第23話

 雪のように白い指に掴まれたストローの中を、オレンジ色の液体が行き来する。コップの中ではカランと小さな音を立てた氷が地球の重力に引かれて落ちていく。

 

 外の穏やかな気象に比べて、冷房は少し効きすぎているみたいで、肌寒く感じられる。対面の彼女はストローで氷を突くようにして暇を持て余しているようにも見えた。時折、長野の表情をちらりと見て、何かを言いたげな表情を見せる。


 長野はそのたびに何かを話すべきか逡巡しゅんじゅんしたが、結局何も言わずに佐藤の発言を待つことにした。そういうことが何度か続き、長野は携帯端末を見る。既に数分を経過していた。


「ねぇ」


 突然佐藤が口を開いた。


「これからどうするの?」


 絹を撫でるような柔らかい声で問う。


「どうするか——は君次第じゃないの?」


 そう返すと、佐藤は目をコップの方へと戻して、またしばらく黙っていた。時間だけが過ぎていく。自分達の周りには誰もいないはずなのに、何か苛立ったような空気が辺りを包み始めていた。


「みんな捕まっちゃったね」


 佐藤はそう呟いた。


「熒は病院に行っちゃったし、咲月と融は治安局に拘束されちゃった。熒が乗ってきたピンク色の東雲はレッカー車に連れて行かれちゃったし、残ったのはボクたちだけだね」


 長野は力なく頷く。


「あと、これかな」


 熒から託されたビデオ。そこにはみんなが街頭で募金を始めてから、連行されるまでの一部始終が収められていた。一時停止した画面には、ちょうど熒が何者かの銃声によって倒れ込んだ瞬間が写っていた。


「あの銃声は何だったんだろうね」


 長野は首を捻る。何度か動画を見直しているが、銃を構えるような素振りを見せた人間はいなかった。


「それはね。初歩的なことだよ。熒が自分で自分自身を撃ったんだ」


 ——え?


 言葉はそれを機に途切れた。嘘のように穏やかな時間が流れる。佐藤はつまらなそうに氷をいじっている。


「なんで証拠もないのにそんなことがわかるの?」


「うん、証拠はまだないよ。それを貸して?」


 佐藤は携帯端末を受け取って何やら弄っていたが、やがて小さく頷いた。


「銃声ってこれだよね?」


 佐藤が画面をタッチすると同時に小さな破裂音が端末から響いた。音は小さいが——確かにさっきの銃声に一致しているように聞こえた。


「この音を最大音量で流したんだね」


「いや、でもそんな操作してないけど」


「無線でトリガーを引いたんだよ。動画を見てみると良いと思う、よ? たぶん撃たれる直前に熒が懐でなにかを操作するような動きをしてるんじゃないかな」


 慌てて動画を再生する、撃たれる直前——熒の左手が静かに懐の方に入っていく。


「ボタン式の無線デバイスかな。それから信号を受けて破裂音を響かせるソフトウェアが端末に入ってたんだね。治安隊と熒達、そして群衆がヒートアップして訳わからなくなってきたタイミングで、熒はトリガーを引いたんだ。

 大きな音は人の思考を一瞬止める。その間隙と共に、熒は倒れ込んで撃たれたように錯覚させる。その姿を見て群衆はパニックになって逃げ惑う。長野さんはどちらに転ぶかな、と思ってたかも知れないけど熒の方に近付いてきたね。

 熒は『端末を回収するように』と指示を出す。これでほとんど全ての彼女の目的は達成されたんだね」


「で、でも撃たれてないんだろ? 検査しなくてもすぐにバレるじゃないか」


「だから『音に驚いて倒れた』なんて嘘を吐いたんだよ。自分が倒れたのは撃たれたからじゃなくて驚いたからだ、ってね。そうだ——ポケットを見てみて?」


 長野は慌ててポケットを探る。指先が心当たりのない固い物体に触れた。取り出すと、小さなボタン式のデバイスだった。


「熒がどさくさに紛れて忍び込ませたんだね。これでとりあえずいくら調べ上げられても証拠はゼロってわけ」

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