エピローグ

レイジ1 流転する真実

 レイジは見知らぬ部屋で目を覚ました。

 そこが病室であるということは、ベッドと入院着ですぐに察しがついた。


「あ、やっと起きた!」

 傍らに目をやると、ミカがパイプ椅子に座っていた。手には剥きかけのりんごとナイフが握られている。


「これ、自分で食べようと思ってたんですけど……食べます?」

 いささか間の抜けたことを言うミカの顔を、レイジはまじまじと見つめた。


「あの、大丈夫ですか?」

「ミカお前……生きてたのか」


「なんですかそれ! たしかに私だってそこそこ重症でしたけど、もう歩けるまで回復したんです! それに、本当に死に掛けていたのはどこの誰ですか! 三日も寝たままだったんですよ! 人がどれだけ心配したのかも知らないで……もう!」


「悪い悪い」レイジは鼻息を荒げるミカを軽くなだめると、急に真剣な顔つきへと変わった。「それで、事件はどうなったんだ?」


「それは……」ミカの表情が曇る。「表面上は警察とテロリストによる抗争という形で決着しました。警察も『黒山羊協会』も多大な死傷者を出しましたが、黒山羊は無事消滅しています。事件の首謀者はフィリップ・レヴィという男ですが、すでに死亡。モンテロ殺害から始まる一連の事件はこの男の犯行ということで……」


「ちょっと待て! 『黒山羊協会』のボスはクレマンだ。どうしてそのレヴィとかいう男に全てなすり付けられているんだ!?」


 ミカは目を伏せてしばし沈黙したあと「……上の決定です」と告げた。




「どういうことですか!? クレマン警部のことを何も話すなって!」


 事件の翌日、ミカは病室にてマークと共に警察の高官から訪問を受けていた。

「今言った通りだ。クレマン・バルトーが事件に関与していた事実、それら一切を口外することを禁じる」


「事実を隠蔽するおつもりですか?」

 マークが横から口を挟む。


 高官はマークのほうを一瞥しただけで、肯定も否定もしない。


「ですが、クレマン警部はただ『黒山羊協会』に関与していたわけではありません。彼こそが『黒山羊協会』のトップだったんです。それを隠蔽なんて……」


「……今回の事件が世間で何と呼ばれているか知っているか?」怒りを示すように、高官は威圧的な視線をミカに向けた。「『戦後最大のテロ事件』だ。死傷者の数もそうだが、絶対安全とされる地下空間が”何らかの手段によって”破壊されたことが、世間の不安を煽っている。


 当然警察への風当たりも強い。まして今回は事前にテロ組織の動きを察して部隊を配置していたにもかかわらず、テロを防げなかったのだ。そこへ事件の首謀者が警察の人間だということになれば、警察の威信はどうなる」


「自分たちのメンツのために真実を隠すというんですか!」


「そんなレベルの話ではない! これは警察による自治の問題なのだ。警察が信用を失えば、犯罪やテロを助長し、いたずらに市民の不安を煽ることになる。今の世論とて、テロの首謀者が逮捕されたと報道されているからある程度落ち着いてはいるが、警察のなかにテロリストが紛れていたと判明すれば、暴動まで起きかねんのだ!」


「平和のためには、多少の不正は致し方ない、と」マークはいつになく皮肉な微笑を浮かべてつぶやいた。「理には適っていますね。納得がいくかと言われれば微妙ですが」


「お前たちが納得できるかなど関係ない。これは命令だ」高官はジロリとミカを睨みつける。「ミカ・アマネ、お前には拘留中の被疑者を故意に逃亡させたという容疑が掛かっている。マーク・アンキンソン、お前にはその共謀の容疑が。立証されれば、二人ともタダでは済まないだろうな」


「今度は恐喝ですか」忌々しげにミカが睨み返す。「処分は最初から覚悟の上です」


「ふん。お前たちはたいした罪には問われないからそうも言えるだろう。だが、レイジ・キドーは違うぞ」


 ミカの瞳が大きく見開かれる。

「……レイジさん?」


「あの男は明確な殺意を持ってバルトーを殺した。バルトーも拳銃を握っていたとはいえ、待ち伏せしていたのはあの男の方だ。正当防衛を主張するのは難しいだろうな」


「汚い! レイジさんのことを人質にするつもりですか!?」

「汚くはないだろう。キドーがバルトーを殺害したのは事実だ。真実を明らかにするというのであれば、その罪も裁かれるべきだ」


「それは……」

 ミカは言葉に詰まった。


 たしかに、レイジにはクレマンを殺害したという罪がある。


 だが、それを公の場で裁くには、黒山羊の存在や『黒山羊協会』が行っていた儀式など、世間に秘匿しておくべき事柄が多く存在しているのも事実だ。それらを全て伏せたままレイジを裁くことに、公正さがあるとは思えない。


