第12話 10月上旬の1日

「10月になったら秋だ」なんて嘘はどこかのほら吹きが吹いたお話だ。夜に煩く鳴きまくる秋の名物コオロギを蹴り飛ばしたい気持ちになるほど、昼間は我慢大会猛暑が続いている。

彼は休みの日も家で活動する時間が徐々に増えて、休みの日も私と一緒にせっせと訓練筋トレに励んでいる。



「いーち、にーい、さーん」

「え、ひどい。1秒はもっと早い」

「ワントゥワン」

「え、どうして1に戻ったの」



怠惰のんびりと私が秒を数えてやれば、ちゃっかり文句を言えるぐらいに気持ちが戻ってきたみたいで何よりだ。

腕を震わせながらも私に文句を言う彼のために、キッチリ秒を間違えないように航空用語的な数え方をして今日の分の訓練トレーニングを終えれば、大きく息をついて彼が文句を言う。


メンタルのときは私に謝るばかりで何も文句を言わなかった。彼の回復に安堵のため息をつく。これだけ回復すれば、班長の言う短期の派遣アレを耐えるだけの体力もつけられるだろう。

元から体力がかなり紙一重ギリギリだから足りるとは限らないが。それはそれだ。私の元部下が居る場所なら何とかして貰える。



「ねえ」

「どうかしたの?」



彼はぎゅっとその小さな手を握りしめて、私に向き直る。その小さな手を離せなくなって今に至るのを思い出して、抱き締めたくなったのを我慢する。なにか真面目なことを言おうとしているのに、遮るのは良くない。

玄関で仕事を辞めたいと私に告げて号泣したあの日とは全く違う、真っ直ぐな目だ。



「俺はやっぱり仕事を辞められない」

「そうだろうね」

「え?想定通りなの?」

「うん、君が辞められないの知ってた」



あんなに傷付いても交代制シフトの穴を開けることを気にしたり、報道ニュースで仕事に関連する話題が出るたびに反応して、私と違って仕事に誇りを持っているのは見れば解る。

私以外の同僚や同期も知っていた。だから、彼が仕事国防に戻れるようにみんなが支えようとした。


彼が持つ私には無い能力ちから


助けてあげたい。支えてあげたい。何とかしてあげよう。そう思わせる能力ちからが彼にはある。だから彼はきっと良い指揮官なのだろう。

万能で頼れる指揮官の方になるように、教育訓練で教えられるが、彼のように周囲が助けたくなる指揮官というのもきっとアリなのだろう。



「だって、君は防人であることに誇りを持っているでしょう?」



私には微塵少しも湧いてこなかった誇り、それに愛着を彼は持っている。



「うん、君はなんでもお見通しだね」

「大丈夫、やりたいようにしたら良いよ」



私は格闘技の試合では全国区だったから格闘力ちからはある。論文で表彰されるような能力ちからもある。悪知恵は働くし、単品ひとりで何とかできる能力ちからは私の方が圧倒的に高い。

でも、彼の能力ちからは私よりもずっと大きい。単品ひとりではできないことを達成する能力ちからだ。


私はそんな彼が好きだし、一緒に行こうと思う。



「来週からちょっと遠くに派遣に行ってくる」

「うん、どこに行くの?」

「少し僻地に行くんだ」



もちろん班長から聞いているからどこに行くのか、何日行くのか。むしろ、班長からその期間一人にさせて大丈夫なのかと聞かれて調整をしたから、私は詳細を知っている。

でも、彼は私が色々と関与したことをとても気にしている。だから、知っていても敢えて聞く。



了解そうか。気をつけてね」

「うん、お土産買ってくるよ」

「ありがとう」



後日渡されたお土産は通販アマゾンで販売している土産ものだったが、彼が私への感謝として買ってきたお醤油はとても大切に使った。


秋刀魚のときに私が「これ美味しいらしいよ!」と画面テレビを見て適当に話していただけのものを彼は後生大事に温めていたらしい。そういう部分ところが本当に可愛らしい。

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