ミカ 怒り、そして混沌へ

「ですから、地下空間で悪……怪物を見たのは事実なんです! 証拠こそありませんが、このままにしておけばさらなる被害者が」

「わかってる、わかってる」


 クレマンがイスに座ったまま、手をヒラヒラと動かすだけなので、ミカはますますヒートアップした。


「なら上に言って早急に対応策を練るべきです! そもそも、なぜレイジさんが捕まっているんですか!? レイジさんは一般人……証人を保護していただけでしょう?」


「ルナ・ツクヨを拘引するためには、レイジを共犯として逮捕せざるを得なかった。何も本気でアイツを犯罪者にしようとしているんじゃない。ただ、レイジが事件に関する情報を隠していたのは事実だ。殺人課の連中は厳しく追及するだろうな」


「殺人課の人たちは、本気でルナさ……ルナ・ツクヨが二人を殺したのだと?」

「そうは思っていないだろう。今朝がた、地下空間でさらに二人の男の死体が見つかっている。多数の銃弾の痕と一緒にだ。現場に銃は残されていなかったが、死んだ男たちも武装していたのだろう。そんな連中相手に、あんな女が槍のような武器ひとつで渡り合えたとは、到底思えない」


「なら……」

「だが、事件について何らかの情報を持っているとは考えているだろうな。聞いたかぎりでは、モンテロとホームレ……ボリス・クックの殺害された現場の両方にいたそうじゃないか」


「それならば、証人としてそれなりの待遇で彼女を迎えるべきだと思いますが」

「それは無茶な話だ。ルナ・ツクヨはモンテロの所属していた組織と関係があった可能性が高い。下手に証言を拒まれ、組織と接触されれば、彼女の身だって危ないだろう。容疑者として強制的に身柄を確保しておくのが、警察にとっても彼女にとっても一番安全なんだ」


「ついでにレイジさんも一緒に捕まえておけば、逃亡の手助けをする可能性もないというわけですか」

「……今、警察に必要なのは情報だ。背後にどんな組織がどんな目的で動いているのかを把握するための情報が。ルナ・ツクヨはそれを持っている可能性が高い」


「それより、地下空間の怪物をどうにかしなければ、被害は増える一方です」

「わかっている。今朝の事件を受け、地下空間の通行規制と、ホームレスの退避を進めているところだ。表向きは、危険思想保持団体による銃撃戦があったという理由でな」


 ギリッ、とミカは歯を噛み締めた。


「そんなことをしてどれだけの意味があると思っているんですか? 相手は無差別に人を襲う怪物なんですよ。もし、そんなものが地上に出てきたら……」

「報告によれば、怪物には銃弾が命中していたが、効いている様子はなかった、ということだったな」クレマンは深くため息を吐いた。「これが本当の話ならば、警察の装備でどう対応しろと言うんだ」


「それは……何か対応策を考えるか、軍に協力を仰ぐしか……」

「こんな不確定な情報で軍を動かせるか!」一喝してクレマンは椅子へドカッと座りなした。「頭がおかしくなったと嘲笑されておしまいだぞ」

「ですが、人命がかかっているんですよ!?」


「ミカ……」クレマンはわずかに逡巡した。「これまでにも神秘的な力や存在が関係した事件はあった。だが、それはいつでも秘密裏に処理されてきたんだ」

「表向きには、霊や悪魔の存在を隠してきたということですか」

「その通りだ……今や、世界は科学の力で認識できないものを肯定できなくなっている。理屈や道理で証明のできない”なにか”をだ。

 だが、こういった”なにか”は理不尽に不条理に、現実のなかに存在している。存在する以上、事件が起きれば対処しなければならない。それも、人々に知られないように秘密裏のうちにだ」


「今まではどうやって対処してきたんですか」

「俺たちのような一部の人間――怪異の存在を知った人間がどうにかしてきた。警察の人間とはいえ、全員が怪異を認知しているわけではないからな。それでもどうにもならないときは……”外部の力”に頼ることもある」


「外部の力?」

「詳しくは言えんが、怪異を対処できる人間が、少なからずこの時代にも残っているということだ」

「なら、今回の事件も外部の力というものに」

 クレマンは大仰に首を振った。

「要請はしてみるが、実際に動くかどうかはわからん。現時点では情報が少なすぎるし、まだ人間の手で行われている可能性が残っている」

「そんな……」


「俺たちがやらなきゃならないことは、モンテロの組織を突き止めることだ。儀式の詳細を掴めば、悪魔への対処法もわかるかもしれない」

「……」

 ミカは答えず、黙って目を伏せた。


「お前はマークについて出所後のモンテロの足取りを追え――今回の件はご苦労だった」

「……失礼します」

 逃げ出すように、ミカは部屋を出た。




「レイジさんの動きを偵察、ですか?」


 ボリスの遺体が見つかり、クレマンがレイジへの聞き取りを行った直後のタイミングで、ミカはクレマンのもとを訪れた。

 用件は、自分が見たレイジの不審な行動を報告するためである。


「ああ。現場から何かを持ち去ったというのは気がかりだが、おそらくレイジはこの事件について何かを掴んでいるんだろう。お前にはレイジと行動を共にしてそれを探ってもらいたいんだ」