 なにより、ミカはレイジのことを守りたかった。


「バルトー警部はテロリストの銃弾に倒れて殉職した……それで誰が困るというのだ。バルトーの妻は、夫がテロリストだったということなど、まるで知らないのだぞ? 愛する夫が亡くなって嘆いている女に、お前の旦那は大量の人間を殺したテロリストであり、復讐のために殺されたのだと告げるのか?」

「そんなこと……」


 できるはずがない。家族を失った悲しみは、ミカにも痛いほど理解できる。それに、もしクレマンのことが世間に知られれば、クレマンの妻は理不尽に激しいバッシングを受けるだろう。とてもではないが、平穏には生きていけないはずだ。


「命令は告げた。お前たちの返答はいらない。どのみち、誰かが漏らせばすぐにわかることだ」




「なるほどな……」

 ミカの話を聞き、レイジは遠い目をしながら頷いた。


「私とマークさんは、レイジさんの意識が回復するのを待って話し合おうということに決めました。まだどこにも話はしていません」


「まあ、上が圧力をかけてきたということは、マスコミに話したとしても握りつぶす用意ができていているということだな。本当に口外されるのがマズイなら、今ごろ問答無用で逮捕されているはずだ」

「つまり、口外しても無意味、ということですか?」


「そうでもないだろう。必ずしも警察の影響力に屈する報道機関ばかりじゃないはずだ。まあ、記事にしてくれそうなところといえば、反政府寄りのゴシップ雑誌といったところだろうが」


「下手をすれば、危険思想規正法違反で前科が増えるというわけですね――レイジさんは、どうすべきだと思いますか?」

 まっすぐな瞳で、ミカはレイジを見つめる。


「俺は……別にどうでもいい」


 ミカはがっくりと肩を落とした。

「なんですかそれー!」


「いや、冗談じゃなく本当にそうなんだ」レイジはじっと自分の右手を見つめる。「……俺はクレマンを殺した。俺の中では、それで全て終わったんだ。今さら、何が正しいだとか、どうするべきだとかは、正直、興味がない」


「レイジさん……」


 クレマンのもとへ向かった時、レイジがすでに重症を負ってたことはミカも知っている。おそらくは、彼がクレマンを殺して死ぬつもりだったということも察しはついていた。

 今のレイジは、物事を判断するにはあまりに多くのものを失ってしまった。投げやりな返答になることを責めることはできない。


「レイジさん……まずはゆっくり休みましょう。美味しいもの食べて、映画でも見に行って、たくさん寝て……十分回復したら、また頑張りましょうよ」

「いきなりなんだお前は。でも……まあそうだな。しばらくは、ゆっくり休みたい気もする」


 レイジは手を斜め上にあげて伸びをするも、手術した痕が痛むのか「あいたたたたたたた」と情けない声を漏らした。

「もう、なにやってるんですか。傷口が開いたら大変ですよ」ミカは注意をしながら、レイジの背中をさする。「まずは絶対安静です」


「――おや、悪いタイミングで来てしまいましたかね」

 不意に飛んできた声につられ、レイジとミカは声の方向を見た。


 若い男が、薄ら笑いを浮かべなら入口の前に立っている。ミカには見覚えのない顔だった。「レイジさんの知り合いですか?」

「いいや。知らない顔だ」躊躇いなくレイジは否定する。「アンタ、いったい誰だ?」


「名乗るほどのものではありませんが、まあ、お二人の同業者のようなもの、とでも思っていただければけっこうです」

 男は薄ら笑みを顔に貼り付けたまま、慇懃に頭を下げた。


「俺のところにも圧力を掛けにきたということか?」

「いえいえ、とんでもありません! 今回のお二人のご活躍はとても評価されているんですよ。ですから、その報奨代わりにあるものをお見せしに来たのです」

「あるもの……?」訝しげな表情で、レイジは男を睨みつける。

「そう怖い顔をしないで下さい。お二人、特にキドーさんにはきっと有益な情報ですから」

 

 男はベッドの真横まで来てタブレット端末を起動した。

 タブレットの画面を二人は見つめる。

 映像が始まった。


 薄暗いコンクリートの地面と、そこに描かれた奇妙な紋様。それを塗りつぶすように広がっている赤い血液、そして、画面の中央には金髪の若い女――ルナの死体があった。


「バカな。地下空間にカメラが設置されているなんて話、聞いたことがないぞ」

「それはそうでしょう。非公式に仕掛けられているものですから」

「……こんなものを見せてどういうつもりだ……!」

 レイジの肩が怒りから震える。


「まあ落ち着いて見ていてください。どういう意味かすぐにわかりますから」

 男は笑顔のまま視聴を促した。そこに隠された意図を読み取ることはできない。


 映像はルナの死体を映し続けている。時系列的には、レイジが離れた後だろう。

 金髪の男が映り込んできた。レイジとミカがルナを救出したときに、『黒山羊協会』の連中と一緒にいた男だ。

 ミカが「あ!」と声をあげる。


 映像のなかの男はルナの死体の前まで来ると、膝から地面へと崩れ落ちた。そのままかすかに震えるだけで、その場を動かない。泣き崩れているようにも見える。レイジはいたたまれない気持ちになってきた。


