第1章
レイジ1 思想犯罪捜査班
「……まあ、だから僕はあの手この手をつかってその女の子を口説いていたわけだよ。彼女の反応も悪くはなかったし、これはイケると思って店から連れ出そうとしたんだ。
そしたら女の子はバッグから
それからはもうひどいもんだったよ。こっちの話なんか聞く耳もたずでね。一人でさっさと帰っちまうんだもの」
マークはひとしきり語り終えてコーヒーをあおった。
「……で、結局お前は何に文句があるんだ?」
同僚のナンパ話に呆れながら、レイジは訊いた。
「だからTMだよTM! たしかに便利な機械ではあるさ。でも、だからって何でもかんでもTMに決めさせるのはどうかと思うわけだよ」
「まあ、たしかにTMだっていつも完璧な答えを出せるわけじゃないからな。何でもかんでも判断を任せるのはどうかとは思うが」
「まったくだよ。行き遅れたってTMが代わりに結婚してくれるわけでもないのに」
吐き捨てるように言ってマークは鼻を鳴らした。
「でも、その女の子のTMは正しい判断をしたんじゃないですか?」
自分のデスクにいたミカが話に加わってきた。
「おいおいミカちゃん、そいつは聞き捨てならないぞ」
「だってマークさん、実際軽薄で夜遊び激しいじゃないですか」
「いやいやいや、それは違うぜ。こう見えて僕は一途なんだ。一人と決めたらあとはその女性を愛し続けるだけさ。だた、今はその女性を探し求めているというだけで」
「このあいだ、ナンパした女と腕を組んで歩いていたら、他の女に見つかって修羅場になったあげく両方にフラれたって話していたのはどこのどいつだ」
「え!? なんですかその話!? 初耳なんですけど!」
そういえば、この話はミカが赴任してくる前の話だった。
「ちょっと、やめろよ僕のイメージが悪くなるようなことを言うのは!」
「いや、もう手遅れだろ」
ミカもうんうんと頷いている。
「と、ともかく、僕が言いたいのは、TMに何でも物事を判断させるのはけしからんという話だよ!」
「まあ、たしかに何でもTMに決めさせるって人も増えてきましたねー」
マークは話題を逸らすのに成功しホッと息を吐いた。
「恋愛に限らず、ちょっと迷うようなことがあったらすぐにTMをつける人いますし。最近だと学生が自分の進路を決めるのにTMに訊いたりするんですって」
「会社の経営方針を決めるのに使うくらいだからな。個人に普及すればそのレベルで使われてもおかしくはない」
「いいやおかしいね!」とマークは声を荒げる。
「恋愛にしろ、進路にしろ、自分の人生がかかった問題を機械に決めてもらうなんてどうかしてるよ」
「けど、重要な問題だからこそ、できるだけ正しい答えを選びたいんじゃないですかねえ……」
ミカがぼやくように言った。
「僕は合理的なことが正しいこととは思わないけどね! 特に、恋愛に関しては!」
「このご時勢に何を言ってるんだか……」
「大事なのはフィーリングだよフィーリング! 考えるのではなく、感じるのだ……」
「危険思想保持者として逮捕するぞ」
「ミイラ取りがミイラってやつですね」
愉快そうにミカが笑う。
「国家権力による言論弾圧だ!」
「言論弾圧っていうよりは思想統制?」とミカ。
「フレーズだけ聞くとカルト教団か独裁国家みたいだな」
「それを取り締まる側の私たちが言うんですか……まあ、思想統制という聞こえが良くないので……思想の標準化、とか言えばいいんじゃないですかね」
マークの顔にさっと影が差す。
「うわっ、ミカちゃん黒いなあ」
「な、なにがですか!」
「いや、言葉を選んで印象を操作するなんて……ねえ?」
「これは先が思いやられるな」
「僕たちも知らず知らずのうちにミカちゃんに印象操作されていた可能性が?」
「あるだろうなあ。本当は残忍で陰険な性格かもしれんぞ。ストレス解消のために野良猫をいじめたりとかしてるんじゃないか」
「うわあ、ミカちゃんそれはドン引きだわ」
「ちょっと! 二人で私の印象操作するのやめてくださいよ!」
