レイジ2 頼れる弟分

「あの、レイジさん、これは捜査に必要なことなんですよね?」

「もちろん」

「経費は出るんですか?」

「もちろん、出ない」

「ですよね。まあ、私はお金出してないからいいんですけど」


 両手の荷物を見ながら、ミカは深くため息をつく。

 中身は先ほどドラッグストアで買ったインスタント食品や生活用品だ。レイジの持つ袋には水やジュースのほか、比較的重量のあるものが詰められているというあたり、いちおう女扱いはされているらしい。

 レイジとコンビを組んで二か月が経とうとしていたが、ミカは未だにレイジの行動の意図がわからないことがしばしばあった。


「だいたい、地下空間に何の用なんですか?」


 レイジたちの住む地区には巨大な地下空間がある。

 戦時中の空襲対策に作られたこの空間は、地区の全域を網羅するほどの規模を持ち、今では通行のために開放されていた。

 床と壁は打ちっぱなしのコンクリートで覆われ、天井には無数のダウンライトが設置されている。この照明のため、日光が無くても地下の明るさは保たれていた。道の端には五メートルほどの間隔で巨大な柱が立てられ、天井を支えている。


 二人は両手に買い物袋を下げ、通行人もまばらの地下空間を歩いていた。

 スーツである点を除けば、買い物帰りのカップルにしか見えなかっただろう。捜査中の刑事とはとても思えまい。

「ま、行けばわかるさ――そろそろ到着するぞ」


 向かった先にあったのは、“青いビニールで覆われたゴミ”だった。

 いや、ミカからすればゴミに間違いはなかったが、“それ”の住人からすれば、テント、あるいは家というべきものなのだろう。

 要するに、二人が到着したのはホームレスの家だった。


 雨風をしのげる地下空間には多くのホームレスが住み着いており、行政もそれを黙認しているというのが現状である。

 とはいっても、実際にホームレスの家に訪問する、というか近づくのは、ミカには初めての経験だった。


「……あの、レイジさん?」

 顔を引きつらせているミカを無視し、レイジは片手でひょいとビニールの垂れ幕を上げる。

「おーい、ボリスいるかー?」

 ミカもレイジのうしろから内部を覗き込んだ。

 家のなかは予想していたよりも快適な様子だった。六帖ほどの空間に収納ケースがいくつか並べられ、入りきらない物は雑多に置かれてはいるものの、散らかっているという感じではない。


