第3章

レイジ1 再会と検討

「では、クレマン警部にはレイジさんが遅れて出勤すると伝えればいいですか?」

「午後には顔を出すと言っておいてくれ。それだけでクレマンには伝わるはずだ」

「わかりました――あ、ちょっと待っていてください」


 玄関のドアを閉じ、ミカは部屋のなかへ入っていった。


 レイジとルナはミカの住むアパートに来ていた。


 ルナが目覚めた後、ミカと話し合い、とりあえずはルナの存在を警察に伏せておくことに決めた。

 ミカは頑なに署で話を聞くべきだと主張していたが、ルナの身柄が殺人課の手に渡れば、レイジたちが怪物を見たという情報が握りつぶされてしまうと言うと、しぶしぶレイジの提案に同意したのだった。


 その代わりの条件として、ミカはレイジたちを自分のアパートまでついて来させたのである。

 レイジが不思議に思い「なんで俺たちについてきて欲しいんだ?」と訊くと、「こんな真夜中に女の子を一人で帰らせるつもりですか」とのこと。

 普段なら一笑に付すところだが、あの怪物とそれがもたらした惨状を目にしたばかりということもあり、レイジは大人しく従った。


 ルナは目覚めたばかりのためか、若干ふらつきながら歩いていた。

 今は自分の足で立っているものの、意識がはっきりしないのか、うつらうつら首を動かしている。


「お待たせしましたー」

 ドアが開き、ミカが顔を出した。

 その手には大きな袋が握られている。


「なんだそりゃ?」

「これ、ルナさんの着替えです。私のやつですけど、たぶんそこまでサイズ違わないと思うので」

「そうか。サンキューな」

 レイジはミカから袋を受け取り、中にチラリと目をやった。


「あーっ、レイジさんは見ないでください! 下着も入っているので!」

「お、おう」

 レイジは開きかけていた袋の口を慌てて閉じた。


「いちおう断っておきますけど、新品のやつですからね! まだ一回もつけてないやつなので、こっそり嗅いだりしても意味ないですよ!」

「嗅ぐかボケ!」


「あと、ルナさんもシャワー浴びたいと思うので、着いたらまずはお風呂に行かせてあげてくださいね。いきなり根掘り葉掘り聞こうとしちゃダメですよ」

「んなこと、お前に言われんでもわかってる」

「ホントですかー? レイジさん、いまいち乙女心っていうか、女子の気持ちわかってないところあるからなー」

「ああん? 俺のどこが」

「だーって、私がいても平気でマークさんと下ネタ話したりするし、私のことパシリにしたりするじゃないですか!」

「それはあれ……お前だからだろ」

「なんですかそれーっ!」


 そんなやり取りを続けていると、横からくすくすと小さな笑い声が聞こえてきた。

「二人とも、仲が良いのね」


「いやー、これが良いと言えるのかどうかは微妙なところだと思いますが」

 ルナはまた「ふふふっ」と笑い声を上げる。「ミカさん、なにからなにまで本当にありがとうございます。そのうえお洋服まで貸していただいて、何とお礼を言っていいか」

「い、いえ、私はレイジさんについていっただけで、特に何もしていませんので」

 ミカが手をブンブン振りながら目を泳がせる。


 何を思ったのか、ルナは突然ミカにぐっと近づくと、瞳を覗き込んだ。

「あ、あのなにか……」

「ミカさん。これからもレイ君のこと、どうかよろしくお願いします」

 ぺこりとミカに頭を下げるルナ。

「は、はぁ。善処いたします……?」


 ミカはしどろもどろになりながら、レイジにチラチラとヘルプの目線を送ってくる。

 ため息を一つ吐き、レイジはルナの肩に手を置いた。


「ルナ、もう行くぞ――それじゃミカ、あとで署で」

「……ええ」

 ミカがくるりと後ろをむくと、ドアはそのまま閉められた。




 あまりキレイとは言えないアパートの自室で、レイジはルナを待っていた。


 時刻はすでに早朝四時。昨晩は一睡もしていないので、少しでも仮眠しておいた方が良いのだが、先ほどから椅子を立ったり座ったり、狭い室内をぐるぐる歩き回ったりするなど、どうにも落ち着かない。


(……思春期か俺は)

 レイジは苦笑いしながら、椅子にどっかりと腰を下ろした。


 ルナとは十年以上同じ屋根の下で暮らした仲なのだ。今さら自分が住む部屋に入られたくらいで、動揺する方がおかしい。


 ただ、二人が離れていた時間も十分長かったということも事実だった。

 七年前と比べればレイジも随分と変わってしまった。ルナがいなくなった後のゴタゴタと、警察官となってからの生活を考えれば、それは仕方ないのかもしれない。かつての自分のままでいるには、困難はあまりに多く、見てきた悲劇が多すぎた。


