レイジ2 真実と偽り

 レイジは会話記録と自分のメモを見比べながら、脳内の情報と照らし合わせて検討していた。


 質問が止まり、レイジが黙り込んでしまったので、ルナは居心地が悪そうに座りながらテーブルの上を見つめている。


 やがて、うまくはたらかない頭をかきむしると、レイジは「はあ……」と深くため息を吐いた。


「ごめんねレイ君。こんなことに巻き込んじゃって」

 かぼそい声に、レイジの思考が遮られる。


「別に、お前が悪いわけじゃないだろ」

「で、でも、ミカさんまで危ない目に遭わせちゃったし」

「それは……アイツだって多少の危険があるのはわかっていたんだ。お前が気にするようなことじゃない」

「そんなこと言っても」

「俺もミカもケガ一つしなかった。それで十分なんだよ。

 ――それに、ミカにとってはいい勉強になったよ。ちょっとくらい危険な目に遭った方が、危機管理能力も高まるしな」


 ルナは数秒沈黙した後、顔をしかめてレイジをジーっとにらみつけた。

「な、なんだよ」

「レイ君は、もう少しミカさんのことをちゃんと考えてあげたほうがいいよ」

「……は?」


 突然非難され、レイジは目が点になった。

「いやいやいや、考えてるって俺なりに。ミカが刑事としてやっていけるように、いろいろ見せたり連れて回ったりしてさ」

「そういう意味じゃないんだけど……」とルナがそっぽを向いてつぶやいた。

「じゃあ、どういう意味なんだよ?」

「ミカさんは……」


 ルナはそこで不意に言葉を切った。

「……ミカがなんだよ?」

「い、いや……とにかく、レイ君はもっとミカさんのことを大事にしなくちゃダメなの!」

「わけわからん」

 まだ出会って数時間も経っていないくせに。女同士だからわかることもあるということなのだろうか。


「でも、レイ君が刑事になったなんて、なんか意外」

「そうか?」

「だって、レイ君いつも街でケンカばっかりしていたじゃない。そんな人がおまわりさんになっているなんて、思いもしなかった」


 かつて不良少年だったレイジの姿を思い出しているのか、ルナの顔にはかすかな笑みが浮かんでいた。


「別に、殴る相手が不良から犯罪者に変わっただけで、やっていることなんてたいして変わってないさ」

「そっか。でも、レイ君は昔から孤児院のみんなを守るために戦ってくれていたものね。今は守るものが街の人々になっただけなのかも」


 レイジの顔にかすかに影が差す。

「そんなご大層なもんじゃない。ただ犯罪者どもを捕まえて牢屋にぶち込むだけの仕事だ。大事なものはなにも守れちゃいない……昔も今も」


 レイジにとっては、ルナの情報を得るためになった職業だ。仕事に手を抜いてきたわけではないが、高い志があったわけでもない。


 人並み以上の努力はしてきた。もとより秀でた才能があったわけではなく、それでも刑事になり思想犯罪の捜査を行うためには、能力を上げていくしかなかった。


 その結果、守れたものなどほとんどない。ようやくルナを見つけ出しても、かわりにボリスを失ってしまった。


「そういえば、私がいなくなったあと、孤児院はどうなったの?」

「すぐになくなっちまったよ。みんなもバラバラの施設に送られた」

「そっか……」

 ルナもある程度は覚悟していたのか、寂しげにするだけで、そこまで驚いてはいないようだった。


「みんなとは連絡とっているの?」

「ああ。全員とは会えていないが、何人かは今でもたまに連絡を取り合ってる」

「へー、みんな今なにしてるの?」


 そこからは孤児院の子供たちの話が続いた。

 昔の思い出ばなしから、誰が今どこでなにをしているか、昔と全然変わらない者、逆に昔とは想像もつかない変貌を遂げた者についてなど、話題は尽きなかった。


 ルナも孤児院の子どもたちのことがずっと気がかりだったのだろう。みんながそれぞれ無事でいることを知ると、安堵と喜びの笑顔を見せ、レイジも安心した。