 その家のなかで、一人の少年が眠っていた。

 少年は二人の侵入者に気づくこともなく、呑気にあどけない顔を晒しながらいびきをかいている。


「おい! ボリス起きろ!」

 レイジはいきなりボリス少年の足首を掴むと、身体を上下に揺さぶり始めた。

「んあっ!? なになになに!?」

 突然の事態にボリスが目を覚ますと、レイジは掴んでいた手を離した。

 ボリスは起き上がり、寝ぼけた目をこすりながらレイジの顔をじっと見た。

「なんだレイ兄かぁ。びっくりさせないでよまったく!」

「悪い悪い」


「それで、こんな朝早くからいったい何の用?」

「お前、もう昼過ぎてんぞ――まあいい、まずはとにかく、ほれ差し入れだ」

 レイジはそう言って自分とミカの持っている袋を家のなかに入れた。

「別にいつも持ってきてくれなくてもいいのに」

 どことなく複雑な表情でボリスは袋を見つめた。

「まあ、捜査協力の礼みたいなもんだ。気にせず受け取れ」

「というと、また何か事件?」

「ああ、それでちょっとお前の話を聞きたいんだが」

「ちょっと待って、さすがにここは狭いから、外に出るよ」


 レイジが入口から離れると、まもなくボリスも外へと出てきた。

 立ち上がった姿を見ると、背はミカと同じくらいで、男子にしてはかなり小柄であるため、よりいっそう幼さが残っているような印象を受けた。


「あれレイ兄、この人は?」

 はじめてボリスの視線がミカへと注がれる。

「あ、私は」

「今一緒に動いているミカ・アマネだ。まあ、こいつは俺についてきているだけだから、別に気にしなくてもいい」

「ちょっと! 荷物を半分持ったの私なんですけどー!」とミカが抗議の声をあげる。

「なんだ。てっきりレイ兄の女の趣味が変わったのかと思ったよ」

「おい、なんでお前が俺の女の趣味を知っているみたいな顔してるんだよ」

「いや、だってレイ兄わかりやすいんだもん――まあいいや。それで、訊きたいことって?」

「ああ。実は、計画未定区域で男の死体が見つかってな」


 レイジは胸ポケットからTMを出して起動すると、計画未定区域のマップを表示した。マップ上の廃工場には、目的地を示すピンが刺さっている。

「あー、あの廃工場ね。たしかにあそこは何かに悪用されそうだなーとは思ってたけど」

「知っているんですか!?」

 思わずミカが口を挟んだ。


 計画未定区域は警察関係者や管理者を除き立ち入りが一切禁止されており、内部の情報は公には秘匿されている。

 本来、民間人であるボリスが区域内の現状を知るはずがないのだ。


「あー……えっと」

 途端にボリスの目が宙を泳ぎ始めた。

「なに、別に言っても構わんさ。ボリスや他のホームレスたちは、計画未定区域にある廃品を持ち帰り、業者に売って生計を賄っているんだ」


 地下空間はかつて居住地域であった計画未定区域の下にまで広がっている。地上からでは計画未定区域への侵入は難しいかもしれないが、地下空間にある無数の出口の一つを破って入ることなど造作もないことなのだろう。


「あーなるほど。だから計画未定区域のなかのことも詳しいと……でも、それって違法なのでは?」

「なに、些末なことだ」とレイジは涼しい顔で流す。


「それで、死んだ男がこいつだ」

 今度はレイジのTMにモンテロの写真が表示される。一枚目は遺体の顔、二枚目は出所直前の顔写真だった。

「この男を地下で見た記憶はあるか?」

「どれどれ……うーん、ないね。こんな顔に傷のある男だったら印象に残っただろうし、顔の傷を隠していたとしても、これだけ大柄な男なら気づかないことはないと思う」


「なるほど。じゃあ、次の質問だ――ボリス、昨日は計画未定区域に行ったか?」

 ボリスの顔がいっきに強張る。

「……まさか、俺が疑われているとかじゃないよね?」

「アホ。そんなわけあるか。ただ、現場付近で何かを見ていないか知りたいだけだ」

「だ、だよね。昨日ね……昨日は、行ったよ。ちょうどその付近にも」

「ええ!?」とミカが大声を出すと、レイジからギロリと睨まれた。


「だいたい何時くらいにそのあたりにいたんだ?」

「えーと……昨日は一時半くらいからはじめて、廃工場のあたりまで行ったのはだいたい一時間くらい経ってからだったかな」

「モンテロが殺されたくらいの時間じゃないですか!」

 興奮するミカを無視し、レイジは先を促した。


「それで、廃工場のなかは見たのか?」

「まさか! なかにはもう拾えるものなんてないし、うっかり他の“用事”で来た奴とバッティングしたら面倒だからね」

「様子を窺ったりはしないのか? お前が入らなくても、向こうから出てきてかち合うこともあるだろう?」

「それはもちろんやったよ。まあ、外から聞き耳を立てるくらいだけどね。そのときは特に何かがいるような気配は感じなかったな」

「じゃ、じゃあ、現場周辺で怪しい人物を見かけたというようなことは」

「そんなの見てたら最初に言ってるよ。だいたい、怪しい人物って言ったら俺がそうなんだけど」

「そうですか……」

 有力な情報を得られるかと思っただけに、ミカはがっくりと肩を落とした。

 

 一方、レイジはまた何かを考えているのか、ぼんやりと虚空を見つめていた。

「レイジさん?」

「おお。すまんすまん。ボリス、まあ人じゃなくてもいいんだが、工場の周辺で何か変わったことはなかったか? 実際に見聞きしただけじゃなく、ちょっとした違和感でも構わないんだが」

