ウィルフレッド ルナ・ツクヨに関する一考察

「……以上が、『黒山羊協会』をめぐる事件の顛末です」


「結構。報告書を置いて帰ってくれたまえ」


 情報屋の男はカバンから報告書の入った封筒を取り出し、ウィルフレッド主教へと差し出した。


「……何を笑っているんだね?」

「いえ、やはりこのご時勢でも情報の受け渡しは紙媒体が一番だな、と思いまして」

「そうか。よくわからんが、また何かあれば依頼させてもらおう」

「ええ。今後ともご贔屓にお願いします。ラヴァテイン支部長共々」

 男はニコリと笑いかけると、早々に執務室を出て行った。


「……食えない男だ」

 ウィルフレッド主教はぼそりとつぶやくと、確認をかねて報告書に目を通し始めた。

 

 事件の顛末はすでに把握している。

 召喚された二柱の悪魔は触媒であるルナ・ツクヨの死により消滅、その後、彼女の遺体はランス・ラヴァテインにより発見されるも、その場で復活を果たした。


 極めて異常な事態であった。


 ルナは仮死状態などであったわけではなく、完全に死亡した状態から蘇っている。それはまるで黒魔術的な外法によるものか、あるいは――神の奇跡かと思われた。

 悪魔召喚の実績を見る限り、奇跡が起きたのはルナの性質に拠るもの大きいと考えられる。つまり、ルナは聖人か、それに類した能力を有する存在なのだ。


 ウィルフレッド主教はさらに思考を進める。


 ルナの性質は善か悪か。一見すると悪魔の召喚にくみした時点で背信を疑うべきかとも思われるが、儀式において、彼女は一方的に利用されただけであり、そこを責めるべきではない。


 むしろ、召喚された悪魔の行動を見る限り、ルナは無意識下で被害をできるだけ少なくしようとコントロールしていた節がある。


 例えば、黒山羊と呼ばれる悪魔は、なぜ人の少ない地下空間へと侵入したのか。悪魔の力があれば、計画未定区域から直接街へと向かうこともできたはずだ。人間を殺すことが黒山羊の目的ならば、むしろ積極的に人が多い街中を狙うのが自然だろう。それをしなかったのは、触媒であるルナの影響があったからではないか。


 また、二度目の儀式により召喚された悪魔は、地下空間を容易に破壊するだけの力を持ちながら、自分からは攻撃する素振りを見せていない。これは、黒山羊よりもこの悪魔の方が強くルナの支配を受けていたからではないか。


 明確な根拠はないにしろ、この仮説はウィルフレッド主教自身が納得するのに十分な説得力を持っていた。したがって導きだされた結論は、『ルナ・ツクヨに対しての処分の必要はなし』である。

 むしろ、彼女に関しては、立場を変えて、積極的に優遇していくべきとさえ思える。


(……いや、それは教主様のご意思ではない)


『ルナ・ツクヨが戻ってきても、彼女の処遇を変える必要はない。かつてと同じ部署で同じ職務に当たらせること』


 ウィルフレッド主教が受け取った手紙にはこのように記されていた。

 手紙にはさらに、ルナを地下空間から回収する具体的な時間と場所まで指定されており、主教は部下を派遣して彼女の救出に当たらせた。


『ラヴァテイン支部長がルナ・ツクヨの救出のために教団を離れた場合、彼女が教団に戻った時点で彼を復帰させること。その際、この事件に関して起きた処罰に関しては全て不問とし、彼には追加の職務としてルナ・ツクヨの護衛の任を与えること』


 すでにランスは支部長の職に復帰している。

 彼の離反すらも、教主には想定の範囲内だったのだ。

 むしろ、『黒山羊協会』にルナを派遣させた時点から、教主には結末が見えていたのかもしれない。


(重要なのは、教主様がなぜこのような事件を起こさせたのかということだ)


 資金面に関しては、実はランスが指摘するほど切迫しているわけではない。潤沢というわけではないが、教団を運営していくだけの安定した収入は得られている。


 では、『黒山羊協会』からの申し出を受けた理由とは何なのか。


 黙考した結果、それはルナの能力の覚醒を促すためだったのではないかという説が一番しっくりくるように思われた。


 事件以前のルナは、特筆すべき能力や経歴のあるシスターではなかった。

 教主は何らかの理由によってルナの潜在する能力を見抜き、それを表に引き出すために『黒山羊協会』を利用したのではないか。


 その結果、悪魔が召喚され、多くの人間――教団の信者ではない者たち――がいくら死ぬかなど、気にも留めずに。


 背筋に冷たいものを感じた。

 その先見の明も、その冷酷さも、まるで神そのものではないか。

 教主の目には、いったい何が見えているのか。

 それがどんな未来であれ、最後までついていこうと、主教はあらためて誓うのだった。

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