反旗

 娘の寝顔を見ながら、ガズハはこの先のことに思いをはせる。このまま何も無ければ問題ない。ただ、シャーナが吸血鬼となってしまったときは、自分はどうすべきなのか。吸血鬼になりたてのときは、猛烈な喉の渇きを覚え、理性を失った状態で大量の血を摂取すると聞く。この村の多くの人間を手にかけることになるだろう。私の力でシャーナを拘束し、村人に協力してもらって血を分けてもらうか。まあ、まだそれなら良い。もし、完璧な変身ができなかったときは、できそこないとなってしまう。理性も失い、ただ、人の血肉をもとめるだけの怪物になってしまったら、そのときは……。


 今回の騒ぎを起こした犯人には相応の罰を受けてもらわねばなるまい。速やかな死か、ありとあらゆる苦痛を与えてからの死か、永遠の苦しみか。それにしてもビジャめ、自らの一族も抑えられなくなったか。それとも10数年という歳月は勇者の恐怖を忘れるのに十分な時間なのか。


 娘の額に浮いた汗を布で吸い取ってやる。先ほどに比べればやや呼吸が穏やかになったか?しかし、それが何を意味するのか分からない。早く夜が明けて欲しいと思う一方、結果を知りたくないとも思う。


 そして、一夜が明け、窓の隙間から薄明りが部屋の中に漏れてきた。

「ううん」

 シャーナが小さな声を漏らす。そして、しばらくするとその薄目を開けた。薄暗い部屋の中で霞がかかったような目の焦点を合わせようとする。その瞳孔は……満月のように円いままだった。

「ちちうえ?」

 そうささやく、口元に鋭くとがった犬歯は見えない。ガズハは何時間も呼吸をしていなかったかのように深く息を吐きだす。ああ、良かった、無事だ。

「ちちうえ、いかが」

 かすれた声に気づき、ガズハは唇に人差し指を押し当てると、瓶から水を汲んできてコップをシャーナの唇に当てる。背中を支えてやり少し上半身を起こさせると、シャーナはゆっくりとその水を飲み込んだ。ガズハはそっと上半身を戻してやり、言い聞かせる。

「話はまた今度だ。今日はゆっくり休みなさい」

 シャーナは素直にその言葉に従い、枕に頭を預け再び眠りにつく。ガズハはミストを呼び、世話を頼むと、もう一度娘の寝顔を見てから、表情を引き締める。今日はこれからまだやらねばならぬことがある。

 ガズハはこのとき、まだシャーナに起きた変化のことを知らなかった。


 ガズハは城に戻り、昨夜の襲撃犯たちを連れてくるように命ずる。そこへビジャが慌ただしくやってきて、助命の歎願をする。それを拒絶して、速やかな死を命じた。城の中庭にある鉄の柱にくくりつけられた襲撃犯たちは、その身を守る帽子とマントをはぎ取られ、日光にさらされる。瞬く間に皮膚が焼け燃え上がりやがて灰となった。


 その1か月後、各族長が集まる会議でガズハは王位をはく奪される。ビジャが提案し、賛成3、反対1、棄権1。ガズハはそれに抗議もせず従う。ただ、私領への干渉は実力で排除することは警告した。

 その後、ビジャが新たな魔王に即位する。人間への融和政策の破棄を宣言し、人間の領土への襲撃が再開される。


 *****

 

「いやあ、あの時の陛下は本当に怖かったですな」

「どのときだ?」

「シャーナ様の襲撃犯を取り戻すため圧力がかかるかもしらん。ドゥボローの支援をせよ、とおっしゃったときですよ」

「そうだった?」

「ええ。とても暗い目をしておいででした。シャーナ様が無事で良かったと心の底から思いました」

「まあ、昔話はもういいだろ。これからのことを考えないとな」

 ロダンは、場合によっては、いずれまたあのときのようなガズハの恐ろしい姿をみることになるのだろうな、と思いながら頷く。


 ガズハとロダンが村はずれでおしゃべりをしている頃、シャーナはガズハのベッドのシーツを外して、その匂いを胸いっぱいに吸い込み陶然としていた。はあ、父上。両目がとろんとしている。

 あの日、シャーナが吸血鬼に血を吸われたことによる後遺症のせいであった。眠りから覚めたときに最初に見た者を好きになってしまう魅了の呪い。わずかではあるがそれが残っている状態でガズハを見てしまったため、その効果はガズハを対象として発動された。もともと、父として敬愛していたものが、シャーナが成熟するにつれて呪いの影響で変質していった。

 そして、今日のこの姿は、天気がいいので洗濯しなければ、という言い訳とともに父の寝室に入っての所業である。丸めたシーツを今度は抱きしめようとしたその時に、戸口から声がかかる。

「シャーナ様。洗濯の準備できておりますが」

 ドゥボローだった。

「ああ、うん。少し生地が薄くなった部分があるような気がしてな。確かめていたのだ。そうか、準備ができたか」

 シャーナは、至福の時を中断されてがっかりしながら立ち上がると、元々表情の変化の乏しいドゥボローの顔を観察しながら、戸口に向かって歩き出した。

「私にお命じ下さればいいものをわざわざ自らなさるとは。陛下のご依頼事はよろしいので?」

「ああ、そうだった。早速とりかからねばな。あとは頼む」

「もちろんですとも。おまかせください」

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