レイジ3 崩壊と決意

 夜中、レイジはかすかな物音で目を覚ました。


ベッドから這い出し、時計を見ると夜中の二時。子どもたちが夜更かしするには遅すぎるし、シスターたちが朝の礼拝を行うには早すぎる。


(ガキどもの誰かが起きてるのか? そうなら早いとこ叱って寝かしつけねえと)

レイジは未だぼんやりとしたままの頭で部屋を出た。


廊下はひっそりと静かで、特に変わった様子はなかった。


もしかしたら気のせいだろうか。バイトの疲れから寝ぼけていて、夢のなかで聞いた物音を現実のものと勘違いしたのではないか。

 そんな疑念が頭を過ったが、もしかしたら子どもたちではなく、入り込んだ泥棒かなにかが立てた音かもしれないと思うと、途端に確かめずにはいられなくなった。


 子どもたちの眠っている部屋のドアを一つ一つ慎重に開けて中を覗き込む。起きている者はいない。すべての部屋を確認したが、みんなスヤスヤと寝息を立て、きちんと眠っていた。

(ということは年長組の誰かか、シスターか? 何だってこんな時間に……)


 そのとき、暗闇を切り裂くような鋭い悲鳴が外から響いた。


(この声は……ルナ!?)

 近くの窓を乱暴に開き、頭を突き出した。

 周囲は塗りつぶしたような真っ黒の闇、月だけが孤児院の周囲を照らしていた。

 施設の前に、見慣れない車が数台止まっている。

 これだけでも異様な事態だが、レイジの眼前にはより恐るべき光景が広がっていた。

 白い制服のようなものを着た男二人が、ルナを抱えて車の中へと連れ込もうとしていたのだ。


「おいっ! 何してやがる!」

「レイ君!」


 怒鳴り声をあげると、男二人もレイジの存在に気づき、顔を上げた。

 男たちは深夜だというのにサングラスをかけていた。口元もマスクで覆われているため、それが身元を隠すための変装だということは明らかだった。


 レイジは身を乗り出して窓から飛び出した。一階にいたことが幸いし、レイジはすぐに男たちのもとへ辿り着いた。


 ルナはロープのようなもので手足を縛られているらしく、身をよじって男たちの手から逃れようとしていたが、あえなく車に放り込まれてしまった。


「てめえら、ルナをどうするつもりだ!?」

「……」

 男たちは微動だにせず、ただレイジの方を向いて立っている。


「答えねえなら、力ずくで吐かせてやる!」

 言うやいなや、レイジは地面を蹴った。

 そのまま、無防備に立ち尽くしたままの男の一人に殴りかかる。

 

 瞬間。

 衝撃が体の中心を襲った。

 

 砲丸を腹に落とされたような鈍い痛みと共に、レイジは地面に叩きつけられた。

 何が自身に起きたのかを理解しようとしても、頭が働かない。

 呼吸すらまともにできず、酸欠状態の苦しみで目を剥いた。

 男たちはレイジに一瞥もくれず、ルナを乗せた車に乗った。


(ま……て……!)


 声もあげられず、レイジは走り去る車に向かって手を伸ばすことしかできない。

 そして、そのままレイジの意識は闇に溶けていった。


 翌日、意識を取り戻したレイジは、孤児院にいたシスターが全員いなくなっていることを知った。


 警察は、おそらく危険思想を持つ団体が、危険思想規制法の施行に先んじて危険思想保持者(レイジはこのとき、信仰を持つ者が今後この名称で呼ばれることを知った)を集めているのだろうと言っていた。


 なんでも、解体を間近にした宗教団体で、信者が失踪するという事件が相次いでいるらしく、警察は危険思想保持者たちがどこかに身を隠しているのだと考えていた。


 とすれば、シスターたちはあの男たちに攫われたわけではなく、自らの意志で彼らに連れていかれたということになる。


 それではルナは……?


