第6話 8月中旬の夜明け前
先日私を大いに悩ませた出来事は呆気なく終了していた。
私の素知らぬところで。彼にはあの少しばかり悪いところのある私と同類の同期から、親友の死は伝えられた。だから夜中に帰ってきた彼は私を抱きしめながら、静かにすすり泣いたのだ。
私との電話を終えたあとに職場の電話を使って、あいつは彼に伝えたらしい。私が衝撃を受けていたとわかったからあいつも気を遣ったのだろう。これで貸しがひとつできた。気味の悪い笑みを浮かべてこちらを見るあいつの顔が容易に想像ついて、苛立った。無駄とわかりながらあいつの顔に見立てた虚空に拳骨を繰り出した。
「どうしたの?ダイエット?」
「やかまし」
そんな私の奇妙な行動を見た彼は不思議そうに私に聞いてきた。それよりも乙女に対して「痩せたら?」と暗に促してくるのが腹立つ。確かに仕事を辞めてから肥った気がする。
前よりも分厚く存在を主張する資本主義の塊を見下ろす。かなり肥ったかもしれない。
「いいよ、安心する」
そういって彼は私を甘やかすのだ。しかし、腹回りをぷにぷにと触ろうとする手は振り払った。それでも彼は私にぶら下がった、否、抱きついたままだった。体格の違いでぶら下がってるように見えるだけだ。
今日も陽が昇らないうちに彼は出勤していく。朝ごはんを食べさせて、栄養剤を持たせる。
最近、少食に磨きがかかった彼はついに固形物を食べてくれなくなってきた。普通の白いご飯すらかたくて辛いと言うのだ。雑穀も何も入れてない。私は雑穀米も玄米も好きだが、彼が咀嚼できない。だから毎回、白いご飯に少しだけ麦を入れて、お粥にして豆や鮭、時には卵を解いておく。麦を入れるのは脚気対策だ。豆や鮭はタンパク質。そうして柔らかいご飯を用意している。
他には一つで200kcal《キロカロリー》もあるゼリーと茶色の瓶に詰められた栄養剤、野菜ジュース。それで彼はその細い身体を支えている。
明らかにもう限界だと私は思う。
それを指摘して休みなさいと言うも彼は本当の意味ではわかってくれない。「あ、うん。寂しくさせてごめんね。今度休み取ったらどこか行こう」と私を気遣う。
そうじゃない。そうじゃあないんだよ!私がいくら喚いたって彼は困ったように微笑むのだ。
手足を押さえつけて家から出さないようにしたって、夜中の物音でさえ飛び起きて携帯に触れて「ああ、違う」と呟いてもう一度寝る彼に安息は訪れない。どうしてあげたらいいのだろう。夜中に何回も何回も起きて、朝が来ることに怯えている。私は前と違ってこんなにも近くにいるのに、なにもしてやることができない。
彼は収入を心配しているわけじゃない。私も働いている、貯蓄もある。二人の貯蓄、どちらも給金を貰っても使う暇を見つけられず貯まった貯蓄だ。二人の貯蓄を合わせたら、たぶん二年は働かずに暮らせる。だから私が必死に家でも稼げる仕事を副業しているのは役に立ってない。
彼が心配するのは、彼の
彼は五年も防人だった、愛着もあり、防人仲間たちに対する恩を感じている。そんなもの!とぽいと一息に棄ててしまえる私ほどに彼は悪くないのだ。
それだから毎日、寝不足で栄養不足で。僅かに食べた食べ物を気持ち悪いと吐き戻しても、歩くのすら漸くの状態ですら彼は防人として働きに行くのだ。
代わりに私が行ってやりたい。彼に向いてない仕事はたぶん、私に向いてる。私に向いてなかった事務はきっと彼に向いてる。
「君の上司、私がぶっ飛ばしたい」
「物騒だね。ダメだよ、小銃持ってきたりしたら」
「そんな小さなことはしないよ。やるなら大きくやる。そうだね、ミサイルの方が向いてそう。それとも爆撃かな」
「戦車盗まないでね。たくさんあっても数えてるから、君なら一人でも動かしてきそう。そしてどこから戦闘機を持ってくる気?」
そんな冗談に、弱々しく彼は微笑んで返してくれた。
赦されるなら私はとっくに彼の職場の上司に掴みかかっている。「彼のどこを見たら仕事をして大丈夫なように見えるんだ、お前の目は節穴か!部下を監督するのがお前の仕事だろう!」と詰め寄りたい。でもそれは今ではそのままブーメランで帰ってくる。あいたたた。
「行ってくるね」
「気をつけてね。待ってるよ」
「今日もきっと遅くなる。先に寝ててね」
「わかった」
ここで駄々こねて起きていたら彼はとても悲しそうにするから私は寝た振りをして布団の中で待つ。彼は自分のせいで私を幸せにできないかもしれないなんて言うのだ。私は重度の
そう思いつつ、玄関から彼を見送った。
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