第2話 雲と葡萄酒
仲間探しと聞いて不安を感じていた。ふわふわした性格の雲の魔女に、……言っちゃ悪いけど、友達がいるとは思えなかったし。
けどその心配は杞憂だったらしい。寧ろ雲の魔女は探すと言った仲間を既に決めていたらしく、その仲間とやらの家まで案内してくれた。
「ここが、葡萄酒の魔女の家なんだ」
どうやら雲の魔女と葡萄酒の魔女には交流があるらしい。迷うことなく案内してくれた。雲の魔女は箒で空を飛ぶのが苦手らしいけど、私の背中に掴まって、驚くほど正確な道案内をしてくれたのだ。
それもまた、雲の魔女と呼ばれる由縁なのだろうか。どこらへんが関係してるのかはしらないけど。
ちなみに私のいた街に着たときは雲に乗ってゆったりとやってきたらしい。暗い世界だと、わりと大胆に行動してもバレないから楽だと彼女は言っていた。あの空をぶち壊したいのか、そうじゃないのか、よく分からない。
かくして私と雲の魔女は葡萄酒の魔女の家に辿り着いたのだ。
私の街からはゆっくり箒で飛んで二時間くらい。ちょうど他の街との距離と同じくらいだった。森の中でとても太い木を改造した家があった。雲の魔女によればそれが葡萄酒の魔女の家らしい。
「じゃ、わたしが先に入るから、呼んだら入ってきて」
「わ、分かった」
箒から降りた後、雲の魔女はそう言った。
私は言われるがまま、姿勢を正して箒を胸に抱える。
雲の魔女が家の中に入り数分、大きな声が何回か聞こえたと思ったら、雲の魔女が玄関を少しだけ開けて、中から手招きした。
「酒の入ったバカは苦手?」
「……えーと」
その唐突な質問に困惑しながらも、しかしそれにどう答えようと意味などなかったようで……ほんの少し開いていたはずの玄関がいきなり大きく開けられる。
玄関の取っ手を掴んでいた雲の魔女がよろける。
背の高い女の人が、酒瓶を持って雲の魔女に絡んだ。
「おいおい、久しぶりなんだからさァ。ほら、飲もうぜ?」
「嫌だよ。君の前でお酒を飲んだらどうなるか分かりきってるんだから」
その酒瓶はお洒落なお酒を入れるための小洒落た瓶じゃなくて、豪快なエールを入れるための瓶。
けど中には葡萄酒が入っているんだろう。――だって、彼女は葡萄酒の魔女だなんていうくらいだし。
しかし葡萄酒の魔女というのは、聞くだに名前と趣味が合っていない。なんかこう、絡み酒するような人じゃなくて、お洒落なのを想像していた。……というのは私の価値観の問題だろうけど。少なくとも私の近くに住んでいた人は、エールを浴びるように飲んだって、葡萄酒はちびちび飲んでいたし。
けど目の前の魔女はそれを軽く喉に通して、水のように飲んでいる。
そして私と同じぐらいの背の雲の魔女を抱きかかえて、葡萄酒を飲ませようとしていた。
「ちょ、やめて、やめてったら! この酒乱!」
「なーんだよ。ちょっとくらいいいじゃんかァ。お前も昔はよく付き合ってくれてたのに」
…………。これが、正しい魔女なんだろうか。
雲のように掴めない魔女に、葡萄酒を喇叭飲みする魔女。その姿勢たるや、正しく魔女をしている……と信じたいが。
完全に持ち上げられている雲の魔女は、じたばたもがきながら絶叫する。
「む、昔は昔だよ! いいから話を聞きなよ!」
「まぁまぁまぁまぁ。お前も一口飲めばきっと分かるさ。……というか、お前に"話を聞け"なんて言われたかないが」
一つ、この光景を見て思い出した。葡萄酒は雲をも乱す、と。空が黒くなる前に会った魔女から聞いた。それは要するにこういうことか。
蚊帳の外から静かに納得しながら、人を振り回す側だったはずの雲の魔女が完全にペースを掴まれているのを見てある種の爽快感を感じながら、まぁ私はそこまで性格の悪い人間でもないので、私は葡萄酒の魔女に向かって口を開いた。
「あの、もうそろそろ放してあげたほうが……」
そろそろ首まで絞まり始めた様子だ。
葡萄酒の魔女は先程から私に気づいていただろうけど、改めて、という風にこちらに指を指した。
「…………おい、こいつはどうした。攫ってきたか?」
私を見た葡萄酒の魔女が、雲の魔女を睨んだ。……いやしかし、まさかそんな言葉が出てくるだなんて、
「もしや、常習犯?」
カマをかけてみる。いや、雲の魔女ならやりかねなさそうな気もするし、微妙なところだ。"君面白いね!"って言って連れ去って、…………その後は知らないけど、彼女のわがままに巻き込まれた人は大変だろう。
「え? え? こ、ここは素直に違うっていうところじゃないの!?」
「でも半ば攫われたようなものだし」
「うぐっ」
雲の魔女が呻いた。
続けて、常習犯なのかという問いを重ねてみる。
「そ、それはその、面白そうな子に何回か声をかけたことはあったけど! き、き、君は違うからぁ!」
まるで浮気が発覚した修羅場みたいだった。というか、本当にやってたのか。呆れた視線を雲の魔女に送りつける。
「空を戻すために協力してって言われて、ついてきたんです」
流石に可哀想だったので、葡萄酒の魔女に本当のことを言った。
すると葡萄酒の魔女は目を細め、視線をどこか遠くへ飛ばした。溜息のようにも見て取れる息を一つつくと、先程までの大きな声が嘘みたいに、静かに語りかけてきた。