 ようやく二人のあいだに穏やかな空気が流れつつあった。


「――そういえば、ボリスはどうしてるの? あの子いつもレイジについてまわっていたじゃない」


 瞬間、レイジの表情が凍った。


「あ……私、なんか変なこと訊いちゃった?」

「い、いや……」

 そう言いつつも、すぐにうまい返答が思いつかない。


「そ、そうだ。もう洗濯終わっただろうから行ってくるね!」

 ルナは立ち上がり、そそくさと出て行ってしまった。


「……何やってんだか」

 椅子の背にもたれかかり、安アパートの天井を仰ぐ。

 普段なら、相手に動揺を見抜かれることなどありえないのだが、ルナとの再会が少なからずレイジの心にも影響を与えているらしかった。


 ルナにはボリスが死んだことを伝えていない。

 まだ怪物から解放されたばかりで、ルナは不安定な状態だった。今後、逃げるにしろ警察に行くにしろ、ルナには冷静でいてもらわなくてはならない。そのため、ボリスの死は隠しておかなくてはならなかった。


(ここからが本番だってのに……焦るな舞い上がるな!)

 自身を叱咤していたとき、脱衣室から短い悲鳴が聞こえた。


「ルナッ!」

 イスから飛び上がり、慌てて脱衣室へ向かう。


 ドアを開くと、なかではルナが濡れた修道服を持って立っていた。

 周囲には一緒に洗濯した下着が散乱していたが、見た限り他に異常はない。

 ルナは身体を小刻みに震わせ、その顔色は蒼白になっていた。


「いったいどうしたんだ?」

「……いの」

「え?」

「ロザリオがないの! レイ君からもらったロザリオが!」

 ルナの叫び声が狭い脱衣室のなかでこだまする。


「どうしよう。きっと落としたんだわ――探しに行かなきゃ」

 脱衣室を出ようとするルナを、レイジは慌てて止めた。


 ロザリオはレイジが持っているのだから、見つかるはずがない。そもそも、本当に落としていたのだとしても、広大な計画未定区域や地下空間のなかを探すなど、まともな人間の発想ではない。


 だが、ルナの瞳には常軌を逸した光が宿っており、彼女が本気であることを告げていた。


「離して!」

 ルナがレイジの手を逃れようとしてもがく。

「落ち着けって!」

「でも、あれは……あれは……!」

「あるから! 俺が持ってるんだ!」

「え?」

 不意に抵抗を止め、ルナはポカンと口を開けた。

「……本当?」

「ああ。俺の上着のポケットに入ってる」


 部屋に戻り、レイジがロザリオを渡すと、ルナは「よかった!」と愛おしそうに胸に抱いた。目の端には、涙のかたまりが流れずに留まっていた。


「これがなくなったら、私――レイ君が拾ってくれたんだね。本当にありがとう」

「ああ」


 ルナの笑顔をレイジは直視できなかった。


 このままレイジが拾ったことにしておけば、ルナにはボリスの死を隠しておくことができる。自分から嘘をつかなくて済む分、精神的には楽だろう。


 だが、同時に思う。


 ボリスはルナを助けるため黒山羊に立ち向かい、深手を負ったあとも今度はレイジに伝えるためにロザリオを掴んだのだ。


 それを告げずにおいて、本当にいいのだろうか。


(何を考えているんだ。冷静になれ!)


 その考えが自己満足に過ぎないということも理解していた。今はまだ窮地の最中さなか、あえて不安要素を増やすわけにはいかない。そんなことは、ボリスだって望んではいないだろう。


(今はまだ時期じゃない。ボリスのことは……落ち着いてから話そう)

 最後に地下空間で見たボリスの顔が脳裏に浮かぶ。


 答えは決まっていた。


「ルナ……違うんだ」

 言葉は勝手に流れ出した。

「え?」

 キョトンとした顔で、ルナがレイジの顔を見つめる。


「俺が、拾ったんじゃない」


 おい、何を言うつもりだ?


「それを持っていたのはボリスなんだ」


 それ以上は言ってはいけない。


「ボリスは地下空間にいたんだ。そこで、お前と……悪魔を見つけた」


 やめろ!


