レイジ4 張りこみと追跡
「やっぱり、夜の地下空間ってちょっとブキミですねえ」
「怖いなら帰ってもいいんだぞ」
「今さら一人で帰る方が怖いんですがそれは」
「だったら文句言わず周囲を警戒しろ」
「はーい」
不満げに返事をして、ミカは地下空間の内部へ視線を走らせた。
時刻はまもなく日付を跨ごうとしている。地下空間内の照明も薄くなり、十数メートル先はもう見えなくなっていた。
周囲に広がるのは不可視の闇。油断すればこちらを引き込みそうな、あるいは徐々にこちらへと浸食しているような、得体のしれない気味の悪さがある。
つい先日ここで殺人事件が起きたこと、その事件に異形の存在が関わっている可能性があるということも、恐怖心を煽っていた。とはいえ、未だにレイジが言う“怪異”の存在には懐疑的なところがあるのも事実であり、その正体を自身の目で確かめたいという気持ちも強かった。
「でも、この広い地下空間をただ探しているだけじゃ、あまりに非効率的だと思うんですけど」
「別にテキトーに歩き回っているんじゃないさ」
レイジは自分のTMはミカに見せた。
画面には地下空間のマップが開かれており、巨大な円と二つの点が図示されている。点の一つは円の中心にあり、もう一つは円周上にあった。
「この円周上にある点は私たちですよね。じゃあこの中心は?」
「ボリスの遺体が見つかった場所だ。そこを中心とし、廃工場と地下空間、二つの現場の距離を半径として作ったのがマップ上の円だ」
「なるほど、つまりこの半径は『犯人(?)が一日で移動した距離』を表しているわけですね。そこから、ボリスさんの現場を中心に『今日出没するだろう地点』を示したのがこの円というわけですか」
「まあ、そんなところだな」
「うーん、でもこの円、ちょっと大きすぎません?」
二つの現場の距離は五キロ以上離れている。
円周の長さは半径の約六倍。つまり……。
「この円を一周するだけで三十キロ以上歩かなくちゃないじゃないですか!?」
「だから動きやすい靴を履いてこいって言ったんだろうが」
「いや、そういう問題じゃないでしょ! 履くもの変えても歩く距離が変わらないじゃないですか!」
「ミカ、捜査の基本は?」
「足で稼ぐ……ってこんなところで精神論!?」
「まあ、体力を温存しながら進まなきゃならんから、すべて回りきれるかはわからんが、できるだけ広い範囲を捜索するぞ」
「ああ、こんなことならマークさんも無理やり引っ張ってくればよかった」
文句を言いつつも、先ほどまで胸のなかを渦巻いていた恐怖心が消えていることに気づいた。どうやら、レイジといつものようなやり取りをすることで、だいぶ気持ちが落ち着いたらしい。
二人は黙って歩き続けた。
相手が人であるにしろ、そうでないにしろ、すでに二人の人間を殺しているのだ。こちらは二人で、最低限の武装もしているとはいえ、油断していい相手ではない。
常に周囲を警戒し、何かあればすぐ動けるようにしなければ――。
「ミカ、止まれ」
レイジは背後から抱え込むようにしてミカの動きを止めると、近くにあった柱に身をひそめた。
「ちょっ、いきなりなに」
「静かにしろ。足音がする……ひとりふたりじゃない……」
ミカはハッとして耳を澄ませた。
静寂が支配する地下空間の闇のなか、かすかだが「カツ……カツ……」とコンクリートを蹴る音がする。
足音が聞こえるということは、相手はそう遠くない位置にいるのだろうか。反響しているせいで、はっきりとした位置が補足できない。
注意深く耳を傾けていると、音が次第に大きくなっていることに気づいた。
(近づいてきている!)
レイジも同じことに気づいているようだった。
「このまま鉢合わせるとマズい。少し離れたところから様子を見るぞ」
ミカは無言で頷くと、レイジの後を追った。
こちらに足音が聞こえている以上、下手をすれば向こうにも勘付かれる恐れがある。
ミカが一歩一歩神経をすり減らしながら歩くなか、レイジは音を立てずに軽やかな足取りで進んでいく。
音を聞いた地点から数メートル離れた柱の裏に二人は再び隠れた。
レイジはポケットからTMを取り出し、起動した。
「TM、こちらに近づいてくる足音の方向を特定しろ。可能ならどこを移動しているのかマップ上に表示してくれ」
『了解しました。音源の位置を測定します』
返事をしてまもなく、画面がレーダーのようなものへと変わり、点滅を始めた。
「TMってこんなこともまでできるんですか?」
「シッ! ノイズが入る」
まもなく、画面上に矢印と赤い点が表示された。
『矢印にて音源の方位を、赤い点にて対象物のマップ上の推定位置を表示しております。なお、推定位置については二、三メートルの誤差があることをご了承ください』
「わかった。そのまま対象を補足し続けろ」
『了解しました』
足音はレイジたちが先ほどまで進んでいた円周上近くを動いている。
単なる偶然? こんな時間にこんな場所で?
「レイジさん、これって……」
「まだ何とも言えん。こちらに気づかれないように気をつけろ」
二人は柱のかげから足音が来るのを待った。
もはや足音は耳を澄まさなくても聞こえる位置まで近づいていた。
たしかに歩いているのは一人ではない。少なくとも三、四人はいるだろう。
夜中の地下空間を歩き回る集団。目的はいったいなんなのだろうか。
モンテロやボリスの事件とは、何か関係があるのか。
もしかすれば、レイジの言うような怪異などなく、この集団こそが一連の事件の犯人なのでは?
