第4話:人形

 満員電車で痴漢を見事に撃退し、無事に大保方邸にたどり着いた勝武であったが、サニタリードライバーについて有益な情報を得ることは出来なかった。大保方曰く、サニタリードライバーの形状や素材、そして物理的な性質は一般に販売されている生理用品となんら違いがなく、当然のことながら人を変身させる機能など備えてはいないとのことである。とはいえ実際に勝武が変身できるのもまた事実。とりあえずの所、現代の科学技術では認知できない何らかの力が作用しているのではないかという暫定的な結論に落ち着かざるを得なかった。


「はぁ……まぁ仕方ないか」


 内心まともな結果は得られないだろうと薄々感づいていた勝武ではあったが、優秀な研究者である大保方ですらその正体を掴むことができないという事実を改めて突き付けられ、落胆しながら帰路につこうとしていた。

 仕事を終えた人々や部活帰りの学生で溢れかえる街は昼間とはまた違った賑わいを見せており、都心部特有の喧騒に包まれている。そんな中、普段目にするものとは異なる大きな人だかりができていることに勝武は気が付く。それは大人数で飲み会に行く社会人のグループなどといったものとは違い、年齢や性別もバラバラの人々によって構成されているようだ。


「なんだろう、ちょっと見てみるか」


 興味本意で人混みに近づいてみるとその中央には夏祭りの出店のような簡素な造りの屋台が設けられており、金髪碧眼の男性が立っているのが見える。しかし男を取り囲む人々の最外周部からでは彼が一体何をしているのかまではよく見えない。人混みを掻き分けてさらに近付こうと考えた勝武であったが、その手が前に立つ青年の腕に触れる直前で思いとどまった。


「(さっきのこともあるしな……)」


 満員電車ほどではないとは言えど、ぎゅうぎゅうに込み合った場所に足を踏み入れてしまえばトラブルに巻き込まれる可能性は必然的に上がるだろう。実年齢よりも若々しくバイタリティ溢れる男性であると各方面から評される勝武ではあるが、流石に同じ日の内に何度も厄介事に見舞われるのは御免だった。彼が諦めてその場を立ち去ろうとした、その時のこと。


「そこのお兄さん!」

「えっ?私?」

「はい!あなたデース!ちょっと来て貰えますか?」


 なんと、件の男性が勝武を指差しながら、流暢な日本語で呼びかけてきたのである。急な出来事に少しばかり驚いた勝武だったが、これは丁度よかったと声の方へと進んだ。すると、先程は観衆が邪魔で見えなかったが男の足元に木製の人形が置かれているのが見えた。球体関節で各パーツが繋がれている人形は薄ピンクのワンピースを着ており、どうやら女の子を模して作られているようだ。


「それじゃあ最後のパフォーマンスはこのお兄さんに協力してもらいます!」


 男がそう言って手を叩くと、誰も触れていないにも関わらず足元に座っていた人形がひとりでに立ち上がった。


「パフォーマンスって……操り人形?」

「ノーノー、ジェニーは人形なんかじゃありません。私のかわいい『娘』デース」


 ちっちっ、とわざとらしいモーションで指を振りながら男は否定する。勝武は内心「面倒なやつだ」と思う一方、男のパフォーマーとしてのプロ意識に感心した。遊園地のスタッフがパークの世界観を壊さぬように種々の隠語を用いるのと同様、彼もパフォーマンスのにおいてその雰囲気を崩さぬよう最新の注意を払っているのだと感じたからである。

「すいません……その……」

「シェナ=ムールです。シェナと呼んでくだサーイ」

「失礼しました、シェナさん。それでパフォーマンスっていうのは?」

「これデース!」


 シェナと名乗った男はどこから取り出したのか、真っ赤に熟したリンゴを手に持っている。


「林檎?」

「はい、ちょっと失礼しマース」


 シェナはリンゴを勝武の頭に乗せると、ジェスチャーで『動かないで』と指示した。


「それでは皆さん!これからジェニーがこのリンゴを弓で射抜きマース!!」


 シェナがそう叫ぶと、彼を取り囲む観客たちから大きな歓声が上がる。シェナはその様子に満足そうな笑みを浮かべると、懐からミニチュアサイズの弓矢を取り出して彼が"娘"と呼んだ人形に手渡した。勝武はその様子を注意深く観察するが、まるで本物の子供のように自然な挙動で弓矢を受けとる人形に動きを制御する為の糸などが取り付けられている様子はない。幅広い分野を網羅する広い知識と高い知性を有し、それらを用いて数多くの資格(ほめる達人検定、普通自動車免許、スペイン語検定5級、etc……)を取得してきた勝武にすらこの不思議な人形の正体を知ることは叶わなかったのである。


