ランス1 消えたシスター
「その件についてはもう説明したはずだが」
ウィルフレッド・アルクガノン主教は座ったまま、ランスに目も合わさずに答えた。
彼の手元には無数の書類――各支部からの報告書や嘆願書の類だろう――があり、ランスと話しているあいだも手を休める様子はなかった。
「ですが主教、シスターツクヨが支部からいなくなってもう二週間になります。当初の予定から一週間も延びているのは、どういうことなんでしょうか」
二週間前、他の支部で人員が不足したため臨時で人手が欲しいということで、シスターツクヨ――ルナ・ツクヨの派遣命令が本部から届いた。
ランスは特に違和感を覚えずにルナを本部に連れてきた――が、約束の期日を過ぎてもルナは戻らず、派遣先から連絡もなかったため、こうして本部に状況を確認しにきたのであった。
「それは私の知ることではない」
「なっ……どういうことですか? 報告は上がっていないんですか?」
「彼女の扱いに関しては向こうに一任している。報告は受けていない」
にべもなく主教は返した。
「わかりました。では、派遣先の支部を教えてください。自分で確認します」
ウィルフレッド主教の目がギロリと動き、ランスを見据えた。
「それはならん」
「どうしてです?」
負けじとランスも主教を睨み返した。
「なぜシスターツクヨにこだわるのかね? 彼女がいないとそんなに不都合があるのか?」
ドキリ、とランスの心臓は一瞬脈打ったが、頭はただちに冷静さを取り戻した。
「……ええ。彼女には所属する支部での職務があります。臨時ということで派遣させましたが、こちらとて人手が足りているわけではありません。本来ならば一刻も早く彼女に戻ってきてもらいたいのです」
半分は口実に過ぎなかったが、半分は事実だった。
ルナがいない現状は、ルナの業務を他のシスター達が分担してまかなっているのだが、それが少なからず彼女たちの負担になっている。
事実、ルナは働き者であり、子どもの多いランスの支部では彼らの世話や教育を行っているルナの存在は大きかった。
ウィルフレッド主教は、その厳格さを体現したような顔にちらりと影を落とすと、重々しく口を開いた。
「その件についてだが、すでに君の支部へは他のシスターを派遣することが決定している」
「……はい?」
一瞬、主教の言葉が理解できなかった。
「シスターツクヨよりも経験のあるシスターだ。問題はないだろう」
「ちょっと待って下さい!」
ランスは思わず身を乗り出し、主教に詰め寄った。
「どういうことですか!? シスターツクヨはもう戻ってこないということですか!?」
「……ランス君、彼女のことはもう忘れたまえ――これ以上話すことはない。私も執務があるのだ。帰りたまえ」
「ですが主教!」
「帰りたまえ!」
声を荒げた主教の表情には、有無を言わせぬ強硬な態度があらわれていた。
「……わかりました。失礼いたします」
ランスは強くこぶしを握り締めながら、執務室を後にした。
「……どうしたものかな」
執務室を出た廊下でランスはひとり呟いた。
ルナの行方を捜そうにも、居場所を知っている主教が非協力的である以上、手がかりは皆無に等しかった。
こうなれば各地の支部を一か所ずつ訪問していくという手しか残されていない。
(……だが、ルナは本当に支部に派遣されたのだろうか)
主教の態度はどう考えてもおかしかった。
通常の人事異動であれば、本部からの指示が出た時点でランスが口を出すことはできず、したがって異動先を隠す必要もない。
だが、今回は異動先が告げられず、しかも臨時の派遣という名目で騙し討ちのような形の異動が行われている。ウィルフレッド主教、あるいは教団本部に何らかの秘匿したい意図があるのは明らかだった。
(だとすれば、ルナは何らかの事件に巻き込まれたのか……?)