「ですが、それなら警部がレイジさんを直接問いただせばいいのでは?」

「俺が訊いたところで、アイツは真実を語らんさ。お前なら普段から一緒に行動している分、警戒心も下がるだろう」


「そうでしょうか……」ルナは不安げに目を逸らした。「私に、その、レイジさんを騙せるとは、とても」

「騙す必要はない。お前はあくまで自分の立場を貫いたまま、行動を共にするという方向に持っていけばいい。これは、レイジの暴走を止めるためでもあるんだ。一歩間違えれば、アイツまでが犯罪者になりかねないからな」


「……わかりました。報告は動きがあり次第させていただきます」

「よろしく頼んだぞ」


 かくして、ミカはスパイとして、レイジの動向をクレマンに伝えていた。


 もとより思想犯罪捜査班に赴任し、パートナーになった当初から、クレマンにはレイジに気をつけるようにと注意されていた。


『レイジには警察に入った目的があり、それを成し遂げるためなら、刑事としての職務や立場を投げ出しかねない危険さがある』


 クレマンはレイジをこのように評していたが、ミカが二ヶ月間行動を共にした限りではそのような兆候は見られなかった。




(だけど今回の事件、ルナさんが関わっていると知ると、レイジさんは変わった)


 レイジは事件の解決よりもルナの救出を最優先にした。ルナが凶悪犯罪に関与している疑いがあるにもかかわらず……いや、なによりルナが危険思想保持者であるにもかかわらず、レイジはルナを守ろうとした。


 ルナには、何よりそれが許せなかった。


 危険思想保持者が巻き起こしたテロの惨事をレイジは忘れてしまったのか。

 多くの罪のない人たちが死に、傷つき、家族を失った。


 もちろん、全ての危険思想保持者がテロリストではないことなど、ミカにもわかっている。

 それでも、無責任な思想を押し付け、人を凶行に走らせたという点ではテロリストたちと同罪だった。


(……そう、私はレイジさんもルナさんも許せなかったはずなのに、どうして庇うようなことを言ったんだろう?)


 脳裏にミカへ感謝を告げるルナの顔がちらつく。


(やめて! 私はあなたを騙して警察に突き出したのに)


 クラリとふらつき、思わず廊下の壁に寄りかかった。


「おや、キミはオカルト班の。こんなところで貧血ですか?」

 見ると、殺人課のオリバー・カスティが目の前にいた。


「カスティさん……大丈夫です。寝不足で少しめまいがしただけなので」

「ほう。そういえば、キミはレイジ・キドーと一晩行動を共にして、彼の不正をクレマン警部に報告したのでしたね」

「その言い方だと誤解を生じかねないのでやめていただけませんか」

「ハッハッハ」カスティは笑うばかりで訂正はしない。「まあ、オカルト班の人間にしては、今回の件はなかなか良いはたらきでしたね」


「それはどうも」ジトッとした目でカスティを睨みつつ、口だけの感謝を述べる。

「キミも災難でしたね。赴任して最初のパートナーが、レイジ・キドーのようなクズで」

「……」

「刑事でありながら犯罪者を庇おうとするなど言語道断。まして、それが危険思想保持者などとは。聞けば、彼もあの女も、死んだホームレスと同じ孤児院の出身だそうじゃありませんか!」


 カスティは「やれやれ」とジェスチャーをしてわざとらしくため息を吐いた。

「まったく、身内の情で犯罪者をみすみす見逃そうとは。同じ穴のムジナといったところでしょうか。クズとつるんでいる時点で、彼も所詮はクズだった、と」


「カスティさん」無感情な声がミカの口から発せられる。「もう、その話やめてもらえませんか?」

「ん? ああ、これは失礼。事実とはいえ、かつてのパートナーを貶されるのはキミとしても気持ちのいいものではないでしょうからね」

「いえ、そうではなくて……私、徹夜明けでとても”頭”の具合が悪くなっていてですね、これ以上くだらない話を聞かされると、そのおしゃべりな口をぶん殴りそうなんですよ」