「(いったいどんな原理で動いているんだろう……気になるなぁ)」


 勝武がそんな事を考えている間に、人形はその手に握られた弓を引き絞る。


「さぁ、それではいきマース!スリィ、トゥ、ワン――」

「きゃああぁぁ!!!!」


 シェナのカウントダウンがゼロになる直前に観客の一人が悲鳴を上げた。中央に立つ勝武たち二人を含む周囲の人々の視線が声の方向に集中する。そこには二十代半ばくらいであろうパンツスーツ姿の女性が立っていた。


「どうしましたか!?」


 女性のピンチに誰よりも早く反応したのは言うまでもなく勝武であった。彼女の声が響いてから動き出すまでの時間は0.69秒。これはのび太が眠りに落ちるよりも素早く、次元大介の射撃よりも遅い。これまでの経験から早すぎても遅すぎても女性は満足できないという事を熟知した勝武ならではの絶妙なタイミングだ。


「今、誰かにお尻を触られたんです!」


 泣きそうなのを必死に我慢したような表情でスーツの女性は勝武に訴える。周囲を見てみると、女性の後ろにはガタイのいい無精髭の男が立っていた。彼が犯人だろうと踏んだ勝武は男に詰め寄る。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ!俺じゃねえって!!」

「ならやってないって証拠はあるんですか!」


 掌を外に向けた状態で胸の前に付きだした手を振って男は犯行を否定するが、勝武は追求をやめない。これまでの経験上、加害者男性が自ら罪を認めたがらないという事を知っているからだ。

 しかしここで聡明な読者の諸君は「これは悪魔の証明なのでは?」と思うことだろう。確かに監視カメラの映像やDNA鑑定などの客観的な根拠よって特定の犯行を立証する事に対し、犯行を行っていない証拠を提出することは困難を極めると言える。一般的にこのようなケースは悪魔の証明と言えるだろう。無精髭の男もそれを指摘する。しかしながら、この男はひとつ重大な見落としをしていた。


「やってない証拠ったって、俺がやったって証拠がないのが何よりの証拠だろうが!!」

「女性に立証責任を求めるのか!このミソジニストめ!!」


 そう、今回の被害者は女性なのである。抑圧的な男性社会に日頃から縛られている女性に対して被害に遭ったことを証明しろと迫る行為がセカンドレイプであることは世界の常識であり、もはや言うまでもない。そのような女性に更なる負担を強いるミソジニーに染まった発言をした時点で、この男が痴漢であることは確定的に明らかとなった。


「おい!!ふざけるのも大概にしろよ!!」


 しかし男は自らの犯行を認めるどころか、大声で喚きながら勝武を鬼の形相で睨み付けている。こうなっては仕方がないと勝武が懐のサニタリードライバーに手を伸ばそうとした、その時。


「ケケッ……ケケケッ……!」

「!?」


 勝武が背後を見ると、シェナの人形であるジェニーがカタカタと小刻みにその身を震わせながら不気味な笑い声を発している。


「おぉジェニー、どうしたんだい?」

「パパ……あの人、気持ち悪い……ケケッ!」


 人形がそう言いながら無精髭の男を指差したその瞬間、不可思議な現象が起こった。


「き、消えたっっっ!?」


 なんと男の身体が透明になり、跡形もなく消え去ってしまったのである。目の前で起きた衝撃的な出来事に、周囲の人々が大きくざわつく。


「シェナさん!これは一体!?」

「あなたの"それ"と同じデース」


 シェナが指差したのは勝武のジャケットの胸のあたり。ちょうどサニタリードライバーをしまっている場所だった。


「あなた、もしかして何か知っているんですか!?」

「詳しい話は後デース。それより今はこの場を収めなければいけまセーン」


 そう言うと、シェナは何事もなかったのような素振りで観衆の方を向いてこう言った。


「サプラーイズ!!最後のパフォーマンスは消失マジックでしたーー!!」


 すると先程までの出来事にざわついていた観客達は一瞬だけ静かになり、その直後、大きな拍手があたりを包み込んだ。痴漢に遭った女性も訳がわからないといったような表情をしているものの、周囲に流されたのか小さく手を叩いている。


「今日のパフォーマンスはこれでおしまいデース!またお会いしまショーウ!…………さて、それではお話しまショウか。私達に与えられた"古遺物アーティファクト"と、その歴史について。」


 少しずつ二人の周りから去っていく観客に聞こえぬよう小声でそう話すシェナの表情は、先程までのにこやかなものではなくなっていた。


 


 

 

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