 ルナはどうなのだろうか。

 彼女はレイジの知っている彼女のままなのだろうか。

 レイジの知らない七年間は、ルナをどのように変えてしまったのだろうか。


「……」

 レイジはインスタントコーヒーを溶かしたカップをむんずと掴むと、そのままグイッとあおった。分量を量らず濃い目に作ったコーヒーは、必要以上に苦かった。


 カチャ、という音と共に脱衣室のドアが開き、ルナが顔だけを覗かせた。


「あの……レイ君?」

「おお、上がったのか……どうした?」

「いや、あの、ミカさんから貸してもらった服、なんというか」

「サイズが合わないのか?」

「いや、入るは入ったんだけど、その……」


 どうにもルナの言葉の歯切れが悪い。

「じゃあなんなんだ?」

 レイジが怪訝な表情をしていると、ルナは少し躊躇った後、顔を赤くして脱衣室から出てきた。


「あ……」

 たしかに身長や体形はミカとほとんど変わらないのだろう。服のサイズもほとんどピッタリだった――ある一部分を除いては。


 二つの巨大な“何か”がTシャツを内側から持ち上げていた。その部分だけ見ればシャツのサイズが合っていないとも考えられたが、首元や袖には余裕がある。


 これに関してミカの配慮不足を責めるのは酷な話だった。深夜の暗がりで見づらかったうえ、着ていた修道服がルナの体のラインをすっかり隠してしまっていたのだ。ジーンズにTシャツというラフな服装も、肉体的に疲労しているであろうルナへの気づかいからだろう。まさか修道服のなかに怪物が潜んでいるとは誰が想像しようか。


(ん? そういえばアイツさっき……)

『あーっ、レイジさんは見ないでください! 下着も入っているので!』

 下着……。


 Tシャツがあの状態になっているルナに、ミカが使用する(予定だった)下着がつけられるのだろうか。

 いや、どう考えても無理だろう。

 つまり、シャツの下は……?


 そこで、レイジは意図的に思考をシャットダウンした。


「……上着は俺のシャツを着てくれ」

「うん。そうしていただけると……助かります」

「ちょっと待ってろ……脱衣室のなかで」


 ルナの顔を見ないようにして、レイジはクローゼットに向かった。

 早足で、少し顔を赤くしながらレイジは思う。

(七年前と変わりすぎだろ!)




「つまり、化け物の上に乗っていた時の記憶はまるで無いんだな?」

「うん。最後に覚えているのは、モンテロさんが私の部屋に来て、いきなりハンカチみたいな布で口を覆われたら急に意識がなくなって……」


 ルナは言葉を切ると、ほっとしたように息を吐いた。

 ちなみに、上にはレイジの貸したパーカーを羽織っている。 


 話を要約すると以下の通りになる。


 ルナは七年前に誘拐されてから『黄金の王国』という教団に匿われていた。

 その教団の支部でシスターとして働いていたのだが、二週間ほど前、臨時の応援ということで他の支部に派遣されることになった。


 しかし、行ってみれば教団の支部ではなく、『黒山羊協会』という外部の組織が派遣先だった。不思議に思ったものの、『黒山羊協会』にいる信者(ルナ曰く『少し顔が怖い人たち』)の相談に乗ってほしいと言われて納得し、職務に従事した。


 当初の約束は一週間だったが、『黒山羊協会』での仕事はけっこう忙しく、もう少しのあいだ居てほしいと乞われたため、仕方なく滞在を延長することにした。


 モンテロはルナを『黒山羊協会』に連れてきた男の一人で、信者では無いものの、ルナにはよく話しかけてきていたらしい。


 事件当日の夜、自室に戻ったルナはモンテロの訪問を受けた。用件は、ルナや信者たちの姿を見て信仰というものに興味が出てきたので話を聞かせてほしいとのこと。ルナは若干怪しく感じたものの、無下に断ることもできず部屋に入れた。


 そこからはあっという間だった。モンテロがポケットから出した布がルナの口と鼻をふさぐと、ルナは声をあげる間もなく意識を失った。


 それ以降の記憶はレイジに起こされるまで無い。


 レイジは一連の話をTMで記録に取りながら聞いていた。


「モンテロは最初からお前を連れ去るつもりで近づいてきたんだな」

「そう、だったみたい」とルナは悲しげにつぶやく。


「モンテロはどんな男だった?」

「え、どんなって言われても……」

「外見的な特徴ではなく、性格や立ち振る舞いについて知りたい。たとえば、暴力的だったとか、胡散臭そうだとか、何かに執着していたとか。お前の印象でかまわない」

「そうだね。えーと……けっこうおしゃべりで、いろんな人に冗談を言って笑わせていたかな。でも、自分の方は心から笑っていないというか」

「打算的な立ち振る舞いに見えた?」

「うーん、そういうことなのかな。何を考えているのかわからない人だって印象は持っていたけど」


「だが、奴が信仰に目覚めたという話はいちおう信じたんだろう?」

「いや、信じたわけではなくて、たぶん冗談か、からかいに来たんだろうって思ったの。でも、もし本当にモンテロさんにその気があるのだったら、無視するわけにはいかないでしょう?」