「…………ああ、ああ。大丈夫だ。酔いも冷めてきた。――そういう話をするんなら、中でだな」
葡萄酒の魔女に手を引かれる。
橙色の照明が照らす家の中に入る直前、
「……あと、敬語やめろ。鳥肌が立つ」
「わかりま…………わ、分かった」
意外なことに、葡萄酒の魔女の家の中は綺麗だった。失礼だけど、もうちょっと汚い家を想像してた。服が脱ぎっぱなしになってたりとか、本が床に積んであったりとか、そういうのを。
大木の中に作られた家だからか、家具も木で統一されている。もっともそれは石造りの家具が入らなかったからだなんて可能性もあるけど、ともかく、照明の色もあってか、温かい雰囲気がある。
「意外って顔してるな。え、灯火の?」
「ほんとに意外だよねー、灯火ちゃん。普通もっと散らかってそうな感じなのに」
魔女の間には。――いや、名付きの魔女の間では、だ。名付きの魔女の間では、それぞれを今のように呼ぶことがある。
雲の。葡萄酒の。灯火の。古風な呼び方で、口頭で呼ぶには楽なのか、使っている人もいるらしい。
いやまぁ、灯火ちゃんは唯一だろうけど。
葡萄酒の魔女は自分を素直に評価した雲の魔女を一睨みし、息を吐いた。
「はぁ。ま、私にもこだわりがあるんだよ。汚い中で飲む酒ほど不味いものはない……ってのは師匠の口癖だけどさ。実際、静かにちびちび飲むのだって悪くない」
それに、と葡萄酒の魔女は続ける。
「泥酔しながら部屋片付けられるやつとか、私ぐらいだろ」
不思議な自画自賛をする。そもそも泥酔するほど酒を好む魔女なんてのも指で数えられるぐらいしかいないだろうけど。
「それで、お前は飲めんのか? 雲はジュースしか飲まなくて退屈なんだが」
「……え、飲むの? 今から?」
「飲むよ、というか飲めよ。ここ最近一人で飲んでばっかでつまんないんだ」
「いやいや、大事な話をしにきたのに、何で飲むの」
「大事な話ほど酒入れて飲んだほうがいいだろ。当たり前だ」
「どこの国でもそんな常識はないでしょ……」
仮にあったとして、ここはそんな国ではない。少なくとも大事な話をする時は飲まない。はずだ。
「ま、冗談だ。座れよ。きっと話ぐらいは聞いてやる」
葡萄酒の魔女に導かれるまま家の中を歩くと、気づけばリビングに着いていた。木の中に造られた家という特性のためか広くはないけど、三人程度なら十分な広さだった。
リビングには花瓶と酒瓶の並んだ机が一つ。椅子が何個かに、戸棚があった。
「というか、言う前に話は終わってるでしょ。わたし達と一緒に、空を元に戻さない?」
「…………だからって、こいつを引っ張り出してきたのか」
葡萄酒の魔女は私を指さした。
「お前もお前だ。分かってるのか? この空を元に戻すために、何をやるか」葡萄酒の魔女は憤ったようにそう言って、続ける。
「分かってないだろうな。そりゃそうだ。雲はそういう大事なことは何一つ言わないからな。空を元に戻すにあたって私らがやらないといけないことってのは、とどのつまり、星読みをぶっ倒すってことだ」
星読み。星読みの魔女。
その存在は、大きいなんてものじゃない。或いは目の前にいる二人よりも、強いかもしれない。
なんて。そんな話は母さんから聞いたものだ。
「待って。……この空は、星読みの魔女によるものなの?」
「…………そうだよ。葡萄酒、そんなに睨まないでよ」
「……ったく。かーちゃんから聞いたことはあるだろ。あいつの強さったらそりゃもう鬱陶しいくらいだ。まぁ、そんなあいつが急に悪事に目覚めたなんてこともないだろうからな。私としちゃ空が晴れるのを待つ選択をおすすめしたいが。……それに、正直、私はお前を連れて行きたくない」
私の返答を待つようでいて、葡萄酒の魔女の意識は雲の魔女に向いていた。確かに次に発言するのは雲の魔女で、私は黙って聞いているだけだ。
言いなりになるわけではない。でも、青い空は見たいし、そのためなら出来ることはしようと思っている。
葡萄酒の、言う通りならば。いや決して彼女を信用していないわけではないけど、その通りに話を聞いてみたなら、確かに星読みの魔女の寿命を待つという選択肢はとても楽なものだ。
しかし、なにより、――その案には、楽しさが欠けていた。
「葡萄酒も案外優しいんだね。でもこれは半ば義務ですらある。葡萄酒、重ねるようだけれどね。彼女の娘ならば」
別に星読みの魔女と争いたいわけでもない。だけど、私は世界が救ってみたかった。
なんて。傍から見たら頭のおかしいやつだ。アレだ。思春期特有のアレってことで誤魔化したい。
「それも納得出来ねぇよ。なんだ? 英雄の子が英雄をやる理由はねぇぞ?」
とうとう私を締め出すように、二人の会話は激しくなってきた。変わらず私は、黙って聞くだけ。
「ぶっちゃけ、星読みの寿命待ったほうがいいのは自明だぜ」
「――――。或いは、そうかもね」
「それで? そんなのは事情知ってりゃ猿でも分かる。お前はなんだ?」
「少なくとも猿より人間に近いかな。――魔女だし」
「……ああ。じゃ、続けろよ、人間モドキ」
険悪な関係、なんだろうか。
分からない。友達だと言っていたし。もしかしてそれは、雲の魔女の嘘?