 昨夜の様子を見る限りでは、とても行くことを承知していたように思えない。

 おそらく、シスターたちから知らされてもいなかったのだろう。

 そうでなければ、ルナが子どもたちを見捨てるような選択肢をとるはずがない。

(ルナ……)


 それから、孤児院はあっという間に解体された。

 もはや責任をとれる大人が存在しない以上、存続は不可能だった。


 子どもたちはすぐに別々の施設へと送られた。レイジはなるべくみんなが同じ施設に行けるようにと頼んだが、役所の人間はその願いを無視して、子どもたちを各地の施設に分散させた。とはいえ、子どもたちをまとめて受け入れるのは施設にもかなりの負担になるため、こればかりは仕方がなかったのかもしれない。


 子どもたちは離ればなれになることを泣いて嫌がっていたが、もはやレイジには手立てがなかった。ルナを失い、次に家と家族が奪われていくのを、ただ呆然と眺めていることしかできなかった。


 次にレイジを待っていたのは、執拗な取り調べと思想矯正だった。

 シスターやルナが接触していた外部の人間はいなかったか、連中の隠れ家にしている場所に心当たりはないか、本当はお前も連中の仲間なんじゃないのか、など。


 警察もテロリストの検挙に必死だった。本来であればレイジを逮捕する罪状などなく、長時間拘束しておくことなどできないはずだったが、危険思想規制法の施行により、レイジは危険思想保持者に仕立て上げられ、テロリストとの繋がりがある可能性があると、日夜周到な取り調べが行われた。


 レイジが何の情報も持っていないということがわかると、次に送られたのが思想矯正施設だった。


 何のことは無い。TMが証明した“この世には神秘的・超自然的なものなど存在しない”という教えを、わざわざ時間をかけて教え込むだけの場所だ。

 危険思想を保持している”だけ”の者は、厳密には犯罪者ではないため、刑務所には送られず、この施設で思想を“矯正”して社会復帰を目指す。


 レイジ自身、もともと信仰がある人間ではなかった。ハロルドやシスターたちの思想を否定したりはしなかったが、神の存在を信じているわけでもなかった。


 ゆえに、矯正施設での生活は、ただ無意味で退屈だったが、その空虚な生活のなかで、レイジはじっくりと考える時間を手に入れた。そして、忙殺されるなかで麻痺していた感情がようやく働きはじめ、大切なものを失った痛みをようやく実感したのだった。


(嘆いてばかりいられるか……!)

 レイジは必死になって考えた。

 バラバラになった家族の行方を捜し、失踪したルナを見つけ出すために、自分が何をすべきか、何になるべきかを。

 そして、レイジは刑事になり、オカルト犯罪を専門に取り扱う“思想犯罪捜査班”へと入った。




「……つまり、レイジさんはルナさんを捜すために警官になった、と」

「ああ。刑事、それも思想犯罪者を追う刑事になれば、ルナを攫った連中の情報が手に入ると踏んでな。まあ、それも期待外れだったわけだが」

 レイジは自嘲した。


「ボリスさんの遺体が握っていたロザリオが、ようやく手に入れた手がかりというわけですね。でも、それって……」

「お前の言いたいことはわかっている。他の奴がこれを見たら、十中八九ボリスを殺したのはルナだと言うだろう」

「レイジさんは違うと考えているんですか?」

「違う……と思う」

 レイジの声には戸惑いが含まれていた。

 相手は幼なじみとはいえ、もう七年も会っていない相手だ。過去にどんな人間であっても、それだけの期間があれば変わってしまっていてもおかしくない。


「まず、ルナにボリスが殺せるかだが、それは可能だろう。ルナ相手なら、ボリスも警戒を解く可能性は高い。だが、それならなぜ自分の名前の彫ってあるロザリオをボリスに奪われたまま、現場に残していったのか」

「ボリスさんが強く握っていて取り返せなかったのではないですか?」

「それなら、ボリスの遺体ごと運ぶか、握っている手だけを切り落として持っていけばいいだろう。仮にどちらも無理だったとしても、ロザリオを取り出すために凶器で手を開こうとすることはできたはずだ。だが、遺体にそんな痕は無かった」


「つまり、自分の手がかりを犯人がわざわざ置いていくわけがないというわけですね。では、犯人はルナさんにボリスさん殺しの罪を着せようとあえてロザリオを置いていったということでしょうか」

