。


――This Moment;6th flet


 この後の事を考えて、今目の前にある恐怖をかき消すのが精一杯だった。

しかし頭の中とは裏腹に、胃はずっと上に張り付きっぱなしで、呼吸は乱れ始めていた。

今いる場所はそう、名物ジャンプ台――その一番上、十メートル地点。

「何でまた来ちまったんだよ…。」

俺の後ろで山口が呟いた。ふざけろ、元凶はお前だ。


 流れるプールから波のプールへと移動する間に、左手にジャンプ台を見ることになる。

人気のアトラクションなので、否が応でも飛び込む人々を見、拍手するハメになるのだが、ここでエリがくすっと笑った。

「どした?」

俺は聞いてから、エリと思考がシンクロした。聞くんじゃなかったと自分を呪った。

さらに面倒なことに、事情を知らない松中が割り込んできてしまった。

「なにかあったの?」

「ううん、中三の時にね、マサヤが十メートルから一度だけ跳んだんだけど――」

「その話はよくね?」

山口が反射的に遮った。歩くスピードが速くなる。ちょっと待て、跳んだのは山口だけじゃないぞ。絶対言わないが。

事故が起きた。考え込みすぎて、俺のスピードが自然に上がっていた――エリを遮ぎる事を忘れてしまったのだ。


「うっそおー!?」

背中で松中の大爆笑が挙がった。彼女はあまり遠慮を知らないのだ。

絶対振り返らないぞ。なあ、山ぐ――このっ、バカが!

「どんだけ怖かったと思って!」

甘かった。山口は振り返ると、エリの顔を指して言った。この流れは非常にまずい。

「イヤーでも嬉しかったよアレ、すっごい恥ずかしかったけど。」

エリは顔を横に―ジャンプ台のほうに―逸らして言った。

やめてくれ、そんな事したら松中が――

「見てみたいなあ?山口くんが跳ぶとこ。」

「え?」

山口の目が現れた。――いや、見開いてしまった。

俺も慌てて止めに入ってしまう。

「ダメなんだ、そういうのは。こいつに言っちゃ…。」

「え、もう跳ばないの?跳べないの?」

ホントに、いい加減にしてくれ。«Considerist(熟考者)»なら、察しろ!

エリも困った顔で入ってきた。保護者、まかせた。

「いやいや、メッチャ怖いからね?たぶん…。」

「あ、まあ、いや、跳べないわけじゃねーけど。」

山口がすべてを壊してしまった。こんなとこで見栄はんな!

「あの時あんな跳び方をしたのは、柴田が先陣切って行ったからで…」

――お、まえ、は、ほん、とに!

少し下を向く山口の顔がニヤッと笑った。



 山口は苦笑いを続けていた。

「いやあ、本当にわりいと思ってる。」

「嘘つくなよ。」

俺たちの前にはあと一人。男の人が少しだけたじろいでいる。

眼鏡は松中に預けてある。下を覗き込んで、思わず目頭を引き伸ばしてしまう。

目の前の男の人はもういなかった。山口と目が合う。

「確か、この前跳んだのは受験を賭けてだったよな。」

山口の言わんとすることがわかる。心に余裕が戻ってきた。

「今年は、奈穂ちゃんを賭けろよ。」

俺を指差して言うと同時に、ふっと笑った。

「――そんなヘヴィーな。」

まるでアクション洋画のコンビプレーのように、俺も口元だけ笑った。

「で、お前は何を?」

「別になにも?」

「なっ!」

俺の狼狽をよそに、ホイッスルが鳴る。山口がプールの方を向いた。

「ちょっとだけ、言ってみたかったんだ。」

「は?」

「『まあ、なんにせよ』――」

少しだけ助走をつけて――跳んだ。

「『行くしかないでしょうっ!』ぁぁぁぁぁぁぁ――」

ざっぱーん、と、着水する音が聞こえた。あのアホ、カッコつけやがって。

下を覗こうとする間もなく、俺を誘うようにホイッスルが鳴った。

――もう、逃げ場は無い。


「『今年は、奈穂ちゃんを賭けろよ。』」

俺はいつまでも、山口の言葉を思い返していた。






――History repeats, and finds 『This Moment』.

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