「たぶん、助けようとしたんだと思う……見つかったときには手遅れだった」


 レイジは、諦めたように目をつむる。


「ロザリオは、ボリスが握っていたんだ。きっと、俺にお前のことを伝えるために、最後の力を振り絞って、掴み取ったんだろう」


 瞼の裏に、ボリスの最期の姿が映像として流れる。腹部に深々と刺さった角、苦悶の表情、懸命に伸ばされる手……。


 次の瞬間には、それはレイジが見たボリスの死体へと変わっていた。


 目を開く。そこにルナがいた。


 顔からは血の気が失せ、目の焦点が合っていない。レイジの言葉が信じられないのか、あるいは理解が追い付いていないようだった。できることなら、このまま忘れてほしいとさえレイジは思った。


 崩壊は突然だった。


 ルナの身体がふらつく。レイジが支えようと手を伸ばすも間に合わず、ルナはそのまま床へと崩れ落ちていった。


「そんな……そんなのって……ひどい……ボリスごめん。ごめんなさい!」

「落ち着け!」レジはルナの肩を掴む。「お前のせいじゃない!」


「でも、ボリスは死んじゃったんでしょう!?」

「ボリスは……ボリスのことは、不運なことだったんだ」


「でも、私がモンテロさんに騙されていなかったら、悪魔を呼ぶ儀式に利用されていなければ、ボリスは死ななかった!」

「そんなこと、お前に予期できたわけがないだろう! それを言えば、俺だって悪かったんだ。もっとボリスに強く注意しておけば……いや、もっと早く、無理を言ってでも家に連れてくれば、こんなことにはならなかった!」


「ボリスが……なんで……どうして……」

 ルナは両手で顔を覆う。


「そうだ。ボリスがこんな目に遭っていい理由なんてない。アイツは逃げるべきだったんだ。命を落とすくらいなら、逃げて帰ってきてくれれば、それでよかった」


「全部私のせいだ……ボリスだけじゃない。孤児院のことも、お母さんのことも、全部私が……私なんて、いなければよかったのに!」

 ルナの泣き叫ぶ声が響く。


 ぷつん、とレイジのなかで何かが弾けた。


「ふざけるな!」ルナの顔を隠す手を払いのけ、強引に目を合わせる「たしかにボリスは間違った。だが、お前がそれを否定するな!」


 怒鳴られてもルナはただ泣き続けるだけだった。


 かまわずレイジは続ける。


「なんでボリスは一人で立ち向かったんだ?

 怖かったはずだ。

 逃げ出したかったはずだ。

 それでも、どうして諦めず、お前を助けようとしたんだ?

 ――そんなの、お前が大切だからに決まってるだろうが!

 お前と、孤児院のみんなとの思い出を大切にしていたから、ボリスは逃げずに立ち向かったんだ!

 ボリスが大切にしていたものを、お前が否定するな!」


「でも、ボリスは死んじゃったんだよぉ!」

 ルナは子どものように泣き続ける。


「ああ、わかってる。ボリスは死んじゃならなかった。

 ――でもな、きっと俺がボリスの立場でも、同じことをしたはずだ」


「え?」


 ルナの肩を掴む手にぐっと力が入る。

 レイジはすぐには言葉を続けず、じっとルナの目を覗き込んだ。

 ルナも黙りこくり、レイジを待っていた。

 少しのあいだ、二人は見つめ合い続けた。


「この七年間ずっと、お前のことを探し続けていたんだ。俺だって、お前のことを何より……」

 

 ピンポーン、といささか間の抜けたチャイム音が、張り詰めていた空気の弦を切った。

 どことなく気まずい空気が二人のあいだを流れる。

 レイジはそっとルナの肩から手を離した。


「……ちょっと見てくる」

「うん」


 やや早歩きでレイジは玄関へと向かった。

 まだ時刻は七時前、早朝ともいえる時間だ。宅配便やセールスが来るような時間ではない。


(ミカが何かの用事で来たのか?)

 そう思い、レイジは覗き窓から外を覗いた。


 外には五、六人の男たちが、扉を取り囲むように立ちはだかっている。

 その男たちの顔はレイジにも見覚えがあった。


(殺人課の連中が、どうしてここに?)