「その可能性はあるが……あるいは、単にロザリオに関心がなかったのかもしれない」

「でも、そうなると犯人とルナさんの関係性が気になります。ルナさんが現場にいたのであれば、ロザリオを取り戻そうとしたでしょうし、いなかったとすれば犯人がルナさんのロザリオを何らかの手段で手に入れ、着用していたのか……どうにも不自然な気がします」


「……おそらく、ルナは現場にいたのだろう。だが、意識を失っていた」

 ミカがハッとした顔をする。

「それなら、ルナさんがロザリオを取られたのも納得できます! でも、それはつまり、犯人は意識のないルナさんをどこかに運ぼうとしていた?」

「それをボリスが見つけ、助け出そうとして返り討ちにあった」

 レイジの表情が忌々しげにこわばる。

「そんな……そんなのって……」


「だが、奇妙な点はまだある」

「というと?」

「もし、犯人がルナと行動を共にしているなら、それはいつからか」

「今回の事件の犯人は先日のモンテロ殺しを行っているのでほぼ間違いないですし、それを踏まえて考えると、モンテロ殺しの翌朝からボリスさん殺しのあいだに合流したと考えるべきではないでしょうか」

「それが自然だが、あるいはこう考えることもできる。犯人とルナはモンテロ殺しの段階から一緒にいたのではないか」


「なっ……なにかそう考える理由があるんですか?」

「モンテロ殺しの現場にあった棺だよ。あの中には生贄になる人間が入れられていた可能性が高い。もし、モンテロが儀式の実行者だったとすれば、死んだのがモンテロである以上、生贄にされるはずだった人間が殺したと考えるのが普通だろう」

「それなら、棺の中に入れられていたのが犯人で説明がつくんじゃありませんか?」

「本当にそうだろうか。今回のボリス殺しで、犯人が使った凶器は三十センチ以上の刃物だとわかっている。生贄がそんな凶器を持っているのを、モンテロが見逃すだろうか」


「あっ!?」

「もちろん、凶器を持ち込んだのがモンテロの可能性はある。生贄にとどめを刺すための道具としてな。だが、そうだとしてもモンテロが突然棺から出てきた犯人に無抵抗にやられるだろうか」

「たしかに、おかしい気がします。なら、犯人は棺の外にいたということでしょうか」

「ああ。そして、おそらく棺のなかに入れられていたのは、ルナだ」


「本来の生贄はルナさんで、犯人はモンテロと一緒に儀式に参加していたのを裏切ったということですね。とすれば、犯人はモンテロを殺したあと、ルナさんを連れて逃げた……でも、何のために現場を荒らしたんでしょうか。 

それに、どうして犯人は昨晩も気絶したルナさんを運んでいたのでしょうか。人目を避けるために夜に行動するのはわかるにしても、どうして一晩経っているのにルナさんの意識は無かったのか。薬物により眠らせていたのか、それか、もしかしたら……」


 ミカは思わずレイジを見た。

 レイジがミカと同じことを考えたのかはわからなかったが、レイジは相変わらず険しい表情をして虚空を睨んでいた。


「ミカ、おそらく今回の事件は“本物”だ」

「……どういうことですか?」

「お前はきっと、この世には科学や論理で説明できないことなんてないと思っているんだろうな」

「いきなり何の話ですか!」

 突然、レイジに意味のわからないことを言われ、ミカの語気が上がった。


「この世にはあるのさ。科学や論理で説明のつかない存在や現象がな。ここにある資料の山は、そういうものが関わった事件の記録や証拠なんかが集まってできたものだ」


 レイジは両手で部屋のなかの資料を指した。

 ふいに、ミカは寒気がした。

 さっきまでただの本と書類の束だったものが、急に気味の悪い存在のように思えて仕方がなかった。


「な、なにをバカなことを……」

「俺も最初はそう思ってたさ。でもな、この仕事を続けていれば、遅かれ早かれ“それ”に遭うことになる。思想犯罪捜査班に人が居つかないのは、だいたいが“それ”をまともに見るか感じるかしちまったからだ。まあ、信じられないならそれでいい。それはお前自身が決めることだ」


