ランス1 黒山羊協会

 ランスは応接室へと通された。


 コーヒーを運んできた女性社員はランスを見て頬を染めたあと、フィリップ・レヴィはまもなく来ると告げて去っていった。

 女性社員の言うように、ものの五分で応接室のドアは開いた。


「どうも、お待たせしてすみません」

「いえ、こちらこそ突然お邪魔して申し訳ありませんでした」


 ランスは立ち上がり、入ってきた男の顔を見た。

(間違いない。この男だ)

 営業用の作り笑いが張り付いてはいるが、たしかにオーガストにもらった写真の男に間違いなかった。

 軽く握手を交わすと、二人は席についた。


「ラヴァテイン重工社長のご子息にお越しいただいたのですから、私としても鼻高々ですよ――ところで、今回はどういったご用件でしたか? 取り次いだ者からは、ラヴァティンさんが『会社の近くまで来たので、昔お世話になったフィリップさんにご挨拶したい』ということで聞いているのですが……すみません。私が失念しているのかもしれませんが……以前どちらでお会いになりましたか?」


「いえ、実は受付で言った用件は建前でして、本当は『黄金のワイン』の件で来たんですよ」


「はい?」

 レヴィが何を言っているんだという目でランスを見る。


(やはり、教団の関係者ではないか)


『黄金のワイン』とは、『黄金の王国』教団において外部で相手が教団関係者かどうかを判別するための、一種の合言葉だ。

 それに反応しなかったということは、少なくともレヴィと教団本部のあいだに密接な関係はないと考えていいだろう。無論、意図的に無視した可能性は否定できないが。


「ああ、すみません。レヴィさんにはこう言った方がよかったですかね――『黒い山羊』の件で来た、と」


 瞬間、フィリップの表情が一変した。作り笑いが消え失せ、顔には激しい驚愕と動揺が現れる。


「動くな! こっちはお前が不法な取引に関わっている証拠を持っているんだ」


 ランスは懐から写真のコピーを出して机に叩きつけた。

 レヴィは奪うようにしてその写真を拾うと、食い入るようにそこに映った自分の姿を見つめた。


「まさか、撮られていたとは……それで、いったい何の用だ。この写真をネタに強請ろうというのか? だが、こんな写真を持っている時点でそちらにも後ろ暗いところがあるんだろう。他人をタカっている場合かね。こんなことが組織にバレたら、そっちだってタダじゃ済まないはずだ」

「勘違いするな。僕は金が欲しくて来たわけじゃない。お前らが連れていった女性の行方を知りたいんだ」

「女? それにさっき黄金がどうのって……まさかアンタ、教団の人間か?」

「そんなことはどうでもいい。ルナはどこにいる?」

「だが、あの取引は問題なく終わっているはずだ。こっちはきちんと金を払った。今さらなぜ女を捜す?」

「金だと? 金でルナを買ったっていうのか! いったい彼女に何をさせているんだ!」

 ランスはレヴィのシャツの襟を乱暴に掴んで締め上げた。


「ま、待て! 落ち着けよ。そっちの事情が少しわかってきたぞ。アンタは教団とは別に単独で動いているんだな。だから、今さら女の行方を捜している」

「いいからこっちの質問に答えろ!」

 ランスの腕にさらなる力が加わる。


「ぐえっ……わ、わかった。話そう――女を買ったのは大した理由じゃない。ウチの組織にシスターが必要になったからだ」

「どういうことだ?」

「人員を拡大したことで、信心深い奴が増えたのさ。そういう連中の精神状態を安定させるには、奴らの信仰心を満たしてくれる人間がいる。だから、シスターを一人ばかり派遣してもらった。それだけだ」


「どうして金を払ってまで組織とやらがそこまでする必要がある? 信仰を持つ者を教団に行かせればいいだろう」

「おいおい正気かい? ウチらみたいなキナ臭い組織と継続的な関係を持つのを、そちらさんが喜ぶとでも思っているのか? 