 首筋に冷たい汗が流れる。


「レイジ・キドー、そこにいるんでしょう!」

 オリバー・カスティの耳障りな声がドア越しに聞こえる。

「おいおい、朝から総出でお出迎えとは、いつから俺はそんなに偉くなったんだ? できることなら、もう少し遅くに来てほしかったがな」

「戯言は結構。キミが被疑者を匿っていることはわかっているんですよ!」


「ッ! いったい何の話をしているんだ?」

「しらばっくれても無駄ですよ。すでにキミがモンテロおよびホームレス殺害事件の被疑者を不当に匿っていることは判明しているのです」


 レイジの思考は高速に回転する。

(いったい何が起きている? いや、それよりもこの場をどう乗り切るかだ)

 ここまで断定するのだから、カスティが何らかの確証を持っていることは間違いない。

 おそらくは部屋に踏み込む許可も得ているはず。

 レイジにとれる手段は……一つしかない。


「話にならんな。クレマンを……クレマン警部を呼んでくれ。先に彼と話がしたい」

「……まったく、往生際の悪い。いったい誰がキミの情報を殺人課ウチに回したんだと思っているんですか?」

「……どういうことだ?」


 カスティの発言の意味がわからない。

 だが、ドア越しに立つカスティの下卑た笑みは透けて見えた。


「キミが会いたがっているクレマン・バルトー警部こそが、キミを告発した張本人なのですよ!」


「なに?」

 突如もたらされた情報に、脳の処理が追い付かない。

 どうしてクレマンがレイジを告発するのか。

 そもそも、なぜレイジがルナを連れてきたことを知っているのか。

 

 カチャン、と鍵の開く音。直後にドアが開かれた。

「電子ロックを開錠する許可は、すでにもらっています」

 TMを掲げたカスティが不敵に笑う。


「クソッ!」

「逃げようとしても無駄ですよ! すでにこの建物の周囲は固めています」


(何とかルナだけでも逃がす手段はないか?)


 無理だ。仮に目の前の刑事たちをレイジが抑え、ルナを逃がそうとしても、外に控えている刑事に捕まる。


 万が一、ルナが逃げ延びたとしても、次はどこに行くというのだ。ルナは警察に追われているだけではなく、『黄金の王国』や『黒山羊協会』からも狙われている可能性がある。行き場のない彼女が一人で街をうろつくのはあまりにも危険すぎた。


 もはや、抵抗する手段は残されていない。

 結論を出し、レイジは力なく膝をついた。


「ふん! 早くこの男を連れて行きなさい。他の者は女の確保を」

 レイジは二人の刑事に両腕を持たれ、引きずられるようにして外へ連れていかれた。


 カスティの指示のもと、刑事たちがドタドタと部屋の中へ入っていく。

 ルナの様子が心配だったが、腕をつかむ刑事たちが無理やり足を進めさせた。


 狭いパトカーのなかに押し込められ、レイジは再び考える。


 クレマンがどうしてレイジの行動を把握していたのか。


 最後に報告したのは、ボリスとのやり取りのみで、ルナの存在も地下空間での捜査についても漏らしてはいない。


 どこかで尾行されていたのか。いや、それもない。レイジは常に周囲に気を付けていたし、ルナを救出してからはいっそう警戒を怠らなかった。だいたい、尾行するとなれば地下空間の騒動のなかにその者もいたはずだ。銃弾が飛び交う暗闇のなか、なによりあの怪物を前にして追跡を続けられたはずが……。


(あ……)

 それは一人だけ存在していた。常にレイジの傍らに立ち、ともに窮地を脱した相棒とも呼べる存在が。


(まさか、アイツが……)

 思えば、殺人課の到着はあまりにタイミングが良すぎた。

 速やかな情報の受け渡しがなければ、ここまで速く連中を動かすことはできなかっただろう。


 それに、殺人課の刑事たちを的確にレイジのアパートへ向かわせている。すぐに逃亡する可能性があったのにも関わらずだ。


(楔を打たれていた……あのとき……!)


『あと、ルナさんもシャワー浴びたいと思うので、着いたらまずはお風呂に行かせてあげてくださいね。いきなり根掘り葉掘り聞こうとしちゃダメですよ』


 何気なく発せられたこの言葉で、レイジたちは縛り付けられた。

 窮地を脱したという気の緩みが、自分の部屋を安全地帯だと錯覚させたのだ。


 結果、事態はレイジとルナにとって最悪の方向に転がりつつある。


(なぜだ。どういうつもりなんだ……ミカ!)

 かつての相棒に語りかけても、答えは返ってこなかった。

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