黒ペンキの剥がし方
青月
第1話 黒と、黒と白。
黒ペンキの空を、どうすれば元に戻せるだろう。
教会暦三四七年。冷えた夏の頃だ。私がこの世界について何かを話すとしたら、まず色についてだと思う。もっとも他の世界を知らないから、それと差異のあるものなのかは分からないけど、他と比べて絶対に違うだろうといえることがあった。
黒いんだ。――何が? 空が。
そう。空がひたすらに黒い。本当にペンキで塗りつぶしたみたく、見ていられない黒だ。瞳みたく吸い込まれるような黒ではなくて、全てを跳ね除けるような、そんな黒だった。
空がそんなことだから、太陽は当然見えない。黒い空に人は途方に暮れていた。しかし太陽とは偉大なもので――或いは他のものが何らかのエネルギーを与えていたのか、畑は無事だった。少々の不自由はあったけど少しずつ少しずつ、人はこの空に慣れていった。
最初こそ大変だったけど。教会前では暴動が起きて、何人か人が死んだけど。慣れて、慣れて、そして人は、飽きていった。この状況に。特異な状況に置かれて不安になる人も、浮かれている人も、等しく。
さて、人がそんな空に飽きた頃、ようやく私達は自分の仕事に気づいた。……それは私達の生い立ちにも関わることだ。
端的に、シンプルに言わせれもらえば、私達は魔女なのだ。魔法を使い、人間に差別されていた、あの魔女だ。実際のところ人間との差なんて魔法が使えるか否かといったところだけど。
他に細かい違いを挙げるとすれば、ご飯を魔力というエネルギーに変えて生きているところだろうか。
まぁ、実際、それぐらい。数え方だって一魔女二魔女じゃなくて、一人二人だ。
何故差別されていたかなんて簡単な話、権力者が邪魔な人間を魔女裁判で排除するためだし。そもそも人間には、人間と魔女の違いが分からないし。
私達はただ単に長い間風評被害を受けていただけなのだ。
暗い空に飽いて、自分の仕事に気づいて、――私達は魔女と呼ばれなくなった。
今、魔女は。魔女だった存在は、
まずは街灯を作るところからなんて街もあったけど、明かりという生活必需品を求めて人は努力に努力を重ね、今ではきっと街灯のない街はないだろう。
そして、やはり私も魔女で、
毎日毎日街灯に明かりを灯して、のんびり暮らしていた。
待遇に関しても信じられないぐらい良いだろう。難点としては街灯の明かりを灯す位置が高いことぐらいだったけど、それも箒で飛ぶことが出来るのが魔女。増える負担も微々たるものだった。
そして冷えた夏から数ヶ月が過ぎて、淡く寒い冬が来た。
長袖の厚手の服に、コート一枚。整えるには楽な冬支度だったけど、元は過ごしやすく一年を通して同じような服で過ごせた地域だから、困る人は多かった。
そんな折、私のもとに一通の手紙が届いた。魔女からの怪しい手紙だ。
内容は季節の挨拶から始まって、必死に考えたと見えるジョークがいくつかと、笑ってしまうような本題だった。
黒い空を、青く染めないか、と。ふざけた内容に反して美しい字体でそう書いてあった。
正直嘲笑と同時に、高揚した。あり得ないと思う反面、期待心があったんだ。
この空を。どす黒い空を。ぶっ壊す。私が?
ああ、ああ。
――ちょっと楽しそうだ、と、思ってしまった。
*
私の住む街はそこそこ狭い。といっても人口は二千を超え、近隣の極々小規模な街と比べれば、ずっと栄えているといえるんだろう。所謂、地方都市ってやつか。
石造りの建物が多めで、街の中心にある広場から眺めてみれば、円状に発展した街は、中心に行くほど発展している。外縁部には貧民が住んで、中心部には富裕層が住む。街の入口に貧民街があるのはどうかとも思うけど、その影響か、彼らは幾許かの援助を受けて、格好だけなら平民と同じくらいだ。
ちなみに私は中心部と外縁部の、大凡中間ぐらいに住んでいる。偉い人にもっと中心部に住んだらどうかと言われたけど、それはそれで仕事が不便になるので遠慮させていただいた。中心にも外縁にも行きやすい中間は、周りの人間の人柄という意味でも、そこそこ過ごしやすいのだ。
それに、なんというか、お札を燃やさないタイプの人間と一緒に過ごしたかったのだ。
道は未だ土の部分もあるけど、私に限っていえば空を飛べば何も問題はないし。箒で空を飛ぶのが苦手な魔女もいるらしいけど、この街の魔女は私一人。規模も考えて、空を飛ぶのが得意な私にとってはちょうどよかったのかもしれない。実家の母さんにも、空を飛ぶのだけは褒めてもらえた。
「――あなたが?」
さて、そんな過ごしやすい中間にて、私は魔女と会話をしていた。