いや、それもない。魔女は嘘をつかない。
「そりゃどうも。……葡萄酒といると口が悪くなりそうで怖いね。ともかくさ、簡単な話なんだよ。それこそ君の名前の由来ぐらいさ。――星読みを倒す必要なんてないんだ」
「というと?」
「彼女にも望みがある。それを叶えさえすれば、空を元に戻すのだって容易い」
続けろ、という視線を葡萄酒の魔女は散らした。
胡散臭い。けど、聞いておかねばならないと、相反するような気持ちが、綯い交ぜになっているように見える。
「彼女の望みなんて、君も分かってるはずだ。――星との離別。星読みを星読みたらしめる唯一つの要素との、乖離だよ」
*
結局の所、二人の会話は分からないことだらけだった。
まぁ、いいんだ。雲の魔女は私の力を欲し(或いは名前を欲しているのか、実際のところは分からないけど)、葡萄酒の魔女は優しさによってそれを否定してくれている。
つまるところ、それだけのことではある。だけどそこに含まれる要素に、不明なものが多すぎた。私は決して頭がいい方じゃないし、そろそろ茹で上がってしまう。
けど、……正直に言ってしまうと、私はどちらでもいいのだった。勿論最終的には楽しい方を選びたいというのはある。
確かにこの空は気味が悪い。澱んだ色の空なんて、いつ見たって吐き気がする。
でも聞いた限りの情報で考えてみれば、この空は星読みの魔女により引き起こされた事象であって決して終わらないものでもないのだから。葡萄酒の魔女からしてみれば、そりゃあ、星読みの魔女の寿命を待つなんて発想も出てくる。
魔女の寿命は長いけど、終わりが無いわけではない。そしてそれはお伽噺のエルフほど長命でもなくて、人間より少し長い程度のもの。
私達魔女は、決して人間の枠を出られるわけではない。手に魔法という、便利な道具を持っているだけ。
「――星読みの魔女を、止めるつもりかよ」
葡萄酒の魔女のその言葉に、ほんの少し笑ってしまう。
「止めるも何も。私はね、話してみたいだけだよ。それが一番、楽しそうだし」
ただ本心なんだ。さっきの話を聞いてから、私は、星読みの魔女と話がしたかった。
星読みの魔女の家にお茶はあるだろうか? 甘いお茶菓子は?
「……お前の母さんもそう言ってた気がするよ」
「似たもの親子って近所で評判だったし。ま、いいでしょ?」
「何がだよ」
「若いんだから、先走っていったって。大人が守ってくれるでしょう?」
他人任せな発言だって、若者の特権だろう。……なんて言っちゃって。
――葡萄酒の魔女に、手を差し出す。
「……私にも、こいってか」
葡萄酒の魔女は。
話を聞いてくれるから、楽だ。
雲のように掴みづらい存在でもなくて、きっと、もっと気持ちのいい人、なんだろう。葡萄酒のように酸味が少し効いて、快活な人なんだと思う。
「来てよ、葡萄酒の魔女。雲の魔女がなんであなたのところに私を連れてきたのか、わかった気がするから」
雲の魔女と葡萄酒の魔女は、所謂友達だったのだろうか。少なくとも浅い関係でないことは明白なんだけど、ならなんで、葡萄酒の魔女のところへ来たのか。
彼女の性格を知っているのなら、それを仲間にしようだなんて、余程のことがない限り思わないだろうし。そして、仲間になってくれるとも思わないだろうし。
けど、数回交わした言葉の中で、――もうここまで来れば、断らない。そういう確信めいたものを、私は感じていた。
「ね、葡萄酒。だからわたしは、灯火ちゃんを連れていきたい」
「葡萄酒の魔女。私の母さんが何したか、知ってるんでしょう?」
「そりゃ、人並みにはな」
「そうね、そうね。――なら私だって、母さんの娘よ」
ついでに言うなら、英雄じゃなくて、魔女の子だ。
「……本当に、星読みの魔女のところへ行くつもりか」
「だって魔女は、嘘が嫌いでしょ」
笑みを浮かべて見せた。
「……ああいいよ。どうせ、行けば分かる」
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