 異変はその直後に起こった。


「なっ……!」

 地面に広がった血液の痕――すでに凝固し、黒く変色している――が、突如発光し始めた。

 金髪の男はその現象に驚いている様子で、しきりに周囲を見回している。


 次の瞬間、固まったはずの血液が液体へと戻り、宙に浮いた。

 血液はまるで意思のある生き物のように動き回り、空中で集まって一つの固まりになると、そのまま元いた場所――つまり、ルナの腹部へと吸い込まれていった。


 まったく理解の及ばない現象。映像を加工し、編集すれば作れるものではあるが、そこまで手の込んだいたずらをする理由がわからない。


 金髪の男は、しばらく呆然とルナを見つめていたが、やがて立ち上がると、ルナへと近寄り、その首筋に触れた。そのまま数秒が経過したあと、男はルナを抱きかかえ、歩き始めた。男とルナが画面からいなくなり、映像は終わった。


「どうでしたか? 私の言った通り、有益な情報でしょう?」

「……つまり、アンタはルナは死んでいなかったと言いたいのか?」

「いえいえ。ルナ・ツクヨは間違いなく死んでいました。あれだけの量の血液を失ったまま放置されていて、生きていられるわけがありません。何より、彼女が死んだことは誰よりも貴方がご存知のはずです。彼女は――生き返ったのです」


「生き、返った……?」

「ええ。ご覧の通り、失った血液を体内に戻して、彼女は復活を果たしました」


 馬鹿げた話だった。一度死んだ人間が、失った血液を吸収して蘇ったなど、神話やおとぎ話の世界の話だ。


 そんなことがありえるはずがない。

 だが、一連の事件を経験したレイジに、この異常を否定することができなかった。


「……ルナには教団から何らかの魔術が掛けられていた、ということか」

 レイジの問いかけに、男は笑みを崩さず首を振った。

「いえ、おそらくは彼女自身が持つ能力でしょう。言い換えるならば”奇跡”ですね」


「奇跡、だと……ルナがそれを起こしたって言うのか」


「ええ。彼女は特別な存在ですから。

 ――おかしいと思いませんでしたか? あんないい加減で無茶苦茶な儀式で悪魔が召喚されたことを。バルトーはともかく、モンテロはオカルトに関しては完全な素人であったにもかかわらず黒山羊を呼び出しています。バルトーに関しても、極めて不完全な形とはいえ、最高クラスの悪魔を召喚することに成功しました。

 当然モンテロやバルトーの才能によるものではありません。儀式の触媒となったもの――ルナ・ツクヨの才覚によるものが全てだったのです」


「バカな!」

 それが事実なら、『黒山羊協会』に派遣されたのがルナでなければ、黒山羊は召喚されなかったということになる。そうなれば、事件の全体像は大きく変容していたはずだ。そもそも、事件が起きなかった可能性すらある。


「彼女を連れて行った男はランス・ラヴァテイン。ラヴァテイン重工の御曹司ですが、今は『黄金の王国』に所属しているようです」

「……ルナは教団に連れ戻されたのか」

 どことなく悲しげにレイジはつぶやいた。


「彼女のような存在が危険思想保持団体の手にあるのは、社会にとって著しい脅威と言わざるを得ません。上層部はルナ・ツクヨの迅速な回収を求めています」

「ルナを回収して殺すつもりか」

「まさか! 彼女が殺しても死なないことは、今回の件でわかっています。せいぜいテロリストに利用されないように監禁しておくくらいでしょう」


 男の話がどこまで真実かは不明だが、レイジは念頭にあった疑問を口にした。

「アンタの話はわかった。だが、なぜ俺にそれを教える? アンタ……いやアンタたちはいったい俺に何をさせるつもりなんだ?」


 男はレイジの質問にことさら愉快そうに笑みを歪めて答えた。

「当然、ルナ・ツクヨの捜索ですよ。最初に言ったように私、いえ、我々は貴方たち二人を評価しているんです。特にレイジさん、貴方はルナ・ツクヨと。すなわち、生きていればいつ必ず再会する運命にあるということです。そして、その機会は貴方が希望を持ち続ければ次第に早まっていく。だから私はこうして彼女の生存をお伝えしに来たのです」


「ふん。縁だの運命だの、ずいぶんといいかげんな話だな」

「ですが、生きていると知れば、貴方は必ず彼女を捜すでしょう?」

 レイジは答えない。


「私は人間の意志の力も信じているんです。貴方は七年ものあいだ彼女を捜し続け、ついに見つけ出した。そこには合理性では割り切れない、運命を引き寄せる力があったように思えます」


「……くだらん」

「貴方は必ず彼女を見つけ出す。次にお会いできるのは、そのタイミングかもしれません」


 男はそう告げると、再び頭を下げて帰っていった。

「レイジさん、あの……」

 ミカはレイジに話し掛けようとしたが、掛ける言葉が見つからなかった。


 あらゆる複雑な感情が、レイジのなかを渦巻いている。

 気持ちを整理するには、しばしの時間が必要だった。

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