第一章:Ouverture -3



*3*


 すっかり日も落ちて、昼間の猛暑は和らいでいた。

わたしは家から電車で数分、武蔵境にある『もやし』の家を目指していた。

今夜はいつもの『溜まり場』で夕食を取るらしい。不本意だが、彼に聞かなければいけないこともある。

線路沿いを歩いていて。頭上を群れで飛び回る虫が気持ち悪い。

わたしの今の心の中みたいだ。そう考えると、少し可笑しくなる。


 彼の家は駅からすぐの所にある。電車の振動が来るか来ないか、程度の距離だ。

わたしは少し屈みながら、柴田くんの車を探した。ない。

彼が来るまであいつと二人なのは耐えられない――くらいあの『もやし』が好きではない。

ため息をひとつついてから、目の前の『溜まり場』を見上げた。

もやし――もとい『山本 光浩(あきひろ)』くんの家は大きい。

二十三歳の若さで買い取ったとは思えない、広すぎる家。

吹き抜けの二階つき、そこに何故か一人で住んでいる。

――まぁ、彼女なんて出来るわけがないんだけど。

わたしはこれからのイライラを予防するかのように、ブーツサンダルをコツコツと鳴らしてから、呼び鈴を押した。


――This Moment;3rd flet.



 ドアが開くまでに少し時間がかかった。――寝てたのかな。腹立つ。

「はい~。」

ゆるゆるとした声がかかって、中からすっとぼけた顔が出てきた。

とたんに「Oops(うわぁ)、松中さん…」と虚を突かれている。何もしてないのに。

「おはよう。もやし――もとい、山本くん。」

愛想良く話しかけたつもりだったのだが、何故か言葉が棒読みになってしまった。

作ったつもりの笑顔も引きつっていた気がする。

呆気に取られたもやしは、顔に手を当ててため息を一つつくと、わたしを家へと招き入れた。

こっちは招かせてやってる立場なんですけど。



 広樹を呪った。――来るんなら、保護者同伴で来いよ!

舌打ちをしてから居間に松中さんを招き入れ、いつものようにアイスティーを出してやった。

カップはわざわざイタリア国旗をモチーフにしたカラーリングのものにしてやる。――にわかのクセに。

「え、広樹は?」

レモンを輪切りにしながら――レモンティーは俺にとっては外道だが――俺は聞いた。

「知らないよ。わたしに言った時間より、ちょっと遅れてる。」

明らかに不満の募った声で返してくる。――こっちだって不満だよ!

