ランス1 信念と決意

「私は言ったと思うがね、ラヴァテイン支部長。彼女のことは忘れたまえ、と」

「お言葉ですが主教。貴方はシスターツクヨが外部の組織に派遣されたとはおっしゃられませんでした」


 ギロリとウィルフレッド主教の厳格な瞳がランスを射抜いたが、ランスは汗一つかかなかった。


 黒山羊との戦闘後、いったん教団の支部に戻ると、主教からの呼び出しがあったと報告があり、ランスは二日ぶりに執務室を訪れたのだった。


 ウィルフレッド主教は先日のように書類を見ながらではなく、ランスのことを問題を起こした生徒を見る教師のような目で睨みつけながら話を進めていた。


「それが君への指示に何か関係があるのかね? シスターツクヨがどこに行こうが、彼女が君の支部に戻らない事実には変わりないだろう」

「ええ。それは主教のおっしゃる通りです――相手の組織がテロ組織ではなく、そこに金銭のやりとりがなければ、ですが」


 ランスは主教の顔色を窺った。

 主教の表情に怒りや動揺といったものは見られない。ただいつもの厳格な表情でランスのことを見つめたまま押し黙っている。


「『黒山羊協会』については私も調べさせてもらいました。兵器の密輸販売で利益を得ている組織のようですね。そんな組織とどういったい経緯で関係が生まれたのかは知りませんが、信徒を金銭で取引するようなことが許されるとお思いなのですか?」

「ふん。どこの誰にそんなことを吹き込まれたのやら」


「フィリップ・レヴィ。『黒山羊協会』において外部との交渉を一手に担う男です。彼は私が教団の人間だと知ると、『金はきちんと払った』とはっきり言いました。主教もご存知でしょう。彼はここまでシスターツクヨを引き取りにきたのですから」


 ランスが挑戦的な態度を続けても、ウィルフレッド主教の顔色に変化は見られなかった。焦りも苛立ちもなく、ただランスの言葉を退屈そうに聞き流している。


「それで、君はどうするつもりなのかね? 教団が信徒を売って金儲けしていると言ってまわるつもりか?」

「いえ。このことは教主様に報告させていただきます」

「ほう」

 主教が感心したように声をあげる。


 『黄金の王国』の教主とは、教団の設立者にして、膨大な数の信者をまとめ上げる指導者である。


 彼は、TMがもたらした合理性を至上とする社会において、信仰を持ち続けることの大切さを説き、信仰を捨てかけていた各地の信者をまとめてきた。

 教団が大規模になった現在でもその活動は続いており、教団の実質的な経営はウィルフレッド主教に委ねられている。


「たしかに教団を動かしているのは貴方かもしれません。ですが、その力は本来教主様が貸し与えたもの。いかなる理由があれ、無辜の信徒を虐げるために濫用していいものではありません。教主様が今回の件をお知りになれば、いかに貴方とて……」


 ランスは主教の表情を見て、思わず口を噤んだ。


 主教は笑っていたのである。


 厳格さをその身で体現し、周囲には微笑みさえ見せない主教が、くっくと笑い声を押し殺していたのだった。


「何がおかしいのです!」

「いや、これは失礼した。あまりに君が見当違いのことを言うのでね」

「見当、違い……?」主教の言葉がうまく飲み込めない。「何を言っているのです!?」


「教主様が今回の件を知れば、私の立場も危うい。君はそう言いたいのだろうが、それこそが見当違いなのだ。

 ――なぜなら、シスターツクヨの件は教主様自ら決められたことだからだよ」


「なっ……」ランスの目が大きく見開かれる。「バカな! なぜ教主様がそんなことを!」

「あの方の真意は並の人間には推し量れない。君にも、私にもだ」

「そんな話を信じると思っているのですか!」

「信じる信じないは好きにしたまえ。納得いかないのであれば、教主様に直接確かめるのもいいだろう。だが……」

 ウィルフレッド主教は射るような眼差しでランスを見た。。


「これ以上、シスターツクヨの件に関わることは、教主様の、いや教団の意向に逆らうものと思いたまえ。もし君があくまで逆らうというならば、処分は支部長の解任にとどまらない――教団から破門させてもらう」

