第3話 太陽の造り方






 ――星読みの魔女の亡骸を手に、私は何も言わなかった。

 失礼だと、思ったのだ。空を黒く染め上げて、こっちからしたら傍迷惑ではあったけど、彼女からしたら何かをやり遂げたのかもしれないと。

 それならば過ぎた言葉は彼女の死への侮辱だ。


 星読みの魔女の住処。星降の丘にて、私達三人は、星読みの魔女が亡くなっているのを見つけた。


 ……が。一つ問題がある。


「空、戻ってないんだよね」


 星読みの魔女の身体の近くに落ちていた腕輪を拾い上げ、明かりを灯し照らしてみる。……単純な金属の腕輪みたいだ。


 葡萄酒の魔女の推測によれば、星読みの魔女は空を染め上げることに持てる魔力を全て費やし、後はまるで人間のように衰え死んだのでは、とのこと。


「星読みが死んだら、空も元に戻ると思ってたんだが」


 それは、そうだ。例えば世界に災厄の魔女の支配は残滓すら残っていないし、通常の場合魔法というのはそれを使った魔女が死ねば消えるはずなのだ。


「もっとも、それだけ効果の長い魔法っていうのがフツーの魔法と言えるのかも分かんないけどね。――ま、これで話は簡単になった。要するに、わたし達であの空を食い破ってやればいいってことだし」


 星読みを倒すより随分と楽そうだ――――雲の魔女はこともなげにそういった。


「……それで? アレをどうやってどうにかするんだ?」


「…………さてね。全力を出して魔力を切らして、灯火ちゃんに連れて帰ってもらう未来が見えるけども」


 二人は空を睨みながら思案する。


「やっぱり、難しいの?」


「そりゃあね。……アレはなんて言ったって星読みの魔法。そうだね、動かない星読みの魔女を相手にしてると見るのがいいかな。ああ、怖い怖い」


 私は星読みの魔女に会ったことがないから、正直よく分からなかった。

 ただ、これだけ鬱陶しい空を作り出した魔女なのだと思うと、雲の魔女よりよほど厄介で面倒な存在なんじゃないかと、想像してみる。

 ……それこそ、死者への冒涜だろうか?


「絶対性格悪そう」


 思わず口から漏れて二コンボ。


 とにかく。雲の魔女でも葡萄酒の魔女でも、空を元に戻すことは出来ないのだと、言外に言われているのだ。二人がどうにも出来ないのなら私なんかさらに何も出来ないだろう。

 何も出来ない状況に


「……おい、その腕輪、見せてみろ」


 葡萄酒の魔女に腕輪を渡す。雲の魔女と揃って二人でまじまじと腕輪を眺め、その次に目を見合わせる。


 そうして、今度は私の方を見て口を開いた。



「――なぁ、似たもの親子なんだろ?」


「…………そう、だね。そうだよ。だけど、母さんと同じことは流石に出来ないかな」


 太陽を作れとでも言う気か。


 私の口から漏れたのは悲観的な言葉。だけど仕方ないと言わせてほしい。これでも努力したほうじゃないだろうか。なんだかんだ言ってただの魔女だった私が、有名だった雲と葡萄酒と星読み三人全部に会うなんて非日常体験をしたのだ。