「じゃあ、実はマークの悪い噂を女子の間で流行らせているとか」
「なんだって!? だからこのあいだ交通課のサラちゃんを食事に誘ったら取り付くしまもなく断られたのか!?」
「やってません! あと、サラさんはマークさんのこと『しゃべることがいちいちキザでキモイ』って言ってました!」
「ええええええええええええええ!?」
「じゃあ……」
「もういいかげんにしろー!」
思想犯罪捜査班の朝は騒がしい。
思考機械(Thinking Machine)、通称TMはその名の通り“思考する機械”である。
その機能を簡単に言えば、“高度な計算能力や論理的思考によって、与えられた課題に対して合理的な解決方法を提示すること”だ。
例えば、ある会社で伸び悩んでいる事業について、存続すべきか撤退すべきかTMに判断を仰いだとする。すると、TMはその事業の成長性や成功した場合にもたらされる利益、失敗した場合の損失などについての分析を行い、それぞれを加味して最大限の効用をもたらすであろう選択肢を判断する。
もちろん、TMの下す判断は計算上の話であり、実際にはTMの知りえない情報の介入などにより正しい結果をもたらさない場合もある。だが、それを含めても出した答えの精度はかなり高いものだった。
TMの発明により、世界の在り方は大きく変わっていくことになる。
最初は零細企業レベルでの試験的な導入だったのが、数多くの成功例がもたらされたことにより、大企業、さらには国家レベルでの運用がなされた。
新しい技術に対して懐疑的な目を向けていた人々も、経済が急速に成長し、弱小国家が発展する様を目の当たりにすれば、おのずとTMを受け入れるようになる。
導入段階では個人レベルでの所有はまだ一般的ではなかったものの、人々のなかには次第とTMに対する“信仰”が芽生えていった。TMの信奉者たちは、合理的な価値観を重視するようになる反面、非合理的なもの――宗教や迷信など――を排除する傾向が表われはじめたのだ。
また、宗教家たちのあいだでも、神のごとく扱われるTMに不快感を示す声が上がりはじめた。とある宗教を国教とする国では、企業に対してTMの利用を禁止する法律まで作られる始末だった。
自らの存在が世界を大きく変えることをTM自身が予期していたかは定かではないが、人々のあいだで不穏な空気が流れつつあった当時、あの戦争の一因ともなったある事件が起きる。
きっかけはとある大学で実施された一つの思考実験だった。哲学博士の教授が様々な質問をし、哲学・倫理学上の問題に対し、TMが合理的な解決手段を提示することができるかという趣旨のものだ。
いくつかの質疑応答の後、教授が問いかけた。
「神は存在するか」と。
「レイジさん、なに読んでるんですかー?」
ミカは顔を近づけて、レイジの持つ週刊誌を覗き込む。
「『TM普及までの道のり』ってタイトルの記事なんだが、内容はTMについての批判記事だな」
「あ! この雑誌、ちょっと前に規制法違反で厳重注意を受けてたやつじゃないですか」
「たしか戦前にあった宗教の紹介が、危険思想の布教に引っかかったんだったか」
「まあ、本気で入信を勧めるものではなかったので、注意だけで済んだとかいう話ですが」
「あまり過激なことをするなと釘を刺しておいたってとこだろう。ヘタに煽ってテロリスト共を刺激されてもかなわんからな」
「そのテロリストたちも、最近はすっかり鳴りを潜めているようだけどね。平和なのはいいことだけど、僕はときどき自分が何に所属しているか忘れそうになるよ」
マークが大きなあくびをするのと同時に、デスクの電話がけたたましく鳴った。
「はい。思想犯罪捜査班です」ミカがいち早く受話器を取って答える。
「はい……わかりました。ただちに向かいます」
ミカは受話器を置くとマークに目をやった。
「マークさん、どうやら自分の所属を思い出せそうですよ」
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