 諭すように語るレイジの言葉に、からかいや嘘は無いように思える。

 狂気や妄執に憑りつかれている様子もない。

 だからこそ、正気のままで怪異の存在を肯定するレイジに、ミカは恐怖を感じた。


「……どうして今回の事件が、その……本物だとわかるんですか?」

「二件の殺しで使われた奇妙な凶器、不自然に荒らされた現場、そしてボリスが見たとう黒い煙……確たる証拠じゃないのはわかっている。だが、この事件からはそういう匂いがするんだ」

「……」


 ミカは沈黙した。

 レイジの言うことは納得のいかないことばかりだ。

 考えようによっては、ルナを容疑から遠ざけるため、別の犯人を作り、果てはそれを異形の存在にして捜査を混乱させようとしているとも捉えられる。

 仮にレイジの考えが間違っていて、ルナが犯人だったとしたら、レイジは彼女を逮捕することができるのだろうか。

 ミカはレイジから渡されたロザリオを強く握った。


「……知ってしまった以上、私にはこのロザリオと持ち主のルナさんのことを報告する義務があります」

「……ああ」

 レイジは特に動揺する様子もなく答えた。

 その表情には冷静さというより一種の諦めがあるような気配さえある。


「もう一つだけ教えてください。レイジさんは今後どういう捜査をしていくつもりなんですか?」

 レイジは一瞬虚を突かれたような顔をしたが、ミカの目を見て再び真剣な表情に戻った。


「まず、過去に今回と似たような事件がなかったか、あるいは、今回の事件と同じようなことを起こしそうな“要素”がないか資料を当たるつもりだ。夜からは地下空間で張り込みをする」

「もし、そこで“なにか”を見つけたらどうするつもりですか?」

「それを写真に撮るなりして証拠を残すだろうな。それをクレマンに渡して、対処できるようになるまで地下空間の封鎖をしてもらう。実物を見ないとなんとも言えんが、何らかの手段はあるはずだ――もっとも、その場にルナがいたら救出を優先するだろうがな」

「なるほど」


 レイジの作戦は妥当なように思えた。

 いかに馬鹿げた話であっても、被害者が出ているうえに証拠があるのなら、上も何らかの手段の講じざるを得ないはずだ。怪異の存在が認められなくても、凶悪犯が潜んでいるとでも言っておけば、地下空間を一時的に封鎖することは可能だろう。


 ミカはいくばくか逡巡したあと、意を決したようにレイジの目を見た。

「わかりました。それなら、その張り込みに私も連れて行ってください」

「なっ……ダメだ。さすがにそれは危険すぎる」

「じゃあロザリオのことをクレマン警部に……いや、カスティさんにチクっちゃおうかなー」

「……連れていくなら黙っていると?」

「とりあえず、明日までは黙っていてあげますが、どうします?」

 レイジはしばらく躊躇っていたが、やがて諦めたように深く息を吐いた。

「……残業代は出ないぞ」

「そんなの百も承知です! ――いや、それにしても、張り込みっていよいよ刑事っぽくて燃えてきますねえ!」

「おいおい、遊びに行くんじゃないんだぞ」


「それじゃあ、夜まで私は何をすればいいですかね。ここで資料チェックのお手伝いですか?」

 ミカが積み上げられた本の一つに手を伸ばそうとする。

「バッカ触んな!」

 いきなり声を荒げるレイジに驚き、ミカは出していた手を引っ込めた。

「……ここにある本は、耐性のついてない奴がいきなり読むと精神をおかしくするんだよ。俺の許可が出るまではここの資料には、触らないようにしろ」

 ミカは「はーい……」と不貞腐れた返事をする。


「それなら、私は何をしたらいいんですか?」

「そうだな……ちょっと待ってろ」

 そう言うと、レイジはTMを取り出して操作を始めた。

 まもなく、ミカのTMにメッセージが届いた。


「ん、なになに……ジャイアントバーガーポテトMセット、ドリンクがアイスコーヒー、それと栄養ドリンクの八本セットとフェイシャルシート……ってこれただのおつかいリストじゃないですか!」

「俺はここで資料のチェックがあるから動けないんだよ。重要な任務だ。よろしく頼むぞ」

「はあ」

「戻ってくるまでに他にも必要なものがないか考えておくから、次はそれもな」

「何回パシらせれば気が済むんですかー!」

 文句を言いながらも、ミカはレイジの指示に従ってドラッグストアへと足を運んだのだった。

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