「もうすぐ連中が来るぞ」
レイジの言葉でミカは我に返った。
TMを見れば、足音はまもなく二人の見張っている地点を通過するところだった。
決して見つかってはならないと思う一方、早く足音の正体を確かめたいという気持ちも高まり、かつてないほど緊張が身体を支配していた。
(……来た!)
歩いていたのは六人の男たちだった。
細身の中年の男、背の高い金髪の青年、他の四人は……。
(武装している!?)
四人の男はそれぞれ軍で配備されるような長身の銃を背負っていた。
その武装が自衛目的のために許される範疇を超えていることは、遠目からでも明らかだった。
集団は細身の男を先頭に、金髪、四人の順で列を作って歩いている。
男たちの歩くスピードは遅くはないものの、歩き方に統率が取れているという様子ではない。
(軍人じゃない、とすれば、テロリスト!)
ギリッと、噛み締めた奥歯が音を鳴らす。
脳裏に浮かぶのは、あの男たちが銃をかまえる姿。
その顔には下卑た笑みが浮かんでいる。
硝煙と鉄錆のにおい。
泣き叫ぶ声、血の赤色。
銃口の先にいるのは……。
……。
「待て! 武装したあの人数相手じゃ無茶だ!」
気が付けば右手をレイジに抑えられていた。
その手は腰のホルスターに伸び、銃を抜こうとしている。
(私、無意識のうちに……)
ミカは出しかけていた銃を戻した。
自分の呼吸が乱れ、全身から汗を噴き出していることに、このときようやく気付いた。
胸を押さえ、「ハーっ、ハーっ」と息を吐いて呼吸を整える。
「……あの連中は?」
「大丈夫だ。補足し続けている。こっちに気づいた様子もない」
まだ男たちは二人の視界内にいた。手元のTMも依然として足音の位置をマッピングし続けている。
「レイジさん、応援を呼びましょう」
「いや、ダメだ」
「なに言っているんですか!? 相手は武装しているんですよ。確保するには私たちだけじゃ……まさか、テロリストを見逃そうっていうんですか!?」
「そうじゃない。おそらく、あいつらは俺たちと似たような目的で動いている」
「つまり、連中も地下空間に潜んでいる怪異を探しているということですか?」
「あの六人のなかの金髪の男、明らかに他の連中と雰囲気が違うことに気づいたか?」
「ええ。たしかに他の人と比べると若いし、なんとなく育ちがいい感じがしました」
「おそらく、あの男は宗教団体の人間だ」
「ええ!?」
「雰囲気から察しただけの、あくまで憶測だがな。だが、そう考えれば辻褄がつく」
「辻褄?」
「説明は歩きながらする。あいつらをつけるぞ」
「は、はい!」
二人は一定の距離を保ちながら、武装した集団を追った。
向こうはこちらを気にしている様子はまるで無いものの、すでに姿も見える距離。何かの拍子に物音を立ててしまえば、たちまち気づかれてもおかしくはない。
先ほど以上の緊張で足取りがおぼつかなくなるのを必死に抑える。
レイジは先ほどと同じように動きながらも、声を落として話し始めた。
「どうしてルナがこの事件に巻き込まれたのか、それが気懸りだった。
俺の推測では、モンテロは儀式の生贄にするためにルナを廃工場に連れてきた。だが、そもそもどうしてルナが生贄に選ばれたのだろうか。
それはルナのいる宗教団体とモンテロのいる組織とのあいだに、何らかの関係があったからだろう。二つは同じ組織という可能性も捨てきれないが、モンテロのような男を宗教団体が雇うとも思えないので、おそらくは別の組織だ。
モンテロはルナを攫っては、儀式を行い、怪異を呼び出した。
だが、これはモンテロの組織も宗教団体も望ましいことではなかった」
「モンテロは無断で儀式を行ったということですか?」
「それは間違いないだろう。組織の公認でやったのであれば、儀式が終わった時点でモンテロの遺体や魔法円などの痕跡は消されていたはずだ。
だが、そのまま放っておかないところを見ると、怪異の存在は奴らに何らかの損害を与えているらしい。その証拠に、奴らは今、危険を冒してまで怪異のもとへ向かっているんだから」
「連中がモンテロのいた組織の人間かどうかという確証はないのでは?」
「無関係の犯罪者が、事件が起きたばかりの地下空間を武装して移動しようなんて考えると思うか?」
「たしかにそうですね。なら、あの武装は……あれで怪異を倒そうとしているんでしょうか?」
「そのつもりなんだろう。あの手の武器が効く相手であれば問題はないが……金髪の男の目的はルナか。連れて帰るつもりなのか、それとも……」
「ですが、それならなおさら応援を呼ぶべきなのでは? 連中が怪異を倒しても倒さなくても逮捕する必要があると思われますが」
「応援部隊を呼んだ場合、警察と連中のあいだでの銃撃戦になる。それに加えて怪異が現れれば、双方から犠牲が出ることは免れない」
「あっ!」
たしかに、この地下空間での銃撃戦、それに加えて異形の存在が襲い掛かれば、死傷者が出るのは間違いないだろう。
現状では大きな危機が迫ってない以上、レイジの判断に従うのが最も無難な選択であるかもしれない。
「俺たちが第一にやらなきゃならないことは、モンテロとボリスを殺した奴の正体を確かめ、証拠を集めることだ。今は奴らについていくしかない」
レイジはそういって言葉を切った。
だが、ミカは知っていた。
レイジの一番の目的は、ルナの安否を確かめ、救出することなのだと。
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