生と死と

 セーヌは先ほどから攻撃命令を下せずにいた。目の前の魔王を自称する男は確かに間違いなく強い。この人里離れた場所で一人でスタスタと歩き回り、自分たちに接近する気配を感じさせなかった。先ほどまで隠していた魔力が全身からあふれ微かな光彩を放っている。無理だな。我らでは到底勝てない。

「分かった。投降しよう」

 そう言って抜身の剣を鞘に納めると周りの部下たちにも武器を収めるように促した。大人しく部下たちもそれに倣う。

 ガズハは驚いた。姫様がこのように聞き分けがいいことにもそれに部下たちが抗議もせずに大人しく従ったことにもだ。そして、ある種の感動と好意を感じ始めていた。

「大人しく要求に従ったからには、そなたの寛容さを期待してもいいのだろう?黒竜が死んだことをこの目で確かめさせてもらえないだろうか」

「ああ、造作なきこと。全員はやっかいだが2人までならすぐにでも」

 セーヌが部下たちの1人に声をかけ、共に歩み出る。ガズハは2人の間に入ると、呪文を唱え、ゆっくりと2人と共に浮揚する。木立の上に出ると方向を確かめ、瞬きをして跳んだ。


 待つほどの時間もかからず、3人は戻ってきた。

「間違いなく、黒竜カーズは息絶えていた。これで我らの任務のは達成された」

「半分?」

「我らのことだ。それよりも血分けの術のこと聞きたいのであろう」

 セーヌはガズハに説明する。ガズハな熱心に聞き、いくつかの質問をした。そして、満足そうに頷いた。半信半疑だったが、負傷した男の顔色がやや戻っていることがこの技術が嘘ではないことの何よりの証拠だった。


 セーヌは晴れ晴れとした顔で言う。

「これで約定は果たしたということで良いかな」

「ああ、結構だ。このような知識が得られるとは望外の望み。あいにくと今はこのような物しかないが」

 そう言って、左腕にはめていたごつい金の腕輪を外すとセーヌに渡そうとする。セーヌは心底驚いた表情で、

「それは一体どういうつもりだ?」

「いや、このように有益な情報を聞かせてもらって、何も礼をせぬとは我が沽券にかかわる。些少だが収めてくれ」

 そう言って、宝石のはまった腕輪をセーヌに手渡す。

「いや、どういうことだ?これから死ぬ者にこのようなものを渡して何がしたい?」

「死ぬ?何をいってるのかさっぱりわからんぞ。怪我をした者も顔色が良くなっておるし、快方に向かっているようだ。確かに年寄りが多いようだが、寿命にはまだ……」

 そう言うガズハの頭にあることが閃く。黒竜を倒すのが任務の半分でしかないなら、残りの半分はつまり……。

「ならん。ならんぞ」

 そう言って足を踏み鳴らす。

「なぜ、そなたたちのような者が死なねばならん。これほどの統制の取れた小隊を無為に死なすなど、無駄の極み、愚の骨頂ではないか。許さん。許さん」

 目の前で急に激高したガズハを見て、セーヌ達は目を丸くする。

「約を違えると申されるか。貴殿は魔王とはいえ信のおける武人とみたからこそ、投降にしたのだぞ」

「何を言うておる。俺は、そなたたちの知る技術の教えを請うただけのこと。その前の無益な戦いを避けただけだ。それ以上でもそれ以下でもないわ!」

「剣を交えず、聞かれたことに答えた。だから、心安らかに死なせろと言っているのだ。その約を違えて、我らを辱めようというならば、勝てぬまでも抵抗するぞ」

 腕輪を投げ捨て、抜剣したセーヌに倣い、部下たちも武器を構えた。


 その姿を見てカッとしたガズハだったが、すぐに冷静になり、その場にどすんと座り込んだ。

「急に大声を出した非礼は詫びよう。何か誤解があるようだ。武器はそのままでよい。もう一度話をせぬか」

 セーヌは迷う。自分一人なら、このまま切りかかり返り討ちに合えばよい。だが、この部下たち、死地と知りそれでも随行を申し出たベテラン達を無駄死にさせたくはなかった。自分が切りかかれば、当然部下も行動に移る。この目の前の魔王も攻撃されてまで、寛容さを発揮することはあるまい。どうする?もとより死ぬつもりだったのだ。それは部下たちも同じ。なれど……。


「それでよい。では仕切り直しだ。手間を取らせたが、我が用は済んだ。いずれまた戦場でまみえるまで、互いに壮健であれ、といきたいのだが……そうはいかぬようだな?」

「では聞こう。貴殿はなぜ我らを放つ。あのとき余裕を見せず倒しておけばと後悔する例などいくらでもあるぞ。それとも、我らなど脅威にもならぬと侮るか?」

「侮りはせぬ。先ほどの戦い方は見事だったしな。ブレスさえ無ければ黒竜ともあるいは、いい勝負かもしれん。だからこそ、死なれたくはないのだよ。少なくとも今はな」

「我らに死んでほしくないだと?」

「ああ。色々とこちらにも事情があってね。しかし、分からんな。なぜそこまで死に急ぐ?これだけ生き残るために腐心している身としては理解できんな。黒竜は死んだ。ノトールにその朗報を持ち帰るだけでも大歓迎されるだろう?」

「貴殿と同様こちらにも色々と事情があるのだ」

 自分のセリフを返されて、ガズハは思考の糸を紡ぐ。ノトールは、上に立つ者はその義務を果たすべし、が信条の国だ。だからこそ、今時珍しく一国の姫君が陣頭に立って強敵を倒しにわざわざやってくる。それ自体は褒められたことだ。私の気性にも合う。脇道に思考がそれたな。他の国なら大事な王位継承者を死地にはいかせないだろう。そうか、なるほどな。気の毒なことだ。

「そなたは、藁人形なのだな。派手に燃えるところを見せるための」

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