「そして、案の定モンテロに騙されて拉致されたと」

「それはそうだけど」

「お前はもう少し警戒心を持て。男を安易に自室に入れるなんて、何されるかわからないんだぞ」

「うう、反省します」

 逆に今は男に自室に連れ込まれている状況だということをルナもレイジも気づいてはいなかった。


「まあいい。次は、お前が派遣された『黒山羊協会』という組織について教えてくれ」

「教えてくれって言われても、どんな組織かは私もほとんど知らないの」

「お前のいた教団、『黄金の王国』と以前から関係のある組織じゃないのか?」

「たぶん違うと思う。教団は情報が漏れるのを危惧して、外部との接触を極力避けているはずだもの」


「なるほど。だからお前も派遣されたのが外部の組織で驚いたというわけか。

 ――それじゃあ、『黒山羊協会』が何をする組織なのかもまったくわからないか?」

「ええ。私はほとんど自分の仕事で手一杯で、組織の人達が何をしているか知る機会なんてなかったし、それになんというか……聞きづらくて」


「まあ、それは仕方ない。それじゃ、組織にはどんな人間がいた?」

「えーと……性別は男の人ばっかりだったかな。女の人も何人かはいたみたいだけど、ほとんど見なかった。年齢は二十代か三十代くらいの人が多かったと思う。あと、みんなちょっと怖い雰囲気というか……」

「柄の悪い連中だったと」

「見た目で判断するのは良くないけど、まあ、そういう感じだったね」


「なるほどな。どのくらいの人数が所属しているかわかるか」

「うーん、私が見ただけで三十人くらいはいたと思う。ただ、ここ以外にも人がいるみたいなことは言っていたから、きっと、全体の人数はもっと多いんじゃないかな」

「そうか」


 レイジは手元のTMを覗いた。

 画面上にはルナとの会話が現在進行形で文章として表示されている。

 レイジは画面をタップしてメモ帳を起動し、手動で文章を入力した。


・モンテロは何が目的で儀式を行ったのか。

・どうしてモンテロは自らが呼び出した悪魔に殺されたのか。

・悪魔はなぜモンテロやボリスは殺し、ルナは殺さなかったのか。

・『黒山羊協会』とはどんな組織か。

・『黒山羊協会』は何の目的でルナを連れてきたのか。

・『黒山羊協会』は何の目的で悪魔と交戦したのか。

・金髪の男はルナとどんな関係なのか。


 ざっと思いついたのはこのくらいだった。

 これらの疑問を解決するには『黒山羊協会』との接触が必要だが、肝心な手がかりが存在しない。レイジも初めて聞く名前だ。そもそもルナが聞かされた名前が本当のものかも疑わしい。情報屋に訊けば、何らかの手がかりは得られるだろうか。


 それより優先して対処すべき問題もある。

 地下空間を跋扈する悪魔への対処とルナの安全の確保だ。


 悪魔の存在を示す証拠が手に入っていない以上、警察に本格的な対応を期待するのは難しい。

 昨晩の騒動の痕跡が見つかれば、地下空間の部分的な閉鎖と警備の強化くらいはできるかもしれないが、それも一時的なものに過ぎない。


 本当にマズいのは、悪魔が地下空間を脱して地上に出ることだ。

 そうなれば、犠牲は今の比ではなくなるだろう。


(クレマンには早く相談したほうがいいな)

 彼ならば、悪魔の存在を信じ、上に掛け合って何らかの対策を講じることもできるかもしれない。


 問題は、クレマンに話をする際にルナの存在を隠しておくことができるかどうかだ。

 ルナの存在を知れば、立場上クレマンは見逃すことができない。必ずルナを出頭させるだろう。殺人犯としての逮捕は免れる可能性はあるが、危険思想保持者として捕まるのは避けられない。


 加えて、ミカにルナのことを知られている以上、あまり長い間は匿っていられないだろう。どこか別の場所に逃がすか、最悪、身の安全を優先して警察に連れていくことも考えなくてはならない。『黒山羊協会』や『黄金の王国』がルナを狙っている可能性もある。


 時間的猶予がないにも関わらず、問題は山積み。

 寝不足の頭では考えることが多すぎた。

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