 もっとも、それはこちらとしても同じことだ。あまり他の組織とつながりを持って余計な情報が漏れれば面倒だ。信仰心が高まりすぎて組織を抜けられても困るしな。

 まあ、両方にメリットがあったのが、今回の取引だったってわけだ。大したリスクなしに、こっちはシスターを、そっちは金を手に入れたんだからな」


 ニカリと歪んだ笑みを向けるレヴィを殴り飛ばすのを、ランスはなんとかこらえた。


 教団の財政難の噂はランスも聞いていた。


 『黄金の王国』教団は、現在では世界で最大規模の信者数を持つ組織だ。

 危険思想規制法の制定により解体されていく宗教団体が多いなか、『黄金の王国』はいち早く信者たちとコンタクトを取り、彼らを教団へと導いてきた。


 信者のなかには信仰を隠して社会に溶け込んでいる者もいるが、多くは警察の目に怯えて暮らしている者ばかりだ。


 そんな人々の暮らしを維持するためには莫大な資金がいる。ランスは支部の一つを任されながら、具体的な資金源については知らされていなかった。外で暮らす信者からの献金はあるだろうが、それだけでこの巨大な教団を維持するのに足りているとは到底思えない。


 もし、教団が資金確保のために外部への人材の派遣――人身売買を行っているのだとしたら、ウィルフレッド主教の態度も説明がつく。人身売買に手を染めていることが信者に伝われば、教団の崩壊は免れない。よほど信用のおける相手でなければひた隠しにするはずだ。


 そう、たしかに説明はつく――が、納得はできなかった。

 いくら教団のためとはいえ、人間を物のように売り買いして良いはずがない。


(まして、罪のない人間が犠牲になっていいはずがない!)


「今の話は本当なんだろうな? ルナはシスターの職務を果たすために連れていかれたので間違いないんだな?」

「ああ。本当だ。少なくとも、アンタが心配しているようなことにはなっちゃいない」

「それは自分の目で確かめる。さあ、ルナはどこに連れていかれたんだ、答えろ!」

 ランスが顔を引き寄せて詰め寄るも、レヴィは首を横に向けて目をそらした。

「早く答えろ! ルナはどこだ!」


「静かにしろよ。他の連中が入ってきたらどうする」

 ゾッとするほど感情のこもっていない声に、ランスは硬直した。

 思わず掴んでいた手を放し、レヴィから離れる。


「女だが……今は我々の管理下にはいない」

「なんだと?」

「だが、おおよその居場所の検討はついている。安否も確かだ」

「なら、その場所を教えろ。あとは僕が勝手に連れて帰る」

「それはできない」

 ギロリ、とランスが再びレヴィを睨みつける。

 レヴィの表情に変化はない。取り乱すこともなく、感情のない目でランスを見つめている。


「こちらにも色々とあるんだ。勝手に動かれて台無しにされても困る――まあ、そちらの事情もわかるがね……アンタには我々に協力してほしいんだ」

「協力?」

「ここでは詳しい話はできない。いつ誰が入ってくるかもわからないからな。それに、あまり長く居ると怪しまれる。話は場所を移してからだ」


 ランスは身体を強張らせた。

 レヴィの言葉を安易に信用するわけにはいかない。この場では手出しできないので、自らのアジトにランスを連れ込んで凶行に走るという可能性は十分にある。


「待て。僕にいったいなにをやらせる気だ」

 警戒心を露にするランスに対し、レヴィは口角が吊り上げ、不気味な笑みを作って言った。


「怪物狩りだよ」




 『黒山羊協会』のアジトは繁華街のなかの、メインの通りから少し外れたエリアにあった。


 やや古びているだけの、特に変哲のない雑居ビル。看板には所どころ『テナント募集』の張り紙が貼ってあるが、大部分は埋まっている。


 ランスはエレベーターで四階――テナント募集の貼り紙がしてあった階――に連れてこられた。エレベーターを降りると向かって正面と左に扉があり、レヴィは正面の扉に鍵を挿した。