「なっ……」


 破門とは教団からの絶縁宣告に他ならない。罰としては最高のものだ。信徒としての存在を否定されること、それは死の宣告にも等しかった。


「ここで決断したまえ。教団に従うか、シスターツクヨを追うか」


 あまりにも非情な選択を、主教は淡々と促した。


 普通の信徒であれば、躊躇わずに教団を取るのだろう。


 ランスとて教団への恩義は深く感じていた。

 家を飛び出し、路頭を迷っていたランスを拾い上げてくれたのは教主に他ならない。

教主と『黄金の王国』がなければ、ランスは思想矯正をかけられていたか、犯罪に手を染めていただろう。


 それは今でも同じことだ。教団を出てランスが身を寄せられるところなどない。信仰さえも奪われ、文字通り全てを失うことになるだろう。


(ルナ……ッ!)

 親指の爪が手のひらに食い込むほど、拳は強く握り締められている。

 ルナは敬虔な信徒だ。多くのシスターの見本であり、子供たちの母親代わり。

 ランスの守るべき女性であり、ランスの……。

 ……。


「……家を出たのは、父と大喧嘩をしたからでした」

 ランスは静かな口調で語り始めた。


「ラヴァテイン家は代々信仰を重んじる家柄でした。父や私も例に漏れず、物心つく前から教えを受けて育っていきました。

 はっきりと時勢が変わったのは七年前、危険思想規正法が制定されてからだったと思います。それ以前から、思考機械を信奉する人々は信仰に対して懐疑的でしたが、過去の歴史においても人々のあいだでそのような傾向が生まれることはありましたし、父も心を痛めるばかりで具体的に何かをしたわけではありませんでした」


 ウィルフレッド主教は、ランスの話を止めるわけでもなく耳を傾けていた。


「ですが、法が制定され、信仰が明確に”罪”となるならば話は違います。父はいくつもの会社を経営しており、信仰を持ち続ければそれらへの影響は避けられません。下手をすれば、会社自体が取り締まられる可能性さえある。そのような状態で父は決断を迫られました」


「ほう。それでお父上は会社を選んだのかね?」

「ええ。ラヴァテイン家の存続と会社に勤める多くの人々との生活を守るために、父は信仰を捨てることを決断しました」


「だが、口では何とでも言えると、政府や警察は思うのではないかね?」

「ええ。ですから父は信仰を捨てたことを証明するため、教会への寄付をやめました」


「なるほど。資金の援助を絶って、教会とのつながりが切れたことをアピールしたわけか」

「それだけでなく、教会と関係のある病院や孤児院など、ありとあらゆる施設への寄付をすっぱりと打ち切りました。なかには、寄付の請願に会社や家にまで訪れる者もおりましたが、父はどれも取り合わず、一切の援助をやめてしまったのです」


 ランスは深く息を吐いた。


「私は父を責めました。信仰を捨て、助けを求める同胞を見捨てたことを。父の立場はわかっているつもりでした。それでも、私は父が許せなかったのです」

「ふむ。何より重んずるべき信仰を、世俗的な理由で捨てた父親が許せないと?」


「違います」ランスはキッパリと否定した。「私が父を許せなかったのは、父の行為が私の正義に反していたからです。ラヴァテイン家からの援助がなければ、病院にはまともに治療を受けられない人々がいたはずです。孤児院にはまともな生活を送れない子供たちがいたはずです。そのような人々を無視して保身に走った父が、私はどうしても許せなかったのです」


 父を断ずるランスの目には、強く、明確な意志を持つ、激しい炎が宿っていた。


「七年前、社会の重んずる価値と私たちの信仰とは大きく乖離かいりしました。そして、父は社会を選び、私は信仰を取りました。そこには価値観の違い、それぞれの正義があったのでしょう。

 今、主教は私に教団かシスターツクヨのどちらかを選べとおっしゃる。ならば私は、七年前と同じく、私の正義に従ってお答えしましょう!」


 ランスは支部長の証であるロザリオを、ウィルフレッド主教の机へと叩きつけた。


 驚嘆の表情で、主教は突きつけられたロザリオに目を見張った。


「……本気かね? たとえシスターツクヨを取り戻したところで、君に戻ってくる場所などないのだぞ?」

「そんなことはわかっています。ですが、私にとっては、正義に反することをしたまま生きることの方が辛いのです」


 ランスは主教に背を向け、そのまま執務室を出て行った。

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