「ええ? ちょっと待って――そういえば、一つあったな」

「ほう、どんなことだ?」

 レイジの目がわずかに光る。


「気のせいかもしれないんだけど、廃工場の近くで、なんか黒い煙というか、霧みたいなのが出てたんだよね」

「黒い煙?」とミカが首をかしげる。

 廃工場の周辺で火の手があったというような報告は無かったはずだ。

 見間違いではないのかとミカが訝しむなか、レイジはさらに興味をそそられた様子だった。


「それは廃工場のなかから出ていたのか?」

「いや、たぶん違うと思う。なんていうか広がっているんじゃなくて……うまく言えないけど、煙のかたまりがあちこちにぽつぽつあるって感じかな」

「一か所じゃなくて、複数あったんだな?」

「そうだね。昨日は月が明るかったから、余計に目についたな」


「どういう間隔であったか、マップで教えてくれ」

 レイジがTMでマップを開くと、ボリスが黒い煙を見たところをタップしていった。

「えーと、俺がここにいて、位置はここと――だいたいだけど、これでいいかな?」

「ああ、問題ない」

 マップ上には、廃工場の入り口から直線状にしるしが付けられていた。


「黒い煙を見たあと、お前はどうした? 廃品拾いに戻ったのか?」

「いや、なんだか不気味だったのと、急に気分が悪くなったから帰ってきたんだ。それからはレイ兄たちが来るまでぐっすり」

「気分が悪くなった? 風邪か何かか?」

「今は大丈夫だよ。風邪じゃなかったみたい。たぶん、変なものを見たから気持ち悪くなったんだ」

「なら良いんだが――この黒い煙の延長線上にはなにかあるのか?」

「……特に何もなかった気がするなあ」

「地下空間への入口はどうだ?」

「そんなの、どの方角にだってあるよ――でも、この先なら、ちょうど俺が通った入口があるね」

 レイジの表情がわずかに曇ったが、一瞬のことだったのでボリスは気づかなかったようだった。


「なるほど……参考になった。ありがとう」

「ホントに? こんな話でもレイ兄の力になったのなら良いんだけどさ」

「ああ。あと、他に計画未定区域によく行く奴がいたら紹介してくれ」

「うん。どのあたりに住んでるかマップに入れておくよ」


「……あと、もしかしたらなんだが」

 レイジは少し躊躇いながら後を続けた。

「地下空間で“なにか”が起こるかもしれん」

「なにかってなにさ?」

「……それはまだ俺にもわからん。だから、少しでもおかしなことがあれば俺に連絡しろ。いいな?」

「う、うん」とボリスは困惑した様子で頷いた。

 レイジが何を考え、何を恐れているのかはミカにも見当はつかなかった。


「なんだか不思議な話でしたねー」

 ボリスの元を離れ、二人は再び地下を歩いていた。

人気ひとけのない場所に正体不明の黒い煙だなんて、まるで怪談みたい。夢でも見ていたのかしら……」

「ボリスはああ見えてしっかりした奴だ。実際に見てもいないものを見たなんて言いはしない」とレイジが断言するので、ミカは少々呆気にとられた。


「ずいぶんと親しそうでしたが、彼とはどういった関係なんですか?」

 訝しむような表情でミカは訊ねる。

 レイジはしばらく黙ったまま歩き続けたが、ふいに口を開いた。


「昔、あいつと俺は同じ孤児院にいたんだ」

「あ……そう、なんですか」


 レイジの両親がすでに死去していることは聞かされていた。

 亡くなったのはレイジがまだ赤ん坊の頃。

 危険思想保持者によるテロで亡くなったとのことだった。


 当時はまだ戦争も本格化しておらず、国内の情勢も穏やかであったため、突発的に起きた“災厄”による被害は甚大なものだったそうである。

 レイジはあまり自分の過去を話したがらないので、ミカが知っていたのはそれだけで、孤児院で暮らしていたというのは初めて聞くことだった。


「で、でも、本当に仲が良いんですね。捜査協力のお礼なんて言ってましたけど、本当は心配していろいろ買っていってあげたんですもんね」

 レイジは複雑そうにわずかに顔をしかめたあと、「……まあ、あいつは俺の家族だからな」と照れたように笑った。

 なぜだか、その表情に陰があるように見えた。

 だが、その理由を問いただすほどの勇気をミカは持ち合わせていない。


「でも、レイジさん『レイ兄』って呼ばれてたんですねー。なんかいがーい」

「そうか?」

「だって、普通そういうあだ名って面倒見のいい兄貴分につくじゃないですか。レイジさんってそういうキャラじゃないですよね」

「なに言ってんだ。俺ほど面倒見のいい男もいないっていうくらい、面倒見の良さには定評があるぞ」

「いやいやいやいや。現在進行形で全然面倒見られていない後輩が目の前にいるんですがそれは」

「ああん? お前、ここ二か月俺が捜査官のなんたるかを教えてやってるというのに、なんですかその言い草は」

「だってレイジさん、いつも一人で捜査して、私は後ろから金魚のフンみたいについていってるだけじゃないですか。もっとこう、教えたり私になにかさせたりさせてくれてもいいんじゃないですかね」

「わかってねえなあミカお嬢さんは。こういうのは後ろで見て技術を盗んでいくもんなんだよ。本当にできる男は背中で語るってやつさ」

「そんな前時代的な精神論振りかざされても困るんですが」

「わーったよ。じゃあ次の聞き込みはお前がやれ」

「いいんですか!?」

「おう。俺は最低限のことしかしないから、好きにやれ……どうせ大した情報は入ってこないだろうし」

 後半の方だけレイジはぼそりと呟いた。

「え? なにか言いました?」

「いいや、なにも」

「そうですか。それじゃあ、張りきっていきましょう!」

 腕を大きく振りながら、ミカは足取り軽く進んでいった。

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