人通りの少ない道の半ば、偶然声をかけられて、そのまま話している。
「うん。君からすると、初めましてかな?」
出会いは唐突。だけど魔女同士。彼女があの手紙の主であることは分かっていたし、彼女だって私が手紙を受け取った魔女なのだと理解した上で話しかけてきたのだろう。
暗い中で、街灯の明かりを綺麗に反射する美しく白い髪。長く肩を超え、背中にかかっている。瞳は、まるで宝石みたいな黒色。同じ色のはずなのに黒いペンキのような空とは対照的で、女の私でも見惚れてしまうような顔をしていた。
背丈は私より少し高いくらいで、私と同じような飾り気のないローブを着ていた。
彼女の格好は、瞳以外全て白で統一されている。私はその逆。瞳が真っ白で、それ以外は真っ黒。私が黒にこだわる理由は母さんがいつも黒い服を着ていたから、それを受け継ぐつもりで着ているんだけど、一体彼女はなんのこだわりをもって白で統一しているのだろう。気になったけど、それを聞くより先に、彼女は口を開いた。
白の衣装の中にある、黒い目が、私を綺麗に映していた。
「ひひ。いっそ目だけ取り替える? なんちって」
恐ろしいことを言い出した。わりとヤバイ魔女なのかもしれない。
「ねぇ、"灯火の魔女"さん。あの手紙、きちんと読んでくれたと思うのだけど」
彼女と私で目を交換したらちょうどいいのではないだろうか。そんな危うく犯罪者になりかけるような考えが頭に過った。それくらい彼女の瞳は綺麗な黒だった。
「……えーと、手紙は勿論読ませてもらったけど、――"灯火の魔女"って?」
挨拶もしたし、さっさと本題について質問したいところだったけど、それよりも気にするべき点が出来てしまった。
「君の呼び名だよ。わたしが、君を、そう呼ぶに値すると評価したんだ」
○○の魔女と魔女を呼ぶことには、それはそれは御大層な意味がある。目の前の彼女はあろうことか、私をそう呼んだのだ。
誰にでも分かりやすくいうのなら、いい例がある。魔女の間に伝わる伝説だ。その昔、災厄の魔女と呼ばれた魔女がいた。元より絶望的なまでの能力を有する魔女で、他の魔女が束になってかかっても数秒で打破されるほどの狂者。そして典型的なまでに悪役であったのだ。だけど、それを"災厄の魔女"と呼んだことがまずかった。それが力を増幅させ、一時は大陸を沈ませるほどの力を有していたと言われている。そしてその時代、災厄の魔女が世界を支配していた、という、忌むべき伝説。
つまりは、そういうこと。ちなみにこんな伝説があるのに、今も名付きの魔女はいるもので、この近辺でいえば、星読みの魔女、雲の魔女、葡萄酒の魔女の三人がいる。
魔女というのは奇妙な生き物だ。それがそいつの力を強めると分かっていても、名前を付けずには、呼ばずにはいられない。そんな種族なのだ。或いは、そこが人間との決定的な違いかもしれない。
でも、
「ま、待ってよ。私にはそんなの――」
恐れ多い、と、思った。
というか私には普通の名前もあった。けど、それを主張するより、恐れ多いという感情が上回った。
そうして遠慮しようとしたところで――――、
「わたしは雲の魔女。多分、知ってるよね?」
話を聞きやがらない。会話をしよう。してください? 彼女は、私の発言を遮ってまで自分の発言を優先した。
だがなんたることか、目の前の彼女は雲の魔女を名乗った。
それは、つまりは、そういうこと。魔女の名とはとても大事なことは明白で、だからこそ、彼女が嘘をついていないことが私には分かった。それに、魔女は嘘が嫌いだ。
そして先程から彼女が私の話を聞かないことも、雲のように掴めない人だという話からして、それは彼女として平常運転なんだろう。さっきから敬語を使わず話していることに若干失礼をしてしまったとも思ったけど、……まぁ、雲の魔女にはちょうどいいと思った。
その後、改めて私は自分の名前を言おうとしたけど、雲の魔女は聞こうとしなかった。
「そんなの後でいいじゃない? というか、わたしは君のことを灯火って呼ぶし、君はわたしを雲って呼ぶ。それが魔女じゃあないかな」
雲の魔女は私の手を力強く掴んで、はにかんだ。
「ひひ。それじゃあ、仲間集めに行こうか?」
私の手を引くわがままなその笑顔は、それこそ、雲のようで。白一色の服装の理由も分かるというもので。
「――――え、あ、いやちょっと待って。私、仕事が残ってるから」
だがしかし、これは譲れない。というよりそもそも、手紙の本題についても話をしたいところだったんだけど、自分の主張を端的にきちんと伝えるためには仕事を持ち出したほうが手軽だった。