 レヴィに続いて部屋のなかへ入ると、ランスは注意深くあたりの様子を窺った。

 人間の気配はない。部屋は応接用のソファーとデスクが一つ置いてあるだけで、あとはただの広い空間だった。


「別に取って食ったりはしないさ。そう気張るなよ」

「ふん。万が一、僕が戻らなければ、あの写真が警察に行くようになっているのを忘れないことだな」


 これはハッタリだった。写真や資料の原本はコインロッカーに隠しているが、それ以外は咄嗟についたデタラメだ。

 ランスの嘘を真に受けたかどうかはわからないが、レヴィは肩をすくめて「ハイハイ」とため息を吐いた。


「ここは『黒山羊協会』のアジトじゃないのか? 他のメンバーはどうした?」


 あるいは、ランスが連れてこられたのは外部の人間と会うための密会場所なのかもしれない。もしくは、組織の人間を集めるための集会場か。『黒山羊協会』ほどの組織なら、アジトを複数所持していたとしてもおかしくはないだろう。


「普段からこんなジメジメした事務所にこもっていても仕方がないだろう? 私みたいに表の仕事を持っている人間もいる」

「だが、表では堂々と歩けない人間もたくさんいるんだろう」

 レヴィはニヤリと笑みを浮かべた。

「それはお互い様だろう。企業秘密というやつさ――さ、話を進めようじゃないか」

 

「さて、どこから話したものか……昨日、ウチの組織にいたアレッシオ・モンテロという男が殺された」


(オーガストの言っていた男か)

 ランスは表情に出さないようにモンテロの顔を思い浮かべた。


「場所は計画未定区域内の廃工場。腹を裂かれて酷い有様だったらしい」

「その事件にルナがなにか関係があるのか?」

「モンテロが女をアジトから連れ出したのさ」

「なんだと!?」

 ランスは思わず机を叩いて立ち上がった。


 オーガストからの報告では、現場にルナと思しき女性がいたという情報は無かった。ということは、ルナは現場から逃げたか、連れ去られたかのどちらかになる。いずれにせよ、ルナの身に危険が切迫しているということではないのか。


「そうかっかするなよ。本題はここからだ。そもそもの疑問として、なぜモンテロは女を連れて行ったのか」

「……」

 もったいつけて話すレヴィに先を促すようにランスは睨みつけた。


「モンテロはウチの組織を裏切ろうとしていたのさ。もともと、いろんな組織を転々としていた奴だ。そろそろウチにも飽きが来ていたんだろう。だが、奴はただウチの組織を抜けるんじゃ満足しなかった。なんらかの手土産が欲しかったんだ」

「それがルナだっていうのか?」

「いや、正確には女を使って生み出すものがモンテロの目的だった――奴は、悪魔を呼び出そうとしていたんだ」


「悪魔?」

「ああ。組織が持つある魔道書、奴はそれを盗み見て悪魔を召喚する儀式を行い、それを成功させた」

「バカな……悪魔を召喚したというのか」


 ランスは宗教的立場から悪魔の存在を認めてはいたが、当然ながら実物を見たことはない。そもそも悪魔はたいてい実体を持たず、人間や他の動物に憑りつくか、呼び出した者だけが視認できる姿で現れるかのどちらかだ。そして、儀式の多くは失敗に終わる。悪魔を見たというのは、たいてい『儀式によるトランス状態からくる幻想』が真実だからだ。


「モンテロは悪魔を呼び出すのには成功した――が、奴はその呼び出した悪魔に殺されちまったのさ」

「ルナは……ルナはどうなったんだ!?」

「女は儀式に必要な供物だった。生贄の血と死体、清廉な乙女、最低限これらを用意しなければ儀式は成立しない。幸いなことに、女は死んでいなかった。どういうわけか、悪魔は呼び出したモンテロを殺し、女の方は後生大事に背負っていったとのことだ」


