第10話 9月中旬の1日

彼が職場に通い始めて数日。

私も新しい仕事にえっちらおっちらすること、数日が経った。


仕事は雑用なのに、てんで理解できない私を見かねた上司が優しく教えてくれるようになった。

あんまりにあんまりだったのだろう、かなりアホで、時代錯誤で申し訳ない。新しい上司が「え!?」と困ることを色々しでかしている自覚はある。


そんな頃合に、彼の上司から電話がきた。ぶーんと小さく震える携帯電話を拾い上げた。


私の新しい職場は仕事とプライベートがはっきりと別れていて、個人用の携帯に連絡はしてこない。

なんと、仕事連絡用に携帯をくれた。素晴らしい職場だ。



「はい」

「人事係長、お疲れ……じゃなかった、奥様、ご機嫌いかがでしょうか」

「いや、無理が色々でてますよ。欠片も誤魔化せてないんでいつも通りでどうぞ、班長」

「ほら、だって電話帳の登録が人事係長だからさ、ついね」



そう言ってアハハと笑う声が電話越しに聞こえる。良い人なんだが、ちょっと電話するには声が大きすぎる。可哀想な私の携帯では、少し音が割れる。


彼の今の上司は私の6ヶ所目の碌でもない職場のとき、仕事をご一緒したことがある。

その職場はびっくりするくらい人不足だった。本来は私の上に2人上司がいるはずで、本当なら2つ階層が上の人が班長と仕事するはずだった。

お察しの通り上司がいなかったから、私が連絡を取っていた。階級と経験に不相応な仕事をしている私を哀れに思ったこのお人好しの班長は、私の仕事を手回し、根回しして助けてくれた。


彼の上司がこの班長で本当によかった。



「彼、調子良くなってきたみたいだよ。今日は定時きちんと部屋にいて、運動もしてた」

「家でもご飯を食べれるようになってきてますよ」

「今日の面談では、職については嫁に相談するってさ」



一時は思いつめて辞めようとしていた彼も気持ちが落ち着いてきたのか、やはり仕事が個性アイデンティティの1つであるから、辞めたくなくなってきたらしい。

まあ、想像通りだ。

彼がそうしたいならそうすれば良い。


私は彼がしたいようにしたら良いと思う。一緒に過ごしてくれるならそれで良い。ある程度のやらかしはどうにかこうにか私が何とかするから、彼が私と一緒にいてくれさえすれば何とかなるのだ。



「それにしても、係長辞めちゃうなんてショックだったよ」

「そうですか?」

「優秀な上に、強かったから。おお!最近の強い若い子だと思ってた……あ、いや、やっぱり今も強いや」

「え、強調するの強い方なんですか」

「強いよ、まさか旦那の職場に調子が悪いから旦那に病休取らせてって外線でかけてくるやつがどこにいるよ」

「ここ、ここ」

「知ってる、その外線俺が取っちゃったからな」



電話の向こうから、俺も引き強いやアハハと笑う声が聞こえる。相変わらず1人でも楽しそうな班長だ。

忙しいときほど、この人の調子に助けられた。今も助けられてる。



「次の冬、ガッツリ異動させるから、そうしたら彼をいじめるやつらは一掃できるよ。なあ係長、それまで彼、出張させるのどうかな」

「今の時期だと、アレか」

「そう、アレ。嫁の係長からみて、彼の体力が持ちそうならアレは楽しいと思うんだが、どうだろう」



年に2回あるアレは体力があれば、特に頭はこれといって使わない上に、一過性のその瞬間を乗り切るためだけの集まりだからわちゃわちゃ楽しめる仕事だ。

ついでに、彼を可愛がってくれる熟練兵ベテランがいるところに今年は空きがあるはずだ。



「その前にちょっとアッチを挟んで欲しい」

「あー……確かに、彼なら資格もあるし、行けるな。うんうん、それもそろそろ恩を売っておかなきゃだからちょうど良いな」



1、2週間の派遣出張なら現場の間でやりくりするから、このぐらいなら班長権限でなんとかして貰えると思った。

しかし、職場の人員異動となると、班長の権限からでている。班長はどこまで動かしてくれたのか、頭が上がらない。



「彼で5人目で、そして彼が倒れたら他に2人倒れてさ。全員鬱メンタル

ホント、マジで交代制シフト回らないよ。まあ、過剰労働な上に、男のくせに悪い御局様してるのが何匹もいたから。そりゃあ新人病むよな。

司令官ボス上申はなしたのと、幕僚から注意喚起が落ちてきたから、一気にテコ入れしてやるとこ」



終わったら健康ホワイトな職場になるから、早く帰るんだ!アハハと電話越しに聞こえた。だが、これまでの経験からいえば、班長の仕事はきっと日夜出勤の金夜帰りぐらいには忙しくなる。

班長はそれをわかっても、班長の仕事で助かる人がいるから頑張れるんだと言って、仕事に埋もれるのだろう。


もう手伝えない。協力もできないのが歯がゆい。



「普通、隊員の嫁から職場復帰に合う勤務先を提示されないからな、助かったよ。相談カウンセリングも、食事管理も、係長がついてるなら彼は安心だな。

他の隊員に時間が割けるよ。ありがとう、お疲れ様」

「お疲れ様でした」



私の悔しい気持ちや歯がゆい感情を見透かしたように、私のことを褒めて班長は電話を終えた。


窓の外は灼熱だと分かってはいるが、冷房装置クーラーが効いた室内から見る休日の窓の外は穏やかな日差しが降り注いで、どこか明るい陽気だった。

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