「……なんて、言い訳かなぁ」


「いや、良い手があるぞ」


 葡萄酒の魔女が言った。額に脂汗を浮かばせながらも、口元を歪めている。

 雲の魔女は頷いた様子だ。なんだか疎外感を感じるけど、まぁいい。


「よし、灯火。――お前、太陽作れ」


 葡萄酒の魔女は私の肩を掴んで、そんなことを宣った。


 実際。何度でも言わせてもらうけど、魔女なんてのは人間から少しだけ派生した種族であるからして、――――不可能を可能に出来るわけではないのだ。

 勿論、火は出せるし水も出せる。人間がそんなこと出来るのかと言われたら不可能だと断じざるを得ないけど、まぁ、私が言いたいのはそんなことじゃない。


 魔女には生まれながらに格が存在する。人間より長い寿命を持ち、その全てを魔法に注げる魔女ですら、生まれて幾年かの才ある魔女に負けるのだ。

 そして、私の母さんは才ある魔女。私はといえば、そうではないと断言出来る。


 ……つまり、私に太陽なんて造れないのだ。


「ああ、いや、えーと」


 葡萄酒の魔女はしどろもどろになりながら、言葉を選んでいる。どれだけ焦ったら、私なんかに太陽を作らせたがるのか。


「そうじゃなくてさ。……葡萄酒、君、こういう時に焦るからいつまでたっても酒に頼るんじゃないか」


 葡萄酒は芝居がかった台詞考えたがるからダメだ、と雲が呟いた。

 どっちもどっちだろうと思ったのは口に出さなかった。


「いいかい、灯火ちゃん? 太陽って言っても人を照らすようなやつじゃあなくて、魔力の塊そのものだよ」


 指を立てて雲の魔女は説明を始めた。


「残念ながら――――灯火ちゃんはそこまで技術の高い魔女じゃあない。もっともそれはまだ若いからっていうのもあるけど、今はおいておこう。でも、保有する魔力の量だけはあり得ないくらい多い」


「……魔力の量?」


「そ。箒で飛ぶ上手さとかって、割と持ってる魔力の量がモノを言う時もあるんだ。例えば、二人乗りした時とか。逆を言えば、箒で飛ぶのが苦手な魔女は魔力量が少ない場合が多い。……わたしはよく分かんないけど」


 よく分かんないのか。


「でね。君の魔力を私らが使って、色々やっちゃおうって算段なんだよ」


「……そんなこと出来るの?」


「星読みの魔女の腕輪があればね。アレはものすごい補助器具だよ。辛うじて君を活かせるレベルまで昇華させられる」


 どうやら星読みの魔女の遺した腕輪とはそれぐらいすごいものらしい。暗に私がまだまだだと言われてるわけで、それは癪に障るけど――事実だし仕方ない。


「それに、君と、わたし達なら。出来るさ」


 雲の魔女が、手を差し出した。

 間をおかず、私はその手を取った。


「わたしの領分でもあるしね。ちゃんと教えてあげるから安心してよ」


 また、雲の魔女は。その吸い込まれそうな黒い目で私を見つめた。






 ――私の任務はどうやら太陽を造ることらしい。いや、雲の魔女の言ったとおりそれはただの比喩であるわけだけど。

 腕輪は一度使えば壊れるらしい。私の魔力の量に耐えきれないのだとか。

 機会は一度。私なんかに出来るのか、というプレッシャーはいくらでも重さを増す。そのせいで渡された腕輪が余計に重たく感じた。


「…………」


 ……けど。

 正直なところ。――面白そうだと、思ってる。


 世界を黒いペンキの空が包んでしまった! さぁ、それを一緒に戻さないかい? ――それでもって、挙げ句には太陽を造ろうって。


 なんだか、英雄譚みたいだ。


 感傷に浸りつつも、雲の魔女に方を向いた。腕輪が音を立てて揺れて、微妙な居心地だ。

 雲の魔女はそんな私を見て息をつくと、


「さて、復習は終わった? ――ぶっつけ本番で心苦しいけどね。チャンスは一回こっきり。……期待、してるよ」


 まるでこの世の終わりみたいな顔をして雲の魔女が言った。なんだかんだで、このマイペースな魔女も緊張しているらしい。


「やろう。早いとこ終わらせて、葡萄酒の魔女のところでたっぷりお酒飲もう」


 にやり、と思い切り口を歪めてやった。


 「お、いける口か?」なんていう葡萄酒の魔女をさらっと無視して、私は空に手を上げた。


 魔力の球を作るコツは、それはそれは簡単なことで、……ただ言うと馬鹿っぽくなるから嫌なんだけど、それは"度胸を持つこと"らしい。

 途中でやめるとそれこそ泡のように簡単に消えてしまうそうなのだ。


 手に力を込めた。少しずつ意識が手の先に集中していって、思考が虚ろになっていく。手に小さな光が見えた。それは段々と肥大化して、拳大の大きさから既に頭ぐらいの大きさにまでなった。