「それは本当なんだろうな!?」

 掴みかからんばかりにランスは詰め寄った。

「モンテロの後を追わせた部下が、女と悪魔の姿を目撃している。女は意識を失っていたが、生きているのは間違いないそうだ」


「それで、その悪魔はそのあとどうなった? 今はどこにいる?」

「まあ落ち着けよ。悪魔はモンテロを殺したあと、姿を消した。次に奴が現れた場所は地下空間だ――今朝、地下でホームレスの死体が見つかった事件があったんだが、知っているか?」

「いや……まさか、それも悪魔の仕業だと?」

「死体の傷口がモンテロを殺した凶器と一致したそうだ」


「なんてことだ。だが、そんな危険な怪物が跋扈しているのなら、地下空間は今頃パニックになっているはずじゃないか」

「今のところはそんな怪物が見つかったという情報は入っていない。余程うまく隠れているのか、あるいは夜間にしか行動しないのだろう。もしかしたら、魔術的な力で姿を消しているのかもしれない」

「今行っても、ルナを見つけられる可能性は低いということか」

 ランスは俯きながら、こぶしを握り締めた。


「我々としてはまだ悪魔が地下空間に潜んでいると見ている。

 そこでだ。悪魔を討つため、今夜武装した連中と共に地下空間へと向かうんだが、アンタにも協力してもらえないかね?」

 レヴィの申し出にランスは少し面食らった。


「待て。どうして『黒山羊協会』が悪魔を倒そうとする? いったい何のメリットがあるんだ?」

「メリットなんかありゃしないさ――ただ、あれが暴れ続けることでのデメリットはあるのでね。ウチのような組織は“信用”で商売しているんだ。それが、世を騒がす化け物を誤って放ったとなれば、“お客様”からの信用失墜は免れない」

「裏切者が起こした不始末は自分たちで処理するということか」

「そういうことだ。だから本来は外部の人間には話すわけには行かないんだが、アンタはすでにいろいろと知っていそうだったのでね。どうだ、手を貸してくれるかね?」


「……もし、悪魔を倒し、ルナを取り返すことができたら、彼女をどうするつもりだ?」

「ふっ、安心しろよ。今さら女の所有権を主張したりはしない。払った金は無駄になるが、そちらへお返ししよう」

 ランスはレヴィの目をジッと覗きこんだ。


 レヴィが語ったことがどこまで真実かはわからない。仮に悪魔を討伐してルナを取り戻すことができたとして、本当に返すつもりがあるのだろうか。ランスがレヴィの写真を持っているという交渉材料はあるが、果たしてどこまで牽制になるか。


 逆に、ルナを取り戻すうえで、『黒山羊協会』からの協力は必要不可欠だ。レヴィ『地下空間のなか』に悪魔が潜んでいると言っていたが、正確な位置までは示していない。都市全域に広がる地下空間を当てもなく探したところで、目的の悪魔に辿り着くまでにはかなりの時間を要するだろう。そうなれば、今度はルナの身に危険が及ぶ可能性が高くなってくる。


 ランスの出せる答えは、実質一つしかなかった。


「……わかった。協力しよう」

「そうかい。良い返事がいただけて、こちらとしてもありがたい」

「だが、僕は悪魔祓いの経験などないし、そんな能力もないぞ」

「アンタにそんなことを期待しちゃいないさ。よもや、あの悪魔をそんなもので倒せるとも思わないしな」

「そういえば、部下が見たっていう悪魔はどんな姿をしているんだ?」

「……はは」


 何気なく訊いた質問にレヴィが顔を引きつらせたので、ランスは訝しんで彼を見た。

 レヴィは無理やり笑みを作って半笑いのような表情になると、たちの悪い冗談でも話すように言った。


「それが、その悪魔はどういうわけか、黒い山羊の姿をしていたんだそうだ」

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