ぞくりとランスの背中を冷たいものが走る。
まさかルナが……という願いに似た思いはあるものの、頑なに口を閉ざすウィルフレッド主教の態度が、事態の深刻さを物語っているようにも思えた。
(なぜもっと早く動かなかった……いや、そもそも僕が初めから怪しいと気づいていれば……)
後悔と焦燥の念がランスのなかで沸々と湧きあがりはじめていた。
「あの、ラヴァティン支部長……」
突如話しかけられ、ランスは現実に引き戻された。
「は、はい。ええと、貴女は……」
何度か見かけたことはあったので、相手が本部所属のシスターであることはわかったが、名前は知らなかった。
「アシャットと申します。いきなり声をお掛けして申し訳ございません。あの……」
アシャットはそこで一度口ごもり、何かを思案していたが、やがて意を決したようにランスを見た。
「シスターツクヨのことでお話ししたいことが……」
「何か知ってらっしゃるんですか!?」
思わずランスは大声を出し、アシャットの肩を両手でがっしりと掴んだ。
「ひっ……」
「あっ、す、すみません。取り乱しました」
慌てて掴んでいた手を放し、頭を下げる。
「い、いえ。どうか頭をお上げください――それでお話しですが、ここでは差支えがありますので、ついてきてください」
アシャットの案内で連れてこられたのは六帖ほどの部屋だった。簡素な机とベッド、クローゼットがあるだけの部屋は、どうやらアシャットの私室らしい。
「このような場所にお連れして、申し訳ありません」
かすかに頬を赤らめながらアシャットが詫びる。
「いえ、ここなら落ち着いて話ができそうです――それで、シスターツクヨのことで話とは」
「はい。実は、彼女が本部へ来た日、私は彼女の相手をしているように命じられたのです」
「ほう」ランスの目に期待の光が宿った。
「相手をするといっても、部屋で他愛のないおしゃべりをして待っているというだけのことですわ。そうしているうちに主教に呼ばれて私たちは部屋を出ました。主教はシスターツクヨを応接室のなかへ入れると、私には戻るように命じました」
「応接室のなかには、誰かいたんですか!?」
息を荒くして、ランスは訊ねた。
「はい。ええと……スーツを着た細身の男性と顔に傷のある大柄な男性がいました」
「以前に見た覚えは?」
「いえ、初めて見た方たちでしたわ」
「……では、おそらく教団の人間ではないですよね」
「ええ。外部の方だと思います」
(くそッ、なんてこった! 外部の人間がルナを連れて行ったのなら、追いかけようがない!)
状況がより絶望的になったことで、ランスはがっくりと肩を落とした。
「……あと、参考になるかはわからないのですが、主教が応接室に入られたときにチラッと中から聞こえてきたことなんですが……」
「なんですか?」
「一言だけ『黒山羊協会』と」
「『黒山羊協会』?」
「ええ……たぶん、その方たちの所属する団体の名前だと思うんですけど……すみません、このくらいの情報しかなくて」
「いえいえ、十分ですよ! 十分すぎる……」
「そうですか! よかった……」
アシャットは安堵したのか、かすかに笑みを浮かべた。
「……貴女はどうして協力してくれるんですか? 私の想像ですが、おそらくシスターツクヨの件については、主教から戒厳令が敷かれているのでしょう?」
アシャットの表情に一瞬緊張が走ったが、すぐに笑みを取り戻して答えた。
「……シスターツクヨと会ったのはあの日が初めてでした。ですが、彼女ほど慎ましく、清廉なシスターは他にいません。そうでしょう?」
「……ええ。彼女ほど敬虔な者を僕は知りません」
「いかような理由であれ、彼女のような人物が不当な扱いを受けるのはあってはならないことです。ですから、今になって貴方に伝えさせていただきました――ラヴァティン支部長」
アシャットは両手でランスの手を握った。
「必ずシスターツクヨを見つけ出してください。お願いします!」
「ええ、必ず! 彼女は、私にとっても大切な人ですから」
「え……?」
アシャットはぽかんとした表情を浮かべたあと、握っていた手を慌てて放した。
「あらっ、そうだったんですか~。いやだあの子、二人の時には何も言ってなかったのに……そうだったんですね~」
「はい? なにがですか?」
「ですから、お二人はつまり、その……そういう関係ということですよね」
「はいぃ!?」
今度はランスの顔がいっきに赤くなった。
「あ、大丈夫ですよ。私、こう見えても口はカタいので」
「いやいやいやいやいや! 誤解ですよ! 別にルナとはそんな関係じゃ!」
「あ! 今『ルナ』って呼びましたね! 二人きりの時はそう呼んでいるんですか!?」
「い、いや、それは彼女とは同年代だし、付き合いも長いからで……とにかく、彼女とはなんでもありませんから!」
結局、アシャットの誤解を正すことはできず、厳重に厳重な口止めをして、ランスは本部を後にした。
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