貸出カード/反転

■ 05


「あれ、これは……?」

 文芸部の部室から借りた本を読み終わり、最後の奥付を見た佐藤はそのページに図書室の貸し出しカードが挟まっていることに気が付いた。裏表紙にはビニールコーティングの上に「図書室除籍資料」というハンコが押されているから、そのころのものだろう。

 佐藤は奥付のページに張り付けられた袋から貸し出しカードを取り出すと、そこに書かれた名前を何とはなしに眺める。鉛筆で書かれていてかなり薄くなっているものや、ボールペンではっきりと書かれたもの、字が汚すぎて解読不能なものなど、その状態は千差万別だ。そういった名前の列を上から下へ、そして裏面へと手繰っていった佐藤は、裏面の中ほどに書かれた名前のところで目を留めた。そこには、

「鶴織 幸」

 と、端正な文字で書かれている。ボールペンで書かれたらしく、インクが若干変色しているがその文字はかすれておらず、はっきりと読み取れる。念のためクラスと日付を確かめてみると、「一年一組」と記入してある。けれども、日付は十年以上前のものだ。

 佐藤は首をひねるが、ちょうどそのタイミングでチャイムが鳴ったので「まあ、偶然だろう」と適当に自分を納得させて本をしまった。

 とはいえ、授業を受けている間もそのことが妙に頭に引っかかってなかなか離れない。

 あまり集中できないまま授業を五十分間過ごし、そして休み時間になった。佐藤は話しかけてくるクラスメートを適当にあしらいつつそのことを考え続け、休み時間が半分くらい過ぎたところで一年一組に行ってみることにする。ちゃんと鶴織が教室にいるのが確認できれば、この本の利用者カードに書かれた名前はただの偶然だということがはっきりする。なに、入り口から少し覗けばいいだけのことだ。名前に加えてクラスまで同じなのは相当に低い確率だろうが、ありえないわけでもないだろう。

 佐藤が一年一組の教室の入り口にたどり着くと、扉が開いて中から髪がほとんど白髪になっている老年の教師が出てきた。

「あ、西松先生」

「ん?おお、佐藤か。この前は名前を間違えたりしてすまなかったの」

 佐藤が会釈すると西松も挨拶を返してきた。どうやら、いつもどおり授業を延長していたらしい。

 ふと佐藤は思いついて西松に尋ねた。西松は一年一組の担任のはずだ。

「そういえば西松先生、鶴織さんって今日いますか?」

「鶴織?何組の生徒かの?」

「一組です」

 佐藤の言葉に、西松は少しの間考え込んでから手元の出席簿を開いた。

「いや……一組にそんな生徒はいなかったはずだが?」

「え、そんなはずはありません」

「いや、出席簿にも載ってないぞ、そんな生徒。鶴織、だったかの?」

「はい、そうです。……どうしました?」

 佐藤がなおも食い下がると、西松はふと何かを思い出したらしく遠い目をした。

「いや、そういえば、昔そんな生徒がいたの……」

「はあ」

「あれもそういえば、一年一組じゃった。今の部室棟がまだ教室として使われていたころの話じゃから……もう十年以上前になるの」

「そうですか」

「ああ、そうじゃ。ええと、鶴織……何といったかの。確かそんな生徒がおった」

「そうなんですか」

 完全に本筋からそれた話に、佐藤が適当にに相槌を打っていると天井のスピーカーからチャイムが降ってきた。

「おお、いかんいかん。聞きたいことがあったら放課後、教員室まで来てくれ」

 西松はそういう言い残してあたふたと階段に向かい、佐藤も三組の教室に戻った。

 その日の放課後、佐藤が部室棟への渡り廊下を歩いていると、部長が部室棟から出てくるのに出くわした。前に階段で会った時と同じように、本を何冊か抱えている。もしかしたら、部室棟以外のところで活動をしているのかもしれない。

「あ、こんにちは」

「あら、佐藤君、こんにちは」

 佐藤が会釈すると部長も会釈を返してきた。そして、佐藤のすぐ手前で部長が立ち止る。

「そういえば、鶴織さんとは仲良くやってる?」

「ええ。まあ。それを確認するなら本人に聞いた方がいいのでは?」

 佐藤の言葉に、部長が本を強く抱え、わずかに目を伏せた。眼鏡と前髪に遮られて部長の目元が隠れる。部長は少しだけ黙り込んだ。

「そうね……ところで、助言を一つ」

「はい?」

「好奇心は、猫だけじゃなくて時には人も殺すわ。……彼女のことが大切なら、あまり深く知ろうとしない方がいいわ」

「は?」

 顔を伏せたまま言い終えると、部長は困惑する佐藤を置いてすたすたと歩き去った。

 しばらくの間、佐藤はそこに立ったまま首をひねっていたが、後ろから生徒の一団がやってきたので部室棟に足を踏み入れた。

 階段を上り、文芸部の部室に足を踏み入れると窓際にいる鶴織の様子が違った。

 初めて文芸部の部室に足を踏み入れた時と同じように、鶴織は一心にペンを走らせていた。佐藤があいさつをしても、反応が返ってこない。息をすることさえも忘れたかのように書き続けている。新しい原稿用紙を取るのさえももどかしそうだ。

 佐藤は仕方なく壁際の本棚から面白そうなタイトルの本を適当に抜き取って読み始める。ここ数週間の間にタイトルから面白そうな本を選べるようになっていた。それでも鶴織と共通の話題が欲しかったのでお勧めの本は教えてもらうのは続けていたが。

 初めの方はちらちらと鶴織の方をうかがいながら身の入らない読書をしていた佐藤だったが、手に取った本が予想外に面白く、気が付くと本の内容に引き込まれていた。窓の外から吹奏楽部のセッションが響き、室内ではページをめくる音と、原稿用紙にペンが文字を記す音が響いていた。

 太陽がだいぶ西に傾いたころ、鶴織が思い出したように息を吐き、勢いに任せて走らせていたペンを置いた。適当に重ねておいていた原稿用紙の角をそろえる。

「あの……原稿を書いたのですが、読みます……?」

「ん?ええと……ちょっと待って」

 鶴織からおずおずと声をかけられた佐藤は本から顔を上げ、目元をもみながら目をしばたたかせた。それから、自分の手元の本と鶴織の持つ原稿を交互に見て考える。読んでいた本が意外に面白く、しかもちょうど物語が佳境に入ったあたりだったのだ。

「いや、読んでいる本が今いいところだから、ひと段落ついたらでいい?」

「ええ。……ここに置いておきますね」

「うん、ありがとう」

 鶴織が原稿用紙を机の隅に置き、佐藤は軽く頭を下げてから本の世界に戻った。

 結局、鶴織の原稿をその日に読むことはなかった。読んでいた本は意外に残っていた部分が多く、読み終わったのは家に帰った後だった。

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