「なっ……」カスティは呆気に取られていたが、「なるほど、キミも所詮は同じ穴のムジナというわけですか。それも、仲間を裏切るどうしようもないクズだ!」

「……ッ!」

 ミカがカスティの胸倉に掴みかかり……。


「はーいストップ!」

 マークが二人のあいだに割って入り、カスティのシャツを掴んでいたミカの手が離された。


「今度はあなたですか」

 掴まれた襟を直しながら、カスティがギロリとマークを睨む。


「あんまりウチのお嬢を煽らないで欲しいね」

「別に僕は……事実を言ったまでですよ」


「はあ……」マークは呆れ顔でため息を吐いた。「こんなところで油を売っていていいのか? 殺人課は今朝の事件と被疑者の取調べで大忙しと聞いたが」

「そ、そんなことはわかっています! それでは、僕はこれで失礼しますよ、オカルト班のお二方!」

 カスティは足音を響かせながら去っていった。


「マークさん、すいません」

「いいよ別に。ただ、もう少し分別は持って欲しいところだけどね」

「はい――ところで、マークさんはどうしてここに?」

「そんなの、ミカを探しに来たに決まっているだろ」

「私を?」

「クレマンは僕と一緒に捜査に向かえと言ったと思うんだけど?」

「あっ、そうでした」

「そういうわけだから、早速聞き込みに行くよ」

「はい……」


 どことなく重い足取りで、ミカは歩き始めた。

「レイジのことだけど」マークは何気ない様子で切り出した。「あまり気にしない方がいい。誰が悪いわけでもない。君もクレマンも、捕まった女の子も……レイジ自身もね」

「そう、でしょうか」

「うん。それに、レイジを早く解放するためにも、僕たちが頑張らないと」

 ランスはルナの背中を軽く叩いた。


「その前に多少の仮眠を取ったほうがいい。睡眠不足はお肌にもよくないからね」

「……セクハラですか?」

「なんでだよ!?」 

 

 軽口を叩きながらも、ミカの気持ちは晴れていなかった。

(……本当にこれでよかったのかな)

 その問いかけに答える者はいない。




 留置場のなかはすでに照明が落ち、わずかな明かりだけが牢の内部を照らしている。


 すでにルナはぐっすりと眠っていた。

 ずっと意識がなかったとはいえ、取り調べによる疲れも溜まっていたのか、布団に入るとすぐに眠りに落ちた。


 ルナの眠る牢を巡回用のTMが覗く。上部にプロペラを持つ球体状の量産品、計画未定区域内を飛び回っているのと同じタイプのTMが数台、留置所内を巡回していた。


 TMが巡回するのは脱獄や自殺、その他問題行動を被疑者が起こさないように監視するためだ。異常を感知すれば、すぐに別室に待機している警官に通知が行く仕組みになっている。


 巡回用のTMはルナに異常が見られないことを確認すると、次の牢へ向かうためにフラフラと飛行を再開した。


 そのさなか、TMの動きがピタリと空中で止まる。


 本来、このタイプのTMは問題を認識しなければ自ら行動を変更することなどないが、留置所内に異変はない。


 また、行動を停止したのは巡回している他のTMも同じだった。

 滞空を続けながら、機械的な音声が静かにTMから発せられる。


『監視システムの停止を確認。格納エリアへ帰還します』


 TMは進んできたのと逆の方向へ、またフラフラと移動を開始した。




 状況がおかしいのはレイジから見ても一目瞭然だった。


 まだ早朝だというのに取り調べが再開されたのもそうだが、署内が異様に慌ただしい。

 警官があちこちを走り回り、まさにてんやわんやといった状態になっている。


「もう一度訊きます。あの女が関係していた組織について、知っていることを全て吐きなさい!」

 こめかみに青筋を立てたカスティが机を叩く。


「何度訊かれても、昨日答えた以上のことは知らない。だいたい、『黄金の王国』なら名前くらいは聞いたことがあるが、『黒山羊協会』なんてのは昨日初めて知った組織だ。持っている情報なんざない。俺よりもルナに訊いた方がまだマシだと思うぜ?」

「……それができるなら苦労しないんですよ」ぼそりとカスティが呟いた。


「おい、どういうことだ。ルナになにかあったのか!?」

 今度はレイジの方が机に身を乗り出す。

 カスティは『しまった!』という表情をしたが、すぐに元のすました顔に戻った。


「ふん。本当のところ、キミの差し金じゃないか怪しいところですが、まあ、教えても構わないでしょう」

「なんだ! いったいなにがあったって言うんだ!?」

「消えていたんですよ」

「……なに?」


「留置していた女がいなくなったんです……脱獄したんですよ!」

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