このまま行けばどこまでもどこまでも彼女に引っ張られっぱなしだろうから、きちんと言わなければならないんだ。
「それはもう終わったよ。これからしばらくは他の魔女がやってくれるから」
しかし彼女の答えは予想外のものだった。
「他の魔女? この街には私以外の魔女はいないはず」
他の街から魔女が出張してくる? 距離を考えれば現実的じゃない。
「いるよ。いつだって人間を恐れて姿を表さない魔女はいる。それらに心ばかりのお礼を上げたら、きちんと了承してくれたんだから」
「――――え」
姿を表さない魔女という存在を、彼女から聞くまで、考えたこともなかった。
世界中の危機だ。表さない意味がない。恐れてなんになる。怯えてたって、どうしようもないじゃないか。
そんな私の顔を見てか、雲の魔女は私の手を放して、私の目を、しっかりと見据えた。
「ふふ。君はさ。正義感の塊なんだよ。いつも真剣に
黒に、白に、吸い込まれそうになる。
雲の魔女は、見透かすように笑う。わたしは人間があんまり好きじゃないからね、なんて呟いて、近くにある街灯を見上げる。
「ま、あんまり魔女に対して善意があると思わないほうがいいとは思うよ。魔女ってのは常に常に少数派なんだから」
……そういう、ものか。
「何よりね、君は善意に加えて、面白そうだからって理由で行動してる。そういう行動理念を持つ魔女は珍しい」
殆どの魔女は臆病で、怖がりだ。雲の魔女は笑みとともにそう呟いて、一度手を叩いた。
黒い目で、私の目を射抜いた。
「――それに、君は彼女の娘でもある。その黒いカッコ、見てすぐ分かるよ」
「母さんを知ってるの?」
「知ってるさ。わたしと同じ世代の名付きなら、誰でも。かの有名な魔女、なんて表したら、絶対に君の母さんのことだもの」
雲の魔女は大仰にそう評してみせた。……むず痒い。母さんなんて、いつもいつもお茶菓子を食べて、お茶をがぶ飲みしているような人だった。
時々、私に会う魔女の中で、とどのつまり雲の魔女と同世代なのだろう魔女で、私に声を掛ける魔女がいた。
その度、私は身に覚えのないお礼をいわれるのだから、たまったもんじゃない。
「……母さんが昔何をしてたのか、私は知らないけど」
「そりゃ、言うはずないと思うよ。あんな状況だったら、わたしでも言わない」
でも、と雲の魔女は悪い顔をした。きっと私の目を見て、その白さに瞬きをした。
「言っちゃう。なんてったってわたしは、彼女じゃないからね」
……なんて自分勝手な魔女だろうか。しかし、それこそ正しい魔女足り得る理由なのか。
「昔、一度だけ、今みたいになった。空が暗くってさ。そんときゃ今みたいな優しい世界じゃなくって、作物も全部ダメ。一年続いたけどね、かなりの人が死んだ。だけど、そこに現れたのが君のお母さん。ね、彼女がなにしたか分かる?」
知らない、と言ってるだろうに。
「――太陽を作ったんだよ」
「――――え」
「あはは。面白いでしょ。ね、これでわたしが君に目をつけた理由、分かったでしょ」
笑う雲の魔女に、事実を消化しきれない中で答えた。
「でも、私と母さんは違う」
ああ、違うね。――と。雲の魔女は笑った。いたずらっぽい顔で、さも楽しそうに。
「でも、だから、だからこそ君なんだよ。わたしは君が、"灯火の魔女"が、この空を照らす魔女だと確信しているんだよ」
雲の魔女の言葉は、しかし決して正しいとは思えなかった。
私は自分にそこまでの自信を抱けるほど、自信家ではないんだ。
というか、それなら私よりも母さんを連れてこいって話だ。
ああ、ちくしょう。私に自信さえあれば、笑顔で彼女の期待に答えられたのだろうか。
もとより雲の魔女の言うことだ。今更断れるなんて思っていないけど、それなら、せめて快く受け入れたかった。自信たっぷりに頷けたらどんなによかったろう。
いや、そんなありえないたらればを語ったって仕方ない。
母さんの力を知っているから私に声をかけたのだとしても、こんな私に価値があると、私は思っていないのだ。それが仕方のない事実で、現実だ。
「それにさ」
雲の魔女は。
「楽しそうだーって。思ったでしょ?」
……雲の魔女こそ、どこまでもどこまでも、楽しげだった。
けど、彼女の言葉を否定する要素はどこにもなくって、それこそ悔しいくらい、彼女の言う通りなんだ。
「さ、じゃあ、行こっか」
せめて家にある生ゴミの処理くらいはさせてほしかったけど。彼女に言われるがまま、私は空を飛んだ。
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