 光に目が眩む。――ああ、だけど、引かない。なにせ度胸を持つことがコツらしいから。

 また大きさが増した。今は人を一人余裕で包めるぐらいの大きさ。雲の魔女の見立てでは、最終的に街を包めるとかなんとか言ってたけど、それは流石に誇張だと思う。


 ――眩しい。とにかく眩しい。かつてないくらい瞳孔が小さくなっていると思う。


「目を、閉じちゃダメだよ。閉じたら、終わる」


 雲の魔女か、葡萄酒の魔女か。どちらか分からないけど、そのとおりだと思った。

 ここで引いたら、全てが終わる。



 ――目が潰れた。何も見えない。

 暗闇の中、手の先にだけ意識を向け、私はまだ魔力を込め続けた。

 引くわけにはいかないのだ。腕輪は既に壊れ始め、一部は地面に落ちている。今ここで、黒いペンキを剥がせなかったら? 次のチャンスは一体何年後だ? 私が腕輪を借りたぐらいの腕になるまで、一体どれだけの時間を費やす?


 ダメだ。ダメだ。


 ふと背中に何かが触れた。


「交換だよ。見えないとやり辛いだろう?」


 ――今回だけは、理解した。雲の魔女の声だった。

 そして半分晴れた視界と言葉から察するに、彼女に片目を交換されてしまったらしい。どうやってやったかは知らないけど、聞くだけ聞いたら恐ろしい技術だ。


「君の白い目。ちょうどいいと思ってたんだよね」


 全く、なんて身勝手な魔女だろうか。

 ――視界に、それこそ街を包むぐらいの魔力の球が見えた。

 自分でも驚くぐらい顔が歪んだのが分かった。



「――――なんつーか。よくやるよな」


「なんだかんだ言って葡萄酒だって付き合ってくれてるじゃない。最初は不安だったよ、もしも君が来てくれなかったらどうしようかと」


「いや、お前が誘いに来た時点で行かないって選択肢は潰されてるだろ。なにせお前は私の中で災害に指定されてる」


「そりゃ酷い」


 雲の魔女と葡萄酒の魔女の会話は聞こえたけど、なんて言っているのかよく分からなかった。それだけ意識が混濁していた。


 ただ、上を見上げて、煌々と輝く光の球を見つめていた。

 それは雲の魔女の言葉を借りれば魔力の塊、葡萄酒の魔女からすれば――太陽だ。

 黒い空の下、今は落ち着いたのか月明かりと同じくらいの光を放っていた。


「初めてにしちゃ上出来かな。灯火ちゃん、これが終わったら弟子にならない?」


「やめとけやめとけ。こいつの弟子になっても得るもんなんかないぞ。強いて言えば、人を巻き込む話術が身につくぐらいだろ」


 ……二人とも、この期に及んでこんなに元気だなんて、ちょっとどうかしてる。


「私はこんなにも苦労して、こんなにも疲れたっていうのに」


 不服だということを一心に伝えていると、雲の魔女が私を撫でた。少しすると彼女の"ひひ"という独特な笑い声が聞こえて、次に葡萄酒の魔女の笑い声も聞こえた。


「お前は若いんだから。後は大人のやることだ」


 ――――。


「ま、見てなさい。わたしと葡萄酒のその技術たるや、そんじょそこらの魔女とは比べ物になんないからね」


 はは、と。笑ってみせた。




 そこからは、二人の魔法を眺めていた。雲の魔女が広く広く、そして白い雲を広げ、魔力が満ちていく。

 壮大というかなんというか。技術の高い魔女が魔力を尽くして行使する魔法とはここまで大規模になるのかと惚けた顔をしてしまう。


 葡萄酒の魔女が雲に手をかざすと、赤紫色の光が雲を包む。

 陳腐な表現だけど、――まるで宝石のようで。ほ、と息をついてしまった。


 みるみるうちに二人の魔法は世界を包んだ。


 世界が輝いていた。これは比喩とかじゃなくて、本当に。



「これ、どうするの?」


 ふとして聞いた。雲の魔女は雲を出し、葡萄酒の魔女はそれに力を与えた。けど、それをしたところでどうなるのか――二人について私はよく知らない。結局、私は雲の魔女に引っ張られるままここまで数日と要さずにやってきたのだ。

 二人の魔法を、初めて見たことになる。


「――――簡単。まとめて、砕け落ちるの」


 雲と葡萄酒。――二人はまるでおもちゃを持った子供みたいな顔をしている。


 ガラスの割れるような音。世界が赤紫に瞬いて、――染まる。




 残念ながら、私が見ていたのは、ここまで。私は意識を手放し、そして――――、




 星に包まれて、目を覚ました。










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