レイジ2 奇妙な現場
計画未定区域の多くは戦火を受け、未だ復興の手が伸びていない地域である。その名の通り、復興の計画は未定であり、余程のことがない限りは今後も手付かずのままとなる。
というのも、戦争による大規模な人口の減少により、かつてあったほどの居住エリアは必要なくなったためだ。
商業利用しようにも、瓦礫の撤去や土地の整備、汚染された土壌の浄化などの費用が莫大にかかり、TMの試算でも復興に見合うだけの収益を得られないとして放置されているのが現状だった。
結果、人々の暮らすエリアと計画未定区域は明確に区分されているのだが、人がいないということは、同時に犯罪に利用しやすいということでもあった。
「……こいつはたしかに
到着するなり、レイジは呟いた。
現場は一目見てわかるほど異常だった。
まず目につくのは男の死体。がっしりした体格な男だった。見たところ三十代の後半から四十代なかばといったところ。頬から耳にかけて古い傷跡がある。戦争の古傷という可能性もあったが、おそらくカタギの人間ではないだろうという印象をレイジは抱いた。
次に目に付くのは男のすぐ近くに描かれた不可思議な図形――魔法円だった。ほかにも、あたりには鶏の死骸と血だまり、それらを乗せていたであろう皿と杯が散乱しており、ここで何らかの儀式が行われていたのは明らかだった。
(あとは……棺桶か?)
ちょうど人がひとり入りそうな長方形の木箱が置かれている。
近づいて覗いてみるが、中はカラだった。
「おーい、みんな―」
妙に間延びしたバリトンボイスが聞こえてきたので目を向けると、思想犯罪捜査班のボスであるクレマン・バルトー警部が、巨体を揺らしながら近寄ってきた。
「クレマン、先に来てたのか」
「ああ。ちょうど出勤しようとしていたところに連絡が入ってね」
三人は胡散臭そうな目をクレマンに向ける。彼らは上司が定時に自らのデスクについているのを見たことがなかった。
「それで、状況はどうなってるんだ?」
「……お前としゃべっていると、俺は時々どっちが上司なのか忘れそうになるよ――まあいい。まず、被害者の身元だが、アレッシオ・モンテロ、四十歳。元テロリストだ」
「テロリスト?」
「ああ。といっても、特定の思想に肩入れしていたわけじゃなく、色々な組織に金で雇われてテロ行為に加担していたらしい。まあ、傭兵のようなものだな」
「金儲けのためにテロを起こしてたってのか」
レイジは忌々しげに吐き捨てた。
戦災孤児と呼ばれる子供たちのなかには、戦争そのもので親を亡くした者ばかりでなく、戦前・戦後に続発したテロによって家族を殺された者も多い。
自らの思想を理由にテロを行う危険思想保持者への怒りは未だ消えてはいない。まして、テロを利用して私腹を肥やしていた人間など許せるはずがなかった。
「まあ、モンテロが本格的に活動していたのは八年も前のことだ」
レイジの苛立ちを知ってか知らずか、クレマンは話を続けた。
「へえ。足を洗って慈善活動家にでも転職したんですか?」
場の空気を和ませようとしてか、マークが口を出した。
「まさか。八年前、つまらないヘマをやらかしてお縄についたのさ。もっとも、捕まえたのは良かったが、モンテロの用意した弁護士が悪どい奴でね。モンテロが関わっていたと思しき事件は山ほどあったが、どれも証拠不十分で立件できず、結局つまらん罪状で八年しかぶち込んでおけなかったのさ」
「なるほど。筋金入りの
「モンテロは最近になって出所してきたということか。どこかの組織に合流したんだろうか」
「十中八九そう見て間違いないだろう。ただし、今のところ、出所後のモンテロの動きは掴めていない。半年前に刑期を終えて出てきたんだが、すぐに姿をくらませている」
「家族や女のところに隠れていたんじゃないのか?」
「可能性はあるな。だが、故郷の両親はすでに死去していて、兄弟や他の親族もいない天涯孤独の身とのことだ。モンテロを匿ってくれるような親しい友人や女がいたという情報も今のところない」