自覚はなくとも芸能人の俺に遠慮や抵抗ないばかりか、もやし呼ばわりだし、アレもコレも小さいし、

大体ブーツオタクでイタリア好きを気取るなんてアホそのもの!一体――

暴走しかけた自分にツッコミを入れて、俺はまた顔に手を当てた。

まさか寝起きに一気に不機嫌になるとは予想もしなかった。

第一、今晩広樹たちがメシを食いに来ることなどひとっつも聞いていない。

それはまぁいいとしても、来るなら是非一緒に来て頂きたいものだ。

二人は完全に"コンサルタント"と"クライアント"の立場を超えている、と思う。

広樹の事を昔から知っているから俺(と、もう一人の昔馴染)は敢えて口にしないが、彼が女性との距離を縮めるスピードは非常にゆったりしていた。

«LovingLover(恋愛嗜好家)»な俺はともかく、『全身を男で固めた』もう一人の昔馴染なんか年中イライラしてそうだ。他人の恋愛沙汰で。

昔馴染みと飲んだ時の事を思い出していると、後ろで声がかかる。

「何ニヤけてんの?気持ち悪いんだけど。」

慌てて後ろを振り返ると、やっぱりね、と松中さんが肩をすくめていた。

いつの間にか顔に出ていた。俺はいつも考えすぎる。

ふと、気づいた。思わず聞いてしまう。

「松中さん、なんか聞きたい事でもあんの?」

「え?な、ない、ある!」

――いつもストレートに相手を見るはずの視線が、ブレている。

嫌いなはずの俺さえいつもストレートに見る彼女は、そんなに悪印象を与えないのに。

余りにも珍しすぎて、ツッコミが遅れてしまった。その返事は如何なモンだろうか。

実は昼間に少し起きていたから、この先の展開は大体予想できる。それでも俺は質問を待った。

やはり親友の彼女と険悪なのでは、この先に関わる。

俺のほうは出来るだけ彼女と仲良く進みたかった。

「実は、柴田くんの事なんだけど…。」

下の名前で呼べばいいのに。二人はもう、その地点には言っているような気がする。



 遅くなってしまった。あの二人で大丈夫なのだろうか。

俺が光浩の家のドアを開けて(合鍵は持っている)リビングに入る頃には、既に"おかわりの一杯"が済んでいた。

こいつはいつも、客に自慢の紅茶を入れて出すのだ。

その日の気分で使うバッグが違うけど――ほう、レジェンド・トワイニングスか。流石に扱いが丁寧だな。

俺も客気分で同じものを注文し(不満なことに拒否された)、光浩と松中のいがみ合いを眺めていた。

――ああ、和む。これが日常か。静かで、落ち着いた平成の一日。

ごつっ、頭への衝撃で現実に戻った。目の前で光浩が、紅茶を差し出している。

「俺はカフェのマスターじゃねえよ。『シンガーソングライター』のアキヒロだよ。」

強調してツッコまれた。――何でも同じだろ、俺にはただの昔馴染なんだから。

お返しにデコピンを一発入れてやると、『シンガーソングライター』は、けっと一言だけ言い捨てて、食器を洗いに言った。


 押しかけ晩御飯は、女手に任せた。

松中は一人暮らしのOLだからか性格か、料理の腕はダントツだった。

「なんか、男だけの晩餐会はやらないほうがいい、ってぐらい上手いな。ガチで美味え。」

パスタをもくもくと消化しながら、光浩がつぶやいた。

こいつの発言のストレートさもたまにびっくりする。

小学校の頃の本人に会わせてやりたいと思う程、真逆になったからだ。

「ありがとう。普段どんなの食べてんだか。」

自分のパスタを茹でながら、松中が返す。お礼の部分は棒読みだった。

彼女の様子をちょっとだけ見やってから、俺はためらいがちに話を始めた。

「あー、ニュース見た?」

「ん?」

パスタを完全消化した――いつもより食うのが速いな――光浩がこっちを向く。

「エリナ、結婚したな。」

「うん、見た見た。随分と変わりました――ね。」

光浩が横目で、ちらっと松中の後姿を見やった。――多分聞いてるだろ。

彼がどんな意味でそれを言ったかわからない。が、きっと悪い意味ではないと思う。

なんだか妙にセンチメンタルな気分になって、毒づきたくなった。

「やっぱり、何事も変わるんだよなー。時間の流れみたいなモンを感じたよ。」

あの頃は、あれが日常だったのに。いつの間にか、俺たちは日常を失った。

それでも――

「それでもお前は―俺もだけど―新しい日常も手に入れたでしょ?」

苦笑いしながら光浩が、新しいティーカップを差し出してきた。気持ちを読まれている。

――松中さんも手に入れるし。という耳打ちのお礼には、太ももに蹴りを入れてやった。

その一連の発言を聞いていた松中の顔は、何故か穏やかさを取り戻していた。

「ホントに、もやしも柴田くんも、似ているね。」

「「そんなことは、ないです。」」

奇しくもユニゾンしてしまった。ふうとため息をついて、光浩がアイス・アールグレイのストックを取りに、冷蔵庫に向かった。

その後は、アイスティーをお供に、«Considerist(熟考者)»たちの長話に花が咲いた。


 おもむろに光浩がギグ・バッグを整理し始める。時間はもう真夜中になろうとしていた。

さっきから見る限り、光浩と松中のいがみ合いは明らかに以前より減っていた。

なんかこの二人、進歩している気がするな。案外心配しなくてもいいんじゃないか。とさえ思っている。

「そういえば、」と松中が光浩を向いた。

「わたし、レモンティー嫌いなんだけど。知っててやったの?」

かちゃかちゃと空のカップをいじくり回している。――若干怒っている?

前言撤回だ。何やってんだあいつ。それぐらい知っているだろうに。

ところが、待ってましたと言わんばかりに、光浩の顔は得意気だった。

「えぇ?知らないのか?ローマでは『紅茶』をオーダーすれば、カップの底に輪切りのレモンが入ってるんだって。」

つらつらと得意げに言い並べた。どんだけ偏った知識なのか、想像するだけ疲れる。

要は、からかって――ささやかな反撃なんだろう。と松中の様子を見たら。

「…そうなんだ。わたしミラノ派だから知らなかったー。」

と、口を思いっきり膨らませてすねていた。グッジョブ光浩、けっこうかわいいわ。

変な想像をひとしきりした後、俺はぶんぶんと頭を振った。

「子供か、おまえらは。」

今日はココで寝るわ、とつけ加えて、二階への階段に足をかけた。

ツッコミを待っていると、光浩がギターの手入れをしながら、こっちを見ずに応えた。

「松中さんを送っていけよ。あと、俺明日から移動だから、ここ頼むな。」

ギグ・バッグのジップを閉めながらそう言うと、彼は食器の後片付けを始めた。












――いつもの事だな、と思う。それが大事なんだ。

―― 『This Moment』 is all naturally ours.





-Ouverture-

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