「八年前にモンテロが手を貸していた組織は?」
「当時関わりのあったと思しき組織は、ほとんどが壊滅している。ちょうどモンテロが刑務所に入ったくらいのときに“危険思想規制法”ができたこともあってな」
「ああ……」
レイジの眉間にわずかに皺が寄る。
「それで言えば、モンテロはその前に捕まっていてラッキーだったな。規制法ができたあとに捕まれば、八年じゃ出てこれまい」
「とにかく、現時点では人間関係は不明、所属していた組織も不明と」
レイジは忌々しげにため息をついた。
「ひとまず考えるべきは、ここで何が行われていたか、か」
レイジはあらためて魔法円を観察した。
廃工場の錆びた床に白色のチョークで描かれた円は歪んでおり、お世辞にも良い出来とは言えない。儀式を行った者の経験が浅いという可能性はありそうだった。
(見たことのない
「おやぁ? オカルト班の方々もおそろいですか?」
人を小馬鹿にするような不快な声に、レイジの思考は遮られた。
声の方に目を向けると、殺人課のオリバー・カスティがニヤつきながら近づいてきていた。
「カスティ君、うちは思想犯罪捜査班だよ。そういう俗称はやめてほしいね」
クレマンが呆れ顔でたしなめる。
カスティは「これは失礼しました」と形だけの謝罪を口にした。
「まあ、今回の事件はオカ……思想犯罪捜査班が“本来の役割”を発揮できそうな稀有な事件ですからね。張り切るのは結構ですが、あくまで表向きは殺人事件ですので、こちらの捜査の邪魔になるようなことは慎んで下さい」
「当然だ。アンタらと足の引っ張り合いをしているほど、俺らも暇じゃない」
「ふんっ! わかっているならいいんですよ。わかっているなら」
カスティは鼻を鳴らして答える。
そんなやり取りのうしろで、ミカが声をひそめてマークに訊いた。
「あの人、よくうち、というよりレイジさんに突っかかってきますけど、あの二人なにかあるんですか?」
「ああ。前にカスティが追っていた事件の犯人をレイジが先に挙げたことがあるんだ。それからはカスティの方で一方的にライバル視というか、敵対視しているんだよ」
「うわっ、器小さすぎじゃないですか」
「レイジの方も相手にしないから余計にヒートアップして、ことあるごとに絡んでくるというわけなのさ」
「お二人さん、聞こえていますよ」
ビクッと反応し、二人は気まずそうに愛想笑いを浮かべた。
「やあハワード、調子はどうだい?」
レイジは周りのやり取りを無視し、検死官のハワード・マグネットに話しかけた。
「朝っぱらからこんなところに連れてこられて、良いわけがないだろう」
「まあまあ。夜に一杯ひっかける前に呼びつけられるよりはマシだろ――で、遺体の状態だが、何がわかったんだ?」
「ふん! まず、死亡推定時刻は午前二時から三時のあいだ。死因は出血性ショック死。腹部に十五センチほどの裂傷があり、他には目立った外傷はない」
レイジは遺体の腹部を確認する。たしかに腹の中央に大きな傷が斜線のように広がっており、赤黒い血肉が顔を見せていた。後ろから覗きこんでいたミカが「うえっ……」と嫌悪感をあらわにする。
「死因はこの傷で間違いなさそうだな――凶器の推定はできているのか?」
レイジの問いかけにハワードは困惑したように顔を歪ませた。
「それなんだが、まず、使われたのは一般的に普及している刃物――ナイフや包丁などではない」
「というと、剣や刀などの刃渡りの長いものということですか?」
カスティが訊く。
「いや、そういう意味じゃない。使われたのはかなり特殊な刃物ということだ」
「特殊な刃物?」
「ああ。遺体に残っている傷が広がりすぎているんだ。ナイフなんかの鋭い刃物で切ったのならこうはならない。なんらかの切れ味の悪い刃物で力任せに切り裂かれたと見て間違いないだろう」
「まあ、それはわかりました……で、その特殊な刃物とやらの推定はできているんでしょうね?」
「さあな。候補なら挙げられるが、詳しく調べてみんことには具体的なことは言えんよ」
「たとえばどんなものが考えられる?」
「そうさな……削って尖らせた石や木片、あるいは獣の角や牙とか、そんなところだろうな」
「獣の角や牙……」
ぼそりとレイジがつぶやく。
「なんだってそんなもので殺人を」
「それは俺の知ったことじゃあない」
ハワードはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「くっ……まあいいでしょう。とにかく、凶器には不自然な点があると」
「遺体には他に外傷はないと言ったな?」
「ああ。もともとあった顔のデカい傷跡は別だがな」
「被害者は腹部を正面から切り裂かれているが、抵抗の痕もなかったということか? クスリか何かで眠らされていたのか?」
「特に相手と争った痕跡はないが、薬物を使われた様子もない。あくまで私見だがね」
「なるほど」と頷いてレイジはまた考え込みはじめた。
「カスティさん」と若い刑事が駆け寄ってきた。
「遺体の第一発見者の方をお待たせしているのですが」
「ええ。連れてきなさい」
若い刑事は眼鏡をかけた中年の男を連れて戻ってきた。
「計画未定区域警備担当課のデクスターさんです」
カスティが代表としてあいさつした。
「デクスターさん、先ほど他のものにも話したかもしれませんが、遺体を目撃した時のことをもう一度お話し願いますか」
デクスターは緊張しているのか、顔がこわばったまま話し始めた。
「ええ、構いませんとも――といっても、私自身が最初に目撃したのではなく、巡回警備していたTMの報告を聞いただけなのですが」
計画未定区域を有する自治体では、区域内での犯罪を防止する目的でTMを巡回させているところも多い。
「TMから報告が来たのは何時頃でしたか?」
「ええ、ちょっとお待ちください……四時十三分です。この時間にTMから連絡と現場の写真を受信しました」
(モンテロが死んでから、少なくとも一時間以上あとか)
となれば、犯人はすでに現場を去っていた可能性が高い。
カスティの表情にも若干の落胆が見えた。
「報告を受けたあと、あなたはどうしましたか?」
「まずTMから男性の生死を確認させ――いえ、遺体に触れたりなどはしていません。あくまで目視での判断です――そのあと、警察へ通報し、私も現場まで来ました」
「現場にいたTMが何か怪しいものを映してはいませんでしたか?」
「いえ、男性の遺体とあの奇妙な現場以外は、特に目ぼしいものは……」
「そうですか。それでは、警備TMの録画データをいただいて後は」
「計画未定区域を警備するTMは何機いるんですか?」
突然のレイジの発言にカスティが眉間にしわを寄せた。
「え……そうですね、現在保有している台数となると三十機程度でしょうか。ただ、機械とはいっても充電やメンテナンスがありますから、常時稼働しているのは十機くらいかと」
「人型ですか?」
「まさか! そんなものウチの予算ではとてもとても――飛行型のものです。野球ボールくらいのサイズの」
デクスターはこぶしを作って、TMの大きさを示した。
「それらが飛び回って監視していると。決まったルートを飛んでいるんですよね?」
「ええ。警備上必要だとTMが判断すれば、ルートを一時はずれることもありますが、原則は同じルートを巡回しています」
「この廃工場もそのルートのなかですか?」
「もちろんです。使われていない建物の中などは、一番犯罪に利用されやすいですから」
「では、この廃工場を監視していたTMが再び戻ってくるまでにどのくらい時間がかかりますかね?」
「そうですね……だいたい三時間くらいのはずです」
「わかりました……遺体を発見したTMと別のTMは何かを映していませんでしたか?」
「さあ、すべてを確認したわけではないので何とも言えませんが、少なくとも他のTMから異常があったという報告は受けていません」
「わかりました。ありがとうございます」
レイジは礼を言いながら